朝の一幕


「くわぁ――」


「あら、リアン君眠そうね。夜更かしでもしたの?」


 大きく欠伸をするリアンを見てルシャが可笑しそうに笑う。


「なんだ、夜遊びするなら俺も誘えよ。色々教えて……「ガストさん?」


 眠気も覚める冷たい視線に口を噤むリーダーに苦笑しながらリアンは答える。


「背はもっと伸ばしたいですから睡眠時間には気を付けてますよ。大丈夫です」


「ふふ、じゃあしっかりご飯も食べないとね」


 柔らかく笑う女性が手に抱えているのは巨大な肉塊である。もちろん彼女一人分ではないが、机に置かれている食事量は明らかに席に座る人数に比して多すぎる。

 今運ばれた肉の丸焼きに加え山盛りの芋サラダ、うず高く重なり合う麦パン、深皿に並々と注がれた赤豆のスープ――決して狭くはない机の上を埋め尽くさんばかりの料理が並んでいる。


 リアンが初めてチームの食事に参加した時には凄まじい歓待を受けているのかと思ったが、それから連日続くその宴会と見紛う食事風景にその量こそが『ジャッククラウン』の平常なのだと理解したのはまだ彼の記憶に新しい。

 そして限界を超えて倒れる寸前まで食べなければ許されないというのは、貧乏から節制していた時代からすれば夢のような話なのかもしれないが、今の彼にとっては一つの地獄であった。

 冒険家は身体が資本。というのが一同の弁だがそれにしても流石に多すぎるのではないかとつい心の中で愚痴を吐いてしまう。


 しかし目の前の英雄たちはそれをペロリと平らげる。

 もともと大柄なロッケンやガストが大食漢だというのは素直に理解できる。しかし線の細いルシャや体格としてはほとんどリアンと変わらないフィフィまでもがそれに負けないくらいの量を食べるという事実は彼に並々ならぬ衝撃を与えた。

 例外としてサラがいるが、彼女の場合はそもそも食事の場に姿を現さないのだから比べようもない。


(……たくさん食べることは強者の必要条件なのだろうか)


 そんなことを考えながらリアンはナイフで肉を切り分けていく。早く取らないとあっという間に肉塊が消え失せてしまうことを経験から学んでいるからだ。

 そうなると限界を超えるまでひたすらに豆スープと芋サラダを麦パンで胃にねじ込むことになる。決して味が悪い訳ではないが、流石に目の前にある貴重な栄養源を無視できるような年ごろではないのだ。


 以前は食事時間の序盤で顔を青くしてリタイアしていたリアンだったが、今ではこうして周りを観察しながら食事をする程度の余裕は生まれている。

 もちろん食事がかなりの負荷であることは変わりないが、胃は以前よりも許容量が増えているし、心なしか体も大きくなっているような気がする。

 それに加えて、今日はいつもよりも調子がいい。様々に入り混じる匂いに胃がグルグルと唸りをあげている。


(朝の鍛錬、予想外の効果があったなあ)


 少しばかり体に疲れはあるが、それでも気だるいというほどではない。先の軽食も量としてはごく僅かで、何なら前菜といって差し支えのない程度のものだった。

 これならばいつもよりかは食べられそうだと少しばかり気合を入れる。


「……む、少し遅かったか」


 そこで入口の扉が開き、見慣れた巨漢が入ってくる。


「おう、残念だったな。もう肉は売り切れだ」


 意地の悪い笑いを見せながら、これ見よがしにガストが最後の肉片にナイフを突き立ててみせる。


「そうか。ところで一昨日のカードの負け分の支払いがまだだったと思うが?」


 表情を変えず、いつも通りの穏やかな調子でロッケンが空いている席に腰を下ろす。ぎしりと床が軋み、何も言わずにガストは手に持っていたナイフとその先に刺さった肉をロッケンの前の皿に乗せた。


「まあ利子ということにしておこう。支払いは7日以内だぞ」


「……ああクソ、次は絶対勝ってやるからな」


 リアンはその言葉に何とも言えない表情を浮かべた。

 彼の知る限り、ガストのカードでの勝率は3割より低い。



      ◇      ◇



「リアン、今日明日何か予定は?」


 食事後、リアンが一息ついていたところにフィフィが声をかけてくる。

 少し意外に思いながらも、慌てて質問に答えを返す。


「えっと、今日は特に何も。明日は夕方から少し……」


「そう、ならちょっと付き合って」


 リアンが少し言葉を濁していると、フィフィは特に気にした様子なく淡々とそう告げる。

 付き合うといっても一体何にだろうか。と、リアンは心の中で疑問に思うが特に断る理由もない。


「はい、構わないです。何かお手伝いですか?」


「いや……ええ、まあ、そんなところ」


 否定からの肯定。言葉は少ないが、迷いの少ない彼女の珍しい反応にリアンは新鮮さを感じる。途端に一体何をするのだろうかと興味がムクムクともたげ始めた。

 

「何をすればいいですか?」


「……詳細は後で話す。ひとまず装備を整えて。山と森を進むから身軽さ優先。野営装備と食糧は私が用意する。準備のことで質問は?」


「ええと、とりあえず今のところは特にないです」


「ん、なら30分後ここに集合」


 フィフィは手短にそう言うとそのまま階段の上へと消えていく。

 リアンは一つ深く息を吐きだして、そこでようやく自分の肩に力が入っていたことに気付く。


「珍しいな、フィフィが誰かを誘うなんて」


「そうですねえ。相手がアンデッドとかだとたまーに誘われますけど」


 その様子を遠巻きに見ていたガストとルシャは興味深げに言う。

 時折フィフィがクエストをこなしていることはリアンも知っていたが、確かに一人で出ていく姿ばかりが記憶にある。


「フィフィさんって一人で動くことが多いですけど、何でです?」


 別にチームだからといって常に全員で行動する訳ではない。もちろん難度の高いクエストに挑むときには勢揃いするが、普段はむしろ少数のグループで行動することが多い。ガストやロッケンなどはよく二人で魔物の討伐に出かけているし、そこにフィフィやルシャが加わることも多い。一人引き籠りがちなサラでさえ、時折思い出したようにではあるが参加している。


 だが完全に一人で動くというのは珍しい。冒険者として経験値の高い彼らは一人で事に挑むことの危険を熟知しているためだ。

 どれだけ警戒していても、想定外のことは幾らでも起こりえる。一人ではその対処に絶対的な限界があるのだ。怪我をした場合助けを呼ぶことすら出来ない。一人での活動が長く苦労を知っているリアンとしては、好き好んでそんなリスクを背負うというのはあまり理解ができない。


「単独行動の常習犯が何か言ってる……」


 ルシャがぽつりと漏らしたのを努めて聞き流していると、別方向から返答がある。沈黙を保っていたロッケンだ。


「速度が違いすぎるからだろう」


「……ああ、そうか」


 考えてみれば当然のことである。

 身軽さが第一の特徴である斥候スカウトとして一流であるフィフィに付いていける者などそうそう居ない。他のサポートとして動くのであればともかく、彼女が主体で動くのであれば一人で動き回る方が遥かに効率が良い。

 リスクを考えても、単独ソロであることのメリットが上回るということなのだろう。

 その結論に思い至ったリアンは納得の声をあげる。


「つまり、新人がどの程度自分についてこれるかどうかの試験って訳だ」


「またガストさんはそうむやみにプレッシャーをかけるような……」


 ガストが意地悪く笑うのを見てリアンははっとする。

 彼の言う通り、速度を旨とする彼女がわざわざ誘ってきたということはそういうことなのだろう。「使える」かどうか試そうとしているの可能性が高い。


 斥候スカウト役は多くの場合合理的で実利的だ。私情を捨てて、事実をそのままに観測し、利と損を冷静に勘定しなければ役目を十全に果たせないからだ。

 フィフィの感情の波を抑制したような淡然とした様子などはまさにその模範だろうと、リアンは心中でよく賞嘆しているものだ。


 そんな人物に機会を与えられたという事実に、リアンは身震いしそうになりながら気合を入れる。もちろん自分が眼鏡に適うような活躍を見せられるとは思わないが、少なくとも失望されるような結果を出す訳にはいかないのだ。


 だとすれば、こうして無為に時間を潰している場合ではない。

 リアンは勢いよく顔を上げて席を立つ。


「俺、準備してきます!」


 慌ただしく階段を駆け上っていく姿を見送って、残された大人達を代表するようにロッケンはぽつりと呟いた。 


「――恐らく、そんなに気張る必要は無いのだがな」


「まあいいんじゃないですか? フィフィさんが見てくれるなら安心ですし」


「そういえば、この間の盗賊どもヘヴンリースカルズを除けばこれがデビュー戦か。初物はフィフィに食われたな――ぐぅあ!?」


 ガストの言葉は脛に突き刺さったブーツと横腹に突き刺さった拳によって鈍い唸りへと形を変える。

 そして仕事を終えたとばかりにルシャとロッケンはその場を離れていき、後には蹲る大男が一人残されるのだった。



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