第4話
艶のある髪にやや丸っぽい骨格の顔。体格は小柄だが、引き締まった健康的な体つきだった。制服姿のその少女は、甘和の手首を掴みさらりとこんな事を言ってのけた。
「ジュースは飲むものであって、人に浴びせるものじゃないよ。そんな事も知らないの?」
甘和は掴まれている腕を強引に振り払い、突如現れた少女の顔を見る。
(この女、いつ部屋に入ってきた? 全く気がつかなかった)
甘和は周りを見渡す。他の部員たちも面食らった様子であった。
「誰だてめえ。つか、あたしにもかかったじゃないのよ、ふざけんな」
彼女はそう言って、現れた少女の襟首に手を伸ばそうとした。
が、その手が届くよりも先に
「私にもかかっちゃった」
少女が自分の手のひらを、伸ばされた甘和の腕で拭ったのだ。
「あ?」
甘和は何をされたのか理解できないような顔で、自分の腕と少女の顔を見比べた。
「お前、今何やった?」
目を丸くしてそう問い詰める甘和に対し、艶髪の少女は涼しい顔をして答える。
「何って、袖で手を拭かせてもらったんだよ。見れば分かるでしょ」
甘和の表情が一気に怒りの形相へと変わっていく。
「ふざけてんじゃねえぞ、このクソガキ!」
そして、腕を大きく後ろへ振りかぶった。
そばでへたり込んでいた由紀が気付く。その姿勢は、先ほど麻衣を殴った時のものと同じである。
(あ、危ない!)
彼女が声を出す間もなく、甘和の腕は振り出され、突っ立っている少女の腹部に直撃した。どすり、と恐ろしく重たい音が響いた。だが、
「体重が乗ってない。腕力はあっても、手打ちだから芯に響かない」
殴られたはずの少女は一歩も動かず、まるで何事もなかったかのように平然と立っていた。あまつさえ、微笑すら浮かべているようだった。
「残念だけど痛くもかゆくもないよ。あなたなんかよりもっと怖いパンチを打つ人、私はたくさん知ってるし」
彼女は表情を変えずそう告げた。
怒り狂っていた甘和が、確実に少女の腹へと直撃したはずの自分の腕を見て、ふと我に返る。彼女は拳に、じんわりと鈍く熱い痺れが残っている事を感じた。
(な、んだ? 壁でも殴ったみてえな感触だ……)
そしてすぐさま、自分のパンチを腹で受け止めた目前の少女へと視線を向ける。すると
「なんだ。偉そうな割に大したことないんだね」
少女は呆れ返ったような口調で言い放ったのだ。
「て、んめぇこのっ!」
甘和は再び逆上し腕を振りかざす。
周りで見ていた部員の一人が咄嗟に彼女を止めようとする。
「ちょ、ちょっと甘和!?」
止めようとした理由は単純だった。
振りかぶった甘和の腕は高い位置にある。
このまま振りぬけば、少女の頭部に直撃するのは間違いなかったのだ。
しかし、甘和は止まらない。渾身の力を込めた右腕を振るい、少女の顔面へと叩きつける。部屋にいたほぼ全員が息を飲んだ。
次の瞬間、響いたのは意外なほど軽い、ぱし、という音。
少女の頭が打ちぬかれた音ではない。
「ベルヒットでは、頭部打ち(ヘッドブロー)は反則だよ。最初に教わるはずなんだけどなぁ」
少女が自分の顔の直前で、拳を受け止めた音だった。
「な、なんなんだよ。てめえは……」
渾身の右拳をあっさりと受け止められ、甘和は明確に動揺する。
「私は一年生の広橋茜。あのね、あなたのやっているのはベルヒットじゃなくて、ただの暴力だよ」
諭すような口調で説明する少女、広橋茜。
その見下した目つきに、当然甘和は憤怒した。
「うるせえ! あたしは二年生だぞ! 第六格闘部の次期レギュラーだぞ!? 大会で入賞したことだって一度や二度じゃない! そのあたしに向かって、何なめたクチきいてやがるんだッ!!」
そう言って茜の襟首を掴み上げようとする甘和。
しかし、茜はするりとその腕から逃れ、ため息をつくように答えた。
「ほんとは、防具つけないでスパーやっちゃ駄目なんだけど、あなたは防具してるしいいよね。あまりにも基礎がなってないから、私が一から教えてあげるよ。先輩」
直後、彼女の体が、ぶれた。
横から見ていた者たちが、一瞬見失うほどの速度で
広橋茜は甘和の懐に飛び込んでいた。
「有効打撃部位は、全部で五ヶ所」
顔が接するぐらい近くに寄りながら、茜が甘和に向かってささやいたのだ。
(や、ば、離れ……)
甘和は動揺し、咄嗟に後ずさる。
その様子を見て、茜はにやりと意地悪く笑った。
「まずは1ポイントエリア。グローブとシューズを除く両手両足の防具部分」
瞬間、風を斬る音が二つ、目にも止まらぬ速さで、広橋茜の両拳が甘和の両腕を打撃する。
「腕は肩まで、脚は股下までが有効な部位だよ」
続いて茜の右足が動いたかと思うと、弾けるようなコンビネーションで左右のローキックが炸裂する。その間に一秒ほどの時間もかからなかった。
あまりの早業に、その場の誰も何が起こったのか理解できなかった。
バチッ、と電流でも流れたような快音が響き、甘和が思わず声を漏らす。
「っ!?」
まるで地に縫い付けられたように、彼女の足がぴたりと止まってしまう。
(な、なんだ今の……。足が、痛い……? 刃物で切りつけられたみたいだ……こっちは防具つけてるってのに……!)
