森の獣
「……準備は?」
「問題ありません、片付けも全て済ませてあります」
リアンが手短に言うのに対してフィフィは小さく頷く。
一悶着あった夕餉からまだ半日と経っていないが、リアンの様子には変化が見られつつあった。
それまで時折覗かせていた陰のある表情は消え失せ、やる気に満ち溢れた明るい年相応の顔つきをしている。
立ち振る舞いにもそれは表れていて、一つ一つの動きが妙にきびきびとしている。
今も交代で行っていた睡眠から目覚めたばかりだというのに、眠気の残滓を欠片ほども感じさせない気力の充実した瞳でフィフィを見つめて静かに指示を待っていた。
「……やる気なのはいいけど、意気込み過ぎないように」
「はいっ!」
過剰にやる気に満ち溢れた返事にフィフィは小さくため息をつくが、その表情に悪い感情はない。
無表情な彼女の表情は読み取り辛いが、浮かんでいるのは微かな安堵だ。
「……まあ、元気なのは何より」
フィフィは気持ちを切り替えて改めてリアンを見つめる。
まだ日は昇ったばかりだが、時間は有限だ。回るべきポイントは残り3箇所だが、今までよりも森の深層に近くなる。森が深くなればそれだけ生息する魔物の類は強力で凶暴になる傾向があるので一掃の注意が必要になる。最短ルートで効率よく回る事が肝要となる。
そんなことを一通り確認するとリアンは素直に頷く。
「遅れないよう、頑張ります!」
「……ん」
明るいリアンの返事にフィフィは今度は薄く笑うのだった。
◇ ◇
緑の色が濃くなり、森の中の光量が明らかに落ちる。漂う魔の気配も濃くなり、森を駆ける二人は警戒をより密にする。
生い茂る葉の天井が分厚くなり、木々の枝がより複雑に突き出したことで枝駆けの難度は跳ね上がっていたが二人の足取りが衰えることはなかった。
残る三つの内、一つ目のポイントに異常がないことを確認するとすぐに次のポイントへと向かう。
この調子であればすぐに調査も終わり、昼飯を食べるにはまだ早い時間に街に戻ることも出来るだろう。
そんな甘い期待をしていた訳ではないが、ポイントへと辿り着いたとき、帰還は少し遅れるかもしれないとフィフィは小さく息をついた。
「フィフィさん……これは……」
「……うん」
二人が目にしたのは無残に散らばる魔獣の死体。生きているものは一匹もいない。
むせ返るような血臭の中、フィフィは少し周囲を見回してからゆっくりと死体の元へと近づいていく。
「…………」
真剣な顔で一つ一つの死体を調べるフィフィの様子を窺いながら、リアンも死体や血溜まりを踏まない様に気を付けながら同じように周囲を観察する。
「これは……シルバーテイルウルフ?」
リアンは死体に見られる特徴が記憶にある魔獣のものと一致していることに気付く。ただ、四肢が千切れたり顔が潰されたりして原形を留めているものが少なく確信が持てなかったが。
だがその呟きにフィフィは反応する。一通り調べ終わったのか顔を上げてリアンの方を見ると質問を投げかける。
「……他に気付いたことは?」
「ええと、数は8匹。大人が5に子供が3、群れが全滅でしょうか。噛み跡や爪の跡がありますから、襲ったのも魔獣だと思います」
「ん……じゃあこれは?」
フィフィはリアンの答えを肯定するように頷くと、足元から何かを拾い上げる。
それは細く伸びる青い毛。シルバーテイルウルフはその名の通り銀の毛並が目立つ獣なので、異なる何かが残していったものだろう。
だがリアンにはその一本の毛から落とし主が誰なのか特定することは出来ない。
「……グゥシィという獣は知ってる?」
「ええと、確か旧き魔物が森に住むようになって生んだと言われる魔獣ですよね。でも、あれって噂の類じゃないんですか?」
「いや、存在する。数は少ないけど」
短く答えたフィフィは、少し悩むようにしてから間を空けて言葉を続ける。
「……グゥシィは魔物の血が混ざった魔獣。だから半端モノとして、魔物にも魔獣にも好かれない。決まった縄張りを持たず、森から森へと渡り歩く。青い毛並みが特徴で、この毛はほぼ間違いなくグゥシィのもの」
「凶暴なんですか?」
「……少なくとも無闇に他の生き物を殺すような性質ではない。むしろ、賢くて本来は温厚」
リアンは眉を顰める。彼女が嘘を言っているとは思わない。
しかし、周囲の光景は凄惨の一言だ。一体どれほどの憎悪があれば、これほどまでに、大人から子供まで徹底的に殺し尽くせるのかという惨状。
この犯人とフィフィの言う特性はどう考えても結びつくものではない。
「……ああ、じゃあ別に襲った奴がいて、グゥシィはここにたまたま?」
「……いや、それも考え辛い。グゥシィの毛が多すぎるし、他の痕跡もない。爪傷跡はどれも同じでグゥシィのものと似ている。襲ったのはグゥシィと考えていい。それも単一の」
「……強いんですか?」
「かなり」
シルバーテイルウルフは魔獣の中ではそれほど強い部類とは言えないが、それでも群れとして相手をするならば手練れの冒険者でも注意が必要な相手だ。それを一匹で皆殺しにするのであれば弱いということはあり得ない。
それでもフィフィほどの人物が「かなり強い」と表現したことにリアンの緊張は高まる。
「そういう個体なのか、何か理由があるか、分からないけど一応調べた方がいい」
