第一章 目を覚ましたら、突然の中華_2
数日後、私はなぜか花酔楼ナンバーワンの
芙蓉は
彼女はしどけなく
(なんでこんなことに……)
「姐さん。何も子供がしたことじゃないですか」
「あらぁ、アタシはこの子に
取り成すように余暉が言うが、芙蓉は一度言い始めたら聞かない人だ。
「さあ、早くおし」
芙蓉の
なぜこんなことをする羽目になったのか?
それは、先日少女の頰に花びらを描いたせいだ。
今日になって
(芙蓉姐さんが気に入らなかったら、どうしよう)
芙蓉はお
彼女のご
最悪、花酔楼を追い出されてしまうかもしれなかった。
わざわざついてきてくれた余暉にも、申し訳なく思う。
(とにかく姐さんの機嫌を損なわないように、
アシスタントになる前だったとはいえ、私だって化粧に関しては
そう自分を勇気づけ、作業を始めようとした。
しかし筆が芙蓉の頰に
「なぁに? どうしたんだい?」
しかしどんな顔をされようとも、そのまま作業を続ける気にはなれなかった。
「どうした? 気分でも悪いのか?」
固まった私を、余暉が心配そうに
私は首を
「姐さん。
「はあ!? アンタ何言ってんだい!?」
芙蓉が大声を出して
私は彼女の怒鳴り声を背中に、急いで部屋を出た。
そして必要なものを用意して、部屋に戻る。
すると余暉が、今にも
「まあまあ、姐さん落ち着いて。小鈴にも何か考えがあるんですよ」
申し訳ないと思いつつ、一度では足りなかったので何往復もした。
おかげで初めは
「なんだい? 上手くできないからってアタシにお供え物でも持ってきたのかい?」
やっと
「姐さん、まず顔、あらう」
「はぁ!?」
芙蓉は
「その、しろい……はだ、よくない。水、あらう」
そう言って差し出したのは、水の入ったたらいだった。
間近で見た芙蓉の肌はひどく
「よくないってねぇ……これは
鉛白と聞いて、私は
妓女たちが使っている
専門学校で化粧の歴史を勉強した時に、白粉に用いた鉛白によって
鉛白というのは名前の通り
「ごめん!」
言うや
「あにするんらい!!!」
突然
(よかった……まだ変色はしてないみたい)
鉛中毒の
「歯……肉? 見た。
そう言うと、今にも怒鳴りつけてやろうかと身構えていた芙蓉も、仕方ないという顔になった。
「そういうことなら……まったくっ、言ってからやっておくれよ!」
決まり悪げに
「原因、わかた。あらって……きれい、する!」
一刻も早く鉛白を落としてほしくて、芙蓉の
「とにかく、言うとおりにしてやってくださいよ。そしたらコイツも満足しますんで」
姐さんはしぶしぶ、たらいの水に手を
(余暉についてきてもらって、正解だった)
彼はこの辺りの
おかげで、芙蓉も
それにしても、この白粉はどうしたものだろうか。いきなり私が危険だから使うなと言ったって、
芙蓉が顔を洗う水音が
そして彼女が十分白粉を流したのを見届けてから、
「ったく、アタシにこんなことまでさせるなんて……それにしてもこの水、なんだかちくちく
「あめ」
「はぁ? 雨水だってのかい」
「
花酔楼では生活用水として井戸水を使っているが、地中を流れる井戸水は洗顔には向かない。
雨水は
これが例えば土に
なので私も洗顔をする時は、井戸水ではなく
「そのほうが、きれい、なる。ちくちく、しない」
芙蓉はしばらく目を見開いて
洗顔を終えてスッピンになった芙蓉の肌は、思った以上に荒れていた。
本当はきちんと休むのが一番の対処法だが、花酔楼で一番の売れっ子にはそれも無理だろう。
「そこ、
そう言って私が指差したのは、部屋の奥にある
寝台とはいっても、それは現代のようなスプリングの効いたものではない。見事な
「あははは! やけに色気のない
スッピンの芙蓉が
その笑顔に私はほっとした。
芙蓉が寝台の上に横になったのを見計らって、荷物を持って寝台の近くに移動する。
私からは、芙蓉の顔がちょうど逆に見えた。
「目、とじる」
言うと、芙蓉は大人しく従う。
私の相手をすることに、
用意した材料を、
「なンだい? なんだかいい
これがいい匂いだということは、芙蓉は相当なお酒好きだと思う。
「これ……酒、しぼった……あまり?」
「
『
この世界で、酒粕は酒糟というらしい。
彼はよく会話の練習に付き合ってくれているので、私の言いたいことがなんとなく分かるみたいだ。
肌が荒れた芙蓉のために、私が用意したのは酒糟だった。
(
「みず、まぜて……しぼる」
混ぜていたものを布に空け、
材料は、酒糟と雨水と油を少々。油は見た目だけでは何の油かまでは分からないが、やけにどろっとしているので
(ひまし油なら、シミやソバカスにも効くよね)
それらを混ぜ合わせたものを、芙蓉の顔の上にのせてゆっくりと延ばしていく。白くぽってりとしたそれは、私の手でゆるゆると広がった。
「冷たいわね」
「しゃべらない」
私が言うと、なぜか芙蓉は素直に口を閉じた。絶対何か言うと思っていたのに。
(疲れちゃったのかな?)
