十一 芝居

 原田真一は五条郁子の首にねだられて、五条家を訪問していた。


「原田君、よく来てくれた」


 五条喜一郎は真一の訪問を喜び、歓待した。郁子の遺影の前で焼香する真一。


(真一さん、お願い、祖母の体に抱きついて下さらない? そしたら、私、祖母の体の癌を食べてしまえますもの)


 郁子に祖母に抱きついてほしいと言われ、真一はそれは出来ない相談だと思った。日本では、外国人のようなスキンシップはしない。せいぜい握手ぐらいだ。もし、抱き合うとしたら、よほど特殊な場合だ。


「真一さん、いつまでもあの子を忘れないでやってね」


 焼香が終わった真一に五条夫人が涙ぐみながらお茶を勧める。 

 お茶をすすって真一は、それとなく五条社長の健康状態を訊いた。


「心配してくれるのかね? 原田君。大丈夫だ。会社の定期検診では異常はなかったよ。酒は控えるように言われたがね」


 五条喜一郎が嬉しそうに言う。


「真一さん、この人に言ってやって下さいな。少しは健康に気をつかうように」


 面やつれした五条夫人が真顔で真一に頼む。


「社長、郁子さんは生前社長の健康状態をとても心配されていましたよ」

「真一さんの言う通りですよ、ね、あなた。せめて煙草をやめて下されば」

「わかった、わかった。この頃は煙草を吸ってもうまくなくてね、自然、本数は減ってるんだ」

「あの、社長の母上は?」

「ばあさんか?」


 社長の顔が、途端に難しい顔になった。


「郁子が死んだのが応えたらしくてね、めっきり体調を崩しているんだ。今も、部屋で寝ているんだよ」

「あの、お祖母様は食道癌だと伺ったのですが」

「ああ、そうなんだ。年だから切れなくてね」

「お見舞いさせてもらってもいいでしょうか?」

「ああ、いいとも」


 真一は郁子の祖母の部屋に案内された。部屋は純和風だった。六帖の和室には立派な床の間や飾り棚、書院が設えてあった。祖母のセツは布団の中で眠っていた。

 真一はセツの枕元に座った。


「おばあさん、郁子さんの婚約者だった原田真一です」


 真一が呼びかけると、セツは目を覚ました。


「おお、おお。こんな老女の所によく来て下さった」


 セツは布団から手を出し、真一の手を握った。真一は老婆が可哀想になった。もし、郁子の言う通りなら、郁子の頭を突っ込めば癌が完治するかもしれない。だが、しかし、どうやって突っ込めばいいのか? セツの胸か背中に自分の胸をぴったりとくっつけなければならないのだ。ここは満員電車ではなかった。

 真一は一世一代の芝居をうった。

 がばあっと布団の上からセツを抱き締め、泣き出した。


「う、う、う、おばあさん、おばあさん、どうかどうか、元気になって下さい。僕は……、郁子さんが死んだ上、う、う、う、おばあさんまで亡くしてしまったらと思うと夜も眠れません」


 そのまま、嘘泣きに泣いた。


(真一さん、もう少し右、というか上よ上)


 郁子の声が布団の中からする。真一は嘘泣きをしながら胸の位置をずらした。

 祖母のセツは目を白黒させながら、真一の背中に手を回し、そのままさすった。


「まあ、まあ、大きななりをしてなんでしょうね。子供のように泣きじゃくるなんて……。私は大丈夫ですよ。さあ、さあ、泣かないで。みっともないですよ」

「元気になってくれますか? 元気になると約束して下さい」


 真一は臭い台詞かなと思いながらも言った。


「ええ、ええ、元気になりますとも。さ、どいて頂戴。重くって!」

「あ、すいません」


 真一は体を起した。同時に郁子の首が布団から出て来る。郁子の口はみごとに肉の塊をくわえていた。


「すいません、本当に、みっともない所を見せてしまって……」

「いいんですよ。たまには泣いた方が。なんだか、こちらまで貰い泣きしましたよ」


 セツは指でそっと涙をぬぐった。

 真一はセツと郁子の思い出話をすると、五条邸を辞した。帰り道、郁子は真一に言った。


(真一さん、ありがとう! おばあさまの癌は私が食べてしまったわ。これでおばあさまはきっとお元気になられるわ)


 それからしばらくして真一は五条夫人にセツの具合を尋ねた。夫人はセツから食道癌が跡形もなく消えており医者が驚いたという話を嬉しそうに真一に話した。



 以来、真一が満員電車に乗ると首は喜々として癌を探した。そして、どんどん食べて回った。真一は郁子が食べた癌がどこに行ったか、郁子の体がどこにあるか、考えないようにした。

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