淑女の暴走

 リアンが帰ったのは結局日が暮れて少しした頃であった。


「あ、やっと帰ってきた! こんなに遅くなるなんて!」


 宿屋ラスカネンの扉を開けるなり、少し強い言葉がリアンを迎える。

 入り口すぐ近くのテーブルに腰掛けていたのはルシャは立ち上がると、リアンの前まで歩いてきて仁王立ちになった。


「確かに出かけていいとは言ったけど、リアン君はまだ病み上がりなんですからね! 帰る時間を指定しなかったのは悪かったけど、あまり遅くなりすぎると――わぷっ!?」


 ルシャの説教は途中で遮られる。

 突如後ろから突き出された太い腕に髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻き回されたからだ。


「まあまあ、いいじゃねえか。坊主、この街はどうだった?」


 ルシャに気付かれないようにこっそりと現れたのはガスト。

 髪をボサボサにされたルシャは「痛い! あとお酒臭い!」と抗議するが意に介する様子はない。


 だが、リアンとしては都合がいいので努めてルシャを気にしないようにしてガストの方を向いた。


「活気があっていい街ですね。何より、これだけ沢山の種族が入り混じって生活してるのには驚きました」

「まあ王国でもこの辺りは大分異種族との交流が活発だからな。王都寄りになると流石にここまでじゃねえが……」


 立ち話も邪魔になると、ルシャが元々座っていたテーブルへと移動する。

 不服そうながらも、特に何も言おうとはしないルシャ。

 既にかなり強烈なアルコールの匂いを漂わせているガスト。

 そしてリアン。

 リアンは周囲を見回して他のチームメンバーの姿が見えないことに気が付く。


「ああ、ロッケンはギルドで色々手続き中だ。お前さんも近いうちに登録し直すからな」

「あ、そうか。メンバー登録……」


 冒険者はチームに所属した場合冒険者ギルドで登録する必要がある。

 リアンは今はチーム無所属でランクとしても一番下にあたるフリーランクだが、もし『ジャッククラウン』に登録されればランク7冒険者として扱われるようになる。


 冒険者のランクはフリーが最も下で、その次がランク1。

 数字が大きくなればなるほど高位となる。

 ランク7というのは現状存在するランクの中で最も上になる。


 つまりランク7冒険者は全冒険者の憧れとも言える英雄的存在だ。

 そこに名を連ねることになると改めて思うと、余りに不釣り合いな称号に胃が痛くなる気がする。


「あ、帰ってきてた」


 ひっそりと顔を青くしていたリアンの耳に飛び込んできたのは、食事処の賑わいの中でも不思議と通る抑揚の少ない声。


「フィフィさん……!」


 声の方に顔を上げて、その人物を確認すると思わずリアンは抗議の色を交えた声をあげてしまう。


「友達になれた?」


 飄々と、自分は何も悪いことをしてないと主張するかのような声音でフィフィは言う。

 考えるまでもなく彼女が押し付けてきたヤーナのことを言っているのだろう。

 リアンはこの人はこういう人かと、ため息混じりに割り切ることにする。


「……友達といえるかどうかはともかく、まあ、話をするくらいには」


 一戦やりあったりもしたが、とりあえず関係としては悪くないものになったはずだ。

 というか、一応師弟関係にあたるのだろうか。

 いや、師なんてそんな立派なものでは全くないのだが。


「ん、何のこった?」


 話が見えないとガストが疑問の声を上げる。

 未だに少し髪の毛が跳ねているルシャも気になったのか不思議そうな顔をしていた。


「ユグノアル家の娘、年も近いしリアンに紹介したの」


 紹介。あれを紹介と言ったかこの人。

 完全に面倒事を押し付けただけだっただろう。


「ヤーナちゃん? 大丈夫だったの? あの子、多分相当怒ってたでしょう?」

「ええ、まあ、それなりに」

「普段は凄くいい子なんだけどね。少し突っ走っちゃうところがあるから……」


 まあ、それでも睨まれたのは最初くらいだ。

 彼女はやや直情的だがそれ以上に賢明な人間である。

 リアンも最初は困惑こそあれど、ヤーナに対して決して悪い印象は持っていなかった。


「んじゃこの時間までヤーナと話してたのか」

「ええ、まあ色々とあって。家の近くまで送っていったのでちょっと遅くなっちゃいましたけど」


 魔法の練習のことは隠すつもりはないが、聞かれない限りは言わないほうがいいだろうな。


 リアンがその辺りをぼかして話すと、ガストとルシャは思わずといった様子で顔をにやけさせる。


「おやおやおや」

