序章 黄金色が誘う流れ星






ただ一人、きゆう殿でんれいびようまつられる茶師あり。

りし日に生き、しようがいこうていに仕えたその者の名はめいせい

敵国との間に立ち、和をもつて茶をせんじ、

いくいくさを止めた茗聖は、死のふちで皇帝にちかった。



「世に平安をもたらすために、私は必ず生まれ変わります。

私のあらたな生のあかしは、だれにもかなわぬ夢見心地ごこちの一煎。

ですから、どうか私を見つけてください。きっとこの国のお力になれるでしょう」



世を去った茶師のなきがらに、皇帝はなみだながらに伝えた。

そなたは余にとって、聖なる茶師──茶聖であった。

約束する。余の子孫が、必ずそなたを見つけよう。




りゆうこく史記』より




◆◆◆◆◆




序章 黄金色が誘う流れ星




 目の前に出されたのは、黄金色の茶だった。

 はすの模様にいろどられたちやはいから、すがすがしくもこうばしいかおりが立ち上り、あの動乱がうそのように思えてくる。

「どうぞ」

 旅人はそう言って、幼いふう微笑ほほえみかけた。けれど楓花には、その笑顔にこたえる気力はなかった。燃えさかちやのの光景が、まだありありとのうに刻まれていたからだ。

 半日ほど前のこと。〝〟と刻まれたすみいろの旗をかかげたの軍勢が、楓花の生まれ育った国境の茶樹の里に、とつじよめ入った。

 火矢が飛びい、里はあっという間にほのおうずにのまれた。楓花の両親、兄と妹、友達やしんせきたちも、次々に茶樹とともに炎の中へと消えていった。

 突然のことに足がすくみ、故郷が真っ赤な炎に包まれていく様を、楓花はそのとき、ただぼうぜんながめることしかできずにいた。

 ──げるんだ!

 ぐうぜん通りかかった旅人が、そうさけんで馬に乗せてくれなければ、楓花もあの炎にのまれていただろう。

 馬をけ続け、いくつもの集落を過ぎて落ち着くことができたのは、どことも知れぬ村はずれのはいおくである。雑草にまみれてひっそりと建っていた家の屋根は、一部がくずれ落ちており、天窓のように夜空をのぞかせていた。

 泣きつかれて放心していた楓花が見上げると、ちょうどそこに、静かにかぶ満月があった。

「いい月だね。きれいだ」

 両手で茶杯を持った旅人は微笑み、美しい所作でそれを口に運びながら言った。

「名乗りがおくれたね。あたしの名前はすいめいだ。あんたは?」

「……楓花」

 青い月光に照らされながら、ほこりまみれのいたどこに正座して、背筋をぴんとばしているその人を、楓花はあらためて見つめた。

 年のころ二十歳はたちくらいだろう。かみを頭頂で束ねており、たけの短いほうの上に、きんのあるがいとうを着ていた。長いまつげにふちられたひとひとみが、人なつこいおもちをつややかに引き立てており、微笑むたびに左のほおにえくぼができる。

(女の人なのに、どうして一人で旅なんかしてるんだろう……)

「……なんで、旅をしているの?」

 楓花がたずねると、翠明は茶を飲んでからふっと口角を上げた。

「あの里にいたってことは、あんたは茶農家の生まれかい?」

 楓花がうなずくと、翠明はニッと笑った。

「なら、いままで見たあたしの持ち物で当ててごらん。答えはそこにあるよ」

 遊びめいた問いかけに、楓花の心は少しだけ浮き立ち、すぐに茶杯を見下ろした。

 美しいしようほどこされた小ぶりの茶杯は、きゆうとともに二つそろいで木箱に収まっていた。旅をするにはじやなはずのそれを、水の入ったひようたんとともに、先ほど翠明は大きなぶくろの中から軽々と取り出したのだ。

 湯をかすための苦労はあったものの、その後のぎわれるほどのよさだった。そして、忘れてはならないのが茶葉だ。いくつものちやづつちやつぼが、荷袋の中に見えかくれしていた。

 あらたな茶葉を求めて仕入れるために、旅をする者たちを楓花は知っていた。楓花の家にも、おとずれたことがあったからだ。

「もしかして……茶師?」

 おずおずと答えた楓花に、翠明は笑みを浮かべてうなずいた。

「当たり」

 茶師とは、茶葉の個性をきわめることができ、客のらいがあれば好みに合わせて配合し、うまを最大限に引き出す者たちのめいしようだ。彼らは茶問屋にはじまり、茶館やぼうなどに必ず存在している。

