第22話
可奈と茜が拳を突き合わせ、審判の笛が鳴る。
次の瞬間、その場にいた全員が息をのんだ。
笛が鳴り終わるよりも早く、茜は強烈な速度で可奈の懐に潜り込んだのだ。
そしてそこから、後ろに引いた右腕を腰ごとひねり叩きつける。
下半身から引っ張りあげた力が右拳に集積し、全く反応できていない可奈のボディに目掛けて、岩をも打ち砕かんばかりの豪腕が直撃する。
人間の拳から出るとは思えないような重たい音が炸裂し、
「ふぐぅっ……!?」
何が起きたのかまるで理解出来ていないまま、可奈の体が大きく後退させられる。
「く、うぅっ」
彼女は悶絶しながら咄嗟に右手を振るって、追撃してくる茜の動きを牽制する。
茜は一旦動きを止め、攻撃の糸口を探すように上体を左右に揺さぶり始めた。
その動きは初心者のものでもなければ、少しばかり練習した程度のものでもない。
(な、なんなんだこいつ……!)
可奈は必死にガードを固め距離を取りながら、思考を空転させていく。
殴られたボディの部位が、熱い。とんでもない衝撃が身体の芯まで貫いたようで、心なしか脚にもダメージが来ているようだった。
(丸太で殴られたみたいだ……。くそ、マジで何者なのこいつ!)
動揺しきっており真っ当に判断も出来ない状況の可奈。そんな彼女にも、一つだけ分かる事がある。
彼女の目の前にいるのは、素人ではない。それだけは明らかだった。
茜が再び可奈との距離を詰める。
金属バットでも振るったかのような風斬り音を響かせ、茜の右拳が可奈に襲いかかる。
可奈は咄嗟に身をかわす。茜は踏み込んだ姿勢から返す刀の左ブローへ移行する。
体ごと飛び上がるような、上昇軌道の左フックが、ガードを固めた可奈の腕の上から容赦なくその身を貫いた。またも可奈の体がわずか宙に浮き、後ろに投げ出される。
(痛ってぇーっ!)
可奈はガードした腕が折られたような錯覚に陥りながら、痺れる腕を振るって必死に茜の猛追から逃げようとする。
そんな事はおかまいなく、茜は寒気がするほどの強打を惜しみなく連発する。
ほとんどは空振りに終わるが、確実に可奈の背筋を凍りつかせていく。
(そんな狂った威力のブロー、ぶんぶん振り回すなっつの!)
可奈は反撃に転じる事もままならない。反撃しようとしても、体が言う事を聞かないのだ。ブローによるダメージだけではない、常軌を逸した強烈なプレッシャーが彼女の身体の自由を奪っていた。それこそが、オールドタイプと呼ばれる者たちの真骨頂なのだ。
空振りの威圧感だけで相手の動きを止める、生粋のハードヒッター広橋茜。
彼女は再び上体を左右に揺さぶりながら、獲物を追い詰める捕食者のように、じりじりと相手との距離を詰めていく。
第七格闘部の待機場所にて、早川が興奮を隠せず声をあげた。
「見たかっ? ブローで相手の体が浮いたぞ!?」
極端に体格差がある相手を除いて、パンチで人の体を吹き飛ばすなんて事は不可能に近い。まして茜は体格に恵まれているわけではない。あの小さな体で、自分よりも背の高い相手を宙に浮かせたのだ。その恐ろしさは初心者である由紀にも充分伝わっていた。
「うええ……あんなの貰ったら私、冗談抜きで歩けなくなりますよ……」
「でも、相手の選手もなかなかやるな。あの状況から追撃させなかったのは上手い。こりゃあ面白い試合が見れそうだ」
早川はにやにやと楽しそうに笑う。
「ところで、麻衣はまだ戻ってきてないのか」
「そうみたい、ですねー」
早川の問い掛けに、由紀がきょとんとした顔で答える。
「呼んできてくれるか? 下手したら試合すぐ終わっちまうかもしれないし」
「私この試合見たいです。お兄ちゃんが行ってきてください」
平然と言ってのける由紀。もとからの知り合いとはいえ、顧問を見下したような発言に早川は眉間に皺を寄せた。
「んな事言ったって、トイレにいるかもしれんのだろ。俺は行けねえだろうが」
「もー、変に紳士ぶらないでください。理由があるんだから喜んで女子トイレに突撃してくればいいじゃないですか」
「俺をどんな人間だと思ってるんだ! いいから行って来いよ!」
「横暴ですー」
待機場所で口論を始める二人だった。
同じタイミングで、第三格闘部陣営もざわついていた。
「伊藤ちゃん、あの子の名前なんだっけ!?」
黒木が慌てて相手の選手の名を確認する。
「広橋茜、だって」
「聞いた事ないな……。中学で試合に出ていたのなら、私が知らないわけないし」
「私も見たことない」
伊藤と黒木は揃って首を傾げる。
相手の選手は間違いなく強い。特待生徒にも引けをとらないぐらいだ。その上あれだけのハードヒッターともなれば、大会などで目立たないはずはないのだ。
「でも、可奈もなんだかんだで戦えてますね」
伊藤が相変わらず無表情で呟くと、黒木はふん、と小さく息を吐く。
「可奈だってうちの有望株だからね。特待生徒の子達と比べればまだまだだけど、潜在能力は人一倍あると思ってる。そう簡単にやられちゃ困るのよ」
黒木は言いながら、全く別のことに考えを向けていた。
(早川君……。その子があなたの言っていた隠し玉なら、確かにうちの千佳と張り合えるだけのものは持っているかもしれない。でも仮にそうなら、どうしてその選手を二番手に出してきたの……?)
千佳を三番手に出す、というのは前々から分かりきっていた事だったのに、千佳と戦うべき隠し玉をどうして二番手に出してしまったのか。何か勘違いをしているのではないか。
しかし、試合前に選手のオーダーは確認している。順番の違いに気付かないまま試合に送り出すなんて事はありえないだろう。だとしたら、一体なぜなのか。
(まさか、その子以上の隠し玉がまだいるとでも言うわけ……?)
黒木がそんな事を考えていた矢先、試合の展開が大きく動いた。
猛攻を続ける茜に対し、可奈が強引にクイックブローを割り込ませようとしたのだ。
だが、その試みはあえなく失敗に終わる。
可奈のクイックブローを茜はあっさりと見切り、避けてしまった。
そして可奈の突き出した腕をかいくぐるように、低い姿勢から茜のブローが打ち出され、がら空きになった脇腹へと突き刺さる。
今までとは違う横方向のブローをもろに受け、可奈は大きく姿勢を崩してしまう。
その瞬間を茜は見逃さなかった。
彼女は瞬時に両脚に力を溜め飛び上がる。そのまま右脚を体幹に引き付け、蹴りのモーションに入った。
傍で見ていた早川が思わず呟く。
「いけっ……!」
全体重を乗せたジャンピングミドルキック。茜の得意技、ブレイクだった。
茜の右足はうなりを上げ、体勢を崩した可奈のガードを打ち砕いた。
「つっあ……!」
言葉にならない声を漏らし、背中から床に崩れてしまう可奈。
直後甲高い笛の音が鳴り響いた。それは審判の鳴らす、試合終了の合図だった。
今の攻撃により茜と可奈のポイント差が15ポイントを超えたため、1ラウンドの途中ではあるが茜の勝利となったのである。
「よっし!」
第七格闘部陣営。自分の事のように腕を振り上げ喜ぶ早川の姿がそこにあった。
「勝ったぞ由紀、麻衣! ……ってまだ戻ってきてないか」
隣にいるはずの選手たちとも喜びを共有しようとしたのだが、いかんせんそこに彼女らはいない。麻衣は先ほどから腹痛のため席を外していたのだが、由紀が彼女を呼びに行ってからまだあまり時間も経っていない。