部屋は静まり返っていた。
遠くで少女たちの練習する楽の音が、かすかに聞こえる。
酒糟パックが顔に行き渡ると、今度は芙蓉のリンパを
フェイスマッサージは私の
三十分ほどで手を止め、芙蓉の顔を
「あとは、少し待つ」
「……すぅ」
よく見ると、芙蓉は安らかな
どうしようかと視線で余暉を
(あれ、もしかしてやり過ぎた? よかれと思ってやったけど、確かに子供がやるようなことじゃないよね……余暉は私のこと男の子だと思ってるんだし)
むくむくと
私は芙蓉を起こさないように静かに片付けを始めた。まずはたらいで手をゆすぎ、持ってきた道具や材料を片付ける。
それらをまとめて持ち上げようとしたら、結構な量になった。見かねた余暉が、横から荷物を
「これは俺が片付けておくから、小鈴は
そう言って、彼は
「ありがとう……」
その背中に、小さくお礼を
あとはパックが乾くのを待って、絞った布で拭う。何度か絞って
仕上げに乾いた布で水気を取り、今度は残った酒糟の絞り
酒糟パックの絞り汁は、
(こんないきなりじゃなければ、ちゃんと前日から準備できたのに)
パックと化粧水の出来には不満が残るが、気持ちよさそうに
すっぴんで無防備に眠るその顔は、なんだか
彼女を起こしてしまわないよう、その体の上にそっと
本来の要望には
私は近くを通りかかった見習いの少女に後を任せ、芙蓉の部屋を後にした。
さて、あれから
(またしても、なんでこんなことに……)
立ち
その数、十人近く。
おそらく花酔楼のほとんどすべての妓女が、ここに顔を出している。
「ちょいと! 小鈴の才能に気付いたのはアタシなんだからね! さっさとそこをおどきよ!」
すぐ側で、芙蓉が金切り声をあげる。
なんでも、あの日洗顔と化粧水を
リンパの老廃物を流したおかげか、芙蓉自身も顔の疲れが取れたと大満足だった。
それがいつの間にか
私の手元で
「はあ、気持ちいいこと。これで五歳は若返るってんだから、
聖母神皇というのは、今の政治を
私だって本名は鈴音だが、今は小鈴で十分だと思っている。
そんなことを考えつつ、もういいかと手を止めた。
「ひと、いっぱい。かわいたら……洗って。それつける」
そう言って指差したのは、お
人数が多いので、マッサージ後のアフターケアはそれぞれに任せている。完全セルフだ。
妓女はしぶしぶ立ち上がり、あらかじめ用意しておいた
芙蓉にマッサージした時から改良を重ねて、パックも絞り汁の化粧水もそこそこの品質になってきた。
私が作った物を喜んでもらえるのは、
もっと改良を重ねて、もっと喜んでもらいたい。
でも、ただの下働きの私がこんなことをしていられるのには、理由がある。
本来の仕事から
それはすぐそばで
「ほんと、小鈴は拾い物だったね。あんたのおかげでうちの
一番
それは、朝一番に施術を受けにきたお
マッサージを彼女も気に入ってくれたおかげで、
おかげで日の出前から起き出したり、重い
(フェイスマッサージの勉強しておいてよかった)
好きな仕事ができるという
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