第7話


 森の中で、浦部は笑っていた。その楽しそうな笑顔を、僕は心の中に思い描いていた。

 笑顔は、浦部という人物のイメージから最もかけ離れたものだった。隣で何が起ころうが我関せずといった鉄面皮こそ浦部らしい。

 だけど、僕は浦部の笑顔をもっと見たいと思った。初めて見たその時から、僕は笑顔の浦部が好きになっていた。またあの底が抜けたような笑い声を聞くには一体どうすればいいのか――最近考えるのはずっとそんなことばかりだった。


「おはよう、ゴミ! 元気にしてた?」

「…………」

「ねえ、ゴミって友達いないの? いつも一人だけど~」

「……何の用?」

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる水谷とその取り巻き、それを冷ややかな目線で見つめる浦部。近頃、休み時間では幾度となく繰り返されている光景だった。

「ゴミがかわいそうだからさ~、お友達連れてきてあげたんだ! ほら!」

 水谷が手に持っていたゴミ箱をひっくり返し、浦部の頭から中身を振りまけた。中の紙クズやホコリが浦部の全身に降りかかり、机の周りを散乱するゴミで埋め尽くす。

 それを見て水谷たちは大声で笑った。耳に障る、下品で甲高い笑い声だった。

 僕はそれをただ黙って聞いていた。


 いい加減あいつらを黙らせないかと提案したことは以前にもある。自分が直接被害に遭っているわけではなくとも、浦部が虐げられるのを見るのは気分の良いものではなかった。

 だけど、それに対する浦部の返答は常に素っ気ないものだった。

「……またその話? 別に気にしなくていいから」

「気にするに決まってるだろ。だって……」

「ふふ……心配してくれてるの?」

 そう穏やかに笑う浦部の顔に陰のようなものは見えなかった。校舎裏で泥水をかけられ、死にたいと呟いていたあの陰鬱さはもうどこにもない。

「もっとイジメが酷くなったら、もっと心配してくれるのかしら?」

「なに言ってんだよ……」

「冗談よ、冗談」

 そう言うと浦部は両足を投げ出し、ソファーの背にもたれかかった。もうそれ以上その話題を続けるつもりはないようで、正面のパソコンのスクリーンセーバーを眺め始めた。

 僕も浦部から視線を外し、ぐるりと室内を見渡した。パソコンには電源が入っていたが、それだけだった。ここはネットカフェなどと名前がついていたが、僕らがここでインターネットを利用したことは一度もない。ただ浦部と二人きりになるためだけの部屋でしかなかった。

「……せめて、あいつらを調子付かせるようなことは止してくれよ」

「調子付かせるって?」

「あいつらを喜ばせるようなことだよ。悪口を言われてもいちいち取りあうんじゃない。今日も……ゴミだって言われてなんで返事なんかしたんだ。無視してりゃ――」

「あら、だって事実だもの」

 浦部は自嘲的に笑っていた。

「事実? 君はゴミなんかじゃない、もっと自信を――」

「私の名前、漢字でどう書くか知ってる?」

 突然の浦部の問い。答えは知っているが、なぜそんな事を急に聞くのか意表を突かれた。

 浦部の下の名前、イツミ。名簿で見たことがある。これを漢字で書くと――。

「数字の五に、美しい。それで五美……だろ?」

 自分で口に出して気付いた。

「あいつら、これを読み替えて『ゴミ』だなんて言ってたのか? くだらないな」

「でもね……それが正解なの」

「え?」

「おかしいと思わない? 私は長女で、兄弟もいないのよ? それなのに『五美』だなんて」

 一瞬、浦部の言葉の意味が分からなかった。気付いたとき、全身に戦慄が走った。

「私を産んだ後……あの人、相当イライラしていたって。男に捨てられただけじゃなくて、邪魔なゴミまで一緒に抱え込むことになったって……」

「…………」

「それで、私の名前もゴミにしようって、実際に届け出たってさ。でも市役所に受理されなくて、仕方なく『五美』にしたって」

「浦部……」

「だから、私の本当の名前はゴミなの」

 そう言って膝を抱えて小さく笑う浦部は、まるで触れれば消えてしまいそうな儚さを纏っていた。だけど手を伸ばして触れると、浦部はちゃんとそこにいた。

 背中に手を回して抱き寄せると、浦部は僕の胸に顔を埋めた。頭を撫でるのは嫌がるかもしれないと思ったが、浦部は身じろぎもせず僕にされるがままだった。

 浦部は友達同士の親しい関係が苦手だと言っていた。だけどそれとは別に、きっと人からの愛情に飢えているのだと思う。親も友人も、彼女を愛する者は誰もいなかった。ならばせめて僕だけは愛そう。彼女が今までの人生与えられるはずだった全ての分まで。

 浦部を胸に納めたまま、今日は時間いっぱいまでこのままでいいかなどと考えてると、唐突に浦部が身を起こした。

「ねえ、映画でも見ない?」

「映画? 何を見るんだ?」

「私が選んでくるから。待ってて」

 浦部が借りてきた映画は殺人鬼モノのホラーだった。登場人物の女性がチェーンソーでバラバラにされ、ゴミ袋に詰め込まれて捨てられていた。なんでこんな物を借りてきたんだと思った。