「追いますか?」
リアンが目線をやると、そこにはうっすらとした足跡。すぐに固い地面に移ったらしく途中で痕跡は途絶えているが、リアンの目でも微かな痕跡からある程度の道筋を辿ることは出来そうだ。
そしてリアンと共に居るのは彼の遥か上の
「……ん、その前に少し運動」
「運動……? ――っ!」
リアンがその言葉の意味を考えようとするよりも先に、身体の感覚が近づいてくる何かを察知した。
耳を澄ませる。激しい足音、荒い息。音はどんどん大きく明確になってくる。
森の闇は深く、未だ姿は見えないがその正体はもはや明らかだ。
「敵っ……! フィフィさん!」
「……迎撃する。援護を」
フィフィに言われてリアンはダガーを抜く。
身軽さを優先した結果、普段使っている長剣は宿に置いてきた。その代わりに用意したのは緩やかなカーブを描いた簡素なダガー。それ自体は以前から使っている何の変哲もない頑丈さだけが取り柄のダガーだが、見る者が見ればその刀身には神聖な力が宿っていることが分かっただろう。
それは彼が出立するにつけて、彼の教師役であり姉兼母親的存在である女性が半強制的に行った
神聖魔法は大きく分けると悪魔などに特別な効果を発揮する退魔系魔法、相手の攻撃を防ぐ防御魔法、味方の支援を主とする補助魔法、そして使える者が稀な治癒魔法の四つが基本だが、聖付与は補助魔法にあたる魔法である。
最上位の神聖魔法の使い手であるルシャに強化されたダガーは邪悪な存在であれば掠っただけでも絶大な効果を与える魔法武器と化しており、単純な刃物として見ても強度という点で遥かに格上げされている。
リアンは手から伝わるその聖なる力を頼もしく感じながら精神を研ぎ澄ませていく。
「グゥシィでしょうか?」
「……数が多い、それに足音も軽い。恐らくムーンアイ」
リアンは目を凝らす。次第に闇の中からぼんやりとそれらが姿を現す。
土色の身体、寸胴の身体に太い四本の脚、脂肪が少なく筋肉が皮膚の下で躍動しているのが遠目にも分かる。眼光は鋭く、不気味に金色に輝いている。瞳の形は新円で、その名の通り月のように森の闇に浮かんでいた。
足音だけで見事言い当てたフィフィを流石だと感服しながらも、リアンは飛び出そうと前傾姿勢に構える。
(数は6……いや7、8! まず先頭を叩いて怯ませて、【ショック】で陣形を崩して――)
リアンが頭の中で作戦を組み立て、地を蹴ろうとしたその瞬間、彼の頭の横を何かが高速で通り過ぎる。
ギャン!!という叫び声と共にこちらに向かっていた二匹の魔獣がバランスを崩してそのまま転げる。
突如として倒れた仲間に若干の動揺を見せながらも、魔獣たちの勢いは緩まることなく先頭を掛けていたムーンアイが大きく身を屈めて飛び上がろうとする。
だがそれは適わない。
続けて飛ぶ何かがムーンアイの前足を正確に捉えて地面に縫い付ける。その正体は矢だ。
フィフィが一瞬で放った二本の矢は完全に先頭の獣の自由を奪っている。見れば最初に倒れ込んだ二匹もその目に深々と矢が突き刺さりほぼ即死していることが分かる。
「――っ! だっ!」
何が起こったか分からず数瞬呆けていたリアンは我に返り、目前で足を穿たれて暴れている獣の頭を全力で蹴り上げる。
魔力で強化された蹴りを顎からまともに食らい絶命した魔獣を置き去りにリアンは突撃する。
「ふっ!」
続けて向こうから駆けてきた三匹のムーンアイ。リアンは手を前方にかざして短く言霊を紡ぐ。
『乱れ乱れ、爆ぜよ――【ショック】!』
巻き起こる衝撃波、獣たちが見えない壁にはじき返されたかのように吹き飛ぶ。
後に続いていた残りのムーンアイもその衝撃にたじろぎ、突撃の足をそこで止める。
だが、吹き飛ばされた三匹が空中で宙がえりをしながら姿勢を整え着地すると、今度は残りの五匹が纏めて飛び掛かってくる。
「――なっ!?」
「リアン、一匹残すからそれは生け捕り」
言葉と同時に三度二本の矢が空を裂き、二匹の獣が眼孔から脳まで貫かれて即死する。
リアンはその言葉に遅れて頷き、再び【ショック】の魔法を放つ。
「ギャンッ! ――グガァ!!!」
吹き飛ばされたムーンアイ達は、今度は着地から間髪入れず飛び掛かってこようとする。だが、それより前にリアンは動いていた。
「はっ!!」
ムーンアイ達が吹き飛び、空中を舞っている間に距離を詰めていたリアンは左端の一匹の喉元にダガーを突き立てる。
刺されたムーンアイは反射的に右前足を振り上げ、その爪でリアンを引き裂こうとするがそれよりも早くリアンはダガーを持った手に力を込めて喉笛を掻き切る。
「――ガッ……ボッ……」
振り上げられた前足は力なく落ち、吹き出した血溜まりの中に息絶えた獣が沈む。
そしてリアンが視線を残る二匹のムーンアイに向けると、そこには喉笛と心臓を貫かれて既に躯と化した一匹と、四肢をそれぞれ矢によって地面に縫い付けられて完全に拘束された一匹の姿があった。
「っ……お、お見事です」
「ん、リアンも中々」
フィフィは汗一つかかずいつもの調子でさらりと言う。
改めて思い知らされた格の違いにリアンは苦笑いをするしかなかった。
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