第6話


 学校での浦部はいつもと変わらぬように見えた。相変わらず浦部はクラスから孤立していて、水谷らのイジメは続いていて、それに浦部が全く意に介さない様子なのもいつも通りだった。

 学校が終わると、僕は一人で校門を出て駅を目指して歩き始めた。周りには同じように帰宅の路に着く生徒で溢れかえっていた。ちらりと後ろを見ると、その群れの隙間に浦部の姿があった。誰と会話するわけでもなく、その姿はすぐ群れに紛れていった。

 駅に着くと、いつも通りホームの端まで歩いて電車を待った。周りにはまだ同じ学校の制服がまばらに見える。電車に乗り込みどこか空いてる席はないかと見渡すと、隣の乗車口から浦部が入ってきたのに気づいた。同行者はおらず、ただ無表情で吊り革に掴まるだけだった。

 電車から降りると、僕は寂れた駅前を離れてほとんど人のいない商店街を歩いた。そこを抜けると辺りの住宅の合間にちらほらと田畑が混じるようになり、人気はますます少なくなる。

 近くにそびえる山を眺めながらのろのろと歩いていると、後ろに足音を聞いた。ちらりと背後を見ると、僕のすぐ後ろを浦部が歩いていた。そのまま僕の隣に並ぶと歩調を合わせて歩き始める。しばらく、二人とも無言だった。

「ねえ」

「なんだい?」

「今日はどこに行くの?」

「ごめん、考えてなかった」

 最近は、いちいち彼女とどこに行こうかとは考えなくなっていた。

「ま、私はどこでもいいけどね。家じゃなけりゃ」

「……また、何かあったのか? 家で」

「別に大したことじゃない。あの人、腹の虫の居所が悪くなるといつも私に当り散らすのよ。『あんたがいなけりゃもっとお金にも余裕があった』『産まなけりゃよかった』……そればっかり」

「酷いな、そりゃ。大丈夫か?」

「別に……。いつものことだし、もう何とも思わなくなった」

 そういう浦部は本当に何も考えていないかのような無表情で、発言の真意を推し量ることはできなかった。

「行くとこ決めてないんなら、私が決めるよ」

「今日はどこに行くんだい?」

「ここよ、ここ」

 そういって彼女は傍らにそびえ立つ山を指した。浦部の家は山の麓から峠道を少し上った場所にあるが、その山がここだった。山には曲がりくねった峠道が見え、その途中に浦部の家もあるはずだった。

「あそこからじゃなくて別の所から登るから。家の前を通りたくない」

 山とはいえ、それは縦より横にどこまでも長い低山だった。山に入る道も一つではなく、間隔を空けていくつも点在している。僕らはその一つを登り始めた。

 標高はそこまで高くなく、ほどなく坂道は終わりを告げ平坦な道のりになった。ぐねぐね曲がりながら進む道の両脇を黒々とした森が挟んでいる。この道をずっとまっすぐ進めば隣町に到着するのだろうか。