「ねえ、こういうのはどう?」

「ホラーは嫌いじゃないよ。たまに見るかな」

 微妙にポイントのずれた返答をするが、浦部は逃してはくれなかった。

「絞めるだけじゃないでしょ? 好きなの。さっきのシーンも夢中になって見てたものね」

「夢中になんかなってない」

「想像したりするの? 私が突然殺人鬼に連れ去られてバラバラにされたりするのを」

 もちろん、息を吸うかのようにした。想像の中の浦部は細切れの肉片にされたあと、三角コーナーの中身を入れておくような汚いゴミ袋へ乱雑に詰め込まれ、生ゴミと存在を一体化させていた。袋の中から、唯一原型を保っていた頭部が虚ろな視線で僕をじっと見つめていた。

「やめろよ、そういう話は好きじゃないんだ」

「あら、キスした後いきなり首を絞めてくるような人が言うこと?」

「うるさいな。あんまりしつこいとバラバラに分解してゴミ袋に詰め込むぞ!」

 冗談と受け止められるかはだいぶ怪しいところだったが、浦部は声を上げて笑った。

 以前の自分なら、こんな冗談は思い浮かんでも絶対に口にしなかったと思う。自分の中の残酷な部分がとにかく嫌で、それを大っぴらに露出させるような事は耐え難い恐怖だった。

 こういう話は好きじゃないと言ったのは本当だ。だけどそれと同時に、以前ほど自分の暗黒面へ触れる話題に嫌悪感を感じなくなったのも事実だ。浦部を切り刻むおぞましい妄想をした自分を、僕はいつ頃からか――あまり嫌わないでも済むようになっていた。

 浦部を救いたい。もっと笑顔が見たい。その僕の気持ちは、いつの間にか僕自身の暗く淀んだ心をも変化させていた。

「そういえばあれから一回も首絞めてないけど、大丈夫なの? 禁断症状とか……」

「出るわけないだろ。麻薬じゃあるまいし」

「ほんと? 突然理性を失って暴れだすんじゃないの?」

 そう言って浦部は襟口を引っ張り、顎を上げて首筋を剥き出しにした。凝視するまいと思っていても視線が吸い付く。シミ一つない白く透き通った首は、見ているだけで僕に高揚感をもたらす。鑑賞するだけでも価値があるという点で、浦部の首は僕にとって宝石のような存在だった。

「どう? 絞めたくなる?」

「大丈夫だって。見てるだけじゃ、そんな気は起こらないから」

「嘘つき」

「…………」

「我慢してるだけでしょ? 本当は今すぐ掴みかかりたい癖に」

「…………」

「ほら」

 浦部は僕の両手を掴み、自分の首に押し当ててきた。つい反射で首を掴んでしまう。首を両側から囲って逆側の指に触れられる――どころか余裕で長さが余るほど浦部の首は細かった。

 浦部の首の細さ・脆さを実感すると、案の定あの衝動はやってきた。このまま首を絞り上げて喉を潰してしまいたいと思ったがそれに精神力で抗い、浦部の手を解いて首から手を離す。

「な、大丈夫だったろう。もうあんなことはしないと決めたんだ」

「頑張るのね。ふふふ……」

 浦部は襟元を直すと、悪戯げな笑みを浮かべてこちらを見た。

「外に行きましょうか。そろそろ退店時間も近いし」

 空調の効いた店内から外に出ると、今がすでに初夏になってることを気付かせる暑さを感じた。浦部と当てもなく散歩するのも楽しかったが、今はあまり長く日差しに当たっていたくはなかった。

「暑いわね。またあそこにでも行かない?」

 浦部が指差したのは前にも一緒に回ったことのあるショッピングモールだった。浦部のチョイスとしてはやや意外だったが、実際涼みに行くだけならどこに行こうと特に変わりはない。

 自動ドアを開けて入店し、さてどこで時間を潰そうかと思案すると、浦部が僕の腕を捉えた。

「あそこに行かない?」

 服飾店にて、浦部はいろいろ服を自分にあてがって僕に感想を求めてきた。全て地味な感じの服で正直どれも同じに見えたが、適当に「似合ってるよ」だの「いまいちかな」などと返答していた。

「次は、あれやってみない?」

 浦部がプリクラに興味を示すとはかなり意外だったが、実際にボックス内に入ると夢中になってボタンを押し始めた。

「なにこれ? 絵を描けるの? 凄い!」

 何を描くつもりかと思ったら、浦部は二人の顔を黒く塗り潰してホラーチックな不気味なプリクラを作り上げた。一体どこにこんなものを張れというのか。

「プリクラ帳をいつものようにめくったら、いつの間にかこのプリクラが紛れてるの。それで、見ちゃった子とその彼氏は三十日以内に死ぬの」

「ひどいものを作ったな。その死んだカップルが次のプリクラになるのか?」

 二人で愚にもつかない事を話しながら歩いてると、突然浦部の視線が脇に逸れた。持っていたプリクラを僕に押し付け、アクセサリーなどがごちゃごちゃと置いてある雑貨店へ入っていく。両手に並ぶネックレスや髪飾りを見ながら、前に来たとき浦部はこういったものにまるで興味を示さなかったなと思いを巡らせてると、浦部は茶色のバスケットの前で足を止めて中のリボンを引っ張り出し始めた。

