不吉3





 朝目を覚ますと吹雪は収まっていた。2日続けて止んだ吹雪に白美は驚いた。止むことすら驚きなのに、2日連続で止んだことは今までなかったのだ。身支度をすませたエリスを見て、まだ燻っている焚火に砂をかけて、火が消えたことを確認するとそれを踏まないようにして洞窟から顔を出した。

 雪が積もり洞窟の入口は坂になっており歩きにくかったが、白美は雪の上を飛び跳ねてエリスが歩きやすいように道を作っていく。白美が通った道を歩くエリスは腰近くまで積もった周りの雪を見渡しながら進む。真っ白なウサギが雪の上を跳ねていたり、遠くで魔物が歩いているのが見える。吹雪いていないため見えるのだろうが、もしかすると昨日もこのように近くに魔物がいたかもしれないと思うと怪我もなく生きていることが不思議だとエリスは思ったようだ。

 暫くすると積もっている雪の量が減ってくる。白美も飛び跳ねながら進むことを止めて、普通に歩きはじめた。そして見えてくる小さな街。奥には大きな門。その向こうにヴェルリオ王国の一つの街、スフィルノーが広がっているのだ。ウルル山脈に近い街のため、ヴェルリオ王国で一番寒い街でもある。

 スフィルノーへ近づくと、大きな門の周りに小さな街があった。その小さな街の外に出ている人間は1人もいない。朝早いためまだ周りの家の人達は起きていないようだった。それに、起きていたとしても寒いため、もっと日が高く上ってから外に出てくるのだろう。

「案内ありがとう、白美。貴方は山へ帰りなさい」

「どうして?」

「人間は危険なの。貴方がヴェルリオ王国に入ったら殺されてしまうわ。だから、ここでお別れよ」

 頭を撫でながら別れの言葉を口にしたエリスは、門へと向かって行ってしまった。白美にはわからなかった。どうして人間が危険なのか。どうして入っただけで殺されるのか。エリスの言葉全てが白美には理解できなかった。

 エリスを追いかけたかったが、ついて来ていることに気づかれると追い払われることは目に見えている。追い払うのはエリスではなく、門番の2人だろう。

 白美には遠目でも門番の2人の人間とエリスの姿がはっきりと見えていた。何を話しているのかまではわからないが、エリスが開かれた門の中へと消えたのを見届けた。追いかけようとも思ったようだが、そうすることはなかった。

 エリスもいなくなったためそこから立ち去ってもよかったが、白美は動くことができなかった。門の中にいる大勢の人間に会ってみたいと思ったからだ。人間は門の前にあるこの小さな街や門の前にもいるが、あの中の人間に会いたかったのだ。

 エリスは優しかった。だから他の人間も優しいと思ってしまったのだ。危険というのは本当ではなく、嘘なのだと思ったようだ。だが、一番の理由は、エリスと一緒にいたいと思ってしまったのだ。優しく、楽しく沢山話をしたエリスと一緒にいたかったのだ。

 門へと向かって足を動かしたが、数歩歩いてすぐに足を止めて空を見上げた。門の高さを確認したのだ。今の姿では越えることはできないが、化けて空を飛べば簡単に越えることができる。白美は化けることも得意だった。化ける能力は『九尾の狐』の生まれもった力だ。しかし、変身の上手さはそれぞれ異なる。たとえ、生まれもった能力であっても使いこなすことができない者もいるのだ。

 しかし、白美はその力を使いこなすことができる。変身する機会は、ウルル山脈に住んでいればあまりない。それでも、白美は本物と見間違うほど上手に変身することができるのだ。幼い頃に両親がいなくなってしまったため、自分の身を守るために別の大きな魔物に変身していたことがあったということも関係しているかもしれない。

 ――前に魔物の誰かが中に入れてもらえなかったって言ってた。

 いつ聞いた話かは思い出せなかったが、魔物仲間が以前言っていた言葉を思い出すと白美は白い鳥に化けて門の上へと向かって飛んだ。化けることが得意な白美にとって鳥になることは簡単だった。他の魔物に化けるよりも力を使わない。門の上へと降り立つと、元の姿に戻り門の中を見下ろした。外と同じように、門の前には2人の門番が立っている。

