希望と絶望
盗賊どもの様子がおかしい。
明らかに統率が乱れ、こちらに向かう戦力が減ってきている。
「動ける者はこちらへこい! 怪我人は二番馬車に押し込め!」
商隊の護衛隊長であるラッカードは叫ぶ。
何が起きたのかは分からないが、このチャンスを逃したら間違いなく全滅だ。
「ラッカードさん! 一番馬車はもう駄目です! 装甲を破られました!」
「一番は放棄! 怪我人を優先、武器も持てるだけこちらに運び込め!」
積荷も守りたいところだが、こうなってしまっては無理だ。
命を落としては何にもならない。
「オオオオオオオオっ!!!」
仲間の動きに気を取られていた野盗の一人に斬りかかる。
「――っちぃ!!?」
不意をついたというのに盗賊の反応は早い。
こちらの一撃を避けきれないと判断するや否や、手に持った短刀で受け止める。
渾身の一撃をあっさりと防がれたことを忌々しく思うが、態勢に持ち込めばこちらに分がある。
体重と腕力の両方を使い、全力で刃を押し込む。
目の前の盗賊も必死の抵抗を見せるが体格ではこちらが勝っている。
ギリギリと剣と短刀が鈍い悲鳴を鳴らす。
目前の男は歯を食いしばりながら脂汗をしたたらせており、荒い息が肉薄したこちらまで伝わってきて酷く不快だ。
それでも拮抗が崩れるのも時間の問題と思われた次の瞬間、耳に飛び込む僅かな軋みの音に全身の肌が粟立ち、その場から飛び退く。
寸前まで自分の頭があった空間を矢が引き裂く。
反応がもう少しだけ遅れていたらどうなっていたか。
背筋を冷たくしながらも、続く矢に備えて出来るだけ単調な動きにならないように身を揺すりながら距離を取っていく。
この盗賊団にはあまりにも手練が多い。
正体こそ名乗っていないが、ほぼ間違いなく
確かにこの近辺に出没するという情報こそあったが、まさかこれだけ街に近い場所で襲撃されるとは予想外だった。
街に早馬は出しているが、果たして間に合うか。
もし別働隊に先回りでもされていたら救援伝令が届いていない可能性もある。
そこでふと、盗賊どもの突然の混乱の原因は街から救援がやってきたためではないかという可能性が頭に浮かぶ。
しかしそれはあり得ないと、甘い予想をすぐに振り払う。
伝令が一切の障害無く走れたとして、ようやく街に辿り着くかどうかという時間しか経過していない。
街から兵士や冒険者が準備をして駆けつけるまでには、倍以上掛かるはずだ。
正面の敵と睨み合っていると、突然左方に動きがあった。
あちらは後列の馬車の方だ。遂に食い破られたか。
冷たい汗が伝う。ここで後ろの味方の戦列が崩壊してしまったらもう終わりだ。
注意を決して正面の敵から逸らさないようにしながら、祈るような気持ちで左に視線を向けるとそこに居るのは見慣れた副隊長の顔。
内心でガッツポーズをする。だが、まだ手放しでは喜べない。
何故彼がここまでやってこれたのか、もしかすると敗走の最中なのか。
不安に襲われたラッカードだが、続く声はあまりにも予想外の朗報だった。
「隊長! 後ろの敵は半壊した! 人をこちらに回すぞ!」
「何だと!? 何があった!?」
それは嬉しい、とても嬉しい誤算だ。
だが何故そんなことが起こり得たのか。後方の敵の包囲は相当厚かったはずだ。
耐え忍ぶだけでも厳しい状況であるのに、それを打開するとは。
「救援だ! 誰かは分からんが、飛び切りの腕利きが奴らのケツをぶち抜いて滅茶苦茶に掻き回してくれてる。お陰であいつら大パニックだ!」
「本当か! ああくそ、どんなイカした奴だ! 抱きしめてキスしてやりたいぜ!」
舞い上がりそうな気持ちを抑え込む。
まだ死地を脱したわけではないのだ。
だがそれでも、十中九か十死ぬしかない状況から随分と巻き返すことが出来た。
にやけそうになる口元をついつい抑えきれない。
「……そいつは勘弁してやった方が良いかもな、何しろ相手はお子様だ」
副隊長が複雑そうな顔で苦笑いするが、その言葉の意味が分からない。
彼は錯乱でもしているのだろうか。
「子供だよ子供! 俺らを助けに来たのはまだチンコに毛も生えそろって無さそうなガキンチョだ! 俺だって信じられねえよ、でも見ちまったんだから仕方ない!」
こんな街から離れた場所に子供? それがこの凶悪無比な一団を襲撃している?
