憧憬

「今から帰れば日が沈むまでには間に合いそうだな」


 リアンは日の傾き具合を見て言う。

 予想以上に時間をかけてしまったが、それでもまだ誤差の範囲内ですんだらしい。


「はあ、こんなに魔力使ったのは初めてよ……」


 ヤーナは少し気だるそうに言う。

 無理もない、魔力の消費は体力の消費に繋がる。

 ただでも慣れない徒歩の旅なのだ、疲れるなという方が無理がある。


「まあ、あとは帰るだけだ。景色を楽しみながら歩けばすぐだって」

「……全部同じ草っぱらじゃない」


 最初の感動はどこへやら、まあ半日近く同じ光景を見続ければ飽きもするだろう。

 リアンは苦笑しながら、少しでも疲れから意識を逸らしてやろうと話しかけ続ける。


「まあしかし、これだけ魔法使えれば随分経験になったろ」

「そうね、少なくとも対スライムは大分自信がついたわ」


 ヤーナもその意図を理解しているのか、重たい身体を引きずりながら会話に乗る。

 だが、その表情は嘘ではなく満足気だ。


「見事にぶちまけまくってくれたけどな……あれ、魔法使えない剣士が前衛の時はやめとけよ? 頭に直撃でもしたら死ななかったとしても多分禿げる」

「……それは流石に申し訳ないわね、覚えておくわ」


 他愛もない会話。疲れを紛らわせるためのそれだが、二人の会話は自然と弾んでいく。

 それは年も近く志を同じくする者同士であれば当然ともいえたが、それ以上に二人が会話を望んでいるようでもあった。

 名残惜しげにヤーナが言う。


「これで、特訓も終わりかしら」

「……そうだなあ」


 元々明確に取り決めがあった訳ではない。

 そもそもが彼女のゴリ押しによって始まったものだ。


 だが、ヤーナはもう十分に成長し一人でも考えられるようになった。

 そして、卒業試験とも言うべき魔物討伐も無事終えることができた。

 節目としては、あまりに妥当すぎる状況だった。


「……私ね、4年くらい前に魔物に襲われたことがあるんだ」


 ぽつりと、脈絡もなしにヤーナが語り始める。

 リアンは来た道を引き返しながらも振り返ってヤーナの顔を覗く。

 その表情はとても優しげで、とても大事な何かを思い出しているようであった。


「イスカに来る前の話なんだけれどね。お父様の領地に魔物の一団が現れたの。私は馬車で避難させられたんだけど、運悪く魔物たちの別働隊に捕まってしまって。もう駄目だと思ったとき、助けてくれたのがあの人達だった」


 僅かに身を震わせながらもヤーナは語り続ける。

 今でもその恐怖が消えた訳ではないのだろう。無理もない。

 齢10に満たない子供が魔物達に襲われてトラウマにならない方がおかしいのだ。


「私ね、予備の予備の、そのまた予備くらいの存在なの」


 ぽつりと放たれたヤーナの言葉の意味が分からず、眉をひそめる。


「知らない? 貴族の子供は、家を繁栄させるための道具なのよ。男なら後を継がせるために教育されるし、女は他の家との政略結婚に使われるわ」


 息を呑む。確かに、話くらいには聞いたことがある。

 しかし実際にそういった人間と話したことがある訳ではないし、その光景を目にした訳ではない。どこか遠くの違う世界で起こっていることのように感じていた。


 違うのだ。目の前の少女にとって、それこそが現実なのだ。


「それでも、特に大事に扱われるのは健康な年長組だけどね。私は上から数えて25番目の子だから。でもそれなりに器量は良いし、年の割に優遇されてるのよ?」

「……自分で言う辺りは流石だよ」


 あまりに当然のように言うので、こちらとしては乾いた笑いしか出てこない。

 なんて強いのだろう、この少女は。


「でも、生まれた時からずっとそんな立場だったから。とてもぼんやりと生きてた。自分が何のために生きているかなんて考える事すらしなかった」


 懐かしむように、自嘲するように彼女はポツポツと語る。

 傾きつつある太陽が彼女の金の髪に透ける。

 陽の光に照らされる彼女は何だか儚げで、そのまま溶けて消えてしまいそうな不安にも煽られる。


「――でも、あの日全部変わった」


 その透き通るような淡い蒼色の瞳に浮かぶのは憧憬。


「地を覆い尽くすような魔物たちを薙ぎ払って、力強くその足で立つあの人達の姿を見て、私は初めて夢を抱いたの。あんな風に生きたいって」


 いたずらに顔をくしゃりと歪めて。

 泣いているような、笑っているような表情をこちらに向ける。


「馬鹿みたいでしょ? 世間知らずの箱入り娘がよ?」


 確かにその通りなのかもしれない。

 だが、きっと彼女はそれから本当の意味で自分の為に生き始めたのだろう。

 どれだけ厳しく自分を律して鍛え続けたのか。

 甘えの許される環境の中で、己に厳しくすることほど難しいことは無い。


 それに、彼女の気持ちは痛いほど分かる。


「俺だって、そうだよ。あの人達に救われて、憧れた」


 だからこそあの誘いを受けたのだ。

 たとえ不釣り合いだと笑われようと、あの人達に肩を並べることが出来るならば。


「そっか――そうよね」


 ヤーナは少しだけ悔しそうにして、それでも笑う。


「いつか、追いついてやるんだから」

「なら、追い抜かれないように頑張らないとな」


 強気な彼女の笑みを真似るように、リアンも笑う。


 そうして俺二人は草むらを抜けて街道へと戻る。

 あとはまっすぐこの道を進めば日没前にイスカの街に帰還出来る。

 この小冒険もそれで終わりだ。


 だが、そこでリアンは異変に気付く。


「……ねえ、何だか音がしない?」


 ヤーナも気付いたのだろう。道の先から響く、僅かな喧騒。

 耳を澄ます。怒号、馬のいななき、金属の打ち合う音、そして悲鳴。


「ヤーナ、草むらの中に隠れておいてくれ。出来るだけそこから動かないように」

「で、でも……」

「様子を見てくるだけだ。人が多いと動き辛いだろ?」


 ヤーナは明らかに疲労している。そんな彼女を連れて危険地帯へ飛び込むのは躊躇われる。そういう理由からの判断だった。

 リアンの言葉に納得したわけではないだろうが、渋々とヤーナは頷く。


「もし危ないと思ったら、戦わずに逃げること。いいな?」

「……ええ、分かったわ」


 ヤーナが返事をして比較的丈の高い草むらへと伏せる。

 それを見てリアンは懐から一枚の羊皮紙の巻物スクロールを取り出す。

 丸められていたそれを開いて、魔力を通わせると自動的に仕込まれていた術式が発動する。


「【コンシール】」


 魔力の薄い膜がヤーナを包み込み、気配が遮断される。

 潜伏用の魔法の一つ。これで息を潜めていればまず見つかることは無いだろう。


「じゃあ、行ってくる。すぐに戻るから」

「……気を付けてね」


 少し不安そうな声を背に、リアンはその場を離れる。


 前方の喧騒は、先程より激しさを増していた。

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