第14話

そして二分後


「ぜぇ、ぜぇ……」

「一騎お兄ちゃ……まだ三分たたないんですか……?」


 完全に息を切らし、よろよろと躓くようにステップを続ける二人の姿があった。


「まだ一分近くあるぞ」


 早川は表情を変えずに答える。

 麻衣は必死に息を整えようとするが、心肺の働きはまずまず激しくなっていった。


(うっそ……、三分間って、こんなに長いの……?)


 麻衣は気を抜けば転んでしまいそうな辛さの中、ただ気力だけで足を運んでいく。


「うぅ……根性です……」


 由紀もまた同様だった。

 しかしたった一人、広橋茜だけは、息切れ一つ起こさず、涼しい顔をしてフットワークを続けている。


(この、バケモノぉ……)


 終盤に差し掛かっても一向にスピードダウンしない茜の動きに、麻衣と由紀は驚愕を隠せなかった。

 そしてようやく


「はい、終了!」


 早川の合図と共に、麻衣と由紀はその場で倒れこんでしまった。


「ぜぇ、ぜぇ」

「はぁ……はぁ」


 二人は汗だくで、女子高生には似合わない壮絶な表情をしている。


「お疲れさん。しばらく休憩するぞ。暑かったら防具脱いで、腹に溜まんない程度に水分補給しとけ」

「はい……」


 二人は力なくその場に崩れたまま、急いで全身の防具を外す。

 防具の中には凄まじい熱気が溜まっているのだった。

 茜は少し離れた位置でゆっくり歩きながら水を飲んでいた。早川はそんな彼女に尋ねる。


「茜、ちょっと抜いてたか?」

「あ、先生すみません。今日は足にテーピングしてないので、あまり全力で動きたくなかったんです」


 茜の口から明かされた事実が、麻衣と由紀の心に突き刺さる。


「今の、茜ちゃん、手抜いてたんですか?」

「あ、あんなに速かったのに……?」

「いや、別に手を抜いてたとかそういうわけじゃなくて……」


 茜が困ったように弁明すると、早川から助け舟。


「二人とも元気そうだし、次の練習行くか?」


 早川が尋ねると、由紀はぶんぶんと首を横に振る。


「ムリです! もう少しだけ待って!」

「あはは、わかったよ。もうちょっと休憩な」


 笑って言う早川の事を、麻衣は少し不安げな表情で見ていた。

 早川はその視線に気付いていたが、特に口を開いたりせず、頭の中で考える。


(まあまあ、そういう目で見んなよ。焦ったって仕方ないだろ)


 麻衣の不安げな眼差しの意味は、早川にはよく理解できた。

 たった一セット練習をしただけで体力の限界。ベルヒット経験者と初心者の圧倒的な体力の差を痛感し、このままのペースでは間に合わないのではないか、と麻衣は危惧しているのだった。それを理解した上でなお、早川は焦ったりしなかった。


(無理して練習しても、その体力じゃ身につかない。今の限界はそこなんだ。焦るな。俺が二週間後までに、必ず戦えるようにしてやるから……)


 自分に言い聞かせるように、早川は脳内で呟いた。




 その後、彼らはしばしの休憩を挟んで前後のフットワーク。さらに少し実践的な対人を想定してのフットワークなどを数セットずつ行っていった。

 最初こそ会話があったものの、最後の方は麻衣も由紀もへとへとで言葉も発せず、休憩のたび死にかけの人間のようにぐったりと倒れこんでしまっていた。

 練習が全て完了するころには、すでに時刻は六時半を過ぎ、周りの部活も撤収の準備を始めていた。


(ここいらが限界、だな。いやしかし、由紀はよく頑張ったもんだ)


