第5話


 後悔。ただひたすらに後悔するだけだった。

 昨日は何がいけなかったのであろうか。浦部の首を見て妙な気を起こしてしまったことか。浦部の家へ押しかけたことか。そもそも浦部と一緒に文化祭を抜け出したことか。