貴族の娘

目覚めと再確認

「……んん」


 リアンが気だるさを感じながら重たい瞼を開くと、見慣れぬ天井が視界に広がる。

 辺りを見回せば、簡素ではあるが家具の備え付けられた小ぎれいな部屋。

 普段、街に訪れたときに利用する格安宿のような光景ではない。


 鉛のような身体をベッドから起こすと、軽い目眩と頭痛が生まれて思わず顔をしかめる。

 記憶が酷く曖昧だ。

 確か、昨日は……。


 リアンが朧げな記憶を掘り起こそうと四苦八苦していると、コンコンと木製の扉がノックされて反射的に身構える。

 辺りを見回すが武器になりそうなものはない、少し離れたテーブルの上に自分の物と思われる外套が綺麗に畳まれている。

 音を立てないようにそろりと起き上がりベッドから降りる。

 そして外套へと手を伸ばしたところで外から声が掛けられた。


「リアンくん、入るね」


 ガチャリと扉が開かれて姿を現したのは、一人の女性。

 まだ幼さの欠片を残した清楚な顔立ちは愛らしさと美しさを併せて備え、扉を開ける仕草にすらどこか上品さがある。


 ふわりと揺れる腰まで伸びた桃色がかった髪の印象的なその人に、リアンは見覚えがある。

 服装こそ冒険装束から身軽なものへと変えているが、命の恩人の一人だ。


「……ルシャさん?」

「あら、もう起きれるんだ。おはよう、リアン君」


 少し驚いた表情を見せてから、にっこりと笑うルシャ。リアンは慌てて警戒を解いて、頭を下げる。


「お、おはようございます!」

「そんなに畏まらなくても大丈夫よ、仲間なんだから」


 可笑しそうにルシャが笑うと、リアンは思わず顔を染める。

 何とも気恥ずかしい気分なのだ。


「……ええと、ここは」


 誤魔化すようにリアンは疑問を口にする。

 昨日エンギの森の深部でトラルエイプと戦い、『ジャッククラウン』に助けられたまでは覚えているのだが、その後の記憶が飛んでいた。


「イスカの街の宿よ」

「イスカ……」


 言われて地図を頭に思い浮かべる。

 エンギの森がライゼル王国の最西部。そこから南東に向かったところにある街だった筈だ。

 訪れたことはないが、規模としては大きいと耳にしたことがあった。


「あの後、村まで行こうとしたんだけどキミ倒れちゃってね。まあ、あれだけボロボロだったから当たり前なんだけど。だから一気に街まで運んできちゃったの」

「す、すみません、迷惑かけてしまって……」


 仲間に入れてもらった直後から随分と面倒をかけさせてしまったことを知って、いたたまれない気持ちになる。


「いいのよ、そんな気にしなくて。それより体の調子はどう? 多分、まだ気分は良くならないと思うけど」

「ええと……そう、ですね。全身がダルくてちょっと重たい感じです」

「じゃあちょっと、ベッドに掛けて。少し見てみるから」


 リアンが言われるがままにベッドに腰掛けると、ルシャはひと声かけてから何かを確かめるように全身を触れる。


「――っつ!」

「あ、ごめんね! 痛いよね?」

「い、いえ……」


 痛いといえば痛いが、我慢できないほどでない。ジクジクと鈍く響くような痛みは古傷が痛むのにも似ている。


「……うん、でもやっぱり殆ど塞がってる。すごいね、一回しかしてないのに」


 感心したようにルシャが呟く。その声には心底からの驚きの色があった。


「塞がっているって、傷のことですか?」


 たった一度の治癒魔法で痛みこそ残れど傷自体はほぼ完治したのだ。

 回復術士のことはそれほど詳しく無かったが、凄いのはルシャの力量なのではないだろうかとリアンは不思議に思う。


「普通、魔法を使って回復してもすぐに動けるようにはならないし、傷も塞がりきらないの。一時的に塞がったように見えてもすぐに傷が開いたり……だから何度も繰り返し、長期的に治癒していかないといけないんだけど」