 特別な資格は必要ない。だが、修練すれば誰にでもできるというわけではなかった。

 正確な味覚力、香りをぎ分けるきゆうかく、すべての五感をます集中力、にわたる茶葉をおくする知力が必要で、それらは持って生まれた能力にるところが大きかった。

 その才能にもっともめぐまれた伝説の茶師が、この龍国には一人だけ存在していた。

 生涯皇帝に仕えた、茶聖と呼ばれた茶師──茗聖。

 彼の煎じた茶は夢見心地の味であり、ひとたび飲めば活力がく。さらには、皇帝とともに知略をめぐらし、敵国との間に立って茶を煎じ、幾度も戦を止めたという。

 茗聖の出現によって、茶は龍国の人々にとってなくてはならない価値のあるものとなり、茶師は誰もがあこがれる仕事になったのだ。

 二百年前に他界した茗聖は、平和な世を常に願い、必ず生まれ変わると皇帝に約束した。それは物語となって言い伝えられており、終わりのない戦の時代に生きている人々の中には、茗聖の生まれ変わりを信じている者が少なくなかった。

 楓花もそうである。だから、茶師に出会うたびに訊ねていた言葉を、翠明に対しても思わず投げかけてしまった。

「もしかして、あなたは茗聖様の生まれ変わり? 茶聖なの?」

 こうしんいっぱいに楓花が訊ねると、翠明は照れくさそうに笑った。

「そんなわけあるかい。新しい仕入れ先を求めて旅をしてただけの、しがない茶師だよ。そうしゆうちやは有名だからね。どうしても欲しくてやっと来たものの……」

 ……やられたな。

 そうつぶやいた翠明は笑みを消すと、かなしげに目をせた。楓花もうつむいて、足の上でこぶしにぎった。

「さあ。飲んで」

 目に涙をためた楓花に、翠明はやさしく言った。こくんとうなずいた楓花は、小さな手で茶杯を包み込んだ。息をきかけながら、一口飲む。だいじようだと語りかけてくるかのように、茶葉の香ばしい味わいが身体からだ中に広がったしゆんかんおおつぶの涙が楓花の頰に流れた。

「……おいしい」

 それは、いそがしい一日を終えた後で、母がれてくれたことのある茶の味だった。すると、翠明はささやくように静かに言った。

「あたしも夫を戦で失ったよ」

 楓花がはっとして顔を上げると、翠明は遠いまなしで茶杯を見下ろしていた。

「二年前だ。とついだ先は小さな茶房でね。夫は問屋をかいさないで、茶農家から直接茶葉を仕入れることを好んだ。おたがいの顔が見えたほうが楽しいし、おいしい茶を淹れられると言ってね。でも、旅先で戦に巻き込まれて死んだ」

 ゆっくりと茶を飲み干した翠明は、ゆかにそっと茶杯を置いた。

 長い間、いくさは常にどこかで起きている。相手は里をきゆうしゆうした軍勢と同じ、西に位置している獅国だ。大国であるこの龍国にあらがい、いどむかのように、すきをついては領土をひろげようとしてめて来る。

 り返される戦に、人々は慣れてしまっていた。楓花や翠明のように、大切な人を戦で失うことは、けっしてめずらしいことではなかった。

「夫にたくさんのことを教えてもらった。だからこうして、生きていられる。茶を飲むたびに思い出すよ。話したこととか笑ったことやなんかが頭によぎってね。それで……なぐさめられる」

 そう言った翠明は、一人で茶房を切り盛りすることになってから、店名を変えたと続けた。

「……どんな名前?」

りゆうせいぼうだ。こうでやってる」

 流れ星は死の予兆。きつとされるあかしだったが、それを変えたのもまた茗聖である。

 病にたおれたこうていが、夜空に流れ星を見た。自分は死ぬのだと言った皇帝に、茗聖は告げたのだ。

 ──星々にはあまたのれいが宿っており、流星は地上に降りてくる証です。だからそのとき、願いを唱えれば、祖霊がかなえてくれるでしょう。

 完治を願った皇帝は、病を乗りえた。以来龍国では、流れ星は吉兆となったのだ。

「……願いを叶えてくれる、流れ星のお茶屋さん?」

「そうだよ。流れ星みたいにさ、茶でだれかの願いを叶えたり、幸せにしたりすることができればいいなと思ってつけたんだ。それは、夫の願いでもあったからね」

 翠明はていねいな仕草で、ちやはいちやきんき上げる。指先にまで神経が行き届いているのが、楓花にはわかった。ひよこをくように茶道具をあつかうのは、うでのいい茶師の証だ。

「どんなにつらいことがあっても、いつぱいの茶に慰められる。それと、誰かとおしゃべりをすることも大事だ。起きたことはしかたがない。哀しいことだって、無理に忘れなくていい。だからこそわかることもあるからね。それに、人生は悪いことばかりじゃない」

 楓花は両手に持つ茶杯と、その中でゆったりとたゆたう茶を見下ろした。いま抱いているやるせのない哀しみは、すぐには消えないだろう。でも……。

(……なんでかな。翠明さんとおしゃべりすると、お茶を飲んでるときみたいに、気持ちがちょっとだけ、ふわって軽くなるの)

 茶房の名前の由来も、てきだと思った。とたんに、翠明のもとで働きたいという思いが、楓花の胸の中でふくらみはじめた。

(お茶で誰かの願いを叶えたり、幸せにしたりできる茶師っていいな。そんな茶師になれたら、ずっとずっと大人になったとき、いつか……)

