第一章 高級茶葉が招く天命_1





 花々のほこる季節が、赤いかわら屋根のひしめく龍国の皇都、こうおとずれていた。

 どこまでも続くがんきようじようへきに守られた都からは、一点のくもりもない青空にえたさんぽうが遠くに望める。風がそよぐたびに樹木は枝葉をおどらせて、それにこたえるかのようにすずめい、ちようは色とりどりの羽をはばたかせながら、通りを飛びまわっていく。

 龍国の紅玉とうたわれる都の中心にあるのが、こうていの住まうきゆう殿でん──れいりゆうじようだ。

 日がのぼったばかりの朝。北に位置する内延の小宮殿から、一人の男が小走りで姿を見せた。

「お待ちください!」

 そう言った男は、かいろうの先を行くいろほうを追いかけた。年のころは三十代前半。ふじいろの袍の上に、こく色のはいを羽織っており、つやめくくろかみを背に流している。すずしげなひとみが印象的な面立ちだが、きりりとしたまゆの間には、ろうをうかがわせるしわが深く刻まれていた。

「陛下」

 男に呼び止められた第十一代龍国皇帝──りゆうていは、足を止めるとり返る。しつこくの仮面が、今日も外されることなく、鼻から上をおおい隠していた。

「なんだ、しようぶん

 熙龍帝は仮面に空いた二つの穴から、するどまなしを奨文に向けてきた。へいあらがうその瞳は、いまやしんに染まりきっている。

「まだ政務には早い時間です。少しでいいですから、横になってお休みください」

 熙龍帝は皮肉げに口のはしを上げた。

「横になってどうするのだ。まさか〝ねむれ〟と言うわけではないだろうな。眠れない俺に」

「目を閉じるだけでも安まると、が言っておりました」

 奨文の言葉に、熙龍帝はきつく目をすがめた。

「……目を閉じれば、さまざまなことが頭にかんで正気を失いそうになる。そうであれば、政務をしていたほうがまだマシだ。成すべきことが、俺には山ほどあるからな」

「たしかにそうですが、しかし、私もいるのです。すべてをご自分で成そうとせずに、どうかたよっていただきたい」

じゆうぶん、頼っている」

 はっとした奨文が息をのむと、熙龍帝が言った。

「俺のために、あなたがくしてくれていることはわかっている。いつも感謝している。だから、あなたこそ休んでくれ。もう、侍医の薬も漢方茶もなにもいらない。いずれたおれれば眠るはめになるのだ。俺につきあって起きていることはない」

 奨文は驚いた。自室で起きていると告げたことなどないのに、なぜ知っていたのか。

「私が起きていることを、ご存知だったのですか」

「あなたの様子を見ていればわかる。俺こそ、あなたに倒れられては困るのだ。今日のえつけんは午前に一人だけだ。午後からは休むといい。これは提案ではない、命令だ」

 熙龍帝はさらりと告げて、前を向くと歩きはじめた。

 よわい十九の若き皇帝は、常にきゆうてい内のすみずみにまで意識を張りめぐらせている。そばにいる奨文の様子の変化に、気づかないわけがなかったのだ。

(──いま、陛下に倒れられるわけにはいかない。一刻も早く眠っていただかなければ)

 こぶしにぎった奨文は、熙龍帝の後ろを歩きながら、あらためてそう強く決意した。





 しが天頂でかがやきはじめた午後。休むことなく奨文は、麗龍城の北門からひっそりと外へ出る。足早に歩いて通りに出たしゆんかん、後ろからとつぜん声をかけられた。

「こんな時間にお出かけなんてめずらしいじゃないか。どこへ行くんだ、奨文?」

 ぎょっとした奨文が振り返ると、たいけんしている二十代後半の男が、いつの間にか後ろにぴったりとくっついて歩いていた。

 あいいろえいさんに、龍のしゆうが輝く黄金の帯がしい。すっきりとしたたんぱつで快活に歩く姿に、野生のけもののようなしゆんびんさが見え隠れしている。つり上がった目つきは鋭いが、左の口角が常にきゅっとほおへ引かれているため、人好きのする性格が伝わってくるようぼうだ。

