九 共生
真一はぎょっとした。が、二回目である。真一は震えながらも悲鳴は上げなかった。
(真一さん……)
真一はゆっくり胸元を見た。郁子の目は閉じられたままだ。青白い死顔がいつのまにか生き生きと生気を取り戻している。郁子の唇が動いた。
(真一さん、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの。私、真一さんと一つになれて嬉しくて。でも、もう大丈夫。……目が出来たから)
郁子が目をぱちりと開けた。
真一はすくみ上った。確かに目が出来ていた。だが、片方だけなのだ。真一は恐怖に引きつりながらも大きく息をした。
「郁子さん、もう一度目を閉じて下さい。片方の目しかありませんよ」
(え? まあ、ごめんなさい!)
郁子が両の目を閉じた。
(真一さん、本当に驚かせてごめんなさい。ね、お願い、しばらくあなたと一緒にいさせて。あなたを愛しているの。お願い!)
「嫌だ、頼む。俺の体から出て行ってくれ。あなたは死んだんだ。頼む、成仏してくれ」
(無理よ。だって、私の骨のかけらがあなたの胸にはいってしまったもの)
「え! いつ? 何時だ?」
真一は、胸をかきむしった。
(いけませんわ、胸をかいたりしたら。そんな事をしても取れませんもの。ね、落ち着いて下さい。ほら、火葬場で私のしゃれこうべの破片が飛んだでしょう? あの時ですわ。大丈夫、害はありませんから)
「本当に? 本当に害は無いのか?」
(ええ、ありませんわ。ね、お願い。しばらくの間だけ、一緒に居させて下さい。お願いだから)
真一は何と答えていいかわからなかった。
(あなたが嫌がっても、私、居座るから)
郁子が拗ねたように言う。
(だって、私、真一さんが好きなんですもの。一緒に暮らしたい気持ち、わかるでしょう?)
それから、首は一人でしゃべった。しゃべって、しゃべって、しゃべり続けた。
真一ただ黙ってそれを聞いていた。そして、眠りに落ちていった。
気が付くと、夕方だった。気分はすっきりしていた。
真一は精神科の医者に処方して貰った睡眠導入剤を服用していた。薬による眠りにはどこか無理があった。起きていても寝不足特有のぼんやりした感じがぬぐいきれなかったのだ。が、今はすっきりと爽快だった。
首は眠っているのか、目も口も閉じられている。
医者に紹介された神社に行くのは明日にしようと真一は思った。
バラの花が次々と咲き、まるでバラからエネルギーを得たように、郁子は生気を取り戻していった。目が元通りになり、何かに取り憑かれたようなおしゃべりではなく普通に話すようになった。真一は郁子の存在になれた。元々、結婚しようと思った相手である。リエのようには愛せなかったが、それでも可愛いと思った相手だった。積極的に一緒にいたいとは思わなかったが、生活を共にするのにやぶさかではなかった。
真一は山崎医師に紹介された神社に行くのをやめた。
翌週の月曜日、真一は久しぶりに出社した。
通勤の満員電車の中で胸に生えた郁子の首は前に立っている人の体の中に差し込まれた。人の背中から生首が出入りするという有り得ない画像を真一は見るはめになった。郁子の目が閉じられているのが不幸中の幸いだった。
もし、目が開いていたら。
真一は思わず体を振るわせた。
会社での真一の立場は微妙な物に変わっていた。
真一の婚約が決まり、社長の入り婿になるとわかってから、真一の周りには人々が群れた。あの安浦のようにあからさまではなかったが、大なり小なり真一の将来に期待した人々が真一の周りに集まっていた。が、群れていた人々は皆、手のひらを返したように、真一から遠ざかっていた。
真一は営業部長からしばらくゆっくりするようにと言われた。
真一の席は、いわゆる窓際の席に移されていた。
(あの方、知ってますわ)
真一はぎょっとした。真一が窓際の席につくや、郁子がしゃべり始めたのだ。郁子がしゃべっても他人に聞かれないとわかっていても、真一はあわてた。
真一は携帯で話すふりをしながら声をひそめて言った。
「郁子さん、黙ってて下さいよ」
(何を慌てているんです? 大丈夫ですわ。私の声は他の人には聞こえませんもの。それより、あの方、営業部長の霧島さん、よくうちに来ていましたわ。休みには父と一緒にゴルフに行きますの)
真一もそれは知っていた。リエの残したデータにもあった。社長と親密だと。
(あの方、奥様とうまくいってないそうですわ。奥様は実家に戻っているのですって。うまくいっていない理由というのが、まあ、私ったら、はしたないおしゃべりをしてしまいましたわ、ほほ)
見ると、目は閉じられ無表情な顔になっている。真一はやれやれと思った。生前、郁子は人の秘密をべらべらしゃべるような女ではなかった。死んでから性格が変わったのかと思ったが、慎ましやかな点は変わっていないようだった。会社に来ていささかはしゃいでいるように見えた。
真一はPCを立ち上げ、自分が休んでいる間に何があったか確認しようとした。真一はPCを操作しようとしてハタと困った。
キーボードの真ん中が郁子の頭に隠れて見えないのだ。真一はブラインドタッチが出来るのでキーボードが隠れてもさほど問題はなかったが、郁子の頭に手をいれてキーボードをたたかなければならず、なんとも言えないやり難さを感じた。
営業部の女子社員が真一にお茶を持ってきた。真一の机に湯のみを置く。
「原田さん、大丈夫ですか? 少し痩せられたみたい?」
女子社員の媚のある声に郁子が反応した。
かっと目を見開き、髪を逆立ててわめいた。
(何、この子、真一さんは私の物よ。さっさと行っておしまい!)
真一は真っ青になって固まった。
「原田さん? 大丈夫ですか?」
真一の様子をいぶかって、女子社員が顔を寄せて来る。
逆立った髪が生き物のように動いた。女子社員の顔から首に絡み付く。
バチッ
「きゃっ」
モニターの電源が音を立ててとんだ。女子社員が慌ててとびのく。郁子の髪が女子社員からはずれた。
「君、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。びっくりした!」
「静電気かな? あ、お茶ありがとう。モニター、チェックして見るから」
真一がモニターの配線を確かめ始めると、女子社員は目を首をひねりながら行ってしまった。
(真一さんは優しすぎるのですわ、そんな事だから、皆、誤解するのです)
携帯をかけるふりをして真一がささやいた。
「なんてことするんです? 相手が怪我をしたらどうするんです?」
(向うが悪いのよ。私の真一さんに媚を売るから)
真一はいさめようとしたが、郁子を怒らせてはまずいのではないかと本能的に感じ黙った。
モニタ―が正常に動き始めた。
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