それもたったひとりで?
あまりに荒唐無稽だ。何かの幻覚でも見せられたのではないだろうか。
だがこれでもこの副隊長には信頼を置いている。
彼がそうそう出鱈目な報告をするとも思えない。
響く爆音。
視界の隅で大きく黒炎が巻き上がる。
一体何が暴れているというのか。
「とにかくだ、本当かどうかはここを抜け出してから確かめてみろ!」
「――ああ、そうだな! 一気に畳み掛けるぞ!」
人も揃い数で有利に立った。
質では多少劣るかもしれないが、奴らの士気は明らかに落ちている。
この機を逃してなるものか。
正面からの突撃。小細工は苦手だ、そういうものは副隊長に任せる。
幾本かの矢が鉄鎧に突き刺さるが、無視する。顔さえ防げれば問題はない。
「ああああああああああああ!!!」
自分の喉から獣のような咆哮が吹き出す。
大薙ぎの一撃は短刀の野盗に軽く躱されるが、続けて剣を振るい続ける。
ステップに加えて器用に身を捻り回避し続ける野盗だが、こちらが前へ出れば当然相手は後ろに下がる。
開いたスペースに味方が展開していく。これで良い、このまま包囲を食い破る。
正面の野盗の表情にも焦りが浮かび、苛立たしげに叫ぶ。
「弓兵! さっさとこいつを仕留めろ!」
それをきっかけに、馬に乗った弓兵が一斉にこちらへと矢を向ける。
だが、そのタイミングを待っていたとばかりに後ろから檄が飛んだ。
「馬鹿が! こっちから睨みを逸らしやがって! 一斉に撃て!!」
響く副隊長の声。こちらの弓兵と魔導兵による一斉攻撃。
後方の敵馬弓兵目掛けて無数の弓と魔法が叩き込まれる。
数を揃え、力を蓄えていただけあって効果は絶大だ。
敵の後援火力が一気に吹き飛ばされる。
突然の味方の壊滅に唖然とした短刀の野盗の首元目掛けて剣を振り下ろす。
斜め上からの斬撃は、野盗の右鎖骨を断ち切り左胸まで達する。
「――ぁ……っは゛……」
声にならない断末魔を残し、男は倒れ込む。
返り血が生臭く鎧を汚すが、今はそれを避けるほどの余裕もない。
剣を大きく振り、威嚇するように他の野盗を睨みつける。
「……ひっ」
一人の野盗が恐怖から後ずさりをし、ゆっくりとその場から離れようとする。
野盗にも統率にバラつきがある。
末端の三下であれば、優勢が崩れれば逃げ出そうとするのも当然と言えた。
だが、逃走は叶わない。
後ろから何者かに肩を抑えつけられたからだ。
「……俺らみたいなはぐれもんがよお、びびったらお終いだよなあ?」
その声の正体に気付いた男は悲鳴をあげ、弁解の言葉を発しようとするがそれが形になることはない。
突然、男の首が落ちる。
本当に唐突に、あまりにも自然な出来事に男の身体も理解出来なかったのか血が吹き出すこともない。
「軽い仕事だってのによお、どうしてこうトラブルが起こるもんかねえ。これも日頃の行いの所為かあ?」
落ちた男の首が、ぐるりと目を動かして目の前に立つ自分の身体を見る。
それはとても見慣れた服。見慣れた武器。見慣れた指。
だがそこにあるべき物。自分の首だけがない。
――おれ、の、から、だ。
そうして男は息絶える。
死の間際で自分の首が切り落とされたことを理解しながら。
「よく聞けえ。びびった奴は俺があ殺す。悪党だったらあ、げらげら笑って死ねえ」
あまりに感情の篭っていない、平坦な声に周囲が静まり返る。
遅れてどしゃりと首を失った死体が崩れ落ちる。
