第2話
(寒い…息苦しい…何か、怖い……)
私の中に、確かな恐怖感が芽生えました。
けれど、認めてしまうわけにはいかなかったんです。
受け入れてしまっては、私はきっと酷く恐ろしい目に遭うと思ったから。
「美里まだかな~遅いな~、私、先に出ちゃおうかな~」
私は何も気づいていない。分からない。だって、ただの人だから。
そう自分に言い聞かせるように、湯船から上がろうとした時、肩を撫でるような微かな感触に体を固めました。
(な、何…?)
目だけで自分の肩先を見ました。
私の両肩には、長い髪が何本も張り付いていたのです。
(誰の、髪…?)
私の髪ではありません。
少しゴワゴワとした髪質で、昨日今日 抜け落ちた物には見えませんでした。
長い間、水の中を回遊していたのでは無いか…そんな古い髪。
濁り湯で湯船の中は視界不良。自分の体の輪郭も見えません。
けれど、フワフワと奇妙な感触がお湯の中にあると、足を入れた時点で気づいていました。
でもソレは、温泉成分の湯の花に違いないと疑う事が無かったから平気でいられたんです。
(違う…この感覚、髪の毛だ……髪の毛が私の体に張り付こうとしている!!)
心の中でそう確信した時、頭の中に1つの映像が流れ込んで来ました。
女性が滝壺に落ちるイメージです。
丁度、この大きな窓から良く見えた事でしょう。
「ぁ、、ぁ、、…あぁっ、も、もう熱くて入ってられない!
もう美里なんて待ってあげない!先に出ちゃお!
ってか、お風呂ちゃんと洗っておいて欲しいかも! 掃除が足らないかも!」
必死の誤魔化し文句を並べながら、私は纏わりつく髪を湯船に流し、慌ててシャワーを頭から被りました。
咄嗟に、逃げていると気づかれてはならないと思ったんです。
あくまでも平常心でなければならないと思ったんです。
「美里ぉ!もしかして今から入ろうとしてる~?
私、もう出ちゃうからぁ、美里の事 待ってられないから、ココは諦めて他に入りに行こう!
服脱がないで待っててよね!」
誰もいる筈の無い浴室で恰も友達が来たように繕って、私は急かされていると言うテイを作り、脱衣所に駆け戻りました。
(早く、早く服を着なくちゃっ、、本当に美里が来る前に!!)
濡れた髪なんかどうでも良い。
兎に角ココを離れよう、その一心で荷物を纏めました。
けれど私は、ココでバカな行為に及んだのです。
(先客の1人は先に帰った…今は、脱衣所の籠は私しか使っていない…
やっぱり、お風呂には私以外 誰もいない、いる筈が無い!!)
スマートフォンを手に、私は浴室に繋がる戸を開け放ち、1枚だけ写真を撮りました。
(ホラ! 何も写らない!! 誰もいない!!)
「お風呂入れなかった美里にお土産!どんなお風呂だったか、写真でくらい見せて上げなきゃ!」
誰もいないと確信を口にしながら、私は言い訳を捲し立てていました。
そして、遽走って旅館を出て行きました。
「和歌子~!」
美里は車の脇に立って、私が出て来るのを待っていたようです。
「美里!! 何やってたの!? ずっと電話してたの!?」
「え? ぁ…そうゆうわけじゃ無いけど。和歌子、どうしたの?顔色悪いけど…」
「私、メールしたよね!?」
「メール?」
「早くおいでって、メールしたでしょ!?」
「ちょっと待って。……ううん。来てないよ?」
「嘘! 私 送ったもの!! 見てよ! 私のスマホ! ホラ! 送ってるでしょ!?」
「ホントだ。あぁ、もしかして、山だから受信エラーしてんのかな?」
未受信メールが無いかサーバーに問い合わせるも、私が送ったメールは美里のスマホには届いていませんでした。
(そんな…じゃぁ、あのメールは誰に届いたって言うの…?)
全く違う相手、違う次元の存在…
(あの人…私が呼んだ…?)
【早くおいでよ。】
(違う!! 私じゃない!! あんな人、私は知らない!! あそこには私しかいなかった!!)
俯く私に、美里はすごく申し訳なさそうに言いました。
「ごめん、和歌子、、そんなに怒らないで?あのね、実はさ、」
「良い、早く行こう」
「でもさ、」
「良いから喋らないでっ、
私、美里がお風呂入るの待ってられないから!今日の予定、他にもあるんだから!」
「ぁ……ぅん、、」
私は怒ってなどいません。でも、美里には何も言わせたくありませんでした。
何も言ってはいけない。ココでコレ以上 明らかにしてはいけない。
美里をあんな場所に向かわせる何て とても出来ない。そう思っていただけです。
静かな車中で、美里は頻りに私を気遣ってくれました。
「和歌子…やっぱり具合悪い? 車 停めて少し休む?」
「停めないで」
「…今日は、帰ろうか?」
「嫌。最低でももう1カ所くらい温泉に入らないと…」
「大丈夫なの?」
「大丈夫…」
体中に纏わりつく長い髪の感触が拭えずにいました。
この状態で家に帰りたくはありませんでした。
何も無かった事にするには予定通り温泉巡りをして、美里との楽しい1日にする必要がありました。
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