模擬戦

 リアンが案内されたのは繁華街から歩いて30分ほどにある小高い丘だった。

 ヤーナが言うにはまだ未開発の地域で丘の上までやってくる人間は滅多にいないらしい。

 心地良い風が吹くそんな場所で二人は20歩程の距離を取って相対する。


「貴方、武器は必要ないの?」

「ああ、気にしないでくれ」


 単純に剣は砕けてしまって持っていないだけだ。

 一応短剣はローブの下に仕込んであるが、どちらかといえば料理などの多目的用で戦闘向きの物ではないし、悪人でもない人間に刃先を向けるというのはどうも気が進まない。


 決して彼女を侮っている訳ではない。

 純粋な剣士ではないリアンにとって剣というのはあくまで装備の一つであって、他に頼る物はあるというだけだ。


「……じゃあ遠慮なくいかせてもらうわ」


 ヤーナがローブの下から短いワンドを取り出す。

 金属で出来た柄の先端には大きな赤色のオーブ。シンプルではあるが洗練されたそれは、明らかに魔道騎士が用いるような戦闘用の短杖だ。


 やっぱり、魔法使いか。


 ヤーナの体躯からして、流石に戦士系ではないだろうと予想はしていたリアンは心中で呟く。

 少女の身体から立ち上る魔力、決して弱くはないそれを見てリアンは身構えながら彼女の手に持つワンドへと視線を向ける。


 両手で握り込むようにしている柄の部分は良く見えないが、指の隙間から見える影やヤーナの握り方からして何も仕掛けがないということはなさそうだった。


「――ふっ!」


 ヤーナはワンドを正面に構えると、詠唱もなく氷の塊を撃ち出す。

 大小交えて4つ。先端の鋭く尖った氷片が勢い良く飛翔する。


 対するリアンは余裕を持ってその場を飛び退く。

 氷片は地面へと突き刺さり、周辺の地面を凍結させるがそれはリアンの足下までは届かない。


 【クリスタルエッジ】。

 氷系では基本の魔法だが質量弾による物理的な破壊力と、着弾時に周囲を凍結させて損傷させたり動きを奪う副次的効果は強力な組み合わせである。

 もし足下を氷漬けにされれば、続く攻撃の回避は困難。初手に使う魔法としては妥当といえた。


 ヤーナは続けて魔法を打ち出そうと構えるが、それよりもリアンが動くほうが早かった。

 真っ直ぐヤーナに向かうのではなく左に一直線に駆け、ヤーナが杖の先端を動かすと同時に鋭く切り返す。

 そしてしばらく進んだかと思えばまた左へ。今度は直後に右へ。

 高速で左右へ不規則なステップしながら近付くリアンに、ヤーナは標的を絞ることができない。


「くっ!」


 顔を歪めて、ヤーナは続けざまに氷の礫を射出するがそれが相手を捉えることはない。

 しかしリアンは感心する。ここまで【クリスタルエッジ】を連続して使用できる術者というのは中々冒険者の中にも居ないからだ。


 当たらずとも氷弾の凍結効果は地面に影響を及ぼす。

 長期戦を続ければいずれ足がとられる可能性はあった。

 その為、リアンは回避から迎撃に切り替える。


あやまたず、敵を撃て――【マジックアロー】』


 短い詠唱と共に放たれるのは9本の魔法の矢。

 1つの氷弾に対し的確に2矢が突き刺さり粉々に弾け飛ぶ。

 さらに余った1矢がその間をすり抜けてヤーナの足下へと突き刺さり地面を吹き飛ばした。


「きゃっ!!」


 直撃こそしなかったが、直下の衝撃に思わず少女は声を漏らす。

 その隙を逃さず少年は一気に間合いを詰めにかかった。


 事態に気付いた少女は手元の短杖を何か操作するような動きを見せる。

 それを見たリアンは一人何か納得したような笑みを浮かべたが、そのまま速度を落とすこと無く距離を詰めていく。


 もはや二人の距離は歩幅にして3歩分もない。

 そこでようやくヤーナは次の魔法の発動に成功する。


「――はっ!」


 少女がワンドを地面と平行に大きく振るうとその先端から吹き出すのは真紅の炎。


 【スプレッドフレア】。これもまた炎系としては比較的よく使われる魔法だ。

 炎の熱は大抵の生物に効果的で、しかもこの魔法は射程こそ短いが効果範囲が広い。

 加えて熱から術者を守る結界も同時に生成される攻防一体のこの魔法は、相手の突撃に対して安定の解答と言えた。


 だが、リアンは躊躇しない。

 彼とて魔導の徒の端くれ、その程度の基本魔法の知識は備えている。当然、その対処法も。


 少女の正面を埋め尽くす程の広範囲の火炎魔法は左右どちらに動こうが逃れることは不可能。

 だからリアンは魔法の発動とほぼ同時に上へと跳躍する。


 炎が消えると、正面に居たはずの相手が見当たらず少女は動揺し次の動作が遅れる。

 そして、それはもう回避は不可能であることを示す。


 リアンは少女の頭上を飛び越えて、そのまま後ろへと着地する。

 落下音にようやく少女が振り返ると、既に目前に突き出されているのは少年の拳。

 リアンの指先に込められていた力が少女の額へと炸裂する。



 ぺちんっ



「あいたっ!!」


 身にまとっていた防御結界を容易く撃ち抜かれて、少女は思わず自分のデコを押さえる。

 困惑の表情を浮かべるヤーナの顔の先にあるのは少年の手。

 反った中指がデコピンの名残を残していた。


 リアンはニヤリといたずらな笑みを浮かべて言う。


「勝負あり、でいいかな」


 ヤーナは言い返そうとして、何も言えずにそのまま小さくうなだれた。

 決着がどんな形であれ、自分の敗北であることは誰が見ても明らかだと理解していたからだ。


「……強いのね」

「あの人達に比べたら、全然だよ」


 リアンは肩を竦めてみせる。

 そこで思い出したように自らの身体にポンポンと手を当てて痛みが出たり、傷が開いたりしていないか内心焦りながら確認する。

 これで何かあれば一月は外出禁止にされてもおかしくない。流石にそればかりは御免であった。


 幸い傷は開いてなかったようで、ほっと一息つく。

 そこで少女に意識を戻したところで、リアンは激しく動揺する。

 ヤーナの目からポロポロと大粒の涙が溢れていたからだ。


「ご、ごめん!! 痛かったか!? やりすぎた! ごめん!!!」


 オロオロとリアンは取り乱す。

 極限まで手加減したつもりだったが、それでも強さを見誤った可能性はあった。

 少女に怪我をさせるつもりは微塵もなかったが、よりにもよって頭部、そして同い年くらいの少女の顔に傷を残す可能性が浮かんで激しく動揺する。


「……違う、わ。別に、ケガとかではないから、大丈夫」


 ローブの袖で涙を拭いながら、ヤーナは途切れ途切れの声で言う。

 確かに落ち着いてみてみればほんの少し額は赤くなっているが、それ以上は何もない。

 少女の様子からして、内部に強いダメージが残ったという訳でもなさそうである。


 では何が。

 そう考えたリアンは数瞬後に自分の愚かさを恥じることになる。


 少女の表情に浮かぶのは、誰が見ても分かるほどの悔しさ。そしてそれに必死に耐える姿であった。


 少女の魔法のレベルは決して低くない。

 年齢から考えれば非常に優秀と断言出来る。相応の自信もあったのだろう。


 だが、それが全く同年代の子供に通じずに一蹴されたのだ。悔しくない訳がない。


「あ――」


 リアンは声をかけようとして、伸ばしかけた手を引く。悔しさを与えた者が、与えられた者に一体何を言えばいいのか。


 いたたまれなさに、思わずその場から逃げたくなるがそんなことが出来るはずもない。

 せめて涙を拭えるような布でも持っていればよかった。

 そんな思っても仕方ないことを思いながらただ立ち尽くしていると、ようやく落ち着いてきたらしいヤーナが口を開く。


「……ごめんなさい、こちらから挑んでおいてこの様で」

「いや、それは」


 誰が悪いという訳ではない。敢えて言うなら、考えなしに受けた自分に落ち度がある。


「私は、弱い?」


 少女は振り絞るように言う。もうその瞳に涙は無いが、声の抑揚は平坦だ。


 何と答えればいいのか。

 ここで、無神経に励ますというのは彼女に対して不誠実だろう。


 リアンが躊躇っていると、ヤーナはぽつりぽつりと言葉を続ける。


「私は、ずっとあの5人に憧れてた。いつか私が6人目になるんだと夢見て、出来る限りの努力をしてきた。でも、私が足りてないことは自分自身が分かってた。だから、試したかったの。私がなれなかったものになったあなたに挑んで、私に何が足りないのか」


