05. 本心

     11:51 a.m.


 心配そうに、岩崎はベッドで寝かされている吉明の顔を覗き込んだ。

 陰で虐められているのではないかと彼女は懸念している。ヒーローのような優しさは、弱い人を放っておくことができない。

 けれど岩崎は気づいているのだろうか。彼女との繋がりがあるからこそ、クラスの男子は吉明を疎ましく思っていることを。

 ならば、吉明が伝えるべき言葉は決まっている。これまでに何度も助けられてきたのだ。そう考えれば――充分なのかもしれない。

 上体を起こして、けれど目を伏せたまま告げる。


「……もう、俺と関わらないでくれ」


 たった一言で、岩崎の表情が凍った。

 目線は同じ高さなのに、二人の視線は交わらない。

 吉明は構わずに続ける。


「そうすれば、きっと解決するから」

「…………私が傍にいなくて、誰が橋本君を助けるの?」


 俯いている岩崎が小さく呟いた。

 その発言は誰のためのものなのか、吉明には判断できない。


「私がどれだけ心配してると思ってるの? なのに橋本君は、私に関わるなって言うの?」

「心配? 心配ってなんだよ。ただヒーローを気取りたいだけなんじゃないのか」

「何……それ」

「俺にこだわる必要なんてないんだから、保護者面するのはもういいだろ?」

「でも」

「お前こそ、俺の気持ちを知らないくせに」


 搾り出すように、感情が声になっていた。

 直後。

 吉明は音を体で感じ取った。目の前の光景がブレる。遅れてじわじわと頬が痛む。

 平手打ちをされたのだ。その痛みはボールの一撃を上書きした。

 体よりも、胸の奥が軋んでいる。


「確かに私には、橋本君の気持ちは分からない」


 聞いたこともない、嗄れた声。


「会ってから三年以上も経つのに……私は橋本君のこと全然知らない。知りたいと思うのに、ちっとも分からない。分からないんだよ。こんなに心配してるのに。私は、何も……っ」


 小さくて。か細くて。

 それは初めて耳にする弱音だった。


「どうしてそんなに駄目な方ばかり考えるの? 私はただ、君に笑って欲しいだけなのに。ずっと、そう思ってるのに」


 溌溂はつらつとした姿しか知らない吉明は、呆然とその様子を見ていた。

 岩崎の頬に、伝う。


「好きな人が傷ついてるかもしれないのに、黙って眺めてるなんて、私にはできないよ」


 言葉の意味を。流れる雫の理由を。吉明はすぐに理解できなかった。

 好き。嫌いの反対。好意と呼ばれる気持ち。

 岩崎は確かに口にした。他の誰でもない吉明に。

 意識した途端に体が熱くなる。心臓の音がはっきりと聞こえてくる。

 半信半疑の中、吉明はどうにか声を発する。


「好きってお前、本当に?」

「え……あっ」


 岩崎は驚いていた。先程の発言は無自覚によるものだったらしい。

 しかし、取り消すことはしなかった。

 むしろ。


「好きで悪いか! バ――カッ!!」


 突然の大声が静かだった保健室を揺らす。

 真っ赤な顔と荒い息遣い。たがが外れたように、感情だけが岩崎の意識を支配していた。

 だが長くは続かない。いくらかの深呼吸で気持ちは落ち着いたようだった。


「多分もうすぐ先生が戻ってくるから。安静にしてろ、この唐変木!」


 言いたいだけ言い捨てて、岩崎は保健室を出て行った。終始圧倒されていた吉明は、ぼんやりと閉まったドアの、あるいはその向こう側を見つめていた。

 けれど、間を置かずにドアが開く。入ってきたのは留守にしていた保健の先生だった。何かが終わるまで待っていたようなタイミングである。ふと目が合うと、女の先生は満面の笑顔を向けた。吉明は逃げるように顔を背け、ベッドの上で縮こまる。


 顔が赤いのはきっと、頬の痛みがまだ残っているせいだった。

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