おかえり、ゆぅちゃん。

その日、ちっちゃいママは無事に見つかった。偶然通り掛かった食堂の常連おじさんに、家まで運ばれたらしい。


徘徊はいかい、してたんだって。

家の場所が、わからなくなっちゃったみたいで……。


おじいちゃんが言うには、ちっちゃいママは朝から外出していたらしいの。

何一言も残さずに。

御昼になっても帰ってこなかったから、すぐ警察に連絡したんだって。


ちっちゃいママが無事だったことが、不幸中の幸いだった。

怪我もなく、何より生きてて、ホントに良かった。


でも、私は安心できなかった。

ちっちゃいママが認知症をわずらっていると知って、

ちっちゃいママの現状をパパから聞く度に、

凄く不安になってしまった。


認知症が進行し始めたのは、数年前からだったらしい。

食堂で働いてたとき、出来上がった料理を運び間違えたことが発端だったみたい。それが何回も繰り返されて、日曜日にパパが病院に連れてったんだって。


そしたら、診断されてしまったんだ……。


でも、その後もちっちゃいママは働き続けた。

平日は、おじいちゃんと二人で。

土日は、おじいちゃんとパパとの三人で。

お客さんからも、相変わらず評判が良かったって聞いてる。


けど、進行は止まらなかったみたい。

ある日ちっちゃいママは、常連さんの名前を呼ばなくなった。

ある日ちっちゃいママは、頼まれてたメニューの作り方を忘れた。

ある日ちっちゃいママは、仕事終了時間を間違えた。


食堂だけじゃなく、おじいちゃん家でもおかしな行動が増えていく。

ある日ちっちゃいママは、御手洗いの場所を忘れた。

ある日ちっちゃいママは、テレビの人に話しかけてた。

ある日ちっちゃいママは、夕方に起きて化粧を始めた。


そしてある日、

ちっちゃいママは、

実のお姉さんを他人だと間違えた……。


これを聞いた途端、

今年の年始から会ってない私は怖くなった。

受験勉強どころじゃなくなった。



ちっちゃいママ、私のこと覚えてくれてるのかな……って。



忘れられてるかもしれない。

会いに行ったら、他人だって間違われるかもしれない。

どこの誰ですか? って、名前も呼んでもらえないかもしれない。

そんなことばかり、考えるようになってた。


私立受験日が近づいた、十二月の年末年始。

学校も塾も休みだった私は、勇気を振り絞って会いに向かった。


凄く、不安だった。

てかどうして、大好きなちっちゃいママに会うことに緊張してるのか、意味不明だった。

パパとママといっしょに車で行って、ついにおじいちゃん家の門前に着いた。両脚がひたすら震えたけど、私は一番に玄関に入った。


「――っ! ちっちゃいママ……」


扉を開けた途端、ちっちゃいママが目の前に立ってたんだ。

背中を丸めながら、

キョトンとした目で、

私をじっと見てた。


やっぱり、私のこと忘れちゃってるのかな……?


不安が一気に膨らんで、胸が苦しかった。無意識に気を付けなんかしちゃって、動けなかった。


でも、こう返ってきたんだ。




「あら……おかえり、ゆぅちゃん」




その瞬間、私の中から激しい熱が込み上げた。

だってさ、

ちっちゃいママが久しぶりに、

私の名前を確かに呼んでくれたから。

変わらない笑顔で、言ってくれたからさ。


「ただいま……ちっちゃいママ……」

「おかえり、ゆぅちゃん。大きくなったねぇ」


私はまた、泣かされた。ちっちゃいママに抱き着いて、低い右肩を濡らしちゃった。ポンポンって、ショートヘアを優しく撫でてもらった。でも、余計に涙が止まらなくなった。


ちっちゃいママは、私のことを覚えててくれてた。

嬉しかった。

もぉ~マジで、

嬉しかったなぁ~。


ちっちゃいママとの再会ができて、私の不安は消えた。おかげで、残り僅かの受験勉強に直向ひたむけた。

その結果は、


第二志望校合格!


