怪手

 あまりにも呆気ない決着に護衛隊の面々は目を疑う。

 彼らの隊長ラッカードは王都でも名の知れた剣士の一人だ。

 少なくともただの野盗に遅れを取るなど、本来あり得ない。


 だが、目の前に広がるのは余りに非情な現実だ。

 紫髪の男――ザペルの前には両腕のちぎれた死体が転がっており、今も血溜まりを広げつつある。


 精神的にも戦力的にも支柱であった男の死に、護衛隊の士気は完全に消沈する。

 一度は崩れかけた敵の包囲も苛烈なものとなり、味方の消耗は限界を迎えようとしている。

 そしてこの隊で誰よりも強いラッカードを瞬殺したあの紫髪の男。

 もはや生存の道は無いように思えた。


 一人、また一人と護衛隊の戦士達が倒れていく。

 装甲馬車の中から矢や魔法による必死の応戦はあるが、手数があまりに足りない。


 絶望。そして死。


 護衛隊の副隊長ウガンティから闘志が消えていく。

 諦観が彼の心を支配し、せめてもの最後の微かな希望に縋る。


「……降伏する! もう俺たちは抵抗しない! 荷物は全て持っていけ! だから、命だけでも見逃してくれ!」


 白旗をあげての命乞い。

 護衛隊としての命は断たれることになるが、死んでしまっては何にもならない。

 だが、返されたのは最悪の予想通りの言葉だ。


「そんなつまらんことを言うなあ。精一杯足掻いてえ、苦しんでえ、俺を楽しませてみろお」


(……この狂戦士バーサーカーが!)


 もはや命を捧げようとも盗賊たちは止まらない。

 その暴虐によって自分たちに被害が出ようと関係ない。

 ただ目の前の贄を奪い尽くす狂乱に彼らの心は塗りつぶされている。


 その首魁である紫髪の男はゆらりと大げさに身体を揺すりながら歩きだす。

 不自然に伸びた腕の先はまだ赤い血で濡れて、指先でニチャニチャとその感触を楽しんでいるような仕草を見せていた。


 護衛隊の誰もが死を覚悟した次の瞬間。


『――【ピアースストライク】』


 突然飛来した黒色の槍が紫髪の男の頭部を撃ち抜く。

 魔力で編み上げられ、貫通属性を付与された槍は人間の頭蓋をいとも容易く貫く、筈だった。


 魔力槍が蒸発するように霧散し、姿を消す。

 魔力の靄の中から姿を現すのは雑に右腕を掲げた男の姿。

 音もなく、矢よりも速く飛翔してきた槍を軽く払うだけで防いで見せた男はその紫の長い髪の隙間からドロリとした眼光を槍の飛んできた方へと向ける。


 奥から現れたのは一人の子供。


(あの子供は……!)


