第13話

「でさー、結局由紀には勝てなかったんだよー」


 放課後、更衣室と化した部室を利用して三人が着替えている。


「へー、由紀ちゃんって頭良いんだねー。麻衣ちゃんは何点だったの?」


 茜が尋ねると、麻衣が何でもない調子で答える。


「82点。まあ別に不満がある点じゃないんだけどね。由紀に負けたのがやたら悔しくて」

「なんですかその言い方―。私アホキャラみたいじゃないですかー」

「だって喋り方からして、ねぇ?」


 笑いながら言う麻衣。由紀は何も答えずぷうと頬を膨らませた。


「82点……、すごいな、私にとってはどっちも雲の上の点数だよ……」


 ぽつりとそんな事を呟く茜。由紀は彼女の点数も気になるようで


「そういう茜ちゃんはどうだったんです?」


 と尋ねた。すると茜は少し躊躇ってから自分の鞄を漁り始める。


「まだ入れてたと思う。見たい? 私の点数」


 彼女が鞄の中を探りながら嬉しそうに言うので、麻衣と由紀はうんうんと頷き答える。


「見たい見たい」

「見せてくださいー」


 茜は一度にこりと笑い、鞄から一枚の紙を引っ張り出して由紀たちの前に広げて見せた。


「じゃーん!」

「ぶほっ?」


 その紙に書かれている数字を見て、麻衣が吹き出す。

 由紀も目を丸くして口を大きく開けてしまった。


「ろく、てん……?」


 辛うじて由紀の口から漏れたのはそんな言葉。

 広橋茜の、入学時の数学テストの得点は、6点だったのだ。


「いや、あんた大丈夫? 先生に何か言われなかった?」


 麻衣が本気で心配して聞くと、茜はきょとんとした顔で返事する。


「ん、先生には何も言われない日の方が珍しいというか……」


 由紀の方はずっと驚きっぱなしで言葉も出せなかった。


「茜、私達でよかったら力になるよ。さすがに成績悪すぎたら部活止めさせられちゃうかもしれないし……」

「え、そういうものなのっ?」


 麻衣の言葉に素っ頓狂な声を上げて驚く茜。


「うーん、親が大丈夫でも成績1とかついたら進級できないしさ」

「そ、そっか……。やっぱり勉強もちゃんとしないと駄目だよね……」


 一気にしゅんとしてしまう茜を見て、由紀と麻衣は慌てて彼女を励まそうとする。


「で、でも私達も協力するし……」

「そうですよっ。茜ちゃんを留年させたりしませんから!」


 二人の激励のかいあってすぐに茜は元気を取り戻した。


「ホント? それなら私頑張れそうだよ」


 ちょうど彼女が言い終えたと同じくらいのタイミングで、扉の外から苛立ったような声が響く。


「お前らいつまで着替えてんだ! もう練習始めるぞさっさと準備しろーっ!」


 第七格闘部顧問、早川一騎の声だった。


「わわっ、一騎お兄ちゃんなんだかぴりぴりしてますっ?」


 由紀が慌ててプロテクターを装着し始める。


「よいしょっと。私着替え終わったから、先に行くねー」


 麻衣と由紀がまだプロテクターを着け始めた段階なのに対し、茜はすでに完全装備状態であり、涼しい顔をして部屋から出て行こうとする。


「え、着替えるの早いですっ」

「さっきまであんたも私達と一緒に喋ってたのに!」


 由紀と麻衣が驚愕の表情をすると、茜は振り返って一言。


「玄人は喋りながら着替えるんだよー?」


 悪戯っぽくそう笑って彼女は扉を開き出て行った。


「麻衣ー由紀ーっ! 早くしろぉ!」


 扉の外から急かしたてる顧問の怒声が聞こえてくる。


「ひー、早くしないと後が怖いです」

「なんだか茜に化かされた気分だわ……」


 由紀と麻衣は思い思いの事を呟きながら、急いで準備を進めた。






「よく聞け! 初めての試合の日程が決まったぞ!」


 設置型のネットで区切られた体育館の隅。その狭いスペースが第七格闘部の練習場所だった。早川は敷いたマットの上に部員3人を座らせ、声を張り上げる。


「相手は第三格闘部。その一年生チームとの練習試合だ」


 由紀が少し驚いて聞き返す。


「突然ですね。それに第三格闘部って、めちゃくちゃ強いところじゃないですか。どうしていきなり……」


 隣で聞いていた麻衣は、閉口してしまった。第三格闘部との練習試合を提案したのは彼女なのだ。それもかなり個人的な事情であり、あまり知られたいことではない。


「早いうちに強い相手との試合をしてみた方が、目標が作りやすくていいと思ったんだ」


 早川が適当に理由をつけて説明したので、麻衣はほっと息をついた。


「それで、日程はいつなんですか?」


 茜が追って質問すると、早川は渋い顔をして答える。


「それがな……、二週間後、という事で決定しちまった」

「二週間後っ? すぐじゃないですか?」


 びっくりして聞き返したのは麻衣だった。

 麻衣は今回の試合で天見千佳と戦う必要がある。そして天見千佳は第三格闘部の一年生エースとも呼ばれているような選手なのだ。全く初心者の麻衣が、彼女とまともに戦えるようになるまで、二週間という時間はあまりにも短すぎる。


