第一章 高級茶葉が招く天命_1
花々の
どこまでも続く
龍国の紅玉と
日が
「お待ちください!」
そう言った男は、
「陛下」
男に呼び止められた第十一代龍国皇帝──
「なんだ、
熙龍帝は仮面に空いた二つの穴から、
「まだ政務には早い時間です。少しでいいですから、横になってお休みください」
熙龍帝は皮肉げに口の
「横になってどうするのだ。まさか〝
「目を閉じるだけでも安まると、
奨文の言葉に、熙龍帝はきつく目を
「……目を閉じれば、さまざまなことが頭に
「たしかにそうですが、しかし、私もいるのです。すべてをご自分で成そうとせずに、どうか
「
はっとした奨文が息をのむと、熙龍帝が言った。
「俺のために、あなたが
奨文は驚いた。自室で起きていると告げたことなどないのに、なぜ知っていたのか。
「私が起きていることを、ご存知だったのですか」
「あなたの様子を見ていればわかる。俺こそ、あなたに倒れられては困るのだ。今日の
熙龍帝はさらりと告げて、前を向くと歩きはじめた。
(──いま、陛下に倒れられるわけにはいかない。一刻も早く眠っていただかなければ)
「こんな時間にお出かけなんて
ぎょっとした奨文が振り返ると、
「さては、
にやついた顔でそう言われ、キッと奨文は男を
「そんなわけあるか! まったく、どうしておまえはことあるごとに、そうやって私をからかうのだ、
「いっつも
「……理由になっていないな。感覚的なおまえの言葉が、私にはなに一つ理解できんぞ」
「おまえは考えすぎなんだよ。もっと肉体を
「……鍛える……おぞましいな。わかりたくもない」
「はいはい、そーでしょうとも。で? どこへ行くんだよ」
「とある
冬輝は瞬時に
「茶房って……そこによさそうな茶師がいるのか?」
「ああ。昨夜
「文士の
「茶にうるさい叔父上がご
闘茶とは飲んだ茶名を当てる遊びで、茶好きの間で
「そいつはすごいな」
「だが、私が気になっているのはほかのことだ。その茶師の
冬輝は半笑いで、奨文を横目にした。
「……おいおい。まさか、茗聖の生まれ変わりだなんて言うなよ?」
「そんなもの、私が信じているわけがないだろう。叔父上がそう見ているという話だ」
茗聖が他界したのち、何人かの茶師を
その傷が宮廷に根強く残り、いつか捜すことをやめてしまった。そのため、茶聖の名を
「茗聖の生まれ変わりを信じているのは、茗聖に
奨文は眼差しをきつくした。
「侍医の薬は効かず、茶博士が
「……つってもなあ。たかが大陸茶で陛下が眠るようになるとは思えないぞ。それならご自分で淹れている茶で、とっくに眠っているはずだろう?」
「わかっている。しかし、侍医の見立てはお心の問題。ならば、夢見心地の茶とやらを飲んでいただいたところで、薬にはならずとも毒にもならないはずだ。いま陛下に倒れられては、アレの……
奨文と視線を
「ああ。同じだよ、もちろん」
「それで? その茶師ってのは、
「どちらも
しばらく行くと
「教えろよ、奨文。賀孟殿から聞いてるんだろ」
立ち止まった奨文は、前方を見すえながら言った。
「──若い
二人の視線の先に、ささやかな看板を
「ほう! これが、いまは
上品な
「はい。
売り台の
翠明との出会いから十年が経ち、楓花はやっとこの装いを許された。それは、一人前の茶師として翠明に認められたことを意味した。以来、楓花はこの姿で働けることが、
「さりげなく甘く、なんとも風味豊かな味だのう。気に入った! しかし、十五年も前に獅国に平定された小国の茶であるのに、なぜまたおまえさんが作り方を知っておるのだ?」
「先日、龍国に
「なるほど……。それにしてもおまえさんの淹れる茶は、どうしてこうも
