第26話

「じゃあ何か、そっちの三番手が千佳のかつての友人で、二人のよりを戻すためにこの試合を組んだとでも?」


 生徒達が試合会場の撤収に勤しむ中、一通り事情を聞かされた黒木が怖い目つきで聞き返す。早川はその眼光にたじたじになりながら


「わ、わかりやすくいえばそんな感じかと……」

「そんな感じ、じゃないわよ。生徒の揉め事のために練習試合? ふざけてるの?」

「ふざけたつもりはございません……」

「だったら私をなめてるのね」


 そう言ってから、黒木はくどくどと早川への説教を始めた。

 彼女的には、何も知らされずに練習試合を組まされ、早川の計画に利用されていたことが気に入らないのだった。実際黒木にも黒木の事情があるし、練習試合のために多くの部員を審判や会場設営のために動員しているのだから、その怒りは至極当然だった。


「大体、子供のケンカなら、他にどうとでも解決法があるじゃない。どうしてわざわざ練習試合まで組んで……」


 するとそこまで防戦一方だった早川が少しだけ語気を上げた。


「僕は、これが一番良い解決策だと思ったからです。やはり、面と向かってぶつからないとわからないこともあるので」


 黒木は訝しげに早川の顔を眺め、ふぅとため息をつく。


「早川先生。先生の教育論はわかりかねるけど、さすがにこれは失礼よ。私に断りもなく話を進めたのもありえない。学生気分が抜けてないんじゃないの?」


 ずかずかと歯に衣着せぬ物言いは彼女の性格が体現したのか。

 早川が反論するとすれば、彼女に詳細を伝えていたら、そもそも練習試合が実現しなかったであろうことだ。そうすれば麻衣と千佳がぶつかりあう事もなく、仲直りも叶わなかったかもしれない。が、そんな事を口に出来るほど早川の神経は図太くなかった。


「仰るとおりです……」


 平謝りするしかない。彼はとりあえず真摯な面持ちを維持して頭を下げ続ける。

 とはいえ結果的にではあるが、麻衣と千佳にとっては最高の選択だったのだ。これぐらいの受難は甘んじて受け入れよう、と早川は思っていた。


「……今回の件は許してあげるけど、次はないからね」


 だが、意外にもあっさりと黒木は彼を許したのだった。

 早川が驚いて顔をあげると、どこか別の場所を眺めている黒木の姿が。

 彼女の視線の先には、床に座り込んで涙ながらに語り合っている千佳と麻衣がいる。


「こっちも感謝しなきゃいけない面はある。私だけだったら、三年かかっても千佳のあの表情を見る事は出来なかっただろうから」


 千佳の表情は、この学校で今まで周りに見せていた、氷のように冷たく鋭利なものではない。とても柔和でどこか弱弱しさを感じさせるような、そんな表情だった。

 早川はその表情を見て、ふと思う。


(あれが本物の彼女なのだとしたら、普段は何かを演じてるのか……。おそらく自分の中にある強さのイメージを……。それがどこか麻衣の雰囲気に似てるのは、多分偶然なんかじゃないんだろうな)


 それが、天見千佳の原点なのかもしれなかった。元々気弱な彼女は、格闘技には向かない性格に違いない。だからこそ自分を支える強さのイメージが必要だった。強さを演じる事で、自分を奮い立たせる必要があったのだ。そして彼女が演じた強さとは、ずっとずっと幼い頃に憧れた麻衣の姿だったのかもしれない。早川には、知りようのない事だが。