 半ば生気を失った目をしている由紀の顔を見て、早川は笑いながら彼女を賞賛した。


「よし、皆よく頑張ったな。今日の練習はこれで終わりだ。片付けて撤収するぞ」

「やぁっと終わったぁーっ!」


 由紀は部活終了の宣言を聞くや否や、飛び上がるように起き上がって目を輝かせた。


「って、お前まだ元気じゃねえか!」

「あはは、心の持ちようって大事だよね。もう終わりと分かったら身体が軽くなるもん」


 由紀の突然の復活に早川がツッコミを入れ、茜がそれを見ておかしそうに笑ったのだ。


「それじゃあ片付けて着替えてなー。七時過ぎないように帰れよー」

「はーい!」


 茜と由紀が元気に返事をした時、麻衣だけはまた何も言わなかった。

 彼女は何も言わず、少しだけ暗い表情をしていた。




 片づけが終わり、着替えも終わって帰る頃になると、時刻は七時を回ろうとしていた。

 二人の少女が廊下を歩いていた。由紀と茜であった。


「麻衣ちゃん、今日も用事があるって。一緒に帰りたいのに残念ですねー」

「そうだね」


 茜がそう答えたとき、不意に由紀がその場でよろめいた。


「わっ、大丈夫?」


 心配そうに彼女の身体を支える茜。由紀は小さく、すみません、と言ってから


「今日はもう疲れましたー。足ががくがくでまともに歩けませんよー。心なしか足が太くなったような気もしますし……」


 と呟いた。


「筋肉が張ってるんだよ。今日の練習は初心者には相当きつい練習だったのに、由紀ちゃんも麻衣ちゃんも最後まで頑張るんだもん。そりゃあ足もがくがくになるよ」

「そのきつい練習を顔色一つ変えずやっている茜ちゃんは何者ですか?」


 茜の言葉に由紀は皮肉交じりの褒め言葉を送る。

 茜は照れるのか何も言い返さず、しばらく無言のまま二人は歩いていく。

 そうして学校の玄関に近づいた辺りで、由紀がぽつりと漏らす。


「おなか、空きましたね」

「……同感」


 軽く意気投合すると、続けて具体的な案を提出する由紀。


「コンビニ寄りたいです」

「賛成。何か買って食べたい」

「でも家に帰ったら晩御飯が……」

「なんとかなるっしょ!」


 茜が親指を立てて心配するなと主張する。由紀はにやりと笑って答えた。


「ですね。もう高校生ですもんね」

「イエス。買い食いイズふりーだむ!」


 そんな感じで彼女達は、高校に入って手にいれたわずかばかりの自由に酔いしれるのであった。






「先生?」


 誰もいなくなったはずの第七格闘部の部室に、一人戻ってきた少女がいた。

 彼女は扉を開けて中に声をかける。すると、一人の男性が振り返って答えた。


「来たか」


 部室に戻ってきたのは麻衣。そして、その部室で備え付けの椅子に座り、 他の部屋から持って来たテレビとDVDプレイヤーを接続し直している男性は、早川だった。


「天見は試合に出てくれるそうだ」

「……そっか、よかった」


 麻衣は配線を確認している早川を尻目に、彼の隣の椅子に座った。


「天見の試合を見てみたが、正直部活の練習だけじゃ彼女とはまともに戦えない。プラスアルファの練習が絶対必要だ。本当はこんな風にこそこそしたくないんだけど、由紀や茜にはあんまり教えたくない話だからな。練習後にちょっと残る形になるけど勘弁してくれ」

「ううん、むしろここまでしてくれてありがとう」


 麻衣の口数はあまり多くなく、ただ淡々と最低限の返事だけをしていた。


「天見にとっては、お前との試合は不意打ちみたいなもんだ。彼女がお前の事を見て一瞬だけでも不快になることは間違いない。その上で、いかにお前が全力を尽くし、誠意を見せるか」

「……うん」

「基礎能力を上げても二週間じゃたかが知れてる。だから善戦する為には、天見のスタイルに合わせて戦略を考える必要がある。今日はその戦略を考える」


 早川はそう説明し、いよいよプレイヤーに天見の試合を録画したDVDを挿入した。

 静かな部室に、DVDが読み取られる小さな音だけが聞こえる。

 数秒後、テレビに映し出された映像は、どこかの体育館を映していた。

 明るい茶色の床に円状のラインが引かれており、その円の中で防具を着けた二人の女子が向かい合って立っている。


「この映像の左側、赤いグローブが天見だ」


 審判の合図とともに、画面の中の二人は素早く動き始める。


「よく見てろ。天見はとにかく前進して連打する、攻撃型の選手だ」


 天見は、すり足のような足さばきですぐに相手との距離を詰め、左右の拳を振るう。

 相手の選手も負けずに手を出し、至近距離での打ち合いが始まった。

 かと思えば、数秒も立たないうちに笛が鳴って、試合が終了してしまう。


「え、今、どうなったの?」


 麻衣は何が起こったのかさっぱりわからず早川に問いただす。

 すると早川は厄介そうな顔をして


「天見が勝ったのさ。相手のブローを全部払いのけて、自分の攻撃だけを連続してヒットさせたんだ。数秒で十五点差がついて試合終了。まったく、恐ろしい選手だ」


 と答えた。麻衣は信じられない様子で口をつぐむ。


「攻撃を売りにしているだけあって、至近距離での打ち合いには滅法強い。その距離じゃ茜でもまず勝てないだろうな」

「……」


 天見千佳のあまりにも圧倒的な強さに、麻衣は言葉を失ってしまった。


「で、今のが一つ目のパターンだ。前進型の選手に同じく前進型で対抗する。すると、今みたいな結果になる。実力が上のものが圧勝するわけだな」


 早川はDVDプレイヤーのリモコンを操作し、別のチャプターへ移行する。

 今度は先程よりも暗い映りの映像だった。

 先ほどと同じように二人の女子が向かい合って戦っている。


「今度は別のパターン。前進型の天見に対し、回避型の選手が試合をしている」


 ただ先ほどと違って、至近距離での打ち合いは行なわれていない。片方の選手がとにかく前進して相手を追い、もう片方の選手がそれをひたすらかわし続ける、という構図だった。


「どっちが天見かは言わなくてもわかるな?」


 早川の問いに麻衣は頷く。天見千佳は前進型の選手。この映像でも、相手を追い続けている選手の方が天見千佳に違いなかった。

 先ほどのように試合がすぐ終わる事はなかった。天見の動きが速いため、相手の選手は何度も連打を浴びそうになるが、その度に一、二発のパンチを打ち返して距離を取り、結局三分間逃げ切って試合はインターバルに突入した。

 早川はそこで再生を停止し、麻衣に問いかける。


「どうだ。どっちの戦い方が善戦してるって言える?」

「……二番目の方」


 麻衣は少しだけ時間をおいてからそう答えた。


「そうだな。自分より実力の勝る選手と戦う為には、弱い選手は守りを固めるのがセオリーだ。しっかりと守ってさえいれば、そうやすやすと攻められはしないからな」


 早川が説明するが、麻衣は少し納得が行かないような顔をする。


「どうした? なんか不満があるのか?」

「いや……不満というか、皮肉だなと思って。私は、千佳を助けもせずに逃げて生きてきたのに、彼女に謝るためにも逃げ続けなきゃいけないだなんて……」


 そう言った彼女の表情は自嘲的な雰囲気に溢れていた。

 だが、早川はなんでもないような調子で、こう言い放ったのだ。


「お前、逃げる事を楽な事、悪い事だと思ってないか?」

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