 リアンは自身の身体を見下ろしてみるが傷が開いたりしている様子はない。

 流石に普段よりは調子は悪いが、それでも立ち歩くくらいなら支障はなさそうである。


「リアン君、身体が強いのね。それに体力もある。でも、だからって無理や無茶はダメよ」

「は、はい……」


 とても優しい口調だが、見つめてくる瞳の底には責めるような気配がある。


 まるで母親に窘められている気分だ。


 リアンは妙に落ち着かなくなって思わず俯いてしまう。


「ならよし。しばらくは安静だけど、ご飯は食べれそうかな?」

「ご飯、ですか」


 そう言われて、まるで身体が空腹を思い出したかのように胃袋がキュウと悲鳴をあげる。


「ふふっ、じゃあいこうか」


 一体この人にどれだけ恥ずかしい姿を見せているのだろう。

 リアンは間違いなく赤くなっているであろう自身の顔を伏せたまま縦に首を振った。







「お、坊主起きたか!」

「……もう動けるのか」


 階段を降りてレストランになっている一階までくると、リアンは中央辺りの机に向かい合って座る二人の男性に声をかけられる。


 短い茶髪に日に焼けた肌、精悍な顔つきに軽薄な笑みを浮かべている男はガスト。

 冒険装束の軽鎧を外し薄手の肌着を身に着けているが、鍛え込まれた筋肉の膨らみが一掃強調されている。


 もう一人はガストよりも更に一回り大きい巨漢。

 紺の髪に彫りの深い顔立ち。落ち着いた様子で静かな視線をリアンへと向けていた。


「おはようございます、ガストさんと……ロッケンさんですよね?」


 確認するようにリアンが話しかけると、男はコクリと頷く。


「そういえば顔を見せてなかったな」

「はっはは!! まあこんだけでかけりゃすぐ分かるだろ!」


 豪快な笑い声がレストランに響く。ただ、周囲も負けず劣らずの喧騒である。

 満員とまではいかなくとも、八割方席が埋まっている料亭は酷く賑やかであった。まだ日は高いというのに酒を飲んでいる客も少なくない。


 ただその中でもリアンの視線の先にあるその席だけは特別だった。

 周囲の人間も彼らの正体をある程度知っているのだろう。変に構う様子はないが、明らかに伺うようにして気にしているのが分かる。


(……そりゃ『ジャッククラウン』だもんなあ)


 昨日の一連の出来事はある程度思い出したが、正直夢だったのではないかとリアンは今になっても半信半疑でいる。


「ええと、昨日は本当にありがとうございました」

「もう礼は昨日聞いたぜ、仲間なんだから細かいことは気にしなくていいさ」

「……お前はもう少し気にしたほうが良いと思うが」


 呆れたようにロッケンは言う。そこでリアンはふと不安になる。


 彼は自分がチームに入ることには反対だったはずだ。やはり、快く思っていないのだろうか。


 表情を伺うようにして見ているとロッケンは視線に気付いて静かに、決して威圧的にならないようにリアンへと語りかける。


「少年……いや、リアン。俺は確かにキミがチームに入ることには反対したが、一度決まったことだ。加入した以上は、文句を言うつもりはない。別に、キミという個人を嫌っている訳でもない。そこは心配しなくともいい」

「あ、ありがとうございます」


 リアンの心中を悟ったのだろう。諭すように穏やかな声でロッケンは言う。

 だが、それで終わりではなく一つ付け加えてくる。


「ただし、チームに入ったからには勝手な行動は厳禁だ。特に昨日のような無茶は決してするべきではないと理解して欲しい」

「――分かりました」


 そうだ、俺もこのトップクラスチームのメンバーになるのだ。

 リアンが緊張に冷や汗が背筋を伝うのを感じていると、目の前に盛られた肉と格闘をしていたガストが口を挟んでくる。


「つってもウチには大した縛りはないけどな。好きにやってくれて構わないぜ。困ったことがあったらロッケンかルシャかフィフィに言いな」

「そこで自分は入れないんですね」


 ルシャが疲れたような声で言う。そこには何となく普段の苦労が透けて見える気がした。


「ええと、それだと自分は何をすれば……」


 好きにして良いと言われたリアンは困惑する。

 このチームであれば雑用であっても文句はないと考えていた。

 元より助けられた恩を返さなければいけないのだ。


「リアン君は絶対安静です! 昨日は死にかけてたんですからね!!」

「そうだな、食事をしっかりとって身体を休めるべきだ」

「お、飯か。好きなもん食え! ロッケンが奢ってくれるからよ!」

「貴様の分は出さんぞ」


 先程までの静かな雰囲気はどこへやら。

 一気に騒がしくなる机に腰掛けながらリアンは思わず頬を緩める。


 どうして自分のような半人前を誘ってくれたのかは分からない。

 だが、それでもこうして受け入れてくれたこの人達のために、出来ることをしよう。


「よーし坊主! 酒だ、酒を飲めば大体治る! 強い酒の方が殺菌されていいぞ!!」

「え、は、はい!」

「ガストさんの飲む酒なんて飲んだらダメです! リアン君も酔っ払いの誘いに乗らない!」

「リアン、普通にエールにしておけ」


 チーム加入から約一日。リアンは早くもチーム内のノリと雰囲気とメンバーの力関係を把握しつつあった。

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