「そうだ。さっき聞いたら向こうの選手も了解済みだそうだから、まずその日程から動く事はないだろうな。知ってのとおり第三格闘部は強い。その強いチームとまともに戦えるようになるには、二週間ははっきり言って無謀なんだ。当然練習はハードになる」


 早川はそう言いながら、ある一人の事を心配していた。


(……由紀には厳しいかもしれないな。茜はすでに基礎体力が出来ているから大丈夫だし、麻衣には頑張る理由がある。でも、由紀にはそのどちらもない……)


 彼は全員に語りかける風に喋りながら、その実由紀に対して話していた。


「辛かったら止めたっていい。まだまだ先は長いからな、第三格闘部との試合がゴールじゃない。その先のことを見据えて、身体の不調とかもちゃんと俺に伝えるように」

「はい!」


 茜と由紀が元気よく返事をするが、麻衣だけは反応をしなかった。


「それじゃあ早速練習を始めるぞ。まずは柔軟から」

「はいっ」


 早川が指示を出し、彼を真似るように三人が柔軟体操を始める。

 アキレス腱、ふともも、腕、肩、胴回りなどよく使う部位を重点的に、立ったままの姿勢で伸ばしていく。一段落つくと、今度は早川が三人に座るよう指示する。


「次はマットの上で柔軟するぞ。お前らもやったことあるだろ。座って膝を真っ直ぐ前に伸ばして前屈だ」


 早川がお手本としてやって見せると、麻衣達は黄色い声援を送る。


「おお、先生男なのに柔らかい」

「本当ですね。以前は滅茶苦茶硬かった覚えがありますが」


 早川は柔軟をしながらにやりと笑う。


「ふふ、継続は力なりと言うだろう。もとが硬くても毎日続けりゃこんなもんよ」


 しかしその台詞は麻衣達の耳には届かなかった。

 なぜなら彼女達の意識は完全に別の方向へと吸い取られてしまっていたからである。


「ぎゃーっ! タコがーっっ!!」

「なんですかこの未確認生命体はッ!?」


 彼女達の視線の先には骨格が存在しないかのように折れ曲がりうねうねと動く謎の生物がいた。広橋茜である。


「タコじゃないよー」


 茜はそんな事を言いながら身体を起こし、今度は両脚を頭の後ろに引っ掛けてヨガのような姿勢をとる。そして両腕の力だけで身体を持ち上げ、うねうねしながら麻衣たちの方へと進撃を始めた。


「ぎゃー気持ち悪いっ!? こっちくんなーッ」

「6点は悪魔の数字だったんですねっ!? 退魔師エクソシストを呼ばなきゃ!!」

「うひひ、逃げないでー」


 麻衣と由紀があまり怖がって逃げるので、茜は調子に乗って追いかける。


「こらお前ら練習中だぞふざけんなー!」

「ひゃー!」


 走り回る三人に、痺れを切らした早川の怒声がぶつけられた。






 気を取り直して、柔軟を終えた彼女らは本格的な練習に入る。

 まずは互いにフォームを見合っての確認。


「本当は鏡があればいいんだけどな。他の部活に取られちまって」


 早川は麻衣の腕の位置を確認し、修正が終わると声をかけてやる。


「いいぞー。相手に打たれたときも脇が開かないように」

「はい!」

「由紀ちゃんも良いと思うよー」

「ありがとうございまーす!」


 基本的に早川と茜が他の二人のフォームをチェックして修正する作業だった。



 続いて、フットワークのトレーニング。


「縄跳びを三分間5セット、と行きたいところだが、お前らの場合基礎体力が無さ過ぎるから、今日はまず最初防具をつけたまま走るぞ」

「走るって、こんな狭い場所で、ですか?」


 由紀が聞き返す。ネットで区切られた練習スペースは、猫の額ほどの広さと言って過言ではない。


「問題ないさ。ベルヒットは50メートルも走り続けるようなスポーツじゃない。短い距離を如何に速く動くかが重要なんだ。三人ともそっちに並んでくれ。こっち向いて」


 早川は手で指示して三人を縦に並ばせる。先頭には茜。


「今から左右のフットワークをやってもらう。左側に壁と右側にネットがあるな? 合図をしたら左にステップして壁に触る。触ったら今度は右にステップしてネットに触る。それを三分間続けるぞ。腕は壁とかに触るとき以外はさっきやったガードの姿勢だ。身体の正面は俺の方に向けて、足は交差させるな。足を一メートル以上広げるのもナシだ。わからなかったら茜を見て真似しろ。なるべく早く動くんだぞ。それじゃ始め!」


 口早に指示し、早川は合図をする。

 麻衣と由紀は最初こそ勝手がわからない様子だったが、茜の動きを見て理解する。

 二人は小刻みのステップで左右に動きながら考える。


(防具つけてると重くて足が動きづらいですね……まあでも)

(三分間ぐらいなら余裕でしょ……!)


 二人は涼しい顔をしてフットワークのトレーニングに励む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る