「あらあらあら」


 え、何だこの反応は。

 リアンは理由は分からないがやけに愉快そうにしている大人二人の異様な雰囲気に気圧される。

 そこに更にポツリとフィフィの追撃が入れられたことでリアンは事態を察する。


「リアン、意外と手が早い」

「――!? ち、違います! そういう訳じゃないです!」


 どうやら3人の中では自分がヤーナと男女の仲になりつつあるという構図が出来上がっているらしいと理解したリアンは慌てて否定する。

 だが大人達の生暖かい視線は緩むことがない。

 顔を真っ赤にしているリアンは、傍から見れば照れ隠しで必死になっているようにも見えたからだ。


「そう恥ずかしがるなって、悪いことじゃないんだからよ」

「仲がいいのは、良いこと」


 実のところ、実際はそこまで仲が進展している訳ではなく普通にある程度打ち解けているのだとは予想はついていた。

 単純に余りに初々しい反応を見せるリアンが面白くてからかっているだけである。


 ただ一人を除いては。


「ええ、ええ、そうですとも。全然悪くないわ。でも、男の子ならしっかり相手をエスコートしないとね。で、どうやって仲良くなったのかしら? お姉さんに教えてみなさい? 出来れば一から十まできっちりと。きっといいアドバイスができるから!」


 一人明らかに熱の籠もりすぎた様子でリアンに肉薄するルシャ。

 大きく見開かれた目は僅かに血走っており、口の端からは涎が垂れそうになっている。


「……こいつってこんな奴だったっけ」

「多分、性癖にクリティカルヒット」


 尋常ならざるルシャの様子にガストとフィフィが若干引きながら冷めた視線を送っているが、リアンとしてはそれよりも助けて欲しいと強く願う。


 迫りつつあるルシャから逃げようにもいつの間にか手を握られ、完全に捉えられている。

 別にそれほど強く握られている訳でもないのに、まるで蜘蛛の糸に絡め取られたかのようで引き剥がすことが出来ない。

 その上、妙に艶めかしい動きで指を這わせてくるせいで背中がゾクゾクと震える。


「何なら私が手取り足取り教えてあげるっていうのもアリね! そう、それがいいわ。大丈夫、最初は上手く出来ないかもしれないけど、お姉さんそういうのも好きだから!」


 平素ならば間違いなく照れて顔を赤くしていただろうリアンだが、目の前のルシャははあはあと息を荒くして、何というか、完全に捕食者の瞳をしていてそれどころではない。普通に怖い。


「フィフィ、ゴー」

「ん」


 流石に公序良俗を乱しすぎていると判断したのか、遂にそこでストップが入った。


 ガストの合図と共にフィフィが一瞬でルシャの後ろに回り込んだかと思うと強烈な当身をその首筋に叩き込む。

 ただしその動きは本人とガスト以外にはまともに認識することが出来なかったのだが。


「ヴッ!」


 『ジャッククラウン』の麗しき癒し手とは思えぬ声と共にルシャの身体から力が抜けてその場に崩れ落ちる。


「お騒がせした」


 フィフィはペコリとカウンターの方へ一礼するとそのままルシャの上半身だけを担いで引きずっていく。

 その以上な光景を呆然としながらリアンは見送るが、周囲の客はそこまで動揺している様子はない。


 まさかこれ日常茶飯事なのか。


 衝撃に打ちのめされたリアンは、心中に浮かび上がる「最高ランク冒険者とは一体」という疑念を必死に抑え込む。

 多分今日がちょっと変わった日だったのだ。ルシャさんもきっと疲れていただけなのだろう、と。




「んで、坊主は明日も嬢ちゃんと『遊ぶ』のか?」


 唐突に話を戻されたリアンは、慌てて思考を切り替える。


「は、はい。そのつもりです」


 明らかに『遊ぶ』という言葉を意味深に強調されて、これは多分見抜かれているなとリアンは身を硬くする。

 ガストの声音に不機嫌そうな色はないが、内心どう思っているかは分からない。勝手な行動をするなと釘を刺されているのだろうか。

 だが、続くガストの言葉は軽いものであった。


「やるならきっちり遊べよ。楽しく、笑えるようにな」

「……はい」


 その意図を全て理解出来たかは怪しかった。それでも、背中を押されたことは分かる。

 だからリアンはじわじわと湧き上がるような喜びと共に頷く。

 そこで一つ、聞かなければいけなかった大事なことを思い出す。


「あの、ガストさん」

「なんだ?」


「サラさんに聞きたいことがあるんですけど、どちらにいらっしゃいますか?」

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