闇と光
「いや見事見事、全くもって御見事!」
パンパンとやけに響く拍手と共に影からアーノルドが現れる。
「アーノルドさん! ご無事で!」
リアンは緊張していた身体を思わず緩める。
アーノルドが負けるとは思っていなかったが、この場面で駆けつけてくれたのは本当にありがたい。
なにせ、もう立っているのがやっとという状態なのだ。
ザペルは奇跡的に倒すことが出来たが、これ以上の戦闘ははっきり言って難しい。
「まさかあの技――『通打』を一度見ただけで習得するとはね。いやまいった。若者の才覚には驚かされるものだ」
「す、すみません。勝手に技を使ってしまって……」
リアンが恐縮そうに身を縮めると、アーノルドは苦笑しながら歩み寄ってくる。
「いや、気にすることはないよ。別に秘匿するような技術でもない。真似されて怒るくらいならば見せぬさ」
軽い調子でそう言うと、横たわったままの少女の傍にしゃがみ込む。
「ふむ、こちらがキミのお仲間かな? ……気絶しているが、命に支障はなさそうだね。全く、ひどいものをいたいけな手足に付けてくれたものだ」
アーノルドが軽く力を込めるような動作を見せると、いとも簡単にヤーナの手足の枷が壊れて外れた。
リアンは、自分がどれほど叩いても壊せそうになかった黒い塊があっさりと取り外されたことに唖然とする。
「ああ、この悪趣味な枷の作り主に外し方は聞いていたのでね。むしろ、下手に外さなくて良かった。無理に外せば一生手足が使い物にならなくなっていたところだ」
「……ちなみにその作り主というのは?」
リアンが声低く尋ねる。
「二度と悪巧みを考えたくなくなるくらいには痛い目に遭わせておいたがどうかね。性根まで腐っているようだから中々矯正とまではいかないだろうがね」
軽い調子で言うが、アーノルド程の使い手にそれほどのことをされるというのは、想像するだけでぞっとするものがある。
ヤーナを苦しめた憎い相手であり同情などする余地もないが、少しだけ胸の中に渦巻いていた怒りも収まる。
「……さて、このまま可愛らしい少女を介抱してあげるというのも悪くないのだが、それは私の役目ではないのではないかな?」
「……は、はい! 俺がやります、やらせてください!」
そこでようやく思い至ったのか、リアンは慌ててヤーナの下へ駆け寄る。
突然の激しい動きに頭がくらつくがそれは根性で抑え込む。
ヤーナは目を閉じて動かないが、息は穏やかで怪我などをしている様子はない。
金の髪は土にくすみ、白い肌はところどころ擦り傷がついてしまっている。
それでも彼女の気高さは失われていない。
アーノルドの言うとおり、気絶しているだけのようだ。
再確認したリアンは心からの安堵の息を吐く。
先程の魔法のことといい、聞きたいことは山ほどあるが今は彼女を無事連れ帰るのが何よりの優先事項だ。
「さてリアン。後は脱出するだけなのだろうが、いくつか問題がある」
「……問題、ですか」
リアンも懸念していることはある。だが、それは当然アーノルドも考えているだろうと、認識の一致のために黙って話を促す。
「まず一つ、これはどちらかというと私の都合なのだがね。要救助対象が多すぎる」
「ああ、それは確かに……」
リアンは失念していたその問題点に今更ながら気付く。
『人形遣い』――確かスウェルグとか言ったか――が拐かし、操っていた数十人の少女達。スウェルグを倒したのならば、洗脳も解けたのだろう。
だが、彼女たち全員を連れて逃げるというのは流石に難儀な大仕事になる。
「ちなみに今は?」
「全員が気絶してしまっているのでね、可哀想だがあの場に寝ていてもらっている。動かせるスウェルグは完全に無力化してしまったのでね。なので人手が必要だ」