「リボンとか、似合うかな。どう?」

 そう言って浦部はリボンを自分の首にクルリと巻き、それを両手で引っ張ってみせた。何気ない行為だが、首に巻きついたリボンは何か別のものを想起させる。

 浦部はどこまでもあざとかった。そうすれば僕の気を引けることを十分に理解していた。

「やめろよ、こんな所で……」

「そうね、危ないかもね。発作的に女の子の首を絞めたくなる変態が見ているかもしれないし。……この前も、ひどい目に遭ったのよ?」

 浦部はそう言って僕を見ながら微笑んだ。

「怖いなあ。誰だか知らないけど、恐ろしい奴もいたもんだ」

「そう! ほんとひどいの! この前も崖から落とされそうになったし、今度はチェーンソーでバラバラにするって!」

「君はよくそんな奴と付き合いを続けてるな。僕なら絶交してるぞ」

 浦部をひとしきり笑わせて僕は満足した。やっぱり、浦部の笑顔を見ているときが僕は一番幸せだった。

 店を後にし、夕日に染まる空を見ながら帰路を歩いた。浦部は買ったリボンを両手でもてあそんでいた。駅から離れて田園地帯となると、人通りは途端に少なくなる。僕ら以外誰も人がいないあぜ道に長い二つの影が伸びていた。

「ねえ……このリボン、結んでくれる? 首だと自分じゃうまく結べなくて」

 そんなわけないだろうと思ったが、特に追及せず意に従う。やや長さが余るリボンを何度か首に巻いて丈を合わせ、締め付けを調整する。

「息苦しくないか?」

「大丈夫よ」

 なかなか頑丈な素材で思い切り絞めても途中で切れたりはしないだろうなどと考えてることはおくびにも出さず、首の横に結び目を作って残りを垂らしてやる。簡素ではあるがネッカチーフのような装身具が出来上がった。

「うん、似合ってる。可愛いよ」

「あら、そんな気を遣わなくてもいいのよ? これ、護身用に買ったんだから」

「護身用? どういうことだ?」

「仮にだけど、唐突に私を殺したくなる人が現れたとして、その人がナイフしか持ってなかったらどうする? 刺すんじゃない?」

「そうだろうなぁ」

「でも刺されたらきっと凄く痛いわよ。だからね、他の殺し方を用意してあげるの」

「なるほど……首絞めなら返り血も浴びないし、そっちに行動を誘導できるな。……でも僕はそんな酷いことはしないし、心配しなくても大丈夫だぞ?」

「あら、別にあなたのことだなんて言ってないじゃない。フフ……」

 浦部と軽口を叩き合うのも最近ではすっかりお馴染みになっていた。浦部がこんな冗談を口にするなど、クラスの奴らは皆想像すらしないだろう。世界中で知っているのはきっと僕だけなのだ。

「見送り、もうここまででいいから。あまり家に近づいてあの人に見られてもうるさいし」

 気が付くと、もう浦部の家へ登っていく坂道の前まで僕らは歩を進めていた。

「まさか男と二人でいるだけでごちゃごちゃ言われるのか?」

「そうよ、『ゴミの癖になに色気づいてるんだ』って……」

 浦部は自嘲気味に笑った。それは親を唾棄する一方、自分がゴミと呼ばれることを半ば諦めてしまっているような――そんな印象も受けた。

「浦部、他人から何を言われようと気に病むんじゃないぞ」

「…………」

「サルに宝石の価値は分からない。僕は君の価値を理解してるし、他にもきっと――」

「――ありがとう。でも平気だから」

 浦部はこちらに身を傾け、僕の耳元で囁いた。

「私はゴミでもいいのよ? ――あなたに捨てられるなら」

 「捨てられる」とは比喩的な意味ではなく、もっと物理的な意味なのだろう。殺した浦部を山中に投棄する自分を空目し、それができたらどんなに素敵なことだろうかと想像した。

「バカ言うな。嫌なんだよ、君が悪く言われるのが」

「あら、ごめんなさい。フフッ……」

 浦部はあまり僕の言葉を真剣には捉えていないようだった。だけど、呑気に笑う浦部を見て少し安心できた。

「そうね……私一人なら別に何を言われても気にしないけど……、あなたがいやだって言うなら、ちょっと考えてみようかしら」

「えっ?」

「なに? その反応。あなたが言い出したんでしょ」

「ごめん。いや、だって言うだけ無駄だと思ってたから……」

「私、あなたのお願いなら割となんでも聞けるのよ?」

 ずっと何を言われても無表情を貫いてきた浦部。

 今日の別れ際、その眼には光が灯っていた。

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