森へ
クルシイ。クルシイ。
暗い影の中をさまよい歩く。
一歩進むたびにばさばさと小さな者たちが離れていく。どうでもいいことだ。
イタイ。イタイ。
身体の中でグルグルと血が渦巻いている。
腹を舐めてみても痛みは消えない。頭を振り回して、近くの木に叩きつけてみるが気は晴れない。何も変わらない。
ダレカ。ダレカ。
隣を歩む者はいない。
後ろに付き従う者達もいない。
深い闇の中で、自分しかいない。
もう誰もいなくなった。
渦巻く血の激しさが増して耐えきれなくなり、高く吠える。
サビシイ。サビシイ。
◇ ◇
「……どうかしましたか?」
目的地に辿り着き、馬を降りてから様子のおかしいフィフィを怪訝に思いリアンはおずおずと声をかける。
彼女の無表情は相変わらずだが、纏う空気が微かに刺々しく感じられる。
何かがあったのは間違いないが、リアンにはフィフィが感じ取ったものが何か捉えることが出来ないでいた。
「……ん、まだ何とも言えない。ちょっとだけ注意した方が良いかもしれない」
フィフィが銀髪を揺らしながら振り向くと、そこに刺々しさはもうない。
一体何があったのだろうかとリアンは気になったが、彼女が言うまでもないと判断したことをわざわざ聞き出す気にもなれず、頷きながら別の問いを口にする。
「馬はここに置いていくんですか?」
「森の中だと邪魔になる。魔物避けの魔法はある? 出来れば盗賊避けも」
言われてリアンは少し考える。彼の使える魔法はそれほど多くない。それも大半は戦闘用のものに寄っている。それでも数少ない選択肢から恐らく最適だと思うものを何とか引き出す。
「
「罠は敵とそうでないものの区別は出来る?」
「……それはちょっと難しいですね」
彼が習得している
相手が人間であろうと動物であろうと関係ない。魔方陣が感知した瞬間に封じられた魔法が炸裂する。
フィフィが危惧しているのは、もし敵意のない者が偶然近付いたときに発動してしまうことだろう。
魔法の才覚のない者からすれば、そこに罠があることすら認識出来ない。
比較的見付かりにくいのが罠魔法の特徴であるが、今回の場合はそれがマイナスに働いてしまう。
「じゃあ、隠すだけお願い。罠は私が仕掛ける」
「分かりました」
リアンが頷くと、フィフィは早速用意を整えていく。
荷物から小さなキットを取り出すと、何種類かの仕掛けを慣れた手付きで組み上げていく。余りに迷いのない手早さに、リアンはただただ呆けたように見入る。
何をどう組み合わせているのか半分も理解出来ない内に仕掛けは出来上がり、フィフィはそれを馬の鞍に目立つように一つ、残りを周りの木に仕掛けていく。
「……これは?」
鞍に堂々と置かれたのは小さなトラバサミのようなバネ仕掛け。
対して木の陰に隠されたのは筒から針が飛び出す糸仕掛けだ。
「これだけ目立つ罠があれば、普通の人間はまず手を出さない。解除も面倒にしてある。それでも無理矢理奪おうとするような輩には痛い目にあってもらうだけ」
キットを小さく折りたたみ、荷物袋にしまい込みながらフィフィが答えると、リアンは感心した様子を見せる。
(勉強になるなあ……)
罠はばれない様に仕掛けるものだと思っていたが、こんな使い道もある。
自身の勉強不足は重々承知でそれには恥じ入るしかないが、それでもリアンにとってこうして新たな知識を得られることは嬉しく、喜ばしいものだった。
それが、尊敬する人物からであれば猶更である。
そこでその
彼がローブから取り出したのは木炭の欠片。それを使って馬を繋いだ周辺の地面に丁寧に魔方陣を描き、中心に小さな刻印石を一つ置く。
手順に間違いないことを何度か確認してから、リアンは魔法を発動する。
『影よ、覆え――【コンシール】』
刻印石が淡い光を放ち、黒く描かれた魔方陣に光が染み込むように広がっていく。
次の瞬間、魔方陣の内側が陽炎の如く霞んだ。
無事術式が発動した証である。これであれば、よほど探知能力に長けた相手でもない限り外から気取られることはない。
リアンは小さく安堵の息を吐きながらもすぐに緊張したような面もちになり、ゆっくりとフィフィの方に視線を向けた。
「……ん、悪くない」
とりあえず及第点ということだろう。
その返事にリアンは胸を撫で下ろす。
ここで使い物にならないと言われては、この先が思いやられるところだった。
「ただ、随分手間と時間がかかった。それともこれくらいが普通?」
責めるというより、純粋な疑問の色の濃いフィフィの言葉だったが、リアンはまるで痛いところを突かれたというかのように顔を強張らせる。
「……ええと、いえ、多分物凄く遅くて余計な手間を挟んだやり方です」
「というのは?」
しどろもどろに答えるリアンの方を真っ直ぐに見てフィフィは尋ねる。
詰問するような雰囲気ではない。ただ不思議に思ったことを聞く素直な子供のような態度にリアンは恥を隠すことを諦める。
「普通ならもっとシンプルな術式で良いんですが、自分の魔力は『物を隠す』とか『気配を消す』みたいな静かな魔法には向かないんです。だから自分は無理矢理色々誤魔化しながら魔法を発動させてます。その分、色々準備が必要になって、手順も複雑になってしまって……」
最後の方の声は消え入りそうになりながら、少年は言葉を切る。
スクロールに魔法をあらかじめ封じ込め、必要な時に瞬時に発動するという方法もあったが、それは前もって準備出来れていればの話である。
普段から様々な種類の魔法のスクロールを持ち歩く訳にはいかない。ただでも今回は「身軽に」という指示があったのだ。
更に加えるならばもう一つ、彼が使用するスクロールがそこそこ値の張るもので中々用意出来ないという理由もあったが、それは決して――少なくとも彼にとっては――口に出来ないことであった。
「つまり不得意な魔法?」
「は、はい……」
責めるような口調ではない。しかしそれでも少年が己の不出来を改めて認識するには十分で、彼にとってそれは相当以上に堪えるものだった。
(そりゃ……信頼出来ないよな。自分でも不安なくらいだし……)
仕事を任せてくれた彼女を裏切ったことになるのだろうかと、リアンは胸を締め付けられるような思いに襲われる。
リアンの目に写るフィフィの表情はいつもの無表情だが、そこに困ったような色が僅かに浮かんでいるようにも見える。
(せめて最初に言っておくべき……いや、そもそも出来るなんて言わない方が良かったのか? でも、それじゃあ本当に役立たずで――)
リアンはぐるぐると思考の迷宮に迷い込み始める。
そんな彼を女性の言葉が現実へと引き戻す。
「――うん、まあ、そろそろ行こう」
「わ、わかりました」
フィフィはそれ以上何かを言うこともなく、暗い森の中へと向かい歩き出す。
リアンは少し遅れてその背を追う。
その表情にはこれ以上の失態を見せるものかという、強い決意が浮かんでいた。
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