第二章 不吉

不吉1






 異世界で目を覚ました日から、龍は毎日人型になる訓練を黒麒から受けていた。しかし、長い時間人型でいることはできないでいた。少しの時間は人型になれるようにはなったのだが、それを保つことができないのだ。

 初日のように人型を保っていられない。部屋を移動し、着替えるだけの時間人型を保てたというのに、初日以外は人型を保ていられないのだ。いったい、何が違うのか。まるで、初日は着替えるために人型となったようだ。もしも知らない人が来ている時に人型になったら、服を着ていないというのも大変なことになる。そんなことが起こらないようにと、人型を保つことができて着替えられたのかもしれないと龍は思っていた。

 魔物用の服は人型の時であれば着替えることも可能で、たとえ獣型になったとしても破けることはない。人型専用のため、獣型となった時に消えるのだという。だから何度人型になっても、魔物用の服を着た状態の姿となるのだ。

 そして訓練の休憩の時に龍は聞いたのだが、この部屋の扉は魔物にとっては重く感じられるが、人間には軽いものだという。昔起こった事件の影響で、対策として魔物には扉を重く感じられるようにしたというのだ。だから、人間であるスカジは簡単に扉を開いていたのだ。龍が人型を保つことができるようになり、扉を開こうとしても重く感じられるだろう。龍は人間ではないのだから。

 龍は人型になる訓練をして、たとえ人型になれたとしても力を抜けば獣型に戻ってしまう。それの繰り返し。だから、休憩を何度もして気になることがあればその時に尋ねていたのだ。あれから部屋の外へも出ていない。人型を保つことができないのだから仕方がない。外の世界も気にはなっていたようだが、外よりも近くの疑問から解消したかったようだ。それに、日に増して長い間人型でいることは可能になっている。だが、長時間人型を保つことができない。何故長時間保つことができないのかも疑問の一つではあるのだが、これに関しては誰に聞いても訓練が必要としか返ってこないだろうことはわかっていたようだ。だから、これに関しては一度も尋ねていない。でも、一度でもいいから外に出たいとは思っていたのだ。そんな時、エリスが龍に向かって口を開いた。

「そろそろ買い物に行きたいのだけど……少しの間だけでも人型になれないかしら?」

「……少しの間だけでいいのか?」

「窓から外に出られればいいだけだから」

 全員で買い物に行く必要はないのだが、エリスは龍に外の空気を吸ってほしいと思っていたようだ。だから、龍が外に行きたいと思っているとも知らずに言ったのだ。エリスは毎日訓練ばかりで、少しは龍を休ませてあげたいとも考えていたようだ。エリスは窓を開いて下を覗いて、猫などの動物がいないことを確認する。時々、野良猫などが窓の下で日向ぼっこをしていることがあるのだ。もしも確認せずに窓から出てそこにいたら、踏みつけてしまうかもしれない。

「うん。外に出ても大丈夫よ」

 その言葉に龍は頷き目を閉じた。人型になるには毎日訓練していたため、同じことを繰り返せばいい。思い浮かべるのはあの時の男の姿。しかし姿は浮かぶのだが、人型になることはやはりできない。何故人型になれないのかはわからない。今までの訓練では、人型になれないということは一度もなかったのだ。不安が募り焦りはじめる龍に静かな声が届いた。

「一度深呼吸をしなさい。落ちついたらもう一度、焦らずに思い浮かべなさい」

 静かなユキの言葉に、龍は目を閉じたまま深呼吸をする。彼女は人型になることはできないが、アドバイスは聞き入れるべきだと考えたのだ。深呼吸を数度繰り返すと、人型になれない不安が薄らいでいく。そして、目の前にいる角と翼のない『龍』が微笑んだ。

「大丈夫。近いうち、お前は人型になりたい時になれるようになる。焦ることも不安がることもない」

 それだけを言うと、目の前から消えてしまった。消えたと同時に龍が目を開くと、満足そうな顔をしたエリスが目の前にいた。手を持ち上げてみるとそれは人の手になっており、人型になっていると気がついたようだ。目線の高さも獣型の時よりも低い。

 初日に着た服の裾を引っ張り、違和感を取り除く。獣型に戻ってしまう前に窓を乗り越えて外へと出る。久しぶりの外。龍にとって異世界に来てはじめての外だ。龍は足の下の芝生の感触を感じていた。窓の前に立っている龍の後ろに続いて、黒麒も窓を乗り越えてきた。そして、窓を閉めると口を開いた。