 ウガンティは目を見開く。

 今目の前に立っている子供こそ、先程敵部隊の後方を急襲して窮地を救ってくれた子供に他ならない。


 もう後ろを片付けたというのか。

 馬鹿な、優先になりつつあったとはいえ敵はまだ20人以上残っていたはずだ。


 だが少年がここまでやってきているという現実。

 しかも、彼は手傷一つ負っている様子すら無い。


 黒髪に黒いローブ。手に持つその身にはあまりに大きな長剣の刀身は赤く血に濡れ、少年の戦いの跡を残している。

 黒い瞳は目の前の男から馬車隊の方へと周囲を観察するように滑り、再び目の前の紫髪の男へと戻る。


「向こうの盗賊は全部片付けた。引くなら追わない、あんたはどうする?」


 その言葉に周囲の盗賊たちが動揺する。

 馬鹿な、何を言っているのかこの餓鬼は。

 だが確かに子供の後方からは戦いの音が聞こえてこない。略奪の喧騒すらも。


 戦場に迷い込んだ頭のおかしな子供の迷言だと笑ってしまいたい。

 だが状況と、彼の放つ異様な圧がそれを許さない。


「いいなああ……子供はいいい……とても柔らかいしい、よく泣くう……」


 身を震わせて恍惚の声を漏らすザペル。

 だが、その声は直後に恐ろしくどす黒いものへと変わる。


「でもなあ、魔法はよくないい……そんなつまらないものでえ、殺すなんてええ、勿体ないいいいいい……」


 ピクリと少年の眉が不快げに曲がる。

 ザペルは身体を少年の方へと向けたかと思うと無造作に歩き出す。


「逃げろ! その男には勝てない!!」


 ウガンティは咄嗟に叫ぶ。

 先程のラッカードとの戦いを見ていたが、あの紫髪の男の強さは桁外れだ。

 少年が見た目にそぐわぬ戦闘力の持ち主であることは分かるが、それでもあんな化物と戦って無事に済むとは思えない。

 窮地を救おうとしてくれた勇敢な戦士を、見殺しにするなど一人の人間として耐えられるものではなかった。


「逃げるかあ……? いいぞお、逃げる獲物を追うのはあ、楽しいぞおお……?」


 目にも見えそうなどす黒い邪気を放ちながら男はゆらゆらと歩く。

 少年は逃げる様子はない。

 剣を片手に構えたかと思うと、何かを呟き始める。


『天鈴、瞬きて、打ち鳴らせ――』


 魔法の詠唱。

 魔術には詳しくないウガンティだったが、その世界を揺するような響きから魔導の言霊であると察する。

 加えて少年は剣の切っ先を素早く振り、何もない空間に簡素な魔法陣を描き出す。


 ザペルは歩みを止めない。

 緩めることも、早めることもなく、ただ正面に浮かび上がった魔法陣を鬱陶しそうに見つめている。


『――【エレクトリア】!』


 名の宣告をキーとして魔法陣から放たれる幾本の雷。

 対するザペルは無造作に右腕を突き出すだけ。

 次の瞬間不可解な現象が起こる。


「……なっ」


 無数に枝分かれした雷撃がまるで引き寄せられるかのようにザペルの右腕へと集まる。

 それは『拡散』の性質を持つ魔法としてはあり得ない挙動。

 しかも、全ての紫電をその腕に受けたというのに男は平然と歩みを続けている。


「よくないい……よくないぞおおおおおおおおおおおおおお!!」


 そのまま距離を詰めたザペルは雷を吸い込み続ける右腕を振り上げ、魔法陣へと叩きつける。

 瞬間、ビキリと罅割れ砕け散る光の魔法陣。

 ガラス細工が割れるのにも似た、冗談のような光景に少年は動揺を見せてその場から飛び退こうとする。


「逃がさないいいいいいいいいいいいい!!!」


 だがザペルは同時に跳躍、少年よりも大きい歩幅で距離を更に縮める。

 そして今度は左腕が鋭く突き出される。


ギイイィイン!!!!!


 金属音が響く。

 少年の前に突き出されているのは彼の持つ長剣。ハンマーを叩きつけられたかのように、ビリビリと振動し少年も苦しげな表情を浮かべている。


「……何なんだ、あの腕は?」


 ウガンティは呆然と眺める。

 魔法を全て吸い込んで防いだ上、魔法陣を叩いて砕くなど常識ではあり得ない。

 剣と交錯した音も、まるで剣戟。まさか鋼鉄で出来ているとでもいうのか。


「いいなああ……身体動かせるじゃあないかあ、そっちのほうがいいい……」

「すっげえムカつくけど……通じないんじゃ仕方ないか」


 ニタニタと笑う狂人ザペルに、拗ねたようにむすりとした子供。

 あまりに現実感がない、チグハグな対戦表マッチにウガンティはあたかも珍妙な劇でも見ているような気分になる。


 両者示し合わせたように地を蹴り距離を詰める。

 少年は身の丈ほどもありそうなその長剣を持て余すこと無く縦横無尽に振るい、怪手の男はその長い両腕を自在に操りその攻撃を受け流す。

 下段からの切り上げ。手刀で弾く。回転しての横薙ぎ。手の甲で軌道を逸らす。返しの切り払い。掌で初動を押さえる。身を屈めての足への斬撃。掬い上げるような拳で剣の腹を叩きつける。斬撃。迎撃。斬撃。迎撃。斬撃。迎撃。斬撃。迎撃。斬撃。迎撃。


 息もつかせぬ乱撃と、それら全てを防ぐ異形の双手。

 遠巻きでも軌跡しか見えないそのあまりの高速戦闘に、周囲の盗賊も馬車隊も唖然と見守ることしか出来ない。

 あの化物のような男はどこまで怪物じみているのか。

 そしてそれと互角に渡り合うあの子供は一体何者なのか。


「いいぞおおおおおおおおおおお!! たのしいなあああああああああ!?」

「ぜんっぜん、楽しかねえ!」


 男の狂的な絶叫に少年は乱暴に答える。

 そこでついに剣戟に間が開く。呼吸を僅かに乱した少年が、息を一つ深く吸おうとした瞬間。


 轟音と共に小さな体が吹き飛んだ。

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