「さては、によにんおうか?」

 にやついた顔でそう言われ、キッと奨文は男をにらんだ。

「そんなわけあるか! まったく、どうしておまえはことあるごとに、そうやって私をからかうのだ、とう!」

「いっつもけんに皺を寄せやがって、小難しいこと考えてそうなおまえの顔を見てると、なんつーのかなあ。じわじわっとこう、からかいたくなっちゃうっつーの?」

「……理由になっていないな。感覚的なおまえの言葉が、私にはなに一つ理解できんぞ」

「おまえは考えすぎなんだよ。もっと肉体をきたえろ! そうすればわかるはずだ」

「……鍛える……おぞましいな。わかりたくもない」

「はいはい、そーでしょうとも。で? どこへ行くんだよ」

「とあるぼうだ」

 冬輝は瞬時にみを消した。

「茶房って……そこによさそうな茶師がいるのか?」

「ああ。昨夜叔父おじうえから教えてもらったからな、確かめに行く。もちろん、陛下のことは話していないぞ」

「文士のもう殿どのか……なるほどね」

「茶にうるさい叔父上がごしゆうしんとなれば、確かめて損はないだろう。なんでもその茶房の茶師は、とうちやで負け知らずの叔父上を連敗させているそうだ」

 闘茶とは飲んだ茶名を当てる遊びで、茶好きの間で流行はやっていた。きゆうけいがてらに宮廷の文官たちが遊んでいることもあり、茶にうとい冬輝も知っていた。

「そいつはすごいな」

「だが、私が気になっているのはほかのことだ。その茶師のれる茶は、どんな茶葉も仙術がかけられたかのように、夢見心地ごこちな味なのだそうだ。そしてなぜか活力がくと、叔父上は言いきった。そのような茶を淹れる茶師を、ほかには知らないとも断言した」

 冬輝は半笑いで、奨文を横目にした。

「……おいおい。まさか、茗聖の生まれ変わりだなんて言うなよ?」

「そんなもの、私が信じているわけがないだろう。叔父上がそう見ているという話だ」

 茗聖が他界したのち、何人かの茶師をかかえたものの、能力はとうていおよばなかった。やがて歳月を経て、生まれ変わりを国中でさがしたものの、見つからなかった。われこそはと手を挙げた茶師を、宮廷に上げたこともあったが、ほとんどはめいや金銭を目的にした者たちで、断罪した苦い過去がある。

 その傷が宮廷に根強く残り、いつか捜すことをやめてしまった。そのため、茶聖の名をぐ宮廷茶師はいまだに不在である。茶を淹れるだけであれば、女官でことが足りるからだ。

「茗聖の生まれ変わりを信じているのは、茗聖にあこがれをいだく茶師か、叔父上くらいなものだろう。とはいえ、自尊心の高い叔父上にそうまで言わしめる茶師だ。能力の高さはおすみき。私にとってはこれが最後の手立てだ。正直、あせっている。時間がないからな」

 奨文は眼差しをきつくした。

「侍医の薬は効かず、茶博士がせんじた漢方茶も徒労に終わった。それらが功を奏しないとなれば、残るは大陸茶の茶師を頼るのみ」

「……つってもなあ。たかが大陸茶で陛下が眠るようになるとは思えないぞ。それならご自分で淹れている茶で、とっくに眠っているはずだろう?」

「わかっている。しかし、侍医の見立てはお心の問題。ならば、夢見心地の茶とやらを飲んでいただいたところで、薬にはならずとも毒にもならないはずだ。いま陛下に倒れられては、アレの……しゆうの勢力が活気づく。その果てに玉座に上がられでもしたら……いや、それだけはなんとしてでもかいしなければならん。おまえも同じ思いだろう、冬輝」

 奨文と視線をわした冬輝は、眼差しを矢のように鋭くさせた。

「ああ。同じだよ、もちろん」

 ようしやを拾った二人はそれに乗り込み、都人たちがあでやかにかつする通りを、右へ曲がった。

「それで? その茶師ってのは、せんにんみたいなじいさんか。それともばあさんか?」

「どちらもちがう」

 しばらく行くとみやびな気配はすっかり消えて、めいのように入り組んだ路地になる。そこで軺車から降りた二人は、ふたたび歩きはじめた。

 あかがわらの平屋が寄りうように建つ下町では、道ばたにたくを置いてばんじようを睨む男たち、せんたくものを抱えながら立ち話をする女たちでにぎわっていた。そのだれもが、場違いな容相の二人を見るなりどうもくし、すぐさま口をざす。