「こちらです」

 はじめて外に出た龍を案内するためだ。まともに図書館から外に出たことのなかった龍はどちらに行けばいいのかすらわからないのだ。そんな龍を1人にすることはできないため、黒麒が代表して窓から出てきたのだ。図書室から出たことはあるが、図書館からは出たことがない。案内する黒麒の後ろについて行くと、いつの間にか図書館から出ていたエリスと白美が出入り口の前にいた。しかし、そこにはユキの姿はなかった。ユキはついてこないで、図書館で留守番でもしているのだろうと龍は思ったようだがエリスの言葉で違うということがわかった。

「ユキも窓から出たのね」

 その言葉に振り返るとさすが猫科とでもいうのか、音もなくユキが後ろをついてきていた。いつ窓から出たのか。気配もなかったため龍は気がつかなかったが、もしかすると黒麒は気がついていたのかもしれない。ユキは何も言わずに龍の横を通り過ぎていく。

「図書館から出るのが早いな」

「扉の前に外に続く扉があるからね。出るのは早いわよ」

「最近できたんだよ」

 以前は離れた場所に出入り口があったのだが、図書室に行くまでに不便だということになったため新しくつけたのだという。以前の出入り口もそのままついており、そこは龍も入った衣装の置いてある部屋の近くだ。舞台で使うという理由や、服作りの参考にしたいという人が国王に許可を貰い訪れた際に使用するのだという。図書館に置いてある衣装は全て、昔に舞台で使われたものだ。衣装を保管する場所が無いということもあり、空き部屋であった図書館の一室に置かれることになったのだという。だから、衣装を借りたいと時などは国王に許可を貰うのだ。図書室には入らないという条件で。そこにあった衣装を龍は着ている。しかし、それは魔物専用なので国王に報告さえすればそのまま着ていても構わないのだ。魔物の服を必要とする人がいないからだ。

 扉が最近できたと横で元気よく答えた白美を無視して、エリスは歩きはじめる。とくに白美は気にしていないようで、エリスのあとについて行く。いつものことなのだろう。図書館の前にある坂を下ると洋風の建物が見えてくる。図書館は坂の上に建っているため、建物は僅かに見えてはいた。だが、坂が急なためよく見えなかったのだ。下って行くと見えてくる建物を黙って見ていると、龍の横を歩く黒麒が建物について説明をしてくれた。

 白い建物は病院。青系の色がレストランや食べ物を売っている店。国王に認められた者のみが利用することができる建物の色は茶色。図書館も茶色をしているが、作りは木ではなく煉瓦だった。建物によっては煉瓦や木、コンクリートなど様々なようだ。

 他にも様々な色の建物があり、住宅の色は白、青、茶色でなければ何色でも構わない。そのため、中には蛍光色の黄色やピンクなどがある。手紙のやり取りをして、はじめて訪れる人に家の色を教えていれば一発でわかるかもしれないほど目立っている。しかし家を目立つ色にしている人はあまりいないのか、目につくのはピンクと黄色い2軒の家だけだ。

 色によってどの建物が病院かレストランかがわかるのは、はじめてヴェルオウルに訪れた人やそれらを探す人にとっても便利だと思った時、龍は刺すような視線を感じた。誰の視線かはわからないが、一瞬驚きから体が強張った。すると突然人型が解除されてしまったのだ。『黒龍』の姿となってしまった龍に驚いたエリス達だったが、他にも驚いた人達がいた。

 それは街の人達だ。図書館は街から少し離れた坂の上にあるため、国王に利用を認められた人以外訪れることもなければ、目を向ける人もあまりいない。だから、龍の存在を知っている者は図書館を訪れたスカジ以外にはいない。

 図書館から来た人が突然変身すれば誰でも驚くだろう。普通に歩いていた人間が実は魔物だった。角や翼が生えているとしても、獣型に変身するとは思うはずもない。中には、装飾品としてそれらをつけている人もいるのだから。だが、驚いた理由はそれだけではなかったようだ。

「あの獣は『黒龍』じゃないのか?」

「黒い……。真っ黒」

「不吉じゃ。災いが起きるんじゃ!」

「エリスちゃんが狐の次は『黒龍』を使い魔にしたの?」

「不吉な生き物が2匹も……」

「『黒麒麟』様を残して2匹とは契約破棄してくれないかしら」

「ああ、怖い怖い」

 街のあちらこちらから聞こえてくる言葉。辺りを見渡すと、誰もが龍を見て何かを呟いている。多くの人が話しているので、聞き取ることはできない。中には龍ではなく、白美を見ている人もいる。どうやら、話の話題は龍だけではないようだ。いったい、何を言っているのかは龍に理解することはできなかった。

 いつの間にか涙目になっている白美に気がついた龍は、頭を下げて白美の頭上に顎を乗せて溜息を吐く。龍の行動を気にしていないのか、白美は嫌がることはなかった。だが、涙目であることは変わらない。