 少女の独白は続く。リアンはただそれを聞く。


 少女に何を言えるかなんてことはもう考えていなかった。

 ただ少女の告白を聞き入れることが今の自分に出来ることだと思っていた。


「私が学んだ精一杯が、さっきの戦い。でも、全然通じなかった。やっぱり、私のしてきたことは、無駄だったのかな」

「違うよ」


 言葉は自然に出ていた。彼女に言うべきことは分からない。しかし言いたいことは分かる。


「ヤーナの魔法は本物だ。それだけのものを身に付けるのに、一体どれだけ努力したのか俺には分からない。でも、それが無駄なんてことは絶対にありえない。君は俺なんかよりもよっぽど真っ当な魔法使いだ」


 リアンは伝えたいことを伝えたいままにただ伝える。

 ヤーナは息を飲んで、一瞬目を見開くとすぐに顔を伏せて視線を逸らす。


「……でも、全然通じなかった」

「それはそうだよ、まだヤーナは魔法を自分のものにしてない」


 そう言われたヤーナは顔をゆっくり上げて、不思議な表情を見せる。

 するとリアンはヤーナが手に持つワンドを指差した。


「それ、リングワンドだろ」

「やっぱり知ってたのね……でも、それが?」


 ヤーナが持つそれは諸国の魔導騎士に比較的よく用いられているワンドである。

 柄の部分は3つのリングが重なったようになっており、それぞれが独立して回転するようになっている。そしてその表面に魔術刻印が浮かんでいるのが最大の特徴だ。


 刻印の種類は様々だが例えば『氷』『射出』『凍結』の刻印を組み合わせれば【クリスタルエッジ】が発動し、『炎』『拡散』『結界』を組み合わせれば【スプレッドフレア】が発動するという仕組みだ。

 勿論ただの絵合わせで魔法を使える訳でないので、それを下地にして術式を組み上げる必要はあるが、一から構築するよりは遥かに工程数は少なくなる。

 それ故、効率的な魔術武装だと言える。


 しかし、欠点もそれなりにある。

 まずそもそも組み合わせに無い魔法の発動には使えないこと。

 一応無地の部分をセットすれば刻印が阻害することなく使用することはできるが、それでは下級ワンドと大差がない。むしろ機構の分強度に劣る。


 そして何より大きいのは、戦闘時にリングを操作するという手間が必要になること。

 そのタイムラグは状況によっては致命的になり得る。

 実際先程の戦闘でも、自分が近づいているというのに彼女は手元のリングの操作に追われていた。


「リングワンドは本来、副装備なんだよ。例えば最初から近距離用の魔法にセットしておいて懐に潜り込まれたときに使うとか、あるいはその逆とか。つまりそれ一本で戦闘するような武器じゃないんだ」

「そ、そんな。だって先生はこれが一番良いって……!!」


 彼女は戸惑ったように言う。

 だが、その先生というのが誰かは分からないが決して嘘をついた訳ではないだろう。

 リングワンドは使い勝手に癖こそあれど優れた武器であることには変わりないのだ。


「刻印魔法に馴染むなら、多分リングワンドは適した杖だよ。多分、その人はそういう意味で言ったんじゃないかな」


 ヤーナは理解したのか、視線を落として顔を曇らせる。


 予想だが彼女は学問として、そして護身用として魔法を教えられているのではないだろうか。

 しかし戦闘における詳細な運用法などは普通学術書に乗っていないのだ。だとすれば彼女が知らなくても無理はない。


 だが、それはこれから知れば良いということだ。


「ヤーナは強くなれるよ、絶対に」

「――――え、あ、ありがとう」


 リアンの真っ直ぐな言葉に少しポカンとして、ヤーナは頬を薄く染める。

 そして少しの間を開けると、我に返ったように慌てて頭を振ってパシンと顔を叩いた。


 その行動の意味が分からずリアンは不思議そうに視線を向けるが、何かを言うよりも先にヤーナが正面を向く。

 その表情にもう陰はなく、彼女の本来の気丈さが戻っていた。


「……今までの勉強は無駄ではないけど、このままじゃダメってことよね」

「まあ、そういうことかな」


 おや、何だろう嫌な予感がするぞ。


 これまでのヤーナとのやり取りから、何となくリアンは次の展開が想像できてしまう。


 ここで断れないから、俺ってダメなんだろうなあ。いや、それとも断らせないから貴族なのか。


 ぼんやりとそんなことを考えて少年は心の中で溜息をつく。

 そして、予想と違わぬ言葉が少女の口から放たれた。


「リアン、私に魔法を教えてくれない?」

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