「教えろよ、奨文。賀孟殿から聞いてるんだろ」

 立ち止まった奨文は、前方を見すえながら言った。

「──若いむすめだ」

 二人の視線の先に、ささやかな看板をかかげた茶房──流星茶房はあった。






「ほう! これが、いまはほうこくたみたちが愛したれいちやか!」

 上品なはいいろほうがよく似合う、長いしらひげをたくわえた老年の男が、ぼくとうちやはいを手にしながら興奮気味に言った。

「はい。しように雑穀と、それから大豆とべいをすって、緑茶に混ぜて作るんです。冷めてもおいしいんですよ」

 売り台のはしにある、小さな卓を前にして座る男に向かって、楓花は大きなひとみをきらきらと輝かせながら微笑ほほえんだ。そでたけの短いぞう色の上衣に、もえいろ穿き、その帯を胸の下でめたよそおいは、一人前の茶師として働く女性の正装である。

 翠明との出会いから十年が経ち、楓花はやっとこの装いを許された。それは、一人前の茶師として翠明に認められたことを意味した。以来、楓花はこの姿で働けることが、ほこらしくてたまらない。

「さりげなく甘く、なんとも風味豊かな味だのう。気に入った! しかし、十五年も前に獅国に平定された小国の茶であるのに、なぜまたおまえさんが作り方を知っておるのだ?」

「先日、龍国にのがれて暮らしているという鳳国の方が、緑茶を買いにいらっしゃったんです。そのときに、おしゃべりのついでに教えてもらいました」

「なるほど……。それにしてもおまえさんの淹れる茶は、どうしてこうもうまいのか。どんな茶であっても、常に茶葉がいきいきとして、この世のものとは思えぬ味わいになる。そしてわしには、なぜか活力が湧いてくる。そのような茶を、わしはいまだかつて味わったことがない」

 男はまじまじと茶杯を見下ろしながら続けた。

「きっと茶葉が喜んで呼応するなにかが、おまえさんにはあるのだろう。なんにせよ、おまえさんは絶対に、茗聖の生まれ変わりに違いないと、わしは思っておるのだぞ!」

 名のある文士の毎度の言葉に、楓花は声を上げて笑った。

「ありがとうございます! だけど何度めてくれても、茶葉のお値段は変わりませんよ、賀孟さん」

「そうか、残念だのう……って、値引きをしてもらうために褒めたのではないぞ! まったく、いつもさらっと流してくれるの。もしや自分が茗聖の生まれ変わりかもしれぬと、おまえさんはちらりとも考えんのか?」

「えっ!? ありえないですよ! だって、茗聖様は天才だもの。だけどわたしは地道に学んできただけだし、翠明さんに茶師として認めてもらったばかりです。そんなわたしが茗聖様の生まれ変わりだなんて、ないない! ホントにないですから!」

 茗聖の生まれ変わりだと言われることはなおうれしいが、そう思えるたしかな自信がないのだ。〝そのとおりです〟と断言することなど、できるはずがない。でも、だからこそ──。

「生まれ変わりじゃなくても、賀孟さんにずっとそう言ってもらえるように、もっと学んで、いろんな方にお茶を淹れて、立派な茶師として都で名をせるつもりです!」

 そうすればいつか、うわさを聞きつけたきゆうていの誰かが、むかえに来てくれるかもしれない。天命になどたよっていられない。自分の力で運命を引き寄せてこそ、である! それが茗聖に近づくための、楓花の地道な人生計画だった。

 決意をあらたにした楓花が、鼻息あらく右のこぶしにぎって見せると、賀孟はフォッと笑いながら髭をでた。

「おまえさんの行く末が、ますます楽しみになってきたわ。とにかく擂茶は気に入った。くわしい作り方を教えてもらえんかな? それと、いつもの茶葉をもらおうか」

「はい! わたしは覚えてしまったので、作り方を書いた木簡をさしあげますね」

 いそがしい時間がいっとき落ち着き、客は賀孟と、二つしかない卓の一つを囲む顔なじみの女たち三人だけだった。

 細長く奥へと続く店内の左のかべには、ていねいに並べられたちやづつや茶道具がちんれつされており、その手前に人が通れるほどのすき間を保って、草花をいろどったしようりゆうれいな売り台がある。

 売り台には無数のとつが並んでおり、楓花はその一つをつまみ上げた。ぎわよく茶さじで茶葉をすくい、てんびんで量る。空の茶筒にそれを入れてから、後ろのたなの引き出しを開けた。木簡を手にした楓花がり返ると、賀孟は店内を見まわしていた。