その瞬間、思い出したように吹き出す血液が周囲を赤く汚していく。
「「「お、おおおおお、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」
恐怖に突き動かされた残りの盗賊たちは一斉に攻勢に出る。
臆せば自分の首も落ちる。そう理解しての行動だった。
爆発的な激情は今までの理性的で周到さを失わせる。
そこにあるのは目の前の獲物を一刻も早く殺し尽くそうとする凶暴な意思だ。
それは狩られる側からすればあまりにも厳しい。
今まで通り、様子を探りながら削ってきてくれればまだ耐え忍ぶことが出来た。
だが被害を顧みない攻勢は、単純な戦力差がそのまま現れる。
このままでは磨り潰される。
隊長のラッカードは何とかあの突然現れた男を討ち取れないかと画策する。
うっすらとだけ筋肉を纏った痩せぎすの身体。
長く伸びた紫髪は顔を隠し、その視線や表情を掴むことは出来ない。
異様に長い手足をだらりと伸ばし、一見した限り武器は何も持っていない。
ズタズタになったみすぼらしい革鎧を腰から下だけに装備しており、その姿だけ見れば敗残兵か何かにも見える。
だが、奴がこの野盗部隊の隊長格であることは間違いない。
あの男さえ倒すことが出来れば、あるいは生き延びることが出来るのではないか。
そんなラッカードの思考を読んだわけではないだろうが、紫髪の男は身体をゆっくりと回して彼の方へと向ける。
「とりあえずう、お前を潰せばあ、片付くのも早そうだなあ?」
男も同じことを考えていたのだろう。
隊長同士の一騎打ち。
ラッカード達としては、ここで勝たなければ命運は尽きる。
「やってみろ……この外道が!」
気迫の声と同時にラッカードは地を蹴る。
相手の攻撃方法はまだ掴めない。
先程仲間の首を斬って落としたことから、何か暗器でも備えているのか。
それとも魔法の使い手という可能性もある。
だが、いずれにせよ剣の使い手のラッカードとしては接近戦しかない。
様子を伺って時間を無駄にするよりも、短期決戦で打ち倒すのが最良の信じての行動だった。
ラッカードと紫髪の男の距離が詰まる。
ラッカードは十分に加速を付け、対する男は棒立ち。
だらりと両腕を力なく垂らし、動かす様子もなく向かってくる剣士に顔を向ける。
異様な光景に剣士の心に僅かな躊躇いが生まれる。
何か、仕掛けがある?
だが迷って何になるのか。
周囲の敵がこちらを攻撃しようとする様子はない。
ならば、全力で目の前の敵を打ち倒す以外には無い。
だがラッカードは気付くことはなかった。
周囲の盗賊が手を出さないのは、その必要がないと知っていたからだと。
そして、彼自身が自ら死地へと足を踏み入れたのだということを。
紫髪の男の名はザペル。
『怪手のザペル』と呼ばれる彼の名を知っていれば、ラッカードも警戒しただろう。
彼は武器を用いない。
人間の肉体を傷つけるのに、直接肌で味合わないのは損だと思っているからだ。
その為に彼は自らの腕に様々な技術を習得させていった。
魔物の筋肉を埋め込み改造された彼の腕は見た目こそ人の形を留めているが、肌より下は異形と化している。
結果、生まれたのは接近戦において無双の徒手空拳。
ラッカードは自らの腕が千切られ、喉を貫かれたのを死の間際まで感じ取ることは出来なかった。
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