「……俺も手伝える限りは手伝いたいですが、残念ながら……」
表情を暗くするリアンに対し、アーノルドは軽く肩をすくめてみせる。
「君が助けるべきはそちらの
「なるほど、そういうことでしたら」
リアンは一も二もなく力強く頷く。
だがそうすると、もう一つの問題が残るはずだ。
「……さて、キミも気付いているだろうがここからが本題だ。分かれてから、そこに倒れているザペル以外の盗賊を見たかね?」
「いえ、
リアンも気になっていたことだ。
ザペルとの一騎討ち。そこに乱入がなかったのは助かる事態だが、ただの一人もやってこないとなると流石に異常だと考えざるを得ない。
ここには100人近くの盗賊がいるはずなのだ。
2,30人は薙ぎ払ったとはいえ、まだまだ全滅させたと言うには程遠い。
まさか逃げたという訳でもあるまい、となると。
「……首領のところに集められている?」
「といったところだろうね」
リアンの予想をアーノルドは肯定する。
「……この盗賊団の首領というのは、どんな奴なんでしょう? 入り口の盗賊は顔すら見たこと無いようでしたが」
リアンは入り口でのやり取りを思い出すが、いくらアーノルドが尋問しても首領についての情報は一切口にしなかった。
それも隠している訳ではなく、本当に知らないという反応でである。
自分たちのトップの顔も知らないというのは、リアンからすれば不可思議でしかないが、アーノルドにそういうこともあり得ると言われては頷くしかない。
実質的な命令はザペルかスウェルグが出していたらしい。
あのザペルが従う相手とは、一体どんな化物なのだろうか。
「ふうむ……もしかすると、あの噂は本当に……? いや、しかし……」
アーノルドが何かに思い当たったかのように眉を潜める。
「何か心当たりが?」
「……うむ、いや。荒唐無稽な与太話だと思っていたのだがね」
珍しく歯切れの悪いアーノルドに首を傾げながら、リアンは続く言葉を待つ。
次の瞬間。不意に背中が粟立つ。
突如として彼方から漂ってきた凶悪な気配にリアンとアーノルドは瞬時に臨戦態勢を取る。
それはスウェルグのように陰湿で粘着質な陰気ではない。
ザペルのように狂暴で狂的な怖気でもない。
まるで異質な邪気。
邪悪という邪悪を煮詰めて、どこまでも凝縮したような魔気だ。
「……アーノルド、さん」
「……その噂なのだがね、何でも各地を荒らし回る凶悪無比な盗賊団、その首魁が人を呪う怨霊だという噂でね。出来の悪い怪談崩れだと思っていたのだがね」
ずるりと、暗闇の奥から人影が現れる。
いや、それはもはや人ではない。幾人もの人と人が無理矢理に接合され、腕や足や頭が本来あるべき場所にない。
一度ばらした人形を、子供が適当に縫い合わせたようなそんな異形だ。
繋ぎ目からは血ではない、何か黒くどろりとした粘液が滴っている。
あんな出鱈目な造りだというのに、動きだけはやけにスムーズなのがまた異様で、恐怖とは別に嫌悪感が際限なく湧き上がってくる。
「こいつらもしかして……ここの野盗じゃ」
「……怨霊の噂の真偽はともかく、親玉は相当な碌でなしであるようだ」
アーノルドの声がいつもより数段低く響く。
その声に含められた感情はリアンにも理解る。
たとえ如何なる外道であっても、生命を冒涜するような真似が許される筈がない。
ひたひたと異形が距離を詰める。
股の下から逆さまに生えた頭の虚ろな瞳は何も捉えてはいない。
意志は一切感じられない。それは、ただ前に進むだけだ。
それでも理解ってしまう。アレは凄まじく強い。
少なくともザペルと同じか、それ以上。
信じたくないが、それでも粟立つ肌が、痺れるような邪気が、そして己の本能が今の自分ではそれに勝てないと全力で警鐘を鳴らしてくる。