男はまじまじと茶杯を見下ろしながら続けた。
「きっと茶葉が喜んで呼応するなにかが、おまえさんにはあるのだろう。なんにせよ、おまえさんは絶対に、茗聖の生まれ変わりに違いないと、わしは思っておるのだぞ!」
名のある文士の毎度の言葉に、楓花は声を上げて笑った。
「ありがとうございます! だけど何度
「そうか、残念だのう……って、値引きをしてもらうために褒めたのではないぞ! まったく、いつもさらっと流してくれるの。もしや自分が茗聖の生まれ変わりかもしれぬと、おまえさんはちらりとも考えんのか?」
「えっ!? ありえないですよ! だって、茗聖様は天才だもの。だけどわたしは地道に学んできただけだし、翠明さんに茶師として認めてもらったばかりです。そんなわたしが茗聖様の生まれ変わりだなんて、ないない! ホントにないですから!」
茗聖の生まれ変わりだと言われることは
「生まれ変わりじゃなくても、賀孟さんにずっとそう言ってもらえるように、もっと学んで、いろんな方にお茶を淹れて、立派な茶師として都で名を
そうすればいつか、
決意をあらたにした楓花が、鼻息
「おまえさんの行く末が、ますます楽しみになってきたわ。とにかく擂茶は気に入った。
「はい! わたしは覚えてしまったので、作り方を書いた木簡をさしあげますね」
細長く奥へと続く店内の左の
売り台には無数の
「して、楓花。さっきから
「わたしが一人前になれたので、翠明さんは十年ぶりに旅に出ているんです」
「それまたどこへ?」
「
それを聞いた賀孟は、興奮気味にカッと両目を見開いた。
「なんと、西の
「わっ、すごい! そのとおりです!」
「当たった! さすがはわし……!」
キラリと目を光らせながら、賀孟はぐっと拳を握って引く。そのままの体勢で、うかがうように楓花を見上げた。
「ということは……
「そうなんです。闘茶は翠明さんがいないと、あのお茶を
ふたたび賀孟の前に
「久しぶりにと思って来てみたが……まあ、いたしかたあるまい。姐さん茶師殿の
賀孟にピッと人差し指を向けられて、えっ、と楓花はきゅっと
「あれを当てるおまえさんはまさに神がかり! だからこそわしは、なんとしてでも勝ちたいのだ! 勝・ち・た・い・の・だっ!!」
興奮した賀孟は中腰になり、ぐっと身を乗り出してきた。ええーっ、と楓花がのけぞったときだった。
「大人げのない
開け放たれている
賀孟はうっと声をつまらせて振り返る。奥にいる女たちは瞠目し、瞬時に固まった。
(あの絹の
そんな人が
「い、いらっしゃいませ……?」
突然のことに
「なんだ、奨文。さっそく来たか」
「ええ。叔父上にあんなに力説されては、訪問せざるをえないですからね」
「ここはわしの
「泣いたのか、奨文」
武官の男が
「泣くわけあるか! 叔父上も私をからかうのはおやめください!」
そんなやりとりを、目で追うだけで
「これはわしの
「あっ、はい! お待ちしています!」
(……高官様が甥だったなんて、全然知らなかった!)
茶房を訪れて賀孟が話すことといえば、茶についてばかりだったのだ。知る
「では、さっそく茶を淹れてもらおう」
楓花を見下ろす眼差しには、
「どうした。早くしてくれ」
平民だと見下しているからか、
「ここは、ゆっくりとお茶を楽しむ茶房です。お気持ちにその
ムッとしたように、奨文は楓花を見すえる。ああ、
「そのとおりだな。余裕のない男は嫌われるぞ。謝れよ、奨文」
むっつりとした表情で目を
奨文の
「このお方はいろんなことを
その手を虫のように振り
それでも楓花の気はおさまらない。おさまる方法は、ただ一つである。
──自分の淹れた茶を飲んでもらい、おいしいと言わせること!
「お茶をおいしく飲んでいただきたいので、少しだけ時間を忘れていただけますか」
「……できる限り、そうしよう」
「茶葉はいかがいたしましょう。お好みの味はございますか?」
「いつも飲んでいるものがいい。
緑茶の中でも特級品、最高級の銘柄だ。楓花は
急須が温まったところで、白磁の
「……いい香りだ」
まぶたを閉じた武官がつぶやいた。奨文の表情が見る間に
茶の
「どうぞ」
息をついた奨文は、ゆっくりと両手で茶杯を持った。武官も片手でそれを
はっとしたように、奨文が
「──
信じられないと言わんばかりに奨文は茶杯を見つめ、また口に運ぶ。すると武官が言った。
「
「……これは本当に、私の伝えた銘柄か?」
旨いと言ったも同然の言葉に、楓花は満面の笑みになる。してやったり!
「はい。間違いなく天湖龍井茶です」
「俺は酒のほうが好きだが、これは気に入った。気分がすっきりして軽くなるのがわかるぞ。ああ……いい気持ちだ」
うっとりとする武官に、奨文はなにも言わなかった。だが、深く刻まれていた眉間の皺が消えていることに、楓花は気づいていた。
やがて茶を飲み干した奨文は、ゆっくりと茶杯を置いた。もう
「きちんと
きっぱりとした
「はっ……はい」
「ありがとう。ではそのうえで、あなたに頼みがある。私の知人に、毎夜
「──えっ! わたしの淹れたお茶で……ですか?」
奨文は小さくうなずいてから、
「薬も漢方茶も効果がなかった。医者はお心の問題だろうと言っている。そうであれば、あなたの
「わたしにできることでしたら、お引き受けいたします。その方はいついらっしゃいますか?」
「ここへは来ない。私があなたを、その方のもとへ連れて行く」
外へ出られないほど
「その方は常に神経を高ぶらせているため、慣れている味のほうがよいように思う。愛飲しているのは、いま私が頼んだものと同じだ。それをあなたに、あらためて淹れていただきたい。茶葉はこちらで用意する」
「わかりました」
奨文は強い決意をあらわにするかのように、ぐっと両目を細めた。
「本日のちほど、また来る」
支払いを終えた奨文は、
「名乗りそびれていたな。私は
冬輝がニッと笑いかけてきた。楓花も笑顔で自分の名を告げると、奨文はにこりともせずに、背中を向けながら言った。
「
歩き去る二人の背中を見つめながら、楓花は「はぁ」と息をついた。自分でも気づかないうちに、かなりの
(……って、待って。さらっと聞き流しちゃったけど、李と鄭って名前……まさか!)
あんぐりと口を開けた楓花は、
「……そ、想像したこともなかった……!」
小さくひとりごちた直後、突然後ろから話しかけられた。
「ちょいと楓花! すごいじゃないか!」
いつの間にか楓花の後ろに立っていた三人の女たちが、ぬっと顔を近づけてきた。
「わっ! ちょっ、みなさん近いです!」
のけぞりながら
「李奨文様が直々に願い出たってことは、あんたが茶を淹れる相手は、
「禁軍の部隊長様か、
「……もしくはそれこそ──
三人の合唱が店内にとどろいて、楓花はたじろぎながらも
「いっ、いえいえ! さすがにそれはないですって!」
「いや絶対にそうだって! けど、もしも陛下となれば、やっかいだねえ……」
顔を見合わせた女たちが
半年前に
──変わり者で
「ねえ、楓花。変わり者の熙龍帝に、どんな無理難題を押し付けられるかわかったもんじゃない。断ったほうが身のためだよ?」
「ま、まだそうと決まったわけじゃ……!」
「あたしらの
だって、もしも茶を淹れる相手が、熙龍帝であったなら──。
「──まさか……天命?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます