発車ベル

友田粋

第1話

 車内はやや混雑してきた。


 隣に置いてあるランチバッグを足元に移動し、新聞をリュックにしまって暫時前を向く。彼女はいつも通り単語帳と対峙している。毎度のことたがその集中力に脱帽する。

 彼女の名は高崎玲。私と同じ花島高校二年生だ。今日もおそらく講習に参加するのだろう。私はといえばこの時間にぼんやりと何をしようか考える。久々に圓生師匠の落語を聞こうか、今日の新聞記事について同級の杉原と語るか、高崎さんのように黙々と勉強するか、様々な過ごし方を検討したがいつも通り決意しかねた。


 そうこうしているうちに、花島駅到着を知らせるアナウンスが流れた。




 本当は降りる準備をしなければいけないのに、例のごとく睡魔に負ける。

 とろとろっとしているところで、強い衝撃を感じた。どうやら着いたようだ。慌てて準備をするが間に合わない。重いリュックを背負おうとしたときにはもう、人が入ってきてしまっていた。

 必死でかきわけてなんとか外にでる。改札には何やら駅員ともめている女性を除けば誰もいなかった。リュックからウォークマンを取り出し、円生師匠の「鰍沢」を聞く。もう何度も聞いているが、やはり旅人がお熊に追いかけられる場面は、身の毛がよだつ。

 通学で落語を聞く際は慎重に話を選ばなければならない。間違っても火焔太鼓などは聞いてはいけない。微笑するだけで訝しげな目を向けられるからだ。そこで、お題目を唱えたりしたら助かるどころか通報されるかもしれない。



丁度正門の前で一席終わる。


校舎に入ると古めかしい靴箱が目にはいる。相変わらず閉まりが悪い。脱いだ外靴を靴箱に入れようと身を屈めようとすると、汗が吹き出す。

どうもこの汗というものは不思議である。動いている最中はたいしてかかないが、ひとたび止まるとじわじわと出てくる。


エアコンがついているのを期待して2-Eの教室に入る。やはり期待に反していた。

教室には杉原と女子が数名。彼はメモ用紙に青ペンで何やら書き込んでいる。どうせ数学でもやっているのだろう。私が声をかけなければ始業のチャイムがなるまでこれを続けている。

ところがどうして数学のテストで私は杉原に負けたことがない。

議論しようと思ったニュースも忘れたので、数学科の前で勉強することに決めた。


高崎さんがいないだろうかと乞い願うが、誰もいなかった。いたとしてもことばに詰まってしまうだろうから、一概に不幸とはいえない。


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発車ベル 友田粋 @rakugo21

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