棘の縛

 リアンは全力で駆ける。

 多少魔力の消費はあるが、そちらは問題ない。体力は気力でカバーする。


 何故あれだけの大部隊がいて、分隊の存在に思い当たらなかったのか。


 自らの愚かさを責めるのは全て終わった後だ。

 今はヤーナの無事を祈って一瞬でも速く彼女の元へと戻る他にない。


 別れる際に彼女にかけた【コンシール】は優秀な潜伏系の幻覚魔法だ。

 相手がよほど魔術に長けた者か、感知特化のスキル持ちでもない限り見つかる可能性は低い。

 だがそれは、隠れている側が息を潜めていることが前提だ。


 街道の先に小さな点が見え始める。

 速度を落とさず目を凝らしてみれば、それは馬車のようにも見える。

 だが馬は倒れ、幌は破られ、車輪を割られ。無残な姿となったそれはもはや馬車の体を成していない。


――最悪だ。


 それはヤーナを置いてきた場所のすぐ目の前。

 馬車の周囲に広がる血溜まりが視界に入り、心が冷たくなるのを感じる。


「ヤーナ!!」


 野盗がいるかもしれない危険を無視して叫ぶ。そうせずにはいられなかった。


「ヤーナ! いたら返事しろ!! ヤーナ!!」


 彼女が隠れている場所に目をやる。

 しかし、【コンシール】の術式は跡形もなく消えている。

 外から破られたか、もしくは中の人間がその効果範囲から動いたか。


 リアンは想像する。

 もし彼女の目の前に野盗に襲われた馬車がやってきたとしたら。

 自分だけ安全地帯でそれを見続けることが果たして彼女に出来るか。

 彼女であれば、勝ち目など考えず助けようと手を出してしまうのではないか。


 だが、そうだとしたらあの練度の盗賊団――たしか『凶楽髑髏ヘヴンリースカルズ』といったか――に彼女の力は恐らく通用しない。

 奇襲で一人くらいは倒せたとしても、その後は……。


「――くそ!」

「……き、君は? 一体何者だ?」


 強く拳を握り、顔を歪めたリアンの前に一人の男が現れる。

 鎧は砕け、全身は傷まみれで黒く汚れている。

 もはや立っているのがやっとという様子だ。


 見ればその後ろの馬車の中には僅かではあるが人影が見えた。

 老人や、子供。

 戦えない人々が身を寄せて震えながらこちらの様子を伺っている。


(――生き残りがいたのか!!)


