絡まる者。
坂戸樹水
第1話
私は小さな頃から体が弱くて、何かと言えば寝込むような子でした。
ソレもあって、健康には人一倍神経質。
大学生になる頃には温泉を巡るようにもなって、幸いな事に同じ趣味の友人にも恵まれ、
この日は1番の仲良し=美里と2人で秘湯を巡ろうと、車で片道3時間もかけて山間の温泉旅館へ向かいました。
歴史の深い、とても有名な一軒ばかりの温泉旅館です。
「和歌子! ココだよ、ココ! やっと着いた~~!」
天気は生憎の曇り空でしたが、旅館のすぐ脇には絶景の滝。
この景観に、運転手だった美里の疲れも吹っ飛んだ様子でした。
「ごめんね、美里。運転任せっぱなしで、、」
「イイよぉ。アタシ、運転好きだから!
ソレに、方向音痴の和歌子に任せたんじゃ、一生辿り着けないもーん!」
「ソレを言われるとぉ…」
「アハハハ!ソレよりさ、駐車場 空いてて良かったよね!
有名な湯治場だってからムチャクチャ混んでたらヤダなぁって思ってたけど、
結構 穴場だったのかも!」
「そうだね!」
土を均した上にロープを張っただけの簡素な駐車場には、私達の他に1台の乗用車しか止まっていませんでした。
ゆっくり温泉につかれる。浮かれながら車を出ると直ぐ、私の全身には鳥肌が立ちました。
「何か…肌寒くない?」
「えぇ? 今8月だよ? クーラーで冷やし過ぎちゃったかな…和歌子、大丈夫?」
山の中だからでしょうか、
ココまで来て体調を崩した何て、連れて来てくれた美里に申し訳がありません。
きっと車酔いでもしたんだろうと自分を誤魔化して、旅館の入り口へ。
戸を開けようとした所で、美里は立ち止まってクルリと踵を返しました。
「あ。ヤバ。ごめ~ん、アタシ、電話しなきゃいけなかったんだぁ…」
「電話?」
「うん。今日は遠出だからって、お父サンが心配しちゃってさ。
着いたら直ぐに連絡しろって言われてたの忘れてたぁ」
「そう。じゃぁココで待ってるよ」
「イイって。ついでに、カレシとバイト先にも電話しときたいから。
和歌子は早くお風呂入って体温めな。風邪ひいたら大変だよ」
「もしかして、バイト 休めて無かったの?」
「お土産、何にしますか~? ってだけ」
「そう…」
美里の言い分が少し奇妙にも感じましたが、寒気の収まらない私はソレ程 疑うでも無く、
先に日帰り入浴の受付を済ませる事にしました。
(随分 薄暗くしてるんだな…コレも風情って言うのかな?)
女湯の暖簾を潜り、脱衣所に並べられた籠に自分の荷物を預けると、
私は服を脱ぐよりも先に『早くおいで』と美里にメールを送りました。
暫くその場で待ちましたが、美里からの返信はありません。
(まだ電話してるのかな…)
美里は長電話好きなので、相手が彼氏なら話し込んでしまっても仕方が無く、
しんみりと静かな脱衣所に心細さを感じていましたが、先客が1人いる事は脱衣所の籠の荷物で分かりましたので、私は温泉に入って美里を待つ事にしました。
浴室は想像していたよりも広く、開放的で、洗い場は個々に仕切られていて人目を気にせず体を洗えるよう改装されていました。
(なるべく人の姿が見える場所にいよう)
洗い場を使う女性の背が見える位置に椅子を置き、汗を洗い流してから内風呂に。
浴槽は洗い場と違って木の温もりと年季を感じます。
お湯は自家源泉かけ流し。
橙色の濁り湯は鉄炭酸泉と言う事ですから、直ぐに寒気なんて吹っ飛ぶ筈です。
(あ。あの人、もう上がってしまうんだ…)
浴室を出て行く女性の背を目の端に捉えながら、私は湯船で独りぼっち。
内風呂と半露天を仕切るステンドガラスの模様を気晴らし眺め、私は広い浴槽内で手も足も伸ばせずにいました。
(美里、遅いな…)
折角 来たのに何なんでしょうか、この静まり具合は。
幸運にも貸切状態なのですから、悠々と過ごさなくては勿体無いと考え直し、私は滝の見える半露天に移りました。
大きな窓の眼下に、滝壺が良く見えます。
「すごーい。この旅館、崖っぷちに立ってるー……ハァ、」
寂しい独り言です。
私は景色に背を向け、浴室の入り口をジッと見つめて美里を待ちました。
(寒い…)
気の所為でしょうか、体は温まるどころか芯から冷えていくようです。
美里が来るまでに
(…アレ? 後ろ、誰かいる…?)
何と無く、そんな気がしました。けれど、そんな筈は無いんです。
だって私の真後ろは大きな窓で、浴槽に体をピタリとくっつけてないにしろ、人が入り込む程の隙間はありません。
窓から覗く事だって出来やしません。何せ、足元は滝壺なんですから。
ソレなのに何故か…気配がするんです。本当に直ぐ側。
私の耳朶の後から、触れるか触れないかの距離で覗き込むような…
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