 門と繋がるようにして聳え立つ壁の上を歩く。中へ降りようと考えて移動したのだ。だが、その場で降りてしまうと、すぐに門番に見つかってしまう。門番に見つかれば、捕まり外に追い出されてしまう。そうならないために、少し横へ移動したのだ。見下ろすと、そこには多くの人間がいた。その通りでは朝市が行われており、早朝にもかかわらず活気があった。だが、白美にとってははじめて見る光景なのでこれがいつも通りの光景だと思ってしまう。人間はこんなに朝早くから活動しているのだと、感心して見下ろしていた。

 そして、その中にエリスがいないか探すが、見当たらない。人が多すぎてわからないのだ。いくら探しても見つからないということがわかると、探すことを諦めてそこから降りることにした。

 高さはあるが、白美には気にならない高さだった。10メートルほどの高さを飛び降りる。浮遊感。着地の瞬間に感じた衝撃は全く気にならないようだ。猫科ではないため、肉球が衝撃を吸収してくれるわけではない。だから、衝撃が無いというわけではなかったのだ。そして衝撃は気にならなかったが、別のことが気になった。それは――。

 近くで聞こえた甲高い音だ。それは悲鳴。

 四方八方から聞こえてくる悲鳴と、白美を見て逃げる人々。どうして逃げるのかわからないまま白美は朝市を悠々と歩く。歩いていれば、エリスが見つかると思ったのだ。周りの人間を観察しながら、エリスがいないか確認するが見当たらない。

 遠く離れていた人達は、いったい何から逃げているのかわからなかったが、白美の姿を見ると一目散に逃げ出した。老若男女関係なく逃げ出す。中には魔物を見たことのない者もいるだろう。だが、魔物は怖いということを誰もが知っているのだ。

「門番は何をしてたんだ!!」

「上から降りてきたのを見たぞ!!」

「誰か自警団を呼べ!」

 叫ぶ人に泣く子供。白美には訳がわからなかった。人間はエリスのように優しいと思い込んでしまったため、悲鳴を上げる理由も逃げる理由も何もかもがわからなかったのだ。どうして全員、自分を見て悲鳴を上げるのか。逃げるのか。その反応が、白美にとっては恐怖だったようだ。

 白美は泣く子供を慰めようと近づいた。しかし、その時銃声がした。それは白美の右足前方の地面を撃ち抜いた。当たることはなかったが、白美の足を止めるには充分だった。足を止めて地面を見た白美の隙をついて、母親が子供を抱きかかえて立ち去っていく。

「そこを動くな、化け物!」

 振り返ると銃を手にした人間が横一列に並んでいた。それは、誰かが呼んだ自警団だった。早くやって来た自警団に周りの人達は安堵の息を吐く。だが、白美は自分に向けられる敵意に恐怖した。

 白美は恐怖から一歩下がると、また銃声が響いた。それは足元の石に当たった。わざと当てなかったのか、外れたのかはわからない。それは、先ほどの地面を撃ち抜いた銃弾にも言えることだ。

 足元の石に当たったのを見て、白美は咄嗟に振り返り走り出した。朝市が並ぶそこはまだ多くの人間が様子を見守るように立っていた。そこへ迷うことなく走ると、人々は悲鳴を上げて白美から逃げ出す。それを白美が気にすることはない。気にしている暇がないのだ。足を止めてしまえば、今度こそ撃たれるかもしれないからだ。

 自警団は銃口を白美に向けるが、発砲することができない。一般人に当たってしまう可能性があるからだ。だから、銃口を向けながら、逃げ出した白美を追いかけるだけ。たとえ、一般人がいなくても撃つことはできないだろう。追いかけながらでは、狙うことは難しいのだから。

 ――エリス、どこ。怖い、怖いよ。助けて、エリス!!