第一志望は目標点が高過ぎて無理だったけど、晴れての高校生になれた。新しい友だちもすぐにできて、クラスにも早く馴染めた。

幸せゲットできたんだ。正直、ちっちゃいママのおかげだって思ってる。


高校生になった私は、定期的にちっちゃいママへ会いに行った。ときどきヘルパーの人も見かけたけど、気にせずお邪魔した。


「ただいまぁ!! ちっちゃいママ~!!」

「おかえり、ゆぅちゃん」


今日も、私を覚えててくれた。

私のくだらない話にも、ちっちゃいママはわざわざ付き合ってくれた。


「ねぇねぇ、ちっちゃいママ? この服似合ってるかな~? 今度友だちと鎌倉行くんだけど、どう?」

「……いいんじゃない?」

「やっぱり~い!」


思いっきり、鵜呑みした。


「あ~あ。野球応援疲れたな~……水戸の球場、駅から歩いて三十分だよ~? 遠いんだも~ん」

「そうなのぉ~」

「いや~バスも有ったんだけどさ~。乗ったら負けだと思ったから、乗らなかったんだ!」

「はぁ……」


ドヤっと、胸を張った。


「彼氏欲しい~い!!」

「そぉ~……」


恋愛ドラマの影響を、物の見事に受けてた。


「ねぇねぇ、ちっちゃいママ? 私、また部活始めたんだ!」

「あらぁ~」


秋口には、私は女子ソフトボール部に入った。でも、ちっちゃいママに極力会いに行ってたの。


「りょうこ先輩っていう人がいるんだけどさ~、スッゴくいい先輩なんだ~! ちっちゃいけど頼りになる、お姉ちゃんみたいな人なの!」

「へぇ~。楽しそうねぇ」


私の喜びを、共感してくれた。


ありふれた会話が、高一から高二、高三になってもなお続いた。

六月には部活を引退して、またまた受験生になってしまった。


「ゆぅちゃん?」

「ん?」

「ガンバってね?」

「うん!!」


当時から私は教育関係の仕事に就きたかったから、教育学部がある大学を目指し勉強した。理系に進んで、正直メチャメチャしんどかった。現代文古文漢文ができなすぎて、社会科で選択した地理も御手上げ。物理化学も不安定気味で、自信があったのは数学しかなかった。

でも、

受験生として気を引き締めて、

毎晩二時までは勉強した。

早速学校を遅刻してしまったけど、

諦めずに日課にした。


一学期の期末試験テストも、無事に終わった七月。成績は少し上がったみたいで良かった。担任の先生からも褒められて、余計にガンバれた。

また夏休みらしくない夏休みが始まる。

でも、努力しなきゃ!

前向きに捉えて、残る一学期の授業を登校してた。




そんな、七月中旬のときだったんだ。









「ちっちゃいママ、亡くなったんだって……」








仕事から帰ってきたママに、静かにそう言われた。


……

……

……

……

……

……。


私は、ただ固まってた。“意味がわかんない”っていうことも、考えられなかった。

突然時間が止まったかのように、

口も心も、

開かなかった。


……

……

……

……

……

……。

……

……

……

……

……

……受け入れられてなかったんだ。


気づいたら私は、ママの車に乗せられ、近くの国立病院に連れてかれた。中に入ると、おじいちゃんとパパがいっしょにいて、白衣のおじさんと何か話してた。

夜の遅いはずなのに、他にもたくさんの人が来てた。

ちっちゃいママのお姉さんも来てた。

おじいちゃんのお兄さんも来てた。

ママのお姉さんも来てた。

パパの弟さんも来てた。


でも、肝心な一人が見当たらなかった。



ちっちゃいママ、どこにいるの……?



ボーッと待ってた。

一言も話さず、

スマホもいじらず、

待合室でずっと座ってた。

しばらくすると、みんなが突然動き出した。どこかに移動するそうだ。

私は黙って、ママの跡を追うことにした。

“関係者以外立ち入り禁止”と書かれた札を通り過ぎた。

薄暗かったけど、奥に小さな部屋が見えてきた。

そして、無音よりも静かな一部屋に、私は入った。

そしたら、

やっと見つけることができた。


ちっちゃいママ……。


みんなが囲む中心で、ちっちゃいママが横になっていた。白く固そうなベッドの上で、顔を白布で隠されてた。

今ここで何が起きているのか、

私は未だに理解できてなかった。

白衣のおじさんがみんなに何か話してたけど、

私は聞き取れなかった。

話が終わると白布を取ってもらい、

ちっちゃいママの顔を見せてもらった。

いつものように、

寝ているようにしか見えなかった。


気持ちよさそうに、

静かで穏やかに、

ぐっすり眠ってるだけだと思った。


思ってたけど……。



「じゅんこちゃァァァァん゛!!」



まず、ちっちゃいママのお姉さんが悲鳴を上げた。

そのとき私は、やっと音が聞こえるようになったんだ。


お姉さんは、ちっちゃいママに泣きすがってた。

私の隣にいたママも、突然泣き出していた。

ちっちゃいママの横にいたパパも、目を潤ませてた。

パパの弟さんからも、頬の光が確かに見えた。


何よりもハッキリ覚えてるのは、

パパの隣にいたおじいちゃんが、

天を見上げる姿だった。



やっと、わかったんだ。




ちっちゃいママは、旅立ったんだって……。





享年69歳という若さで、







ついこの間まで話してたのに、










天国にってしまったんだって……。










その後の、病院での記憶はここで止まってる。

ずっと泣いてたことくらいしか、覚えてないの。


だって、

悲しくて、

悲しくて、

悲しくてさ……。

ボロボロに泣き崩れて……、

ホントに、悲しかった。


私のちかしい人が、初めて亡くなったってことも影響してると思う。まさかちっちゃいママとの最後の会話が、


“「ゆぅちゃん?」

 「ん?」

 「ガンバってね?」

 「うん!!」    ”


になるなんて、思ってもなかったなぁ~……。


ちっちゃいママの身体は、葬儀の日までおじいちゃん家に置かれた。白い箱に入れられて、仏壇の前で眠ってた。

私は毎日、御線香を炊きにいった。

もう、泣きはしなかった。

涙、渇れちゃったのかな?

