生まれて死、喜んで悲しみ

「久し振り」

「久し振りぃ」

 俺の高校時代の旧友は、何も変わらず、出会った瞬間俺の背を強く叩いた。

 彼女とはふたりで何度も出掛けたし、金の無い学生らしからず見栄を張って洒落たカフェに入ったり話題のスイーツを食べたりしたが、こういう店に入るのは初めてだった。

 行きつけのバー、洋酒専門店。

「お前と酒を飲むようになるとはな」

 俺の左隣で旧友は、一杯目で既に酔っている。

 まあ、俺も人のことは言えないわけだが。

「お前、今どうしてんだっけ。小惑星探査?」

「いや、もう火星に腰を落ち着けてる。体がついてかなくなったら、お前の親父さんとこ置かせてもらうからよろしく言っといて」

 そう馴れ馴れしく肩に手を置かれても、できない約束はできない。曖昧に笑っておく。

「大学出て三年目でオッサン発言かよ。早くねえか」

 せめてオバサンと言え、と、突っ込んでほしいところに突っ込みが来る。付き合いは長い。長いし、恐らく人生の誰よりも深い。

「五歳上の先輩がね、そうやって今年地球に戻ってったのよ。結婚もしたいとかで。今はまだピッチピチだけど、私もいずれはそうなるんでしょうと思って」

 まあ、いずれは、ね。

「そのときまで生きてられればな」

「こらこら、フラグを立てるんじゃない」

 今度は頭をくしゃくしゃと撫でられる。かなり酔っていると思われる。

 これ以上、他の女の臭いをつけたくはないものだ。

「そろそろ出るぞ」

「ういー。いくら?」

 付き合っていた頃から、俺らの間に奢り奢られの概念は存在しなかった。割り勘ですらない。自分の分は、自分で払う。いつ会えなくなってもいいように。いつ死んでもいいように。貸し合い借り合うことで作り上げられる人間関係など存在しない。貸さないし、借りない。次彼女に会うのが葬式でも構わない。そのときは、俺は彼女の人柄と厚意に応じて香典を出す。最後に食事に行ったとき、奢ったか奢られたかを考える必要はない。

 彼女を駅まで送る。俺も一旦シャワーを浴びた方がいいかと考えたが、面倒だったのでやめた。それよりは、鞄の中のピアノ線に、星の光でも染み込ませてやった方が彼女は喜びそうだ。外の世界を知らない彼女は、星の光も、陽の香も、花の声も、風の味も知らない。最後にプレゼントしてあげるのも悪くはない。俺が彼女に生涯で送ったプレゼントが、不確かな成人の誕生日ケーキとピアノ線のみでは、男が廃るというものだ。

 別れ際、俺はかつて好きだったひとに、ひとつだけ質問をした。

「生まれた喜びと死ぬ悲しみ、どっちが大きいと思う?」

「何それ」

 旧友はけたけた笑い、酔った頭で、彼女なりに懸命に考えてくれたようで、少し経ってから結論を出した。

「結果良ければ全て良しっていうじゃない?」

「だから?」

「大きさは分かんないけど、生まれた喜びより死ぬ悲しみの方が、重いんじゃないかなあ」

 ほら、と彼女は人差し指を立て、陽気に続ける。

「喜びを悲しみが打ち消しちゃったら、悲しみしか残らないんじゃない? みんな、そうだよね。悪いことは良いことの後にやってくるんだ」

 始まるから終わる。希望を持つから失望と出会う。出会うから別れる。生まれるから死ぬ。喜ぶから悲しむ。

「だから、初めから全部なかったことになればいいのにね、悲しみは残るんだよ」

 彼女は顔をくしゃくしゃにして笑った。

「私はあんたと出逢わなければよかったと思ってるよ」

「まだ、悲しい?」

「悲しいよ」

 彼女は笑顔を捏造したまま、

「今日久し振りに会って、もう始まることは無いんだなって、思い知らされた。だから悲しい」

 アルコール混じりの本音を、夜の空気に漂わせた。

「ごめん、言うつもりじゃなかった」

 じゃあ、と改札をくぐる彼女を、俺はとめようとも思わなかった。

 ただ、夜の空気は存外冷たいものだと思った。

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