「……生まれ変わりじゃなくても、茗聖様みたいな茶師になれますか」


 思いがぽつりと声になった。楓花はうつむきながら、茶杯を包む両手に力を込めた。

「……こんなのは、もういやだ。二度と、戦は起こってほしくない。茗聖様みたいな茶師になれたら、きっと戦を止められるんでしょ? そういう茶師に、なれますか」

 きつくまぶたを閉じると、ふたたびなみだほおに落ちた。

「あんたに才能があれば、茶師にはなれるだろう。でも、茗聖のようになりたいって言うなら、それは天命によるね」

「天命?」

 楓花が顔を上げると、翠明はうなずいた。

「茗聖のような仕事をするには、きゆうていに上がらなくちゃいけない。平民の茶師がそうなるには、抗えないほどの運命の導きってやつが必要だ。あんたにその天命があるのかないのか。それはまあ、茶師になってみなけりゃわからないだろう」

(だったら、知りたい。自分がそうなれるのか──知りたい!)

 茶師にはずっと憧れていたし、いつか師とあおげる誰かのもとで働けたらと夢に見ていた。その絶好の機会が、いまここにある。そのことに気づいた楓花は、翠明に向かってけんめいに言葉をつむいだ。

「わたしの夢は茶師になることです。翠明さんとおしゃべりして、わたしも、お茶で誰かの願いを叶えられる茶師になりたいって思いました。そしていつか……茗聖様みたいな茶師になりたいし、そうなれる天命があるのか知りたい。だから、翠明さんのにしてください! そうもおせんたくも食事を作ったりも、なんでもします!」

 ぎょっとした翠明は、目を丸めた。

「弟子だって? うちはあたし一人でこと足りてるし、そのほうが気楽なんだよ。まいったねぇ、あんたをこのまま放ってもおけないから、帰りの道中でほうこう先を見つけてやろうと思ってたんだけど……」

 楓花は必死の思いで翠明をぎようする。と、ふいに翠明は、いたずらっ子のようにんだ。

「……なら、問題だ。いま飲んだ茶は、さて、なーんだ?」

 わかるわけがないと、どうやらからかっているらしい。でも──。

「──りよくちやの、しゆちやです」

 きっぱりと迷いなく答えた楓花に、はっとした翠明はおどろきをかくさなかった。

「どうしてわかった?」

「茶師の人をめると、お礼にいろんなお茶をくれたんです。それで、母さんが淹れてくれたことがあるの。そのときに父さんが、これは茶葉がつぶつぶになるまでじゆうねんしたものだから、こうばしいしぶみがぎゅっとまってる味だって。目が覚めてしゃっきりする、お日様みたいなお茶だぞって教えてくれたんです」

「……その味を、覚えていたって言うの?」

 こくんと楓花はうなずく。そう、楓花はちゃんと覚えていたのだ。

「茶葉も見ずに一発で当てるなんて……」

 びっくりだ、と翠明はかんたんした。

「……正直なところ旅に出ている間、店を閉めて来ているから、任せられる茶師がいると助かるとは思っていたんだよ。もしもあんたが、本気で茶師になるつもりなら……」

 わっ、と興奮した楓花は、翠明に顔を近づけた。

「本気です! わたしも皇都に連れて行ってください!」

 翠明は、楓花の目をまっすぐに見つめ返した。

「あたしの茶房で働くんなら、守ってもらうことが一つだけある。一度自分が引き受けた仕事は、相手が誰であっても、なにがあっても、最後までやりとげること。約束できるかい?」

 茶師になれるのなら、どんなことでも乗り越える。その一心で、楓花は大きくうなずいた。

「はい。約束します!」

 元気のいい返事に、翠明は思いきり破顔した。

「──よし! なら、いいだろう。決めたよ、連れて行く! おもしろそうだ」

 わっ! と楓花は立ち上がって、ぴょんと小さく飛びねた。

「……あーあ、とんだ荷物を拾っちゃったよ。きっと天国の夫は笑ってるだろうな。このおひとしって」

 そう言った翠明は、け落ちたてんじようをなにげなく見やった。翠明につられて、楓花も見上げる。流れる雲に月が隠されると、星々が水面みなものようにやみできらめく。と、そのときだった。すっと一筋、一点の光が落ちた。

「おっ、流れ星だね。さっそく願いをたくそう」

 きゅっと楓花は目を閉じた。

 ──いつか、茗聖様のような茶師になれますように!

 そう願った直後、ぐう、と翠明のおなかが鳴った。楓花は思わず笑いそうになり、失礼だと思ってぐっとくちびるを引き結ぶ。なのに翠明は照れることもなく、上を向いたまま目をつぶると、堂々と大声で言い放った。

「道中で、あたしを満足させてくれる山ほどのうまい食べ物に、タダでありつけますように! 全部大盛りで!」

 翠明は大食いのようだ。とうとうこらえきれなくなった楓花は、やっと心の底から、声を上げて笑える気持ちをよみがえらせることができたのだった。



 そして、この運命的な出会いから──十年の歳月が流れる。




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