「とりあえず、会場の片付けはほぼ終わったかしら。後はあそこの二人を……」


 黒木は千佳と麻衣の方を見つつ


「引っぺがしてきてくれる? 私は心が痛むから無理」

「げ、僕だって嫌ですよ」


 感動的な二人の友情に水を差すのは申し訳ない。

 とはいえこのままではいつまでたっても帰れなくなってしまう。黒木が目で再度命令すると、早川は渋々頷いて二人を呼びにいく。


「おーい、そろそろ上がるぞ。その辺にしとけー」

「あ、先生。はい」


 答えたのは麻衣。彼女は名残惜しそうに、千佳の顔を見て


「……それじゃ、また」


 すると千佳は無邪気な笑みを浮かべて


「うんっ。またね」


 その瞬間、ぱしゃり、と

 カメラのシャッター音らしき音が響いた。

 麻衣たちが音の聞こえた方を向くとそこには

 茜に惨敗した可奈が、自分の携帯電話を千佳へと向けていたのだった。


「はーい。千佳たんの満点スマイル頂きましたー♪」


 携帯を構え、おそらくカメラ機能で撮ったであろう写真を眺めてにやにやしている彼女。

 即座に千佳が表情を一変させ


「可奈、その携帯をこっちによこして」


 先ほどまでの柔和な感じはどこへやら、鋭い目つきで言い放ったのだ。

 しかし、可奈は全く怖じず、むしろけらけら笑いながら


「もう、今さらそんな怖い顔しても遅いよーだ。この写真見たらねぇあんた可愛らしくてウフフ♪」

「可奈っ!」


 若干顔を赤くして必死の形相で飛び掛る千佳。対して可奈は脱兎のように逃げ出した。

 逃げ回りながら、可奈は周りの部員たちにも


「見てみてー! 千佳っていっつも怖い顔してるけど、ホントはこんなにプリチーな乙女なんだぜッ!」


 携帯で撮った写真を見せて回ろうとする。


「こら、可奈ぁっ!」


 千佳はそれを走って追い掛け回す。それを見て思わず苦笑いする早川と麻衣だった。


「なんだか、キャラ演じるのも楽じゃなさそうだな……」

「ほんとにね……」





 そんなこんなで、いよいよ全体の撤収が終わり体育館に残されたのは両部の顧問と試合に参加した生徒達だけとなった。

 それぞれの部で適当に列を作って並び、最後の挨拶を済ませているところだったのだ。


「今日はありがとうございました。また機会があればぜひ」


 早川が軽くお辞儀をして黒木と握手をかわす。


「今日みたいなのはもう勘弁して欲しいけどね」


 黒木の嫌味に早川だけでなく、麻衣と千佳も苦笑い。


「んじゃ、着替えと今日の反省会もあるので、僕たちはこの辺で」


 気を取り直してそう告げる早川だったが、その最中ふと違和感を覚える。

 茜の表情。彼女が、何か物足りないような、不満げな顔をしていたかと思うと、

 突然、こんな事を口走ったのである。


「先生、わがままだとは思うんだけど……私、その子と勝負がしたい」


 茜の視線の先には、天見千佳。

 突拍子もない申し出に、早川と黒木はまごついてしまう。


「あ、茜? さすがにもう片付け終わっちまったし、今日は三試合だって取り決めだから……」


 向こうの選手。とりわけ天見千佳はコンディション調整も入念にしている。一日にあまりオーバーワークをさせすぎないようにしているはずだから、茜の申し出は断られると、早川も思っていた。だが、


「私は構いませんよ。いいですよね、黒木先生?」


 ぞわり、と冷たい感触が蘇った。その声も顔つきも、先ほどまでそこにいた彼女とはまるで違う。天見千佳が、冷たい眼光をたたえ、茜へと視線を返していたのだ。

 茜と千佳、両者の間にほとばしる冷たく熱い火花。

 天見の表情の変化に、早川は動揺を隠し切れない。


(一瞬で臨戦体勢かよ……。何つー集中力だ……)


 黒木は少し眉根を寄せて言う。


「実は私も、その試合に興味があったの。そっちの茜ちゃん、どうもそこらの選手とは格が違うみたいだからね」


 わたしが惨敗しましたからね、と横から茶々を入れる可奈を無視し、黒木は


「1ラウンドの軽いスパーリングでどうかしら?」


 と早川に提案する。彼が茜の方へ目を向けると無言で、断ってくれるなよ、とでも言うような強いプレッシャーを与えてくる。

 相手方の天見千佳も臨戦態勢。黒木もこの勝負を期待している。

 早川だって同じだった。茜が、特待生徒に対してどこまで戦えるのか、それを知りたい気持ちは並々ではない。断る理由など、無かった。


「わかりました。少し急ですが、この場でスパーリングをしましょう」




 体育館の一角、練習試合で使っていたスペースの中央で、再び両陣営の選手が対立する。

 ストップウォッチで時間を計るのは伊藤。審判として得点を判断するのが可奈。

 茜と千佳が面と向かって立ち、お互いのグローブを突きつけあう。

 スパーリングはフィールドを特に決めず、個人の裁量で、という事になった。お互いに回避型の選手ではないため、フィールドの制限は必要ないだろうとの判断からだ。

 スパーリングは1ラウンド3分間の勝負。


(一体どんな試合になるんだ……)