 闇雲に走る白美はエリスを探す。だが多くの人間の中から、エリスを探し出すことができない。近くに大勢いたはずの人間も、いつの間にか離れていき少数になってきている。だが、離れた場所にはまだ多くの人が様子を見るようにして集まっている。近くにいた人は離れているのに、後ろからは複数の足音が消えない。

 近くに人が少なくなったからか、銃声が聞こえてくる。一般人に当たる心配がなくなったからだろう。まだ一つも当たっていないが、命中するのも時間の問題だろう。中には腕がいい者もいるのだから。

 走り続け、疲れはじめた白美。そこを狙って発砲する。後ろ右足を弾が掠めていく。小さな痛みが走る。白美はさらに速度を上げてそのまま逃げようとした。疲れたといって、走る速度を落としていたら銃弾が本当に当たってしまう。だから、速度をあげようとしたのだ。

 その時だった。聞いたことのある声が白美の耳に届いた。

 白美は勢いよく振り返り、向かって来ている自警団へと突っ込んでいく。銃を構える人間が発砲する前に彼らを飛び越えると、目的の人間を見つけてそこへ一目散に走っていく。そこには、声の主しかいない。他の人達は、まだ遠巻きにして様子を見ている。

 そばへ行くと、その人は白美を抱きしめた。銃を構えていた自警団も発砲することができない。だが、構えを解くことはない。狙いを定めたままだ。

「危険だから帰りなさいって言ったのに、どうしてここにいるの?」

「人間に会ってみたかったの。エリスは優しいから、他の人間も本当は優しいんだって思ったの!」

 震える白美を抱きしめて撫でるエリスの手に、漸く会えた安心感から震えは徐々に収まっていく。会えた嬉しさに、白美の九つの尻尾が揺れる。

「エリスに会いたかった。一緒にいたいって思ったから……」

「そうなの。……でも、殺されるところだったのよ?」

 その言葉に何度も頷く。言われなくても、体験したから白美にはわかっていた。両親や他の魔物が言っていた通り、人間は怖い存在だったのだ。まだ僅かに震える白美の背後で足音が止まった。それは、先ほど白美を追いかけていた自警団の足音だ。

「エリスさん、その化け物をこちらへ渡してください」

「嫌よ」

「その化け物は門を越えて侵入した。使い魔でもない化け物が侵入した場合は追い出すか、処分するというのがこの国のルールだ。これだけ騒ぎを起こしたのならば処分以外に方法はない」

「……この子は私の使い魔よ」

「証明はできますか?」

 証明できるはずがない。白美はエリスの使い魔ではないのだ。エリスは右手をポケットに入れて、そこにあるものを握って考える。だが、他に方法がないのだと考えることを止めてポケットから手を出した。入っているものはしっかりと握ったままだ。

「白美、聞いて。ここで私の使い魔だと証明できなければ、貴方は殺されてしまうわ」

「使い魔って?」

「魔法使いや召喚士が使役する主従関係で成り立つ存在。これをつければ私の使い魔だという証明になるけれど、これは私か貴方が死んだ時。もしくは、契約を破棄した時だけ外れるわ。……どうする?」

 エリスの開いた右手に乗る一つの星形のピアス。魔法使いや召喚士以外が使い魔をつれていることもあるが、とくに言わなくてもいいだろうと考えて、それは言わなかった。契約するのか、しないのかは白美次第。

 ――これをつければ……エリスと一緒にいられる。

「あたし、エリスの使い魔になる!」

 エリスと一緒にいたい白美に迷いはなかった。エリスを追いかけてきたのは、人間に興味があったというのもあった。だが、一番はエリスと一緒にいたかったからなのだ。白美の言葉を聞いて、エリスは右耳にピアスをつける。ピアスをつけるが、白美に痛みはなかった。

 使い魔としての証明となる星形のピアスが太陽の光を反射して輝いた。それが自警団からも見えたようだ。先頭にいた人間が小さく息を吐いて口を開いた。

「……今後、このような騒ぎを起こさないでいただきたいですね。今回の騒動、国王に報告させていただきます。行くぞ!」

 ピアスを見た自警団達は舌打ちをして銃の構えを解くと去って行った。数人が文句を言いたそうに振り返ったが、何も言うことはなかった。残されはエリスは白美の頭を撫でると抱きしめた。

「いつか迎えに行こうと思ってたのに……白美から来てくれるなんて」

 嬉しそうに言うエリスに震えが収まった体を抱きしめられ、白美も嬉しくなりまた尻尾を振る。エリスの言葉に、一緒にいたいと思っていたのは自分だけではないとわかったからだ。

 だが、耳に届く声に僅かに体が震えだす。それは、遠巻きに見ていた街の人々の声だった。先ほどの体験から、エリス以外の人間が僅かに怖くなってしまった白美。そのため、他人の声に震えたのだ。