「買い物したいのだけど……」

「あたし、待ってる」

 周りの様子を見ながら言うエリスに、即答する涙声の白美。その様子を黙って見つめていたが、エリスは龍へと視線を送った。声に出さずとも視線の意味がわかった龍は、一度白美を見てから口を開いた。

「俺も待ってる。こんな大きい体じゃ、邪魔になるからな」

「そう……。黒麒とユキと一緒に行ってくるけど、2人で平気?」

「ああ、大丈夫だ。使い魔の証明になるピアスもつけてるからな」

 その言葉を聞いて一度頷くと、2人を気にしながらもエリスは街の中へと入って行った。連れて行きたくとも、龍は体が大きく、白美は嫌がるためそこに残すという選択肢しかないのだ。残された2人は、図書館からヴェルオウルへの入口にいたら邪魔になると思い、少し坂のほうへと戻りそこで2人と1匹を待っていることにした。国王に認められた人しか来ないといっても、誰も来ないとは限らないのだ。

 ヴェルオウルの入口には、2人を見て何かを話している人がいる。だが、声が聞こえることはない。いったい何を話しているのか。気になり耳を傾けながら龍は黙って人々を見つめていた。もしかすると、見ていることに対して何かを言っているのかもしれないと、思わないわけではなかった。

 右横で龍の体に寄りかかって足元を見ている白美は、街のほうをまったく見ようとはしない。何かを言っている人達を見たくはないのだろう。もしかすると白美には、入口でこちらを見ながら何かを話している内容が聞こえているのかもしれない。だから、顔を上げることをしないのだろう。龍はそう思い至り目を細めた。

 別に睨みつけたわけではないのだが、視線の先にいる人々が小さく悲鳴を上げた。どうやら、睨みつけたように見えたようだ。エリスの使い魔だという証明ができるとはいっても、ここで問題を起こしたいと龍は思っていない。今後ここで暮らしていくのだろうから、怯えさせると生活が大変になってしまう。龍だけなら構わないのだが、エリス達にも影響が出ないとは限らないのだ。

「あのね。この国では黒は不吉なの。悪いことが起こるんだって」

 黒は不吉。突然の白美の言葉に龍は、人々の格好を見た。確かに、黒い服を着ている人は1人もいない。黒いラインの入った服を着ている人はいるのだが、黒い服はいないのだ。だが黒麒は黒い執事服、スカジは黒いローブを着ていた。しかし、黒麒には何かを言う人はいなかった。むしろ街の中を歩いて行く黒麒に、親しそうに話しかけている人はいた。黒は不吉だと白美は言うのに。

 何か違いがあるのかと龍が考えていると、それを感じ取ったかのように白美は黒麒とスカジのことを話しだした。

「黒くんはね、神聖な生き物。黒いけど、『黒麒麟』は神聖な生き物だから不吉じゃないの。神様みたいなものなんだよ。あの人は国王専属召喚士だから、誰も不吉だなんて言えないの。言ったら首が飛ぶかもしれないもん。本当に飛ぶかはわからないけど、怖いじゃん? 本当にそうなるって思ったらさ。でも、国王専属になる前は今のあたし達と同じことを言われてたみたいだけどね」

 余程怖いのだろう。スカジのことを話しはじめた途端に白美の体が震えはじめていた。震える体を抱きしめる白美に、龍は何も言わずに入口へと視線を向けた。そこには未だこちらを見て何かを話している人達がいる。そこに留まって話をするくらい暇なのだろうかと思ってしまうほど。話をするためにそこにいるのかと思うほどだ。だが、多くは主婦のように見えるので、買い物をしに来ている人が多いのだろう。

 そして、そこで主婦の情報交換でもしているのかもしれない。龍達を見ながら話しているのは、不吉だから。怖いから。そんな思いがあるから様子を見ているのかもしれない。別に何もしないと言っても、信じてもらえないだろうから龍は黙っていた。

 白美の震えが収まるまで黙っていると、まだ少し震えてはいるが白美が沈黙を破った。顔は上げなかった。上げてしまうと、入口にいる人達が見えてしまうからだろう。

「あたし、南のスフィルノーって街の近くにあるウルル山脈っていう雪山に1人で住んでたの。両親も、同じ種類の仲間もいなかった。それで、人間を見たのは、エリスちゃんがはじめてだったから……」

 そう言って白美はエリスとの出会いを話しはじめた。今どうしても話したいのだろうと思った龍は、黙って白美の話に耳を傾けた。きっと龍は、今でなければエリスと白美の出会いは聞けないと思ったのだろう。騒がしい街の喧騒を気にすることなく、白美は目を閉じて口を開いた。












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