第12話

翌日の朝。学校へと続く通学路を、全力で駆け抜ける少女がいた。

 艶々の髪の毛を持った女子高生。彼女は道行く人をかわすように、物凄い勢いで突っ走って行く。道を歩いていた中年の男性が思わず声をかける。


「こらこら、そんなに急いじゃあぶな……」

「ごめんおじさん今ムリ!」

「って足速っ!」


 一瞬にして彼の隣を抜き去って行った少女に、中年の男性は目を点にした。


「わー、このペースじゃ遅刻だぁー」


 今をときめく女子高生、またの名を格闘少女広橋茜は、そう言ってさらに加速する。

 うららかな春の日だった。


 朝一番のチャイムが鳴る。

 教室の座席に座り、特に意味も無く携帯をいじっていた麻衣は、斜め前の席に座っている由紀から声をかけられた。


「何か今、教室の外を物凄い勢いで何かが過ぎ去って行ったような気がするんですが……」


 麻衣は顔を上げて返事する。


「え、何それ?」

「わかりません。人の姿をしていたと思います」


 不思議そうに言う由紀。彼女が見たものが同じ部活の仲間、広橋茜だったとは知るよしもない。


「きりーつ」


 仮決定の学級代表が号令をかけ、クラスの全員が立ちあがる。


「礼。おはようございます」

「おはようございまーす」


 いまいちやる気のなさげな生徒達の挨拶だったが、担任の教師は慣れっこな様子で教卓に手をつきながら話し始めた。


「数学の早川先生からプレゼントが届いてるぞー。こないだの数学のテストだ。返すから出席番号順に来るように」


 それを聞いた由紀が麻衣の方へ振り返る。


「早川先生ですって」

「なんだか変な感じするね」


 そうやって笑いあっていると、すぐに担任から由紀に声がかけられる。


「大星ー。早く取りに来い」

「うわっと、私出席番号早いんでした」


 慌てて由紀は解答用紙を受け取りに行き、先生が答案を見て声を漏らす。


「おお、大星はなかなか出来るなぁ。関心関心」


 周りの学生達がそれを聞いて囃し立てる。


「由紀ちゃん、何点だったの?」

「見せて見せて」


 由紀は困ったように笑いながら


「そんな大したもんじゃありませんよ」


 と謙遜したが、皆が無理やり見ようとしてくるので根負けしてひらりと答案を見せた。


「おおー!」


 一斉に声援が上がり、否応なく由紀は注目されてしまう。

 恥ずかしそうに席へと戻ってきた由紀に、麻衣はにやりと笑って尋ねる。


「何点だったのー? 私にも教えてよー」

「うふふ、麻衣ちゃんには隠しませんよー」


 由紀が掲げて見せた答案用紙を見て、麻衣は口をあんぐりと開いてしまった。


「きゅ、98点……だと……」

「春休みにたくさん勉強したかいがありました。あ、でも麻衣ちゃんこそ頭良さそうだから、ひょっとして満点とか取っちゃうんじゃないですか?」


 無邪気にそういう由紀だったが、麻衣は引きつった顔で


「え、いや、そんな事ないよ、うん」


 と答える。実は彼女はある程度勉強に自信を持っていたのだが、由紀が予想外に高得点だったので何も言えなくなってしまったのだ。


「樋口―。早く取りに来いよー」

「あっ、はい!」


 麻衣は担任の呼び声に返事をして立ち上がる。


(いや、98点を超える点数はさすがに取れないって……でも、でも……)


 彼女は脳内で叫んだ。


(由紀に負けるってなんか悔しい!)






「広橋。おい、広橋!」


 社会科の教諭が声を荒げる。


「んぇ、はい?」


 茜は机に突っ伏したまま顔だけを上げて、とろんとした目で聞き返す。


「はい? じゃない! お前さっきから何回起こされてるとおもっとるんだ! まだ午前中だぞ!?」

「あれ、今何時間目でしたっけ?」

「三時間目だよ! 寝てばかりいるから何時間目かも分からなくなるんだ! 一体昨日の夜は何をしていたのかね!?」

「先生、そんなプライベートな話はここではちょっと恥ずかしいというか……」


 反省の素振りもなくそんな事を口走る茜に、周りの学生達は笑いを堪えきれずにいた。

 一方、教師はいよいよ堪忍袋の緒が切れてしまい


「いいから起きろっ! シャキっとせいシャキッと!」


 物凄い剣幕で怒鳴った。茜はさすがに肝を冷やしたと見えて


「うわっ! すみませんでしたっ!」


 そう言って慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正したのだった。






 そんなこんなで昼休み。

 職員室にて、数学教師早川一騎はとある女性の背後に立って耳元で囁いた。


「黒木せ・ん・せ」


 声をかけた相手はスーツ姿でセクシーな体つきの女性。少し近寄りがたいきつめの顔をしているが、美形と言って間違いない。第三格闘部の顧問、黒木くろき牧子まきこ教諭だった。黒木はうんざりしたような顔で振り返り、早川を睨む。