 あまりの惨状に全滅を覚悟していたリアンは思わず浮き立つ。

 逸る心を抑えつけて対する男に敵意がないことを示す。


「前の商隊の人達に頼まれて様子を見に来ました。敵はもう居ないようですが、女の子が来たりはしませんでしたか!」

「女の子……! あの小さな魔法使いの仲間か! それが、その……」


 男が顔を暗くして言い淀むのをみて、リアンの心は再び冷たく凍てつく。


「どう、したんですか?」


 震えそうになる唇で、ゆっくりと聞きたくない答えを待つ。

 少しの間をあけて帰ってきた答えは、最悪のものではなかったが、それに限りなく近いものであった。


「……連れ去られた。彼女が我々を援護してくれて、盗賊との戦いは拮抗したのだが、包囲の外にいた彼女を我々は見殺しに……!」


 酷く辛そうに男は言う。

 その言葉を聞いた瞬間、怒りの感情が沸かなかったかといえば嘘になる。


 しかし彼らを責めるのはあまりに酷だろう。

 外側からの遊撃は確かに有効だが、所詮は単騎。狙いを定められてしまえば、孤立した一人の魔法使いなど酷く脆い。


 敵に包囲され、馬車の中の人々を守らなければいけない護衛隊が、突然現れた正体不明の魔法使いを助けられたかと言えば、それは不可能に近かっただろう。

 彼らとて、生き残ることに懸命だったのだ。


 目を閉じて、一つ深呼吸をする。

 ささくれ立ちそうになる心を宥めて、対する男に改めて視線を向ける。


「前の馬車隊を襲っていた敵の本隊は撃退しています。もうすぐこちらにも援軍は来るはずです」

「……本当か! そうか、助かったんだな……!!」


 緊張の糸が緩んだのだろう。

 ふらつき、持った剣を杖代わりに地面につきながら男はうっすらと笑う。


 そうだ、彼らは助かった。きっと『彼女』が助けたのだ。

 ならば、『彼女』を助けに行かなければならない。


「こちらにいた敵は?」

「……突然包囲を解いて逃げ出した。多分、本隊壊滅の知らせを何らかの形で受けたのだろうな。彼女は、その時に連れて行かれて……」

「どこへ向かったかわかりますか?」

「恐らく、奴らのねぐらがあると噂の西の廃鉱だろう。……大丈夫、これだけ街の近くで暴れたのだから討伐隊が組まれるはずだ。そうすれば……」


 それでは間に合わない。

 奴らもこれだけ暴れたのは、拠点を変える算段がついていたからなのではないか。

 そもそも、あれだけの器量の少女が拐われたのだ。

 もう一秒だって猶予はないことは確かだった。


 男は拐われた彼女がすぐに殺されることはないと考えているのだろう。

 冷たいようだが、それ自体は間違った計算ではない。

 きっと、ヤーナはすぐには殺されない。

 死んだほうがマシと思うような目にあわされるだけだ。


 リアンは踵を返して走りだす。一切の迷い無く。


「――っな……! ま、待て! 逸るな! 行っても死ぬだけだ!!」


 制止の声を後ろに置き去りにリアンは走る。

 援軍を待つのが最善の選択肢だというのは分かる。

 場合によっては人質が増えるか、死体が一つ出来るか、そんな結果になるかもしれない。それも分かっている。

 襲撃部隊の隊長一人があれだけ恐ろしい戦力の持ち主なのだ。その本拠地にどれだけの悪鬼が潜んでいるかなど、わかったものではない。


 それでもだ。

 ただ、攫われた彼女を一人にはしておけない。一秒でも早く助け出したい。

 それだけの思いにリアンは突き動かされる。


 それはまるで疾風のようで、男は瞬く間に見えなくなるその小さな背中をただ見送ることしか出来なかった。



      ◇      ◇



「……う」


 目を開くとそこはあまりに暗い空間。

 微かに扉らしきものの隙間から漏れる弱い光を頼りに必死に目を凝らせば、ここが狭い密室であることを知らせている。

 冷たい空気にゴツゴツとした地面。ズキズキと痛む重たい身体を無理やり引き起こそうとして、後ろ手に回した両手と揃えられた両足が動かないことに気付く。


「……これ、は」


 微かな明かりで、それが何かは判然としない。

 けれど、ゴツゴツとした金属のような触感の枷が私の自由を奪っていることが分かる。

 混乱する頭にぼんやりと気を失う前の記憶が蘇ってくる。


 私はリアンに言われた通り、草むらで息を潜めていた。

 一人は少し、ほんの少しだけれど心細かったし、あの鼻持ちならない男の子の言うことを聞くのは癪だったが、それでも彼の判断は間違っていると思わなかった。

 だから何もない草原で、ただただリアンの帰りを待ち続けていた、その時だ。


 彼が駆けていった方とは逆の道から馬車が駆けてきた。

 それも明らかに、真っ当でない人種に囲まれ、襲われながら。

 馬車の近くには剣や弓を持った男たちが数人居て、なんとか応戦しているようではあったが、取り囲む相手の方が明らかに数は多く、劣勢は明らかだった。


 そして、ちらりと見えた馬車の中。そこには多くの人々が怯えた顔をしていた。

 両手を組み、祈るようにしている老人。幼子をその胸に抱き寄せる母親らしき女性。そして、私よりも一回り小さな子供。


 何があっても隠れているという約束を忘れたわけではない。

 ましてや、自分などの力が通用すると思い上がった訳でもない。

 それでも、その人達の顔を見た瞬間身体が動いていた。


 馬車を襲撃する男達に全力で魔法を放ち、それから後の記憶は曖昧だ。

 凶器を携えた、狂暴な悪漢達を相手取る恐れがあった。

 殺傷するに十分な威力の魔法を、人に向けて放つことへの躊躇いもあった。

 だが、それでも助けたいと思った。

 なぜなら、私はそのようにできる何かになりたいと願い続けていたのだから。


 戦いの結果がどうなったのかは分からないが、多分私は敗れたのだろう。

 この暗い場所に捕らえられているということは、そういうことだ。

 なぜ、飛び出したのだろうという疑問はある。

 私の力だけで、あの人達を助けられるはずはなかったのだ。

 しかし、間違いだったとは思っていない。

 あそこで見てみぬ振りをしたら、きっと一生後悔することになる。


 両手足に力を込めてみる。

 しかし、拘束具はびくともしない。

 私の力でどうにかなるような代物ではないようだ。


 それならば、魔法でならどうだろう。

 肉体強化は苦手だが、それでもやってやれないことはない。

 残っている魔力はそう多くないが、それでもなんとか脱出のきっかけを作るにはまずこの枷から何とかしなければ。


 そう考えて私はゆっくりと魔力を練り上げる。

 が、次の瞬間。


「――うあ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁっっ!!?」


 痛い!! 痛い!! 熱い!! 痛い!! 熱い!! 痛い!! 熱い!!