ただ、感謝でいっぱいだった。箱の中で眠るちっちゃいママに、微笑みを向けられるようになれた。


数日後には、ちっちゃいママの御葬式が開かれたよね。

八月間際の、ギラギラ太陽の下でもよおされた。

そのとき私は、ちっちゃいママってホントにスゴい人だったんだなぁ~って、思ったんだ。


た~っくさんの人が、御葬儀に参加してくれたんだもん。

近所の方々はもちろん、

市外県外からの親戚様、

食堂の常連さんまで。


みんな、来てくれてた。

ちっちゃいママ、メッチャ有名人だなぁ~って。


でもね、

一番驚いたのは、

今回の御葬式の曜日だったの。

ちっちゃいママ、わざと揃えたんじゃないかって思うくらいだった。


その日は、平日の火曜日……。



――食堂で唯一の、定休日だ。



最後の最後まで、周りの人たちの都合を考えてくれてたみたい。

ちっちゃいママは最後まで、

律儀りちぎな人だった。



あれからもう、五年が経つんだねぇ……。

あっという間だったなぁ~。

昨日のことのように覚えてるんだけどなぁ~。

ちっちゃいママと過ごした幼い頃だって、

こうやって今でも覚えてるのに……。


ホントに、あっという間だった。



……ねぇ、ちっちゃいママ?


元気してる?

天国で、エンジョイしてるかな?


おじいちゃんは、今でも元気に生きてるよ。仕事を辞めてヒマそうだけど、病気も無く健康。この前なんか、いっしょにプロ野球中継観たんだ。


ちなみに私は……仕事と私生活プライベート、たぶんイイカンジに過ごせてる!

まぁ、恋愛は無いけどさ……。

今仕事は、塾の先生をやってるんだ。第一志望だった大学が終わって、教員や正社員にはなれなかったけど、アルバイトでリーダーやってるよ。

エヘヘ~、スゴいでしょ! 

いいんだよ~? スゴかったらスゴいって褒めてくれて!

プライベートの方は、趣味でネット小説書いてるんだ。全然有名人じゃないけど、いろんな人たちから日々応援されてる。ケンカすることもあったし、考えの不一致で嫌な経験もあった。でも、楽しく書き続けられてる。


私は、幸せだよ。



……ねぇ、ちっちゃいママ?


ちっちゃいママは今、

天国で平和に暮らしてると思うんだけど、

いつも考えちゃうこと、

どうしても一つだけ聞きたいことがあるの……。


……、


……そのね、


……、


ちっちゃいママは今でも、


私のこと覚えててくれてるのかな……?


……


……


……。



……エへへ、そりゃあそうだよね。



――ありがと、ちっちゃいママ。



生まれたときから真摯に育ててくれた、私の自慢のおばあちゃん。

そんなちっちゃいママから教わった大切なこと、これからも胸に抱きながら生きていくね。

短気でバカでまだまだ子どもだけど、

ちっちゃいママにいつか認めてもらえるような、

“人の痛みをわかる、優しい人”になれるように、

一生懸命生きてみせるから。


それで今度、私が天国に渡ったとき、



ただいまぁ!! ちっちゃいママ~!!



って、元気に抱き着きにいくから。

ちっちゃいママから、



おかえり、ゆぅちゃん。



って、笑顔で抱き締めてもらいたいから。



ただ、あと何年後だろうね?




……それじゃあ、ちっちゃいママ。


もうこんな時間になっちゃったから、私帰るね。

明日も仕事でさー。マジブラックー……。


……エヘヘ。


また、御線香炊きに来るね。


また、二人でお話しようね。


また、笑顔で会おうね。




――またね。




……あ、そうだ!

ちっちゃいママに最後、謝らなきゃいけないことがあったんだ!


その……ゴメンなさい!!

あれだけ注意されて育ったのに……ホントにゴメンなさいって思ってる。




そのね~、


やっぱり私は、


成人した今でも、


夜遅くまで……、




ポケモンやっちゃうんだよね(^_^;)

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実話ありがとシリーズ② スマイル ,^^, ありがと、ちっちゃいママ。 田村優覬 @you-key

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