「何です? 気持ち悪い呼び方しないで普通に呼びなさい、早川先生」

「あ、先生的には今のアウトですか」

「……用件を」


 早川が軽口を叩くと、黒木は容赦なく睨みつけ先を促す。


「し、失礼しました。用件は……練習試合の申し込みをしたいな、と思いまして……」


 早川はその剣幕にたじろぎ、地雷をこれ以上踏まないように用件を手早く告げた。

 すると黒木は不思議そうな顔をして聞き返す。


「練習試合? それって、あなたが設立した第七格闘部と、うちの第三格闘部で、って意味?」

「そうなりますね。こっちは一年生しかいないので、一年生同士での試合だとありがたいです」


 早川はなるべく表情を変えずに言った。自分でも突飛な事を言っているとは分かっていたのだ。朝日野の第三格闘部と言えば、ベルヒットのプロを輩出した実績もある名門である。対して第七格闘部は今年新設。顧問は若造、選手の内二人は初心者という有様だ。ハナから勝負にならないことなどわかりきっている。

 黒木は早川の予想通り、あまり好ましくない表情をした。


「そう言ってもねぇ。知ってのとおり、うちにはプロ目指してる子もいるのよ? そっちは聞いた話じゃ初心者ばっかりらしいじゃない。馬鹿にするわけじゃないけど、あまり実力差がありすぎる相手と試合しても、練習にならないと思うわよ」


 その返事に、早川は意味ありげな微笑を浮かべて告げる。


「ええ、よく分かっていますよ。……ただもしも、まるっきり相手にならないわけじゃない、としたら?」


 不気味な発言。黒木は眉を寄せた。


「どういう意味?」

「ですから、ひょっとするとこっちの選手が勝っちゃうかも知れないんですよ。すごい隠し玉がいるんでね。例えば、天見千佳にも勝てるような隠し玉が……」


 早川が言い終えると、黒木は途端に表情を変え、厳しく早川を睨みつける。


「千佳に? まさか。やれるもんならやってみなさい。あの子は今後間違いなく我が部を躍進させる逸材よ。冗談にしても馬鹿げてるわ」


 黒木の表情に動揺はない。負けるはずがない、と心の底から思っているのだ。


「試してみないと分からないですよ。天見千佳を三番手として出していただけるなら、他の選手はそちらの采配で構いません。練習試合、受けてくれませんか?」


 早川も一歩たりとも退かず、強気で言い返した。


「それは挑戦状と受け取っていいのよね? あなたがそこまで言うのなら、申し出を受けましょう。でもねえ、千佳が、そちらのような部活との練習試合に応じるかどうか」

「そこは何とか説得していただきたい。こっちも、天見千佳がいないと張り合いがないんでね」


 早川の不敵な口振りに、黒木は眉間をひくつかせる。


「……どうやら、完膚無きまでに叩き潰されたいようね。オーケー試合は二週間後の水曜日にしましょう。三番手に千佳を出すことも約束するわ。情けない試合にならないように、せいぜい頑張って練習しなさい」

「に、二週間後?」


 早川が素っ頓狂な声で聞き返したので、黒木は目を丸くする。


「何よ? こっちは色々と忙しいの。その日以外なら来週ぐらいしか空いてないけど、そっちにした方がいいかしら?」

「い、いえ。二週間後で結構です」

「んじゃ、そういう事で」


 黒木は机へと振り返り早川に背を向けてしまう。


「あのー、黒木センセ?」

「今度は何よ?」


 早川が追って声をかけると、黒木は不機嫌そうに顔をゆがめる。


「あの、そのー。宜しければ天見千佳の試合を録画したDVDなんて貸していただけたりしないですかねー?」

「はぁ? 隠し玉がどうの言ってたくせに、こっちの選手を研究して来る気?」


 先ほどの自身ありげな表情もどこへやら、すっかり萎縮した早川の姿がそこにあった。


「まあ、さすがに全く対策ナシでは厳しいかな、と……」

「何それ? もうわかったわよ。後で貸したげるから、その弱弱しい姿勢で後ろに立たないで!」

「うへーすみません!」


 いよいよ黒気に蹴られそうだと感じた早川は、素早く撤退し自分の席へと戻る。

 席に戻ってから彼はじっくりと考えをまとめていく。


(ひとまず作戦成功。あとは天見千佳が断らなければ、試合はできそうだな)


 彼は先ほどの黒木との交渉に、いくらか嘘を交えて話していた。


(隠し玉は……いるにはいるけど、今回は天見と試合させるわけにはいかないんだよな。天見と試合するのは、麻衣の役目だから)


 正直に事情を話しても拒否されると判断した早川は、麻衣と天見千佳の試合を実現する為に芝居を打っていた。

 それは隠し玉がいる、という話。確かに広橋茜という隠し玉がいるにはいるが、彼女は天見千佳と試合させるつもりはない。天見に勝ちうる選手がいると豪語する事で、選手に絶対の自信を持つ黒木を煽り、練習試合の申し出を受けさせようと考えたのだ。


(しっかし、二週間後か……。これは少々まずい事になったぞ……)


 現実には、麻衣を天見千佳との試合に送り出さなければならないのだ。由紀だって恥ずかしくないレベルまで上げてやる必要がある。二週間では出来る練習もたかが知れている。果たして、試合までに仕上がるのだろうか。


(……俺が不安になってちゃ駄目だよな。厳しくはなるだろうが、彼女たちを信じるしかない)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る