02. 遮断

     11:40 a.m.


 四時限目に控えていた授業は体育だった。体操着に着替えるために、男子は教室、女子は更衣室へと別れる。

 当然教室に岩崎の姿はない。言わばお目付け役のような立ち位置である彼女がその場にいなければ、彼らは我慢する必要がない。


「岩崎さんもさ、物好きだよな。どうしてお前みたいな根暗な奴のことがいいんだろうなあ、橋本?」

「……知らない」


 吉明の口から出た声はやけに小さかった。


「岩崎さんも優しいよなー。お前みたいな弱虫にも手を差し伸べるとか、心綺麗過ぎでしょ」


 当てつけるように、わざとらしい口振りでクラスメイトの男子は言葉を続けた。岩崎に嫌われたくないのか、当人がいるところでは大きな行動を起こさない。結果、彼らは影に隠れるようにして標的を攻撃する。

 その理由は単純だった。

 彼らの言うように、岩崎は優しい人間である。根暗と称されがちな吉明とも友好的に接しているのだから、彼女はクラスメイトとも分け隔てなく関わりを持っている。明るい性格が幸いして、男子からの人気も厚いようだった。

 だからこそ、彼らは自動的に注目する。

 岩崎が頻繁に構っている、吉明のことを敵視する。

 思春期真っ只中の年代であれば、このような状況が発生するのは当然なのかもしれない。そうやって、吉明は諦めてしまっている。

 特に会話が飛び交うわけでもなく、着替え終わった者から体育館へ向かう。吉明も用意を済ませ、自分の机から離れようとした。その時。


「――ッ」


 横を通りがかった男子が、吉明の爪先を踏みつけた。その男子は振り向きもせずに教室を出ていく。

 三十人が収まる教室の中で残った生徒はただ一人。

 足の指に生まれた痛みを、吉明は独りで耐え忍ぶ。



     12:17 a.m.


 体育館でボールを弾く音が響き渡る。

 そこではバスケットが行われていた。五人の三チームに分かれ、試合をする二チームと休憩を挟む一チームがローテーションで入れ替わっていく。

 至って普通の授業内容だ。

 その中にあって、一つのチームが連携を乱していた。吉明がメンバーとして参加しているチームである。

 クラスの男子から快く思われていない吉明は、そもそも団体行動が苦手だった。他人と息を合わせる必要があるスポーツでは、その側面が顕著に浮き上がる。加えて運動神経も優れているとは言い難かった。

 チーム内のお荷物が誰であるかを、他のメンバーは勿論、吉明自身も自覚している。休憩の間に体力が回復していても、動きが俊敏になるわけではない。試合の中でボールに触れる機会は少なく、ボールを追いかけるクラスメイトの後を追うのが精一杯だった。

 仮にパスが回ってきても、吉明の鈍い挙動では簡単にボールが相手チームに渡ってしまう。仲が良ければ励ましの言葉一つも交わすのだろう。けれど、向けられるのは舌打ちか苛立ちの視線だけだった。


 やがて、何巡目かの試合がスタートする。

 ボールと選手の位置が激しく変わる。目でそれを辿ることができても体が届かない。足がもたつく。息が途切れる。辛うじてプレーに参加しているという体裁だけを保つ。

 しかし、そんな吉明の取り組む姿勢を許せないメンバーがいた。バスケ部に所属している彼は、たとえ授業の試合であっても負けを悔しがるような生徒だった。中途半端を嫌う性根は憤りを募らせていく。元から弱い立場にあったことや普段から溜まっていた不満が、この場で生まれるストレスを増長させた。


 そうして。

 フラストレーションが一定のラインに達する。


 不意に、視界が真っ黒に染まった。

 目まぐるしい展開に付いていくのがやっとだった吉明は、たった今起こった出来事を把握できなかった。知らずのうちに体が崩れる。ボールの弾む音が止む。休憩中に体育館の壁際で観戦していたチームが手を叩いて笑う。駆けつける先生の姿をぼんやりと眺めながら、吉明はようやく理解に至った。


 勢い余って、ボールが顔面に直撃したのだ。

 まるで――荷物を切り捨てるかのように。

 行われたことが故意にしろ偶然にしろ、吉明の意識はそこで途切れた。

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