「白い狐。神聖な色をしているのに目が青かった」

「まあ、狐の青目なんて不吉ですわ」

「自警団もさっさと殺してしまえばよかったのにな」

 人々の言葉に白美を受け入れる声は聞こえない。その言葉を聞いてまた体が震えはじめていると気がついたエリスは白美を抱き上げて歩き出した。小さいというわけでもない大きさの白美を軽々と抱き上げるエリス。別に特別力が強いというわけではないのだが、エリスはここにいたいと思わなかったから手っ取り早く白美をつれて移動できる方法をとっただけだった。

 今いる場所はヴェルリオ王国の外へ出ることができる南の端街、スフィルノー。エリスが住んでいるのは中心の街ヴェルオウルだ。たとえ同じ国内であっても、街によって温度が異なる。スフィルノーはウルル山脈の近くだから尚更だ。

 ヴェルオウルまで徒歩で2時間かかるが、これだけ騒ぎを起こしてしまったのだ。誰も馬車に乗せてくれはしないだろうと思い、エリスは徒歩で帰ることにした。それに、馭者に声をかけたとしても白美を見たら逃げるだろう。

 エリスと白美の出会い。それはエリスが20歳を迎えたばかりの3年前の冬の日だった。そのまま歩いて帰ることになったが、エリスも白美も疲れることはなかった。

 途中で下ろしてもらい白美はエリスの隣を歩きながら街の様子を観察したり、建物のことを教えてもらったりした。『九尾の狐』を珍しそうに、神聖な生き物として見る人が多いが、その目を見て不吉だと囁く。エリスの使い魔として一緒にいることで、毎日言われるかもしれない言葉に気持ちが落ち込むが、いつかエリスのように受け入れてくれる人がこの街で見つかるかもしれないと思うと白美は気持ちが軽くなっていた。

 全員がエリスのように受け入れてくれる人だったらいいのだが、そうはいかない。今銃を向けてきたり、攻撃してこようとしないのはエリスの使い魔だという証明であるピアスをしているからだろう。それに、魔物に攻撃すると襲いかかってくるかもしれないから一般の人は何かをしようとも思わないのだ。

 道で客を待つ馬車の前部に乗っている馭者は、エリスと目が合うがすぐに逸らす。乗せるつもりがないという意思だろう。それでもエリスは気にすることなく進んでいく。今は時間をかけて、ゆっくりと歩いて帰りたい気分だったのだ。

 今のエリスは白美と話すことが楽しいのだ。エリスにとって白美ははじめての使い魔でもある。使い魔にするのはまだあとのつもりでいたが、今使い魔にしてよかったのかもしれないと白美との会話で思っていたのだ。もしかすると、使い魔にしたいと思った時に会えない可能性もあったからだ。そんなことは考えていなかったようだが、白美と歩きながらそう思い至り、その場合はどうしていたのだろうかとエリスは思ったようだったが、わかるはずもない。また今回のようにウルル山脈を闇雲に歩いていたのかもしれない。そして、また白美に会えればいいだけの話なのだ。会えなければ、それまでだろう。

 エリスは隣を歩く白美の頭を撫でる。1人暮らしをはじめたばかりのエリスは、1人家にいるのは退屈していたところだった。これで話し相手ができたのだ。家にいても退屈することはないだろう。使い魔と一緒にいても、文句を言うような人もいないのだから。白美にはこれからこの街で生きていくのに必要となるだろうことを、家に帰って沢山教えようとエリスは考えながら自宅へ向かって歩いて行く。

 たとえ不吉だと言われても、エリスと一緒ならいつか言われなくなるかもしれないと思いながら、白美は尻尾を振り見知らぬ景色に心躍らせたのだった。使い魔になってもまだ安心はできないので、エリスの隣から離れないように歩く。街を進めば、それだけ逃げたり悲鳴を上げたりする人が現れる。使い魔だと気がつき、気にしない人もいるが、魔物であれば怖いのだろう。悲鳴を上げて逃げて行く人達がほとんどだった。

 いつか姿を見ても悲鳴を上げられなくなる日がくればいいとエリスも白美も願った。帰宅までの道のりが長いため様々なことを話しながら、ヴェルオウルへと向かって1人と1匹は歩いたのだった。












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