「して、楓花。さっきからねえさん茶師殿どのの姿がないが、どうした?」

「わたしが一人前になれたので、翠明さんは十年ぶりに旅に出ているんです」

「それまたどこへ?」

西せいおうほうです。めずらしい岩茶があるらしくて、絶対に手に入れるんだーって、さけびながら旅立って行きました」

 それを聞いた賀孟は、興奮気味にカッと両目を見開いた。

「なんと、西のげんしゆう、西黄峰! もしやねらいは、そこに住まうさんがく民族、がん族の岩茶か!」

「わっ、すごい! そのとおりです!」

「当たった! さすがはわし……!」

 キラリと目を光らせながら、賀孟はぐっと拳を握って引く。そのままの体勢で、うかがうように楓花を見上げた。

「ということは……とうちやはできぬのか?」

「そうなんです。闘茶は翠明さんがいないと、あのお茶をれられる人がいないので……」

 ふたたび賀孟の前にこしを下ろした楓花は、木簡と茶筒を差し出す。受け取った賀孟は代金を楓花にわたし、心底残念そうにふさふさのまゆを八の字にさせた。

「久しぶりにと思って来てみたが……まあ、いたしかたあるまい。姐さん茶師殿のぜつみような配合茶がなければ、わしとおまえさんの真の勝敗はつかぬからな。緑茶に緑茶、せいちやに青茶……めいがらをそのまま出さないうえ、混ぜられた二種の茶葉を当てろなどとは、正気のとは思えん意地悪さだ。だがな楓花。おまえさんはそれを当てる。じんじようではない!」

 賀孟にピッと人差し指を向けられて、えっ、と楓花はきゅっとりようかたを上げた。

「あれを当てるおまえさんはまさに神がかり! だからこそわしは、なんとしてでも勝ちたいのだ! 勝・ち・た・い・の・だっ!!」

 興奮した賀孟は中腰になり、ぐっと身を乗り出してきた。ええーっ、と楓花がのけぞったときだった。

「大人げのないぜつきようが、外につつけですよ、叔父おじうえ

 開け放たれているとびらから姿を見せた人物が、かんはつれずに言った。そのしゆんかんこのささやかなぼうは、はなやかな気配にいっきに包まれた。

 賀孟はうっと声をつまらせて振り返る。奥にいる女たちは瞠目し、瞬時に固まった。

(あの絹のはいの色……宮廷の高官様だわ!)

 そんな人がおとずれたことなど、いまだかつて一度もない。しかも、賀孟のことを〝叔父上〟と呼んだ。あつにとられた楓花の視界に、高官の後ろにいた男の姿も飛び込んできた。腰には、りゆうかたどった紅玉が光るつかけん。あきらかに、宮廷に仕える武官である。

「い、いらっしゃいませ……?」

 突然のことにまどう楓花は、のけぞった体勢のままでなんとか声にした。すると、賀孟はにんまりと笑ってから立ち上がった。

「なんだ、奨文。さっそく来たか」

 いろただよまなしをすずしげに細めて、奨文と呼ばれた男は賀孟を流し見た。

「ええ。叔父上にあんなに力説されては、訪問せざるをえないですからね」

「ここはわしのかくれ家だ。誰にも教えたくないところだったが、おまえがなみだながらにたずねてくるからしかたなく……だぞ?」

「泣いたのか、奨文」

 武官の男がっ込んだ。奨文はまなじりをするどくさせて男をにらんだ。

「泣くわけあるか! 叔父上も私をからかうのはおやめください!」

 そんなやりとりを、目で追うだけでせいいつぱいの楓花を振り返った賀孟は、にっこりと笑んだ。

「これはわしのおいだ。なにやら元気になりたいらしいから、最高に旨い茶を淹れてやってくれ。ではな、楓花。また来る!」

「あっ、はい! お待ちしています!」

 あわてて腰を上げた楓花は、扉口に立って賀孟を見送った。

(……高官様が甥だったなんて、全然知らなかった!)

 茶房を訪れて賀孟が話すことといえば、茶についてばかりだったのだ。知るよしもない。おどろきを隠せないまま、楓花がゆっくりと振り返ると、奨文は間を置かずに言った。

「では、さっそく茶を淹れてもらおう」

 楓花を見下ろす眼差しには、みするかのようなあつかんがあった。

「どうした。早くしてくれ」

 平民だと見下しているからか、そんな物言いがしやくさわった。賀孟とは似ても似つかない、失礼な甥である。高官様に気に入ってもらえれば、宮廷への道筋ができるのかもしれないが、許せないのだからまんは無用だ。眉根を寄せた楓花は、扉口を手でしめした。