動けない甘和に向かって、容赦なく言葉を叩き付ける茜。
「そして、3ポイントの有効部位、体幹ボディ」
茜は瞬時に身をねじり、右肩を前に突き出して左拳を後ろに引いた。
目前の相手を殴るための姿勢。しかし余計な力みはない。異常なほど洗練されたその動きは、見る者にある種の芸術的な美しさをも感じさせた。
直後、茜の両足が地面を掴み、下半身の力が一気に上体へと伝わる。全身の筋肉と骨格が精巧な歯車のごとく噛み合い、力が一点へ集中していく。
腰から肩にかけてぐるりと回転させ、後ろに引いていた左拳がうねりをあげる。
少しも無駄にすることなく、全エネルギーを乗せた渾身の左拳が
彼女の目前で立ちすくむ甘和の体幹に、直撃した。
「う、がぁっ……!?」
岩盤を穿つような音が鳴り響き、甘和の身体は後ろへ1メートル近くも弾き飛ばされる。
甘和は転びそうになるが、なんとか踏みとどまり状況を確認する。
防具越しでも腹部に残るじんじんとした痛み。彼女の目前には、振りぬいた拳をゆっくりと引き戻す少女の姿がある。
(あたしが、こいつのパンチで吹き飛ばされた……?)
少女の体格は甘和と比べて一周りほど小さい。こんな小柄な少女に自分が弾き飛ばされたなど、甘和には全く信じられなかった。
「由紀……? あの子、誰……?」
傍らで座り込んでいた麻衣が、隣で背中を支えてくれている由紀に尋ねた。
「わかりません……でも、すごい……」
由紀は、見惚れてしまっていた。自分より大きな身体の相手に対し果然と立ち向かい、あまつさえ押し飛ばしてしまう、茜という少女の勇姿に。
「かっこいい……!」
そう呟かずにはいられなかった。
「甘和っ?」
周りの部員達が、心配そうな顔をして歩み寄ろうとする。
しかしそれを止めるように、たった今甘和を殴り飛ばした茜が告げたのだ。
「最後に、ベルヒットには最高得点である5ポイントの攻撃が存在する。何だか分かるよね?」
甘和は悟る。この広橋茜という少女は、まだ攻撃を止めるつもりはないのだと。
それどころか逃げる事すら許さない素早い動きで、甘和へと接近してくる。
「ま、待って、止めてっ!」
甘和はもはや完全に逃げ腰で、そう嘆願した。
だが、茜は止まらない。
「打撃による転倒ダウン!!」
彼女は瞬時に跳躍し、右脚を体幹に寄せた。
宙に浮いたまま彼女の身体はムチのようにしなり、腰の捻りによって全体重を乗せた右足が、獲物へと狙いを定める。
回避は出来ないと悟った甘和は、両腕を身体の前に構えながら考えた。
(この姿勢……まさか……)
甘和はその姿勢から繰り出されるべき技を知っていた。
それは、空中で身体を小さく丸め、飛び掛るように全体重を乗せる蹴り技。
ベルヒットのプロ選手でも使いこなせる人物は少ないとされる超高難度の技術。
相手がどんなに固くガードしようとも、そのガードごと問答無用に打ち砕き転倒させる、必殺のジャンピングキック。
(『ブレイク』……!?)
鉄槌のような茜の右足が、固く構えた両腕ごと、甘和の身体を打ち抜いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます