一頭の馬が街道を軽快に駆けていく。

 体躯は大きくないが、地を蹄鉄でリズミカルに叩く姿は非常に力強く雄々しい。

 長い尾は身体に合わせて波打ち、黒い毛並みは日差しに輝いていた。


 その背に跨るのは二人の人影。

 無理なく乗れているのは本来馬に乗るような成人男性に比してその二人の身体が余りに小さい為だ。

 前に座り手綱を握るのは銀の髪を跳ねさせる赤目の少女。軽装ではあるが厚く織られたレンジャー職の頑丈なジャケットを纏い、そこからすらりと伸びる細い手足は黒い何かの生物の皮のようなもので覆われている。

 その少女の腰に後ろから手を回してしがみ付く様にして乗っているのは黒髪黒目の少年。古びたローブが風に大きく揺れて、その隙間からは腰に下げた長剣がちらりと覗いていた。


 少女の名はフィフィ。亜人である彼女は見た目こそ幼き童女のようだが、れっきとした成人女性であり弓使いのスカウトとしては大陸でも名の知れた最高位の冒険者である。

 手綱を握りながらもフィフィは周囲の警戒を緩めない。

 馬で走っている最中というのは危険が多い。何か明確な対象から逃げる時には良いが、待ち伏せや不意打ちに弱いのだ。

 野盗の類や魔獣などが街道沿いで通る商人や旅人を獲物にするというのも珍しい話ではない。冒険者であろうとその例外ではない。未熟な冒険者が狩られるなどというのも決して無い話ではないのだ。


 それを言うまでもなく知っているフィフィは決して気を抜くことはない。日差しは暖かく、風はさらりと肌を撫でて心地よい。ともすれば眠気にでも誘われそうな陽気であるが、彼女の精神は鋭く尖る氷の如く怜悧に研ぎ澄まされている。

 彼女が本気の警戒網を張れば気取られずに近付くことはまず不可能である。少なくとも今馬が駆けているような平原においては地平の隅に姿を晒しただけでも、彼女はその数から敵意の有無までハッキリと捉えてみせるであろう。


 そんなある意味絶対の安全圏の中心にいるもう一人の少年リアン。

 彼女のチームメイトの中でも最年少である彼も同様に周囲に気を張るが、大きく揺れる馬上では限界がある。知覚できる領域をフィフィと比較するとすれば恐らく1/10にも届かないであろう。

 彼自身それは理解できている。そもそも周囲の警戒というスカウトの役割で、その熟練者エキスパートであるフィフィに敵うはずがないのだ。

 せめて馬の手綱くらいは握ろうとしたのだが、馬の扱いという点でも彼女はリアンを遥かに凌ぐ。(というかそもそもリアンは馬の扱いにおいては下手の部類に入る)

 彼が彼女に勝っている点など、生まれ持った魔力とそれを扱う能力くらいであるが、移動中の馬上でそれを発揮する意味は少なくとも今は無い。

 それどころか、魔力をまき散らせば余計なものを呼び寄せかねないので出来る限り精神統一して魔力反応を抑え込むことがリアンに今できる数少ない仕事であった。


 リアンは歯がゆく思うがどうしようもない。フィフィと彼とでは全てにおいて差がありすぎる。

 身の安全に関わることで、未熟者に預けられる役割など何一つないだろう。

 今出来ることはせめて彼女の邪魔にならないようにしながら、自分の出来る仕事を探すしかない。

 だが、そこで一つ問題があった。


「あの、フィフィさん。ちょっといいですか?」


 リアンは後ろからフィフィの首元に対して声を投げかける。

 するとフィフィは首を捻り振り向いて、彼の顔を覗き込んできた。

 後ろを向いても一切馬の足取りに変化を与えないその技術に舌を巻きつつも、真紅の瞳に間近で見つめられて思わず吸い込まれそうになる。


「……酔った? 排泄?」


「いえ、違います」


 一瞬で現実に引き戻されたリアンは吐き出しそうになったため息を堪える。

 多分本気で心配して言ってくれているのだろうが、何とも力が抜ける。


「ええと、結局仕事の詳細を聞けてなかったと思いまして」


「……そういえば、話してなかった」


 朝食の後、準備を整えたリアンを待っていたのは既に馬上に跨ったフィフィだった。そこでやや一悶着ありながらも、結局そのまま後ろに乗せられ、一気に街から駆けて今に至る。

 リアンとしては仕事と言っても何をするのか全く分からない状況である。

 それでは自分に出来ることを考えることすら出来ない。


 そんな彼の内心の焦りを知ってか知らずか、フィフィはゆっくりと正面に向き直ってから説明を始める。


「依頼内容はスクアーラ森林の調査。いくつかのポイントを回って異常が無いか確認する」


 特別声を大きく張っている訳でもないのに、蹄鉄の音や風切り音にかき消されることなくはっきりとフィフィの言葉がリアンの耳に響く。

 そんなことも出来るのかと驚きつつリアンは質問を返した。


「異常ですか?」


「そう、例えば……」


 少しだけ間を開けてフィフィは言葉を続ける。


「トラルエイプの大量発生とか」


「……それは危険ですね」


 軽くトラウマをほじくられてリアンは顔を引きつらせる。

 しかしやることの一端は理解できた。


 魔物の生態調査というのは、時折冒険者に振られる依頼の一つだ。基本的に冒険者への依頼というのは問題が起きてから解決のために発生するものが殆どだが、こうして危険を未然に防ぐための依頼というのも稀ではあるが存在する。

 ただ、そうした依頼をするのは大抵その土地を管理するような地位にある人物であり、依頼されるのも必然的に力と信頼のある冒険者に限定されるので今までリアンは無縁の仕事であったのだが。


「依頼主は聞かない方が良いですか?」


「そこまで隠すようなことでもない。あの森をわざわざ調査する必要がある人物は都市長くらいしかいない」


「都市長、ですか」


 当たり前のことをつぶやくような言葉にリアンは思わず息を飲む。

 都市長。つまりイスカの街の長ということだろう。

 ギルドからか、あるいは役所辺りからの仕事だろうと当たりをつけていたのだが、まさかトップ直々の依頼だとは。


「色々あって、昔から仕事を貰ってる。これもその一つ」


「昔からですか」


 その言葉で今までリアンの中でちらついていた疑問が再燃する。


 彼とほぼ変わらない背丈で、知らぬものが見れば同い年と捉えてもおかしくないような女性。初めて出会ったときはリアンも似たことを考えた。

 澄ました凛々しさ顔つきからはあどけなさこそ感じられないが大きな瞳とツンと尖った唇が酷く可愛らしい。

 言葉遣いや立ち振る舞いで、見た目通りの年齢ではないことは分かるがその外見があまりにも若々しすぎる。

 亜人であることを差し引いても、その存在はあまりに不可思議過ぎた。



 一体この人いくつなんだろう。



 女性に対しては決して口に出せない問いが言葉に透けたのかどうか分からないが、フィフィが再び後ろを振り向いてリアンをその赤い瞳で見据えた。

 あまりの間の悪さにドキリと心臓を跳ねさせたリアンは慌てて話題を逸らす。


「ええと、ちなみに今までに異常はあったんですか?」


「――時々。といっても他所から流れてきたグランブルエイプが元々いた魔獣と縄張り争いしたり、ハイオーガが湧いたりする程度だけれど」


 フィフィは軽く言うが、出てきた名前はどちらも厄介なものだ。

 グランブルエイプはリアンが以前相手したトラルエイプと比べれば個体の力は弱いものの知能が高く原始的な武器を持つこともある魔獣である。

 またハイオーガはオーガ種の中でも身体が大きく強靭で、鉄の武器ではまともに傷を負わせることすら難しい強力な魔物だ。

 どちらもランク4相当、つまり中堅から上位の冒険者チームでなければ対応出来ないような相手であることに変わりない。


 だが、言ってしまえば中堅以上の冒険者でも討伐できるような存在である。

 冒険者チームは数多あれどその中でも最高位であるランク7に到達した者たちは僅か5組しかいない。

 その5の内の1つ、『ジャッククラウン』のフィフィ。

 付いた二つ名は『宵闇の霞シャドウ・フリッカー』――特級のスカウトであることへの敬意と畏怖を込められたものである。


 そんな彼女からすれば、グランブルエイプやハイオーガであれど「その程度」と言えてしまうレベルなのだろう。

 ただそれでも、リアンとしては当然の不安を抱いてしまう。


「……そのクラスの魔獣や魔物が出てくるって結構危険なんじゃないですか?」


「だからこうして定期的に様子を見てる。といっても大抵放置でも問題ない。一応念のために『処置』することもあるけれど、それも稀」


「そんなものですか」


 リアンが腑に落ちない様子でいると、フィフィが僅かに頬を緩めてほほ笑む。

 初めて見るフィフィの柔らかな表情に少年は一瞬言葉を失う。


「キミは、やっぱり森の人だ」


「……えっと?」


「確かに森では近くに狂暴な魔物や魔獣がうろつくというのは集落の存亡に関わるから最優先で対応する。でも、街の住人は森の中にそこまで興味はない」


 そこまで言われてリアンは違和感の正体を理解する。

 考えてみれば森に住む魔獣や魔物がわざわざ街を襲撃するというのは考えにくい。多少危険な生物がいようと、近づかなければ問題ないのだ。

 あえて言えば比較的近くを通る街道の安全を保つ必要があるだろうが、それも最低限の『調査』で確認すれば十分ということなのだろう。


 そんな森の内外の意識の差が存在していることにリアンは今更ながらに気付く。

 森を出て数年。外の世界に慣れたつもりだったが、まだまだだったらしい。


「それでいい、無理に馴染む必要はない。変わらないでいる必要もないけれど」


「……フィフィさんは」


 思わず出た問いをリアンは途中で切る。 

 それはあまりに不躾な問いだと思いなおして。

 だが、察しの良い女性はそれを敢えて汲み取る。


「私はもう馴染んだ。殆ど忘れた。少しだけ、覚えているものもあるけれど」


「…………」


「森が近付いてきた。飛ばすからしっかり捕まって」


 そう言ってフィフィはいつもの無表情で前に向き直り、手綱を強く握る。

 リアンは言われた通り回す手に込める力を強める。


 忘れたもの。覚えているもの。


 その言葉がグルグルとリアンの中で渦巻いていた。


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