「せんせー、勝ったよー」
笑顔で腕を突き上げ茜が戻ってくる。早川は労いの言葉とアドバイスを少々。
「よくやったぞ、お疲れさん。問題点をあげるとすると……ブランクもあるだろうけど、まだ力みが残ってるかな。いくら力んでも自然体以上の力は出せないぞ」
「はい。久しぶりの試合だから、どうにも気合入りすぎちゃって。リラックスしようともしたんだけど、上手く行かなくて……」
「そういう時は無理にリラックスしようとしない方がいい。むしろ緊張している自分を意識するぐらいでいいんだ。そうすりゃ自然に力も抜けてくる」
「なるほど、今度やってみます! 麻衣ちゃんと由紀ちゃんは?」
茜がきょろりと見回す。近くに二人の姿はない。早川はやや焦った口調で
「まだ帰ってきてないんだよな。今由紀に呼びに行って貰ってるんだが……。向こうの選手には、ちょっと待ってて貰わないといけないかな」
早川は、相手選手の事をよく知っていた。麻衣のかつての親友、天見千佳である。
麻衣がいつ戻ってくるかは分からないが、その間天見を立ったまま待たせておくのはあまりにも忍びない。よって早川は天見がスタンバイする前にその旨を伝えようと思ったのだ。が、彼が席を立って第三格闘部側の待機場所に向かおうとした時には、
フィールド上に、すでに冷淡な面持ちをした少女が立っていたのだった。
その少女こそ天見千佳。今回の練習試合を行なう目的となった選手であり、道内でも屈指の実力を誇るベルヒットプレイヤーである。
(げっ。もう待ってんじゃねえか)
小走りでフィールドへと向かい、早川はそこにいる天見に伝達する。
「こっちの選手がちょっと準備に手間取ってるみたいで、悪いけど待機場所で待っててくれるかい?」
早川は思う。近くで見てみると、恐ろしいほど鋭く凛々しい相貌である。 彼女の人格が滲み出たがごとき精悍かつ冷徹な表情は、麻衣の語っていたような『気弱な子』の面影を微塵も感じさせない。
麻衣の言っていた彼女と、目の前にいる彼女は別人ではないか、という錯覚を抱かせられるほどだった。
すると天見は早川の予想を裏切り、驚くほどあっさりと言い放ったのだ。
「構いません。私はここで待っています」
「え……でも、時間かかるかも知れないぞ?」
「構いません」
聞き返しても顔色一つ変えない天見。早川は言葉に詰まり、数回口をぱくぱくと動かしてから
「そ、そっか。悪いな、なるべく早く準備するから」
観念してそう伝え、しずしずと自らの待機場所に引き下がったのだった。
その時第三格闘部側では
「先生、なんか、すみません……」
茜に惨敗した可奈が黒木の隣に座りその顔色を伺っていたのだった。
「……いくら相手が強かったとしても、1ラウンド負けは許されません」
ぶすっとした顔の黒木。可奈は気まずさを紛らわせるために話題を変えようとする。
「い、今向こうの先生が千佳に話しかけてましたけど、どうしたんですかね」
「さあね。次の選手が来てないみたいだから、時間かかるって伝えたんじゃないの」
「それなら千佳も戻ってくればいいのに」
黒木は何も答えない。かなり不機嫌そうな様子なので可奈はうぇ、と声を漏らしてしまった。
ただ、黒木は頭の中ではそれほど怒っていたわけではなく、
(ほんとにね……。あの冷静な千佳が、あんなに息巻いてるのは見たことがない。一体、何があなたをそうまでさせるわけ? 相手の選手は何者なのよ……)
可奈の言葉に相槌を打ちつつ、彼女は次の選手に思いを馳せる。
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