仮初の決着

 リアンは戦慄する。

 目の前の男の重圧が膨れ上がった次の瞬間、襲いかかってきた衝撃に意識が飛びかけた。

 反射的に剣を限界まで強化して突き出したことで男の一撃から逃れられたが、防げたのも半分は運だ。

 直撃していたら、恐らくひとたまりもなかっただろう。


 冷や汗が伝う。別に命のやり取りは初めてという訳ではない。

 ついこの間だって本当に死にかけたばかりだ。

 それでも、ただの野盗相手にここまで苦戦するとは予想していなかった。

 自分の考えの甘さが嫌になる。


 リアンは雑念を払うように頭を振ってから深く息を吸って、思考を整えていく。


 こちらの攻撃が通じないのはもちろんあの奇妙な手の存在が大きい。

 魔法が通用せず、強度も鋼かそれ以上だ。

 だが、ただ頑丈な肉体であれば、打ち破る手は幾らでもある。


 有効打が入らない理由は一つ、極単純な話として相手が強い。

 幾合かの打ち合いで分かったが、奴の徒手戦闘技術は凄まじく高い。

 こちらがいくら攻撃しても、巧みに裁かれてしまう。

 そして僅かな隙を見せれば、鋭く重たい一撃を叩き込まれる。


 物理攻撃が通じない敵には魔法を、魔法が通じない敵にはその逆を。

 それがリアンの戦闘パターンであるが、あの奇妙な腕のおかげで相手の盤上で戦わざるを得なくなっている。相性としては最悪と言えた。


(何なんだ、あの腕……無条件で魔力を吸収するという訳ではなさそうだけど)


 今のところ無効化された魔法は【ピアースストライク】と【エレクトリア】の二つ。

 剣にも魔力を通わせて切れ味と強度の強化をしているがそちらは無効化されている様子はない。単純に防がれてはいるが。


(武器を通せば魔法は有効ってことか? なら、こいつならどうだ?)


 リアンは剣に魔力を集中。

 無数の不可視の刃を作り出し、剣の輪郭で高速回転させる。


 【見えざる切裂魔イクシオン


 先程のスライムとの戦いでも使っていたリアンオリジナルの武器強化魔法である。

 切断というよりは、強烈な破断効果になるがその威力は絶大。

 鋼鉄程度の強度であれば腕の太さであっても断ち切ることは難しくない。


「はああ……懲りないなああ? それじゃああ、駄目だああ」


 見抜かれたように言われてリアンはギクリとする。

 この魔法の最大の強みはその破壊力よりも、術の核となる剣の実体と、不可視の刃の認識のズレにある。

 紙一重で躱そうとすれば見えない刃に引き裂かれ、防ごうとしても予想外の力の向きが早いタイミングで襲いかかる。

 だが、それもタネが割れてしまえば対処は難しくはない。


 とはいえ、もし見抜かれたとしても破壊力が落ちる訳ではない。

 リアンは迷いを振り切って【見えざる切裂魔イクシオン】を発動させたまま、大きく地を蹴る。

 恐らくではあるが目の前の男の目には不可視の刃が見えている。それが明確な形なのか、ただ感じ取っているだけなのかまでは分からないが、初撃であれば認識のズレの効果もあるのではないだろうか。

 そして何よりも単純な破壊力。この魔法イクシオンであれば、奴の腕も流石に耐えきれないのではないだろうか。


 そんなリアンの甘い期待は一合目で霧散する。

 【見えざる切裂魔イクシオン】が、ザペルの腕に触れた瞬間に吸い込まれ、あっさりと消失したためである。


「――っな……」

「だからああ……駄目だと言っただろおおおおおおおおおおおおおお!!?」


 襲い来る怪手の貫手。リアンは魔法イクシオンをかき消された衝撃を必死に押し殺しながらその攻撃を防ぐ。


(通じるのは単純強化だけってことか――!)


 余りに重たい一撃は受けるだけで腕が痺れる。だが泣き言は言っていられない。

 次々に襲いくる打撃を懸命に防ぐ。

 距離をとりたいが、上から叩きつけられる攻撃に足は地面に縫い付けられたかのように動かない。いや、そうさせられているのか。


(悔しいけど、やっぱ滅茶苦茶巧くて強い……!!)


 男の連撃は先程の自分の乱撃とは比べ物にならない。

 ただ闇雲に速く剣を振る俺のそれに大して、男の連打はどれも急所を正確に狙い、しかもその軌道は自在。蛇のようにうねる腕がこちらの喉笛を噛み切らんと上下左右あらゆる方向から襲い掛かってくる。

 それに加えて時折混じえられるフェイントは恐ろしく巧妙で、こちらの反撃の芽を尽く潰される。

 狂戦士バーサーカーのように見えて、戦い方は酷く論理的ロジカルだ。

 全身から吹き上がる殺意は、理性的という言葉からはあまりにかけ離れているが。


 そんなどこか悠長なことを考えながら、リアンは自分がその動きに対応できていることを不思議に思う。

 悔しいが、力量は相手の方が遥かに上だ。これだけ打ち合えば、こちらの防御などとっくに崩されていてもおかしくない。

 ただ、それでも何とか凌げている。遊ばれている、という感じではない。

 本当に何とか、紙一重という言葉が実に相応しいにしても、均衡を保てている。

 何故だ、こちらとしては必死に急所を守っているだけだというのに。


 そこでふと気づく。奴の作ったであろう2つの死体。

 戦場に今も転がる、首の落ちた亡骸が視界に写る。


(――そうか)


 一つの仮説。いや、気付いてしまえばそれはほぼ間違いない事実だ。

 奴の狙いは詰まるところ一点。首なのだ。

 当然、その他を狙う攻撃はある。だが、それは言ってしまえばただの牽制で、本命の攻撃は全て頸部を狙うものばかりなのだ。


 首への異常な執着。それがこの男の狂気の一つか。


 牽制であろう軽めの打撃を捌いていると、男が左腕をだらりと垂らす。

 そして肩をぐいと前に出したかと思うと、大きく身体を振ってまるで鞭のように左腕をしならせる。

 その軌道は一直線に腹へ。もちろんそのまま貰う訳にはいかないので身体を必死に捻って魔の手から逃れるようにする。


 すると直後、物理法則を無視するかのように直角に跳ね上がった怪手は喉笛目掛けて襲いかかる。

 骨が存在しているのか疑うほどの異様な動き。予測不可能なその一撃だが、守るべき場所がわかっていれば防ぐことは出来る。


 ガギィ!!!


 響き渡る金属音。

 割り込ませた剣の腹が男の拳を受け止める。その衝撃で身体が僅かに浮き上がる。

 まさか防がれるとは思わなかったのだろう。

 男もほんの僅かではあるが身体の動きを鈍らせる。


 ここで反撃してもいい。あるいは一旦距離を取る選択肢もある。

 しかし、ようやく見つけた打開の手がかり。

 それを一時的な対応に使うのはあまりに勿体無くはないだろうか。


 それは一瞬の閃きだった。思いつきとすら言えない、ただの直感。

 それでも、リアンは自らをここまで生かして来たその直感に身を委ねる。


 衝撃に手の痺れが限界を越えた『フリ』をして、僅かに剣を持つ手を緩める。

 それを見逃す男ではあるまい。

 その予測通りに男は上から叩きつけるように拳を振り下ろし、俺は『必死に防ごう』とすることで『剣を弾き飛ばされる』。


 剣はカラカラと乾いた音を立てて遠くへ転がっていく。

 それに『思わず目を向ける』。視線が男から外れる。

 殺し合いの場において、それはあまりにも致命的な隙。


 殺意が視界の外で膨れ上がる。

 愉悦に男の口元が釣り上がっていることが見なくとも分かる。

 散々お預けをもらっていた犬がゴーサインを貰ったように。あるいは飢えた獣が檻から解き放たれたかのように。


 放たれるのは最短距離を貫く手刀。子供の柔肌など、防御結界ごと突き破って容易く抉り取るであろう禍々しき一撃。

 もはや防ぐ手段などない。回避は間に合わず、防御ふせぐべき剣は遥か彼方。


 ゴキリ


 骨が砕ける音が周囲に響き渡る。鈍鈍しく、生々しい嫌な音。

 放たれた怪手は、リアンの喉には届いていない。

 リアンの小さな拳が怪手の中ほどに突き刺さり、本来曲がらない方向へと捻じ曲げていたからだ。


 リアンの作戦は単純明快。隙を晒して攻撃を誘い、迎撃するというだけのもの。

 余りに無防備にさらけ出された首元はザペルにはあまりにも眩しすぎた。

 ザペルはもはや思考すらなく、反射としてそこへ手を伸ばしてしまう。

 そこに叩き込まれたのは魔力で全身強化されたリアンが渾身で振り上げた拳。

 単純強化された拳は、力を込めすぎてしなやかさの失われたザペルの左腕を粉砕せしめる。


「――あああ?」


 ポカンと。何が起きたか理解できずに、ザペルは間の抜けた声を漏らす。

 リアンは右拳を引き、その勢いのままに左足を突き出して踏み込む。


「るあああぁああああああああぁあああぁあああああああああぁぁあああ!!!」


 少年は咆哮ほえる。

 孤を描きながら放たれた左拳は無防備だったザペルの顔面へと突き刺さる。

 魔力により強化された拳。それは生半可な鈍器よりも遥かに重たく、硬い。

 ザペルは声もなく吹き飛び、後ろで見守っていた盗賊の一人を巻き込んで転がっていく。


 巻き上がる土煙。

 そして、その中に見えるピクリとも動かない男の姿。

 決着は明らかだった。


「――た、隊長!? ザペル隊長がやられた!!!」

「嘘だろ……!? 撤退、引け! 引けーーーー!!」


 盗賊たちが蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出す。

 その手際は見事だ。煙幕弾をばら撒きながら姿を隠しながらそれぞれが分散して全く異なる方向に逃走していく。

 その中で隊長と呼ばれた怪手の男が抱えられていくのも見えたが、追撃してたとしてもまともに戦果は上げられそうにはなかった。


 元々壊滅状態であった商隊はもちろん、疲弊したリアンもその後を追おうとは思わない。

 今は、生き延びた幸運を喜ぶだけで精一杯だ。


「助かった……のか?」

「生きてる、生きてるぞお!!」

「やった……やったあああああああ!!」


 喝采が馬車隊から湧き上がる。そして窮地を救った小さな英雄を称える声も。

 だが、当のリアンといえば生き延びた喜びは別に、小さな憂鬱に襲われていた。


「……またルシャさんやロッケンさんに怒られそうだなあ」



      ◇      ◇



「この商隊の護衛部隊副長のウガンティだ。何度言っても恩は返しきれんが、改めて言わせてくれ。本当に、救ってくれてありがとう!」

「自分はええと……冒険者のリアンといいます。すみません、もう少し速く応援に来られれば……」


 リアンは申し訳なさそうに目を伏せる。

 商隊の被害は余りに大きい。今は残った人員を掻き集め、最低限の怪我の治療と馬車の復旧を急いでいるところだ。

 死体は今は置いておく他に無いので、せめてもの手向けとして並べて揃えられているがその数は余りに多すぎた。

 生き残っている数よりも多いのではないかという死体の山を見てしまっては、リアンはあまりに遅すぎたという念しか浮かんでこない。


「何を言う! お前さんが来なければ俺たちは間違いなく全滅だった。誇っていいんだ、胸を張ってくれ!」

「――はい、ありがとうございます」


 辛いのは間違いなく仲間であったウガンティの方であろう。

 それでも気丈に讃えてくれる彼の誠意に応えるべく、リアンは顔を上げる。


「それでだ。命を救ってもらったっていうのに、これ以上何かを頼むというのは、本当に大人として恥さらしなんだが……」

「――何かあるんですね? 乗りかかった船です。言ってみてください」


 言い淀むウガンティを見て、リアンはその先を促す。

 見た目幼い冒険者のあまりの理解の速さに思わず苦笑して、ウガンティは簡潔に内容を纏めていく。


「俺たちの商隊だが元々は全部で6つの馬車で組まれていてな。だが奴らに襲撃されて分断せざるを得なくなってしまった」

「……確かに馬車は4つしかありませんね」


 リアンは周囲を見回す。だとすればあと二台の馬車が他にいるということになる。


「敵の主力はこちらで引き付けたが、向こうも分隊と戦ってるはずだ。本隊が逃げたことに気付けば、向こうの敵も……」

「待ってください。後ろにも敵が居るんですか?」


 顔を強張らせたリアンが言葉を遮るように言う。

 ウガンティは戸惑いながらもそれに答える。


「ああ、こちらと比べれば数としちゃ大したことないはずだが……」

「俺はそっちに行きます! 後ろに置いてきた――仲間がいるんです!」


 何か言われるよりも先にリアンは踵を返して駆け出す。

 そして何かに思い当たったのだろう。大きな声で叫んだ。


「『ジャッククラウン』に伝えてください! リアンはヤーナを迎えに行ったと!」

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