「こっち」

 浦部は突然道を外れ、木々の合間をスタスタと進んでいった。僕も後に付いていく。

「なんだか、登山みたいになってきたな」

「こっちの方は本当に何も無くて森だけだから。遭難しないよう気を付けてね」

 道など無いはずだが、浦部は特に迷う様子もなく歩を進めていく。この場所に足を踏み入れるのは慣れているようだった。

「ここにはよく来るのか?」

「子供の頃からね。人なんて誰も来ないから、どうしても一人になりたいときはいつもここ」

 方角的にはどんどん町から遠ざかって行く。山林地帯の中心あたりを目指しているのだろうか。確かに人気はまるで無く、辺りはひっそりと静まり返っていた。

「ここ、『登山』に来る人とかいないのか? 今まで誰かに会ったことは?」

「そんな人いないわよ。今まで誰にも会ったことないし」

 そう言うと浦部は突然立ち止まり、こちらに流し目を寄越した。

「だからここなら、誰かを殺して埋めても絶対にバレないよ」

 思わせぶりなことを言うと、浦部は薄く笑いながらまた歩き始めた。誘ってるのだろうか。

 気付くと、歩いている内にいつの間にか日は落ち、辺りを薄闇が包んでいた。遠くがよく見えない。

「夜になるとね、この辺はもっと怖くなるよ」

「まさか、来たことあるのか? 夜に、こんな所に一人で?」

「夜の山はね、吸い込まれそうというか、帰ってこれなさそうというか……雰囲気が凄いの。ただ歩いてるだけなのにワクワクが止まらなくて……。まあ、地形はだいたい覚えてるから結局帰ってこれちゃうんだけどね」

 無茶な事をすると思ったが、だからこそなのかもしれなかった。おそらく浦部は死のスリルを楽しんでる。危険な夜の山へ、あえて明かりも持たずに出かけるのは彼女なりの冒険なのだろう。一歩間違えば死ぬからこそ惹きつけられる――きっとそれが浦部という人間なのだ。

 この山に僕を連れてきたのも、それが理由なのかもしれない。ただでさえ恐ろしい場所に、自分を殺しても全く不思議ではない人間が隣にいるのだ。いま彼女のワクワクは最高潮なのかもしれなかった。

「ねえ、手つながない?」

「どうしたんだ、急に」

「だって、あなた私とはぐれたらもう帰れないわよ。ほら」

 浦部は半ば強引に僕の手を取った。ひんやりとした浦部の手を握るのは心地いい。辺りの闇は更に深まり、隣の浦部の顔もよくわからないくらいだ。浦部の白い手と、顔と、そして首が闇から鮮やかに浮かび上がってた。

「おっと」

 木の根か何かに躓いてバランスを崩す。転ばずには済んだが、繋いだ手は離れてしまった。

「おーい浦部、そこにいるかい?」

「いないわ」

「そりゃ困ったな。はぐれてしまったぞ」

「どうするの?」

「仕方がない、僕一人で帰るとするよ」

 クルリと後ろを振り向き、そのまま来た道を戻る。だがその足はたった数歩で止まった。

「……どっちから来たんだっけ? 全然わからないぞ。ここどこだ?」

「もうちょっと進みましょ。いい所があるから」

 浦部に手を引かれて再度進むと、ほどなく景色に変化が訪れた。木々が切れ空が見えるようになり、そして地面も切れていた。

「そこ、気を付けて。崖になってるから」

 浦部が指差す先に、棒とロープだけでできた粗末な柵があった。その先に地面は無く、覗き込むと遥か下にまた広大な森が広がっているのが見える。イメージよりもずっと地面が遠く、僕は慌てて乗り出した身を引っ込めた。

「ほら、ここから町が見えるの」

 眼前の森の遥か向こう、そこに僕たちの住む町があった。すっかり日が落ちた今、それはキラキラと光を放って揺らめいていた。

 浦部はロープを乗り越え柵の向こう側へ渡り、崖に腰掛けた。足を完全に空中に投げ出しパタパタと揺らしている。僕はそこまで危険な真似をする気が起きず、浦部の隣に片膝を立てて座った。

 自分が疲れているとはあまり感じていなかったが、座ると足から疲労が登ってきた。そのまま足を休めつつ、じっと町の光を眺め続けた。

「……ねえ、こうしていてさ、何か思うこと無い?」

「綺麗な景色だと思うよ。素敵な場所だ」

「そうじゃなくてさ」

 浦部の口の端が僅かに吊り上がった。

「今なら、簡単でしょ?」

 僕は目の前に広がる死の空間と、そこに半身を浸している浦部を見た。何が簡単なのか、言わずとも察しは付いた。

「……今ここで君を突き落して殺したら、帰り道が分からなくなるだろ」

「あら、それもそうね。盲点だったわ」

 浦部はクスクスと笑いながら立ち上がり、悪戯げな表情をこちらに向けた。

「ちょっと手伝ってくれない? 崖の下側を見たいんだけどさ……体を支えていてほしいの」

 そう言って浦部は手を首の後ろに回し、襟を引っ張って見せた。そこを掴めと言いたいらしい。

 僕は支えとして柵の内側に生えている木に手を掛け、もう片方の手で浦部の襟を掴んだ。

「しっかり掴んでる?」

「ああ、大丈夫だよ」

「じゃ、行くよ」

 浦部は体を前に傾け、体を完全に宙へ投げ出した。

「うん、いつもより色々な所が見える」

 楽しそうに首を回す浦部。彼女の体は僕の腕によってのみ支えられている。もし僕が何かの拍子にこの手を離してしまったら彼女を支えるものは何も無くなり、そのまま崖下に落下する。地面に叩き付けられた彼女の体はグチャグチャに潰れ、血液や脳が四散し……。


 ドクン。


 僕の中で、またもやあの衝動が巻き起こった。

「もういいわ、ありがとう。引っ張ってくれる?」

 死体となった浦部を想像してしまった。全身がひしゃげて、もう取り返しがつかないほど壊れた浦部を想像してしまった。

 僕がどういう人間なのかを知っていてこんなことをやらせた浦部が悪いのだと思う。たとえ僕が理性を保っていたとしても、一時の感情に流される可能性があることを浦部は想定しておくべきだったのだ。

「…………どうしたの? 早く戻してほしいのだけれど」

「ごめんよ」

「えっ?」

「さっきから……止まらないんだ。衝動が」

「…………」

 浦部から返答が消えた。腕を通して浦部の不安が伝わってくるようだった。

「ずっとこの手を離したらどうなるんだろうって考えてるんだ。そんなこと考えちゃいけないって分かってるのに……興味が止まらない。抑えられないんだ」

 浦部が震えてるのが分かった。唐突に自分の命が終わりを告げるという現実に直面し、全身でその衝撃を受け止めていた。

「初めっから、こんな時間が長く続くわけがなかったんだ。もう終わりにしよう」

「……本気なの?」

「すぐに分かるよ。3、2、1、」

 ゼロ。

 死を目前にした浦部はどんな表情を浮かべるのだろうか。苦悶に満ちた歪んだ表情だろうか。全てに絶望した虚ろな表情だろうか。

 ずっと気になっていたことが、ようやく今日わかった。死に行く浦部は、まるで暖かいベッドにでも眠っているかのような――そんな穏やかな表情を浮かべるのだと。

 浦部は今、不眠不休で坂道を上っている途中なのかもしれなかった。死ぬことで、ようやく彼女は初めての眠りに就ける――きっとそうなのだと僕は思った。

「……浦部、目を開けろ」

 呼びかけに応え、僕の腕の中にいた浦部はゆっくりと目を開いた。

 僕らはあの粗末な柵の内側にいた。掴んでいた木を支えにして浦部を引き戻したが、勢い余ってロープに足を引っ掛けて倒れこんでしまった。

 初めから、落とすつもりなど無かった。だが衝動には抗いがたく、浦部を一度「死んだ気」にさせねば収まらなかった。

「私、まだ生きてるよね?」

 目を開けた浦部は、まず自分の生を確認し、安堵の息を吐いた。

「ずいぶん意地悪なのね。ふふっ……あはっ、あはははははは……」

 腹を抱えて笑う浦部というものを初めて見た。いつもの皮肉めいた笑みでなく、心の底から笑うこともできるのだと知った。

 笑顔の浦部を見て、僕も笑顔になった。心の奥にじんわりと暖かいものが広がって、胸を埋め尽くした。座ったまま浦部の肩を抱き寄せると、浦部も僕の顔を掴んで引き寄せる。そういえば今日はまだキスをしてなかった。

 日が落ちて気温は下がっているはずだが、寒くはなかった。浦部の熱を感じていた。浦部も僕を感じていた。しばらくそのまま衝動にまかせて浦部を貪った。

 遠くの街明かりが静かに僕らを照らしていた。

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