「リアン、仲間を抱えて全力で走り給え。今ならまだ間に合うかもしれない」
「アーノルドさん……でも……!」
アーノルドは正面を見据えて動かない。
それは不退転の決意の現れだ。
二人の会話に反応したのだろうか。異形が大きく跳ね上がったかと思うと、出鱈目に回転しながら勢い良く二人へ目掛けて飛翔する。
「――――
アーノルドが裂帛の気合と共に右足を振り上げる。
先端すら霞む速度の回し蹴りが飛来する巨大な砲丸のような異形に突き刺さる。
重量差は明らかだというのに、その凄まじい蹴撃は異形の軌道を捻じ曲げ、そのまま岩壁へと吹き飛ばす。
普通の人間や魔物ならば間違いなくそれでケリがつく一撃。
しかし異形の反応は違うものだった。
一切のダメージを負っていないかのような動きで立ち上がると再び飛びかかり、その身体から突き出した大量の腕や足を振り上げる。
先の蹴りで多少無理をしたのか、僅かに動きの鈍っていたアーノルドはそれを躱すことが叶わず、両腕を掲げることで同時に襲いかかる大量の打撃を受け止める。
瞬間、地が砕ける。
いかなる豪力か。それともそれほどの重量さなのか。
アーノルドの顔が明らかに苦しげに歪む。
ミシリと骨が軋む嫌な音が、リアンの耳にまで届くような気がする。
「さあ、行きたまえ! 君は君の役目を果たすのだ!」
「――はい! 必ず助けを呼びますから、どうかご無事で!」
そしてリアンは迷いを捨てるとヤーナを担いで走り出す。
その顔は悔しさと情けなさと決意の入り混じった顔だ。
後方から凄まじい轟音が立て続けに巻き起こる。
それでもリアンは振り返らない。
背中に感じる小さな熱を失わないように、少年は残った力を振り絞る。
そしてただ駆ける。駆ける。ひたすらに駆ける。
息はあがっているが関係ない。
一歩踏み出す度に全身が激しく痛むが関係ない。
魔力も底を尽きかけて、欠乏から脳がぐらぐらと揺らぐが関係ない。
今はただ、ここから彼女を連れ帰るためだけに駆ける。
もと来た道を戻るだけとはいえ、入り組んだ坑道を迷わず進むのは難しい。
それでも風の流れから正解のルートを模索し、外の匂いを感じ取ろうとする。
――焦るな。大丈夫、もう出口は近い。
必死に自分に言い聞かせながらリアンは走る。
そして、少し開けた空間へ出た辺りで雰囲気が明らかに変わる。
淀んだ洞窟内の空気に交じる、冷たく澄んだ空気の動き。
間違いない、外に通じる通路が近い。
だが、ようやく掴んだ僅かな希望は次の瞬間に黒く塗りつぶされる。
何処からともなく現れる異形。それも一体ではない。十を軽く越えるそれぞれ形体の異なる異形がリアンの周囲に湧き上がってきたのだ。
「……なっ…………!?」
絶句する。
アーノルドですら苦戦する化物がこんなにも。
絶望的すぎる戦力差に加えて、更に目の前に新たな別の影が現れる。
それは髑髏だった。
空中に浮かぶ真っ赤な髑髏。人間のもののようにも見えるが、眼孔は異常に鋭く、輪郭の歪み方が余りに禍々しい。
鮮血のような霧状のオーラを纏い、周囲に毒々しく振りまいている。
怨霊。
まさにそれは怨霊だった。
リアンは直観する。これは魔の存在であると。
如何なる由縁のものかは分からない。
魔界からの侵略者か、邪念の集合体か、それとも魔力的な生命体か。
兎角、これは本当にどうしようもない相手だと理解してしまう。
身体が震える。抑えることが出来ない。
情けないとすら思うことすら出来ない。
あまりに原始的で根源的な恐怖。歯の根が合わない。
逃げなくては。――どうやって?
抗わねば。――どうやって?
生き延びねば。――どうやって?