「ここは、ゆっくりとお茶を楽しむ茶房です。お気持ちにそのゆうがないのでしたら、もっとお時間のあるときに来てください。出口はそちらです!」

 ムッとしたように、奨文は楓花を見すえる。ああ、きらわれた。でも、それで上等! ふんっ、と一歩もゆずらずにん張る楓花に向かって、武官は楽しそうにニヤッとした。

「そのとおりだな。余裕のない男は嫌われるぞ。謝れよ、奨文」

 むっつりとした表情で目をせた奨文は、「すまない」とぼそりとささやき、賀孟が座っていた椅子にこしかける。そのとなりに、武官も座った。帰るつもりはないらしい。

 奨文のかたに手を置いた武官は、人なつこいみをかべた。

「このお方はいろんなことをかかえ込んじまってて、気持ちがいっぱいいっぱいらしくてな。かわいそうだろう? 同情して許してやってくれないか」

 その手を虫のように振りはらった奨文のけんには、くっきりとしたしわが刻まれている。忙しさのあまり、時間を気にしていたらしい。謝ってくれたし、そんなにいやな人でもないようだ。

 それでも楓花の気はおさまらない。おさまる方法は、ただ一つである。

 ──自分の淹れた茶を飲んでもらい、おいしいと言わせること!

「お茶をおいしく飲んでいただきたいので、少しだけ時間を忘れていただけますか」

「……できる限り、そうしよう」

「茶葉はいかがいたしましょう。お好みの味はございますか?」

「いつも飲んでいるものがいい。てんりゆうせいちやたのむ」

 緑茶の中でも特級品、最高級の銘柄だ。楓花はたくをまわり込み、小窓に沿って配された作業台に立つ。こくたんぼくちやばんに、春の景色がえがかれた青花白磁のきゆうと、ちやはいを二個すえた。

 の上で湯気を立てるかまの湯をしやくですくい、まずは茶杯に注ぐ。茶杯を温めている間、楓花はあざやかな手さばきで、急須に何度も湯をかける。

 急須が温まったところで、白磁のちやつぼの一つを引き寄せて、茶さじで茶葉をすくう。それを急須にそっと落としてから、湯を注ぎ入れた。うぶの多い堂々たる茶葉がおどりだす様を目にして、楓花のほおは自然にほころんだ。同時に、はんを連想させるせいりようかおりが立ち上ってくる。

「……いい香りだ」

 まぶたを閉じた武官がつぶやいた。奨文の表情が見る間にやわらいでいく。楓花は、茶杯の湯を茶盤に捨ててから急須を持ち、ゆったりとした動作で茶杯に注いだ。

 茶のすいしよくは、とうめいかんのある黄緑色。茶杯の中でかがやくそれを、楓花は二人にすすめた。

「どうぞ」

 息をついた奨文は、ゆっくりと両手で茶杯を持った。武官も片手でそれをつかみ、冷ましながら口に寄せる。二人が同時に茶を飲んだ。

 はっとしたように、奨文がどうもくした。その思いを代弁したのは武官である。

「──うまい!」

 信じられないと言わんばかりに奨文は茶杯を見つめ、また口に運ぶ。すると武官が言った。

によかんやおまえがいつも淹れる茶とは、味が全然ちがうぞ、奨文」

「……これは本当に、私の伝えた銘柄か?」

 旨いと言ったも同然の言葉に、楓花は満面の笑みになる。してやったり!

「はい。間違いなく天湖龍井茶です」

「俺は酒のほうが好きだが、これは気に入った。気分がすっきりして軽くなるのがわかるぞ。ああ……いい気持ちだ」

 うっとりとする武官に、奨文はなにも言わなかった。だが、深く刻まれていた眉間の皺が消えていることに、楓花は気づいていた。

 やがて茶を飲み干した奨文は、ゆっくりと茶杯を置いた。もういつぱいくれとねだる武官の男を立たせると、自分も椅子から腰を上げ、楓花をまっすぐに見下ろした。

「きちんとびよう。先ほどは失礼な態度をとってすまなかった。許してもらえるか」

 きっぱりとしたとつぜんの謝罪に驚いた楓花は、奨文をまじまじと見上げてしまった。

「はっ……はい」

「ありがとう。ではそのうえで、あなたに頼みがある。私の知人に、毎夜ねむれず苦しんでいる方がいる。その方をあなたの茶で、眠らせていただきたい」

「──えっ! わたしの淹れたお茶で……ですか?」

 奨文は小さくうなずいてから、せつまった様子で告げた。

「薬も漢方茶も効果がなかった。医者はお心の問題だろうと言っている。そうであれば、あなたのれる大陸茶でいっときでも心安らかになってもらえれば、眠っていただけるかもしれない。正直なところ驚いた。いつも飲んでいたはずの茶の味がまったく違うのに加えて、なぜかはわからぬが私のろうが消えてしまった」