 突然の激痛に思考が弾ける。

 まるで煮えたぎった水銀を骨の髄に流し込まれたような、神経を直接灼かれる痛みに必死に身を捩ることしかできない。


 両手足が弾けたかのように感覚が無い。

 肺が引きつったようで呼吸さえままならない。

 涙と、汗と、涎で顔がずるずるになっているのが分かるが、歯を食いしばり襲いくる痛みにただ耐えるだけで何も出来ない。


 身体がぶるぶると痙攣する。

 痛みが奔ったのは魔力を練り上げた一瞬だけだったが、今もその残滓がこびり付いて離れようとしない。

 手足が千切れてしまったのではないかと一瞬震えたが、枷が嵌り続けていることからそれはないはずだと思う。

 ただ、目で確認できないそれらが本当に無事かどうかは果たして怪しかったが。


「……おや、思ったよりも目覚めるのが早かったですね。お陰で良い所を見逃してしまいました」


 突然ガチャリという音とともに扉が開き、一人の男が現れる。

 男が手に持つランプに突然照らされて思わず目が眩むが、視線を逸らすわけにもいかず薄目で男の正体を探る。


 背はそれほど高くないが、酷く太っている。

 顔は脂肪で醜く弛み、こんな状況でもなければあまり直視はしたくない類の物だ。

 男は少し苦労しながら巨体を狭い入り口に通して部屋の中へと入ってくる。

 ツンと鼻を刺す香り。薬草のような独特な匂いに思わず顔を顰める。


「それ、中々効いたでしょう? 魔力を通すと直接神経に刺激を流し込むんです。

ボク特製の自慢の品ですよ」


 ねっとりとした口調で男は言う。

 逃げようと魔力を練ればあの激痛に襲われるという訳か。


「ああ、痛いけれど肌には傷一つ付かないですからね。そこは安心してください。まあ、中身は焼ききれてしまうかもしれないですが……器さえ無事なら問題ないですからね」


 まるで独り言のように男は言う。

 焼ききれるという言葉は無視できないが――『器』?


「ううん……動いているのを見るとやっぱりますます良い拾い物をしましたね……ザペルの奴もたまには役に立つ」


 そう言って男は手を伸ばし私の顔や腕に触れてくる。

 見知らぬ醜い男に無遠慮に触れられて怖気が走る。

 抵抗するように身を捩り、男の手に噛み付こうとするが慌てて手を引かれてそれは空を切る。


「はっはっは、元気でよろしい。でも、あまりヤンチャなら痛い目にもあってもらいますよ」


 そう言って男は私の後ろ手を縛る枷に指先を当てるようにする。


「この『愚者の棘』はね、外から魔力を流しても反応するんですよ。しかも魔力を流し続ける限りずっとね。この意味、わかりますか?」


 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。

 ガクガクと身体が震えて、止めることが出来ない。

 あの痛みを、継続的に与えられる?

 想像するだけで決して屈するまいと燃えていた心の火が消えていくのが分かる。

 抗うべきだと分かっているのに、あの痛みを思い出すだけで悪態の一つさえつけなくなる。


「賢い子だ。なあに、大丈夫。大人しくしていれば痛い目にはあわせません。手下達にも手は出させませんとも」


 そう言って男は部屋を再びつっかえながらも出ていく。

 そして入れ違いに入ってきたのは私と年のそう変わらなさそうな一人の少女。

 肩までまっすぐ伸びた緑の艶やかな髪、丈の短いやけに装飾過多な給仕服を身に纏い、酷く無表情にどこか遠くを見ている。

 少女の手には小さな木桶。水が入っているのか、チャプチャプと音がしていた。


 少女は私の傍にしゃがみ込むと何も言わず桶の中に入っていた布をしぼり、私の顔に当ててグイグイと遠慮なくこすり付けてくる。


「い、痛いっ! 痛いわ! ね、ねえ、もうちょっと優しくして……!」

「はい、スウェルグ様は素晴らしい御方です。貴方も幸せにしてもらえます」


 焦点の合わない瞳で見つめられながらそう言われて、息が止まる。


 直観する。この少女は人形なのだと。


 まるで意思のない動き。ただ、与えられただけの台詞。

 そして先程あの男が言っていた『器』という言葉が目の前の少女と繋がる。


 私も、人形にされる。


 言い表しようのない恐怖が体の奥底から湧き上がってくる。

 いつの間にか溢れていた涙は力加減というものをまるでしない少女の手によって無理やり拭われる。

 ただ乱暴に身体の汚れを無理やり清められながら、私は縋るようにその名を心の中で呼んだ。


(――――リアン!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る