いくら思考を巡らせても空回りする。
恐怖で思考が鈍っているのはあるだろう。
だが、それ以上に相手が悪すぎる。手の打ちようがない。
もぞりと背中のぬくもりが動く。
ヤーナの意識が戻った様子はない。
恐らく特級の邪気と、それによって強張った身体に反応したのだろう。
真紅の髑髏がゆらりと揺れる。
揺らぎに合わせて周囲の異形の包囲が縮まる。
リアンは心臓を握り潰されるような圧力を感じながら、静かに焦る。
すぐにでも逃げ出さなければ間違いなく死ぬ。
しかし、異形がゆったりと動いているのも、真紅の髑髏が直接襲ってくることがないのも今リアン達が目立った動きを見せていないからではないか。
だとすれば、動き出せばその瞬間に八つ裂きにされても不思議ではない。
リアンは必死に活路を探す。
残りの体力と魔力、装備。囲む敵の配置と戦力。正体不明の敵の意図や性質。
呼吸が震える。髑髏を直視するだけで魂が凍るようで、ぐらぐらと頭が酷く痛む。
どうすれば。どうすればいい。
どうすればヤーナと一緒に帰れる。
決まっている。答えなど一つしかない。
待っていて道が開けるものか。
そしてリアンは覚悟を決める。
残る魔力で全力の術式を炸裂させて、髑髏とは真逆に全力で逃げる。
もはや策とも言えない、破れかぶれの逃走だ。
だが、それでも死を待つだけよりもずっと良い。
『――無駄だ。小さき者。死を受け入れよ』
頭の奥を揺さぶるような声。
聞いているだけで怖気が走り、全身に氷柱が突き刺さったように冷たく震える。
『――何故死を拒む。人の子よ。生き汚さは悪徳である』
邪悪極まる髑髏に悪徳を謗られて、思わずリアンは唇を歪める。
「……少し前までの俺だったら諦めてたのかもしれない」
リアンが真っ直ぐに髑髏を見据える。
瞳の奥に強い光を湛えて。
「一人きりで、先の見えない道を彷徨い歩いていた頃なら、さっぱり諦めてたのかもしれない」
両の足に力を込めて、リアンは真っ直ぐに立つ。
指先の震えを抑え込んで、力強く声を放つ。
「帰りたい場所が出来たんだ。今の俺には帰る場所があるんだ。だから――
そしてリアンは走り出す。
向かう先は後ろではなく、前。宙に浮かぶ髑髏の方へ向かって突き進む。
動きは平時に比べれば遥かに鈍い。
それでも残るありたけの力を推進力に換えて、リアンは走る。
周囲から異形が飛びかかる。
酷くゆっくりと時間が流れる。
髑髏が揺らぎ、鮮紅のオーラが渦巻く。
恐らくは何らかの魔術の発動の前兆。
全てをくぐり抜けて、その先の外に通じるはずの道へと駆け込むにはどれだけ細い針の穴を通さねばならぬのか。そもそもそんな穴などあるのだろうか。
いや、やるのだ。やるしかないのだ。
俺は絶対に生きて帰るのだ。
「――その通り。あなたには、帰る場所がある。だから、早く帰ってきなさい?」
突如響く柔らかな声音。
あたたかで、優しくて、思わず眠りそうになる、陽光のような声。
光が満ちる。
比喩ではなく、周囲が目が開けられぬ程の極光に溢れる。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッ!?!??!!?!!!?」
魂まで響くような、どす黒い絶叫が響き渡る。
人ならぬ存在の苦悶の叫び。
視界は光に塗りつぶされて何も見えないが、あの髑髏の声だと理解する。
『馬鹿な馬鹿な馬鹿な我が我が我がアアアアアアアアアアアアアアア!?!??』
「どこぞの悪魔か悪霊かは知りませんが、ウチの可愛い子に手を出した罪は重い。
光が少しずつ霞んでいく。
ゆっくりと坑道の岩肌が見えるようになってくる。
目の前には何もない。
異形も髑髏もすっかり消え失せていた。
あまりにも呆気ない。
あれほどの凶魔を一瞬で跡形もなく浄化するような使い手。
そんなものは、リアンが知る限りたった一人しかいない。
「――全く!! 日が沈んでも帰ってくる気配がないと思ったら突然早馬が飛び込んできて、リアン君が野盗と戦った上にアジトに殴り込んだって大騒ぎです!! ほんっっっっっっっっっっとうに心配したんですからね!!」
「……ルシャ、説教をする前に回復したほうがいい。多分もう聞こえてない」
声が次第に遠くなる。
視界が次第に暗くなる。
慌てた様子で駆け寄ってくる幾つかの足音を耳にしながら、緊張の糸の切れたリアンはゆっくりと気を失うのだった。
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