 早川は、不安と興奮が混ざり合った不思議な感覚を胸に覚える。

 ブランクがあるとはいえ、潜在能力なら間違いなく全国レベルの怪物、広橋茜。

 北海道屈指の実力者。全道大会ベスト8の実績も持つ第三格闘部エース天見千佳。


「礼を言うわ早川君。滅多に見られないものを、二つも見せてもらって」


 黒木は早川の隣に立ち、微笑を頬に浮かべる。

 誰にもこの勝負の行方はわからない。

 だからこそ誰もが、初心者である麻衣や由紀でさえ、固唾をのんで見守った。

 そしてとうとう可奈の吹く笛によって、スパーリングが開始される。




 開始した瞬間、両者はグローブを打ち離しお互いに距離を取る。

 誰もが初っ端からの打ち合いを予想していたが、意外にもその逆。

 二人は距離を保ったまま、タイミングを計るようにその場から動かなくなったのだ。


 片や左手を前に出し、上体を軽く左右に揺すりながら攻撃の機会を伺う。

 片や右手を構え、茜の動きに呼応するように間合いを計る。

 一触即発の雰囲気の中、周りの者達は誰一人瞬きすら出来なかった。

 一瞬でも見逃せば、その瞬間に全てが終わってしまいそうなほど、張り詰めた緊張感が辺りを包み込んでいた。


 ふと、茜がほんの僅かだけ、じわりと千佳に歩み寄った。

 対して千佳は後ろに下がり、あくまで距離を保とうとする。

 が、次の瞬間には、大きくその均衡が破れることとなる。


 茜が一足飛びに凄まじい加速を見せ、後退する天見千佳の懐へと潜り込んだのだ。

 体幹がうねり、棍棒でも振るったかのような凶悪な風きり音とともに、茜の豪打が炸裂する。ずしり、と重たい衝撃が天見千佳の両腕の上からのしかかり、ガードごと打ち砕く。


 千佳の両腕が左右に弾かれる。茜の攻撃はそこで終わらない。彼女は再び肩をぐるりと回転させ、今度は左上肢に力をたわめる。

 がら空きになったボディへと、再び茜のブローが襲いかかる。

 千佳は咄嗟に腕を引き戻し身を守ろうとするが、苦し紛れのガードなど茜には通用しなかった。


 芯に響く重音が、天見千佳の身体を穿ち、わずかにその身をよろけさせた。

 上体を捻りさらに追撃をしかけようとする茜だったが、千佳もそのまま好きにはさせない。バックステップしながら牽制のブローを放ち、上手く茜との距離を取ったのだ。


 それを見ていた黒木が、早川に一言。


「やるわね。あの千佳を後退させるなんて」


 早川は得意げにちらりと彼女の顔を一瞥する。


「でも、千佳の実力がこんなものだと思わないことね」


 黒木の表情に焦りはない。余裕すら感じさせるその微笑は早川を身構えさせるに充分だった。


 茜がもう一度千佳へと接近する。低い姿勢で身を捻りながら潜り込み、コンパクトにその豪腕を振るう。千佳は自分の拳で防ごうとするが、あまりの威力に拳ごと打ち抜かれてしまう。重たい振動が全身に伝わり千佳は眉を寄せる。

 だが、その瞬間表情を変えたのは千佳だけではなかった。茜もだったのだ。


 脳裏に浮かぶ違和感。茜はそれを押し殺し、果敢に攻め続ける。

 バックステップで逃れようとする千佳に対し、もう一歩踏み込んで追い討ちの左ブロー。

 それを今度こそ払いのけようと、千佳が右手を構える。

 だがやはり強打を売りにする茜。拳の圧は千佳のそれを軽く上回り、あっさりとガードを弾いて左拳を直撃させる。かに、思えたが、


 茜の拳は千佳に触れる寸前で軌道を変え、千佳のボディを掠めたのだ。

 茜の顔色が一気に変わる。動揺した表情を浮かべる。対して千佳の顔には余裕の笑み。まるでこの瞬間を待っていたかのように。


「ようやく掴んだか」


 黒木が嘯く。


「……掴んだ、とは?」


 早川が怪訝そうに聞き返すと、勝ち誇った表情で告げる黒木。


「刮目しなさい。天見千佳の非凡なる才能。その一端をご覧に入れるわ」

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