 とうとつらいに一瞬まどったものの、眠れないことのつらさを想像した楓花は迷わなかった。

「わたしにできることでしたら、お引き受けいたします。その方はいついらっしゃいますか?」

「ここへは来ない。私があなたを、その方のもとへ連れて行く」

 外へ出られないほどすいじやくした、こうれいの方らしい。そうかいしやくした楓花に、奨文は続けた。

「その方は常に神経を高ぶらせているため、慣れている味のほうがよいように思う。愛飲しているのは、いま私が頼んだものと同じだ。それをあなたに、あらためて淹れていただきたい。茶葉はこちらで用意する」

「わかりました」

 奨文は強い決意をあらわにするかのように、ぐっと両目を細めた。

「本日のちほど、また来る」

 支払いを終えた奨文は、名残なごりしそうな武官を引き連れて外へ出た。見送るために楓花がけ寄ると、ふと立ち止まった奨文がり返った。

「名乗りそびれていたな。私は奨文。こちらはてい冬輝だ」

 冬輝がニッと笑いかけてきた。楓花も笑顔で自分の名を告げると、奨文はにこりともせずに、背中を向けながら言った。

そうになった。夢見心地ごこちの、見事な茶だった」

 歩き去る二人の背中を見つめながら、楓花は「はぁ」と息をついた。自分でも気づかないうちに、かなりのきんちよういられていたらしい。相手が相手だったのだ、無理もない。

(……って、待って。さらっと聞き流しちゃったけど、李と鄭って名前……まさか!)

 あんぐりと口を開けた楓花は、ぼうぜんと立ちすくむ。文の李家、武の鄭家。どちらも代々皇族に仕えている貴族の名で有名だった。さらにきようがくしたのは、賀孟がその親族だったことである。ゆうな文士だからお金持ちだろうと思ってはいたが、まさか貴族だったとは!

「……そ、想像したこともなかった……!」

 小さくひとりごちた直後、突然後ろから話しかけられた。

「ちょいと楓花! すごいじゃないか!」

 いつの間にか楓花の後ろに立っていた三人の女たちが、ぬっと顔を近づけてきた。

「わっ! ちょっ、みなさん近いです!」

 のけぞりながらうつたえる楓花に、興奮で頰を上気させた三人は、さらに顔を近寄せる。

「李奨文様が直々に願い出たってことは、あんたが茶を淹れる相手は、きゆうていえらい人だよ!」

「禁軍の部隊長様か、しゆうこう様か……」

「……もしくはそれこそ──こうてい陛下かも! ああ、きっとそうだよ、間違いないね!」

 三人の合唱が店内にとどろいて、楓花はたじろぎながらもしようした。

「いっ、いえいえ! さすがにそれはないですって!」

「いや絶対にそうだって! けど、もしも陛下となれば、やっかいだねえ……」

 顔を見合わせた女たちがまゆを下げる。そのねんは、楓花にもよくわかった。

 半年前にそくした若き皇帝は、きさきを持つどころか後宮の規模を小さくしていた。若いのはげいけている女官だけで、あとに残っているのは、なぜか熟年ばかりだという。

 ごういんしゆわんのせいで、しようあらいとされる。その容姿を知っている者が広めているのか、いまやめいうわさが都を飛びっていた。

 ──変わり者でみにくい、熙龍帝。

「ねえ、楓花。変わり者の熙龍帝に、どんな無理難題を押し付けられるかわかったもんじゃない。断ったほうが身のためだよ?」

「ま、まだそうと決まったわけじゃ……!」

「あたしらのかんはそこらの易者よりも当たるんだ。とにかくね、陛下がうるわしく変わり者じゃなければ、みんな手放しで喜ぶさ。けど、そうじゃないんだ。だから、おむかえが来るまでによく考えておきなよ、いいね?」

 はらいを済ませた女たちは、心配そうに帰って行った。あまりに突然のことで気持ちが追いつかず、楓花はその場にたたずむことしかできないでいた。

 だって、もしも茶を淹れる相手が、熙龍帝であったなら──。

「──まさか……天命?」


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