草原の戦い

「あの辺りがいいな」


 小休憩を挟みながら歩き続けた二人。景色にも飽き始めた頃にリアンが指差したのは小さな森だった。

 いや、森というよりも木がやや寄って立ち並んだ一帯と言った方がまだ的確か。


 木の太さからしてそれほど古くはない。

 魔物が居たとしてもあまり強力な種ではないであろう、注文通りのロケーションだ。


「……あんな所に魔物っているの?」

「いたりいなかったり。ああ、でも少しだけどそれっぽい魔力は感じるし居そうだな」


 リアンが何でもない口調で言うので、ヤーナも意識をその森へと向けるが特に変わった気配や魔力を感じ取ることはできない。


「ううん、分からないわね……」

「まあそこら辺は慣れかな」


 周囲に自分たち以外の人影が無いことを確認してリアンは街道を外れて森へと歩き出す。

 ヤーナはその後ろに従うが、街道を外れた途端地面の起伏が激しくなり足をとられそうになる。

 目の前の少年がすいすいと歩き、それだけではなく膝丈ほどの草木を踏みしめて道を作っているのを見て少し歯がゆく思う。


 だが弱音を吐くためにここまで来たわけではない。

 少女は気持ちを入れ替えてしっかりと地面を踏みしめながら目の前の背を追う。


 ざく、ざく、ざく


 草原に二人分の足音と呼吸音だけが響く。


 次第に木々が近付く。

 日差しに照らされた世界の中でその木の影だけが黒く伸びている。


 次の瞬間リアンは立ち止まり後ろに合図を出す。


「……っ!」


 ぎくりとして立ち止まったヤーナはバランスを崩しかけるが何とか持ちこたえる。

 何事かと前を覗き見るが、特に何も見当たらない。


 否、何か違和感。

 得体の知れない気味の悪さがそこにはある。


「来るぞ、構えろ」


 リアンが普段とは違う声色で言う。

 緊張しながらもヤーナはリングワンドを構える。

 結局、慣れるまでは変に新しい杖に変えない方が良いということで使い続けている武器だ。


 リアンも腰の鞘から剣を抜き放つ。

 太陽の光を反射するのは鈍く光る銀の刀身だ。

 リアンの腕よりも遥かに長い剣は見るからに重そうだったが、少年は意に介することなく自然に構えてみせる。


 一瞬、刃に反射した光が木立の影を照らして何かが蠢いた。


「……何?」

「向こうから出て来る」


 その言葉の通り、影から這い出してきたのは不定形の緑色の何か。


「――スライム!」


 ヤーナはその魔物の名を呼ぶ。


 スライムはどこにでも生息する魔物の一種である。

 一口にスライムといっても種類は無数で、その強さも大きく幅があるが目の前に現れたスライムはヤーナも知るオーソドックスな個体だ。

 ドロドロとした半透明でゲル状の身体。暗所を好む性質。色からすると地属性のものだろうか。


「……火がいい?」

「そうだな、ただしあんまり幅広く焼くと辺り一面大火事だ。範囲に注意しろよ」


 そうか、環境も考慮しなければならないのか。

 ほとんど草のなかった丘の上とは違うのだ。


 ヤーナは小さくショックを受けながらも、了解の意を示す短い返事をする。


「相手は今のところスライム一体。後ろには抜かせないけど、もし自分の方へ何か飛んできたら落ち着いて避けろ。反撃は十分に距離を取ってからだ、いいな?」

「……ええ、分かったわ」


 緊張が透けてみえる声。

 リアンはもう少し何か言うべきか考えるが、ヤーナの表情をちらりと見て止める。

 緊張はあるが、集中は出来ている。ならばこれ以上余計な口出しは無用だろう。


 剣を構え直し、正面のスライムへと意識を向ける。

 特に変哲もない、特殊能力もなさそうなスライムだ。魔物としては低級にあたるだろう。

 それでも不定形の身体は消化能力の塊だ。

 飲み込まれれば人間の子供など跡形も残らず溶かされてしまう。

 低級とはいえ魔物は魔物、並の獣より遥かに危険な存在である。


「行くぞ!」


 合図と共にリアンは駆け出す。

 スライムに剣は相性が悪い。だが、リアンは構う様子なくみるみるうちに距離を詰めていく。


 動きの鈍い緑色の塊は危険が迫ったことを認識したのか、身体をぷるぷると震わせたかと思うと身体の一部を鞭状にして大きく振るう。


 だがリアンは冷静に対処する。身を屈めて直線的な攻撃をあっさりと躱す。


 続けて飛ぶスライムの攻撃。

 今度は鞭というよりも槍だ。身体から射出されるように放たれたスライムの槍は屈んだリアンの身体を穿とうとする。


 しかしリアンはこれもまるで読んでいたかのように横っ飛びで躱す。

 それだけではない。伸びたスライムの一部目掛けて構えていた剣を下から上へと振り上げる。


 本来剣でスライムの身体を切っても効果は薄い。

 細い部分を断ち切るくらいなら出来るが致命傷には中々至らないし、何よりも剣自体が強い酸度を誇るスライムの肉体によって腐食してしまうためだ。


 しかしリアンの剣は違った。

 斬られたスライムが明らかに嫌がるようにして身を震わせる。

 それは痛みというよりも、自身を削られる危機感だったのかもしれないがスライムに有効なダメージを与えたことの証明に他ならない。

 そして強酸をくぐったはずの剣はその輝きを一切失っていない。


 剣士が見る分には不可解ともいえる光景だが、仕掛けは簡単だ。

 リアンは剣を纏うように魔力を流し、高速で流動させているのである。


 単純な切れ味強化では剣が腐食するのを免れられない。

 その為リアンは剣の表面を魔力の刃でコーティングすることで剣と粘液が直接接触することを避けた。


 結果、スライムに与えられるのは物理斬撃ではなく魔力による損傷。

 しかも単純切断ではなく回転刃による破断はスライムの不定形の身体にも十分な効果を発揮していた。


「っふ!!」


 そしてリアンはすぐに姿勢を整えると、振り上げた剣をそのまま振り下ろす。

 スライムの柔らかい身体は抵抗無く刃を通し、回転する魔力刃にその破片を飛び散らせる。


ピギイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!


 声帯のないスライムが全身を高速で震わせることで悲鳴にも似た音を立てる。

 間違いなく大ダメージ、だがまだ致命傷ではない。

 だからリアンは大きく声を上げる。


「ヤーナ! 頼んだ!!」

「――っ! ええ!」


 息を飲んで様子を見守っていたヤーナは弾けたように返事をする。

 瞬間編み上げられる魔力。

 ヤーナの手元のリングワンドの刻印は『炎』『射出』『収束』にセットされている。


 だが、ヤーナはそれに更に一つ加える。

 ローブの下のポケットから出したのは『収束』の刻印石。

 左手に構えたワンドの先端のオーブに重ねるように刻印石を握った手を置く。


 流れるように組み上げられる術式。

 魔の理に導かれた力は法に従い一つの現象を巻き起こす。


「――【ブレイジングランス】!!」


 放たれるのは一筋の閃光。

 極限まで絞り込まれた熱線は一瞬で正面の不定形の塊に突き刺さる。


 空いたのは少しの間。

 直後、熱線に貫かれたスライムの身体が注ぎ込まれた熱量に耐えきれず膨張、爆散する。


「……やった!!」


「あっぶ、あぶねえ! 破片が!!」


 至近距離にいたリアンは空からパラパラと降り注ぐ強酸の雨から慌てて逃げ出す。

 粉々になってもその身体の性質ばかりはどうしようもない。


 器用にスライムの破片を避けながらこちらへとやってくるリアンをみて、最初は心配していたヤーナもおかしさに堪えられずくすくすと笑い出す。


「……笑い事じゃねーって、ほんとびびったよ」

「ご、ごめんなさい、でも、逃げてくる顔がおかしくて……」


 リアンとしてもそこまで怒っている訳ではない。

 実際見事な魔法の一撃だった。

 飛散させてしまったのはよろしくないが、振ってくる欠片程度なら身に張った防御結界でも十分弾くことが出来る。

 何となく心情的に直撃するのが嫌で避けてしまったのだが。


「それにしても随分上手くいったじゃないか。大したもんだよ」


 【ブレイジングランス】は炎を圧縮して撃ち出す魔法だが、その圧縮が中々難しい。

 実際ヤーナは今までリングワンドを使っても発動できずにいたのだが、今回は『収束』のルーンを重ねがけすることで術式を完成させたのだ。


 スライムが爆散するほどの熱量を一点に集中させられるというのはリアンからしても驚きだった。

 よほど感覚を研ぎ澄ませねば出来ない芸当だ。


「こんなの、まだまだよ。私はもっと上を目指さないといけないんだから」


 なんとも不敵だが、彼女らしいとリアンは笑う。

 そんなリアンを見てヤーナは僅かに頬を染めて、言いにくそうにもじもじとし始める。


「……でも、その、ここまで出来るようになったのも、その、あなたのおかげだと分かってるわ。だから、えっと……ありがとう」

「えっ、お、おう」


 妙に気恥ずかしく、リアンは雑な返事と共にポリポリと頭を掻いて視線を逸らす。

 そこでピクリと顔をひきつらせた。視線の先に嫌なものが目に入ったからだ。


「……ヤーナ、もうちょっと練習してくか」

「え?」


 ヤーナが振り向くと視線の先には大小様々な緑のスライムの群れ。

 どうやら先程の断末魔は仲間を呼ぶ叫びだったらしい。


「今度は飛び散らせないでくれな?」

「……善処します」


 難しそうな顔をしてヤーナは言う。


 多分、吹っ飛ばすだろうなあ。


 リアンはいつもより防御結界を厚めに張って、再びスライムへと突進していくのだった。

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