帰宅
「……んん」
リアンが気だるさを感じながら重たい瞼を開くと、見知った天井が視界に広がる。
この景色は間違いない、宿屋ラスカネンの部屋だ。
「おはよう、リアン君」
突然すぐ側から声をかけられて、リアンは驚きながら身体を起こそうとするが、同時に全身に激痛が走る。
思わず上がりかけた悲鳴は必死に噛み殺したが、冷たい汗が滲み出してくる。
だが、今は何よりも先に確認しなければならないことがある。
「あ、あの! ヤーナは……!?」
「……大丈夫よ、彼女は無事。もう意識も戻って屋敷で養生してるわ。それより自分の心配をしなさい? キミ、酷い怪我で三日も寝込んでたのよ?」
苦笑して隣りに座る女性、エルミルネス=ルシャは横になるようにリアンに促す。
リアンはそんなに自分が長く眠っていたということに驚きながらも、一番の懸念が解決したことでひとまず落ち着いてそれに従った。
「痛いかしら?」
「い、いえ……大丈夫です」
かけられた声はとても優しいものだというのに、どこか冷たく感じてしまう。
多分それは自分に後ろめたい気持ちがあるからだろうとリアンは考える。
「……とりあえず生命に関わりそうな大きな傷だけは塞ぎました。でも、打ち身や小さな傷はそのままです。なぜだか分かりますか?」
「え、ええと……色々勝手した罰ですか?」
リアンは思いつく限りで可能性の高そうな答えを口にする。
だが、それは本音ではない。
リアンの中に最も初めに浮かんだ答えは別にある。
もしや、自分は見捨てられていて回復する義理もないのかという恐ろしい想像。
しかし、それを口に出して確認するのはあまりに勇気が足りなかった。
ルシャは真っ直ぐにリアンを見据える。
その眼は怒っているようにも、呆れているようにも感じられる。
まるで自分の底の小賢しさや未練がましさを見透かされているような、そんな気分になりリアンは居心地悪く身をよじる。
「はぁ……怪我人を虐めても仕方ないですね」
長く続いた沈黙はルシャの溜息によって破られる。
「回復魔法は万能という訳じゃないの。肉体の自然治癒能力を無理矢理強化したり、欠損した部分を魔力で一時的に補っているだけ。立て続けに大怪我をしたら、その全てを完璧に治すことは難しい……ここまで言えば分かりますね?」
「……はい」
リアンは10日ほど前に魔猿との戦いで重傷を負い、回復魔法による治療を施されたばかりだ。そして引き続き今回の怪我。つまりは、回復魔法でケアできる限界を越えてしまったということだろう。
リアンは決して回復魔法を当てにしていた訳ではなかったが、結果的にそれによって命を救われていることには変わりない。
「すみません……結局また迷惑をかけてしまって……。これ以上、頼りすぎないようにしますから、だから、その」
「……やっぱり全然分かってない」
あまりに暗く思い詰めたような表情に、ルシャは頭が痛そうに首を振って再び大きな溜息をつく。
リアンはその反応の意味がよくわからず困惑するばかりだ。
「逆です、逆。もっと頼りなさい。そうやって何でもかんでも一人で抱え込むのはキミの悪いところです。する必要のない無茶はしなくていいの。人に甘えて、楽できるところはとことん楽しなさい」
真っ直ぐに、小さな子供に言い聞かせるように説かれるその言葉にリアンは生まれて初めて聞く言葉を耳にしたかのようにきょとんとルシャを見返す。
「ええと、その、確認なんですけど、俺はチームを辞めさせられたりは……?」
「……え、なんでそうなるの?」
リアンが心中で怯えながら抱えていた不安を口にすると、それこそ理解できないといった様子でルシャが不思議そうな表情を浮かべる。
「だって、俺が言いつけを破ってヤーナと外に出たせいでこんなことになった訳ですし。それに、随分勝手して迷惑まで……」
「それについてはもちろん怒ってますとも! ……でも、間違ったことをした訳ではないでしょ? キミのことは聞きましたよ、馬車隊の人達やアーノルドさん、それにヤーナちゃんからも」
「……アーノルドさんと、ヤーナ?」
そこでリアンはアーノルドのことを今更ながらに思い出す。ルシャの口ぶりから、大恩のある人物が無事だったことを察してリアンの心が僅かに軽くなる。
「みんな、リアン君に感謝してました。助けられたって、救ってもらったって。……ヤーナちゃんなんて泣いて頭を下げてきたんだから。『自分が全部悪い、リアンは私のワガママを聞いてくれただけで何も悪くない』って」
「ヤーナがそんなことを……」
リアンの知るヤーナは非常に気位の高い少女だ。そんな彼女がそんな風に人のために頭を下げるというのは、どれだけの覚悟がいることだっただろう。
知らず知らずのうちにリアンは拳を握り、強く力を込める。
「言っておきますけど、最初からリアン君を追い出すつもりなんて無いんですからね? ただ、私が言いたいのは今回みたいな無茶は駄目。最初も言ったよね?」
優しい口調で、ルシャはリアンの手にその温かな手を重ねる。
リアンは伝わる熱を感じながら、ゆっくりと彼女の言葉を心の中で反芻する。
「――分かりました」
リアンは思う。
アーノルドがいなければヤーナを助け出すことは不可能だっただろう。
ヤーナがいなければザペルに勝つことも出来なかった。
ルシャが間に合わなければ生きて帰ることは無理だった筈だ。
結局、多くの人に助けられている。
どれほど無茶をしても、結局は人に助けられて初めて何かを成せるのだ。
それを忘れてはならない。
「ん、ならよし! 何か食べられそう? 消化に良い物持ってくるから少しだけでもお腹に入れておきましょう。その後、もう一回身体の様子を見ますからね」
ルシャが立ち上がり、扉に向かおうとしたところで外からドタバタと慌ただしい音が響いてくる。
直後、勢い良く扉が開かれ向こう側から現れたのはガストとロッケンの二人組。
「おお! 起きてるじゃねえか! 病み上がりには飯だ飯! 肉持ってきたぞ!」
「お前じゃないんだ、病み上がりにそんな脂っこい物が食べられるか。……とりあえず粥を作ってもらってるから少し待つといい」
大柄な二人が入ってきたことで部屋が一気に賑やかになる。
そして陰になっていたところからひょっこりとフィフィが顔を出す。
「……血色は悪くない。ご飯食べれば元気になる」
彼女が抱えてるのはリアンも見覚えのある紙袋。それが二つ
例のリッカの実焼きの屋台のものだろう。
部屋の中央の机の上に一つ袋を置くと、もう一つ抱えた袋から串を一本取り出して口に含みだす。
リアンは急に温度の上がった部屋でぽかんとする。
ガストもロッケンもフィフィも、その顔に怒りの色はない。
明るく朗らかで、やり方こそそれぞれだが皆リアンを気遣うような様子だ。
リアンが視線を入り口の方へやると、そこには滑るように離れていく金色がちらりと見えた。
あれほど美しい金の髪の持ち主は一人しかいない。
「……ありがとうございます」
誰へとでもなく、感謝の言葉が漏れ出す。
何と自分は恵まれたのか。
リアンは緩みそうになる唇を必死に真っ直ぐに結ぶ。
今までに味わったことのない、くすぐったいような、もどかしいような、それでも手放し難い熱が胸に込み上げてくる。
と、その瞬間。ぐうと腹の鳴る音が響いた。
「あら、この分なら治るのも早そうね」
あまりにタイミングの悪さ、あるいは良さにリアンは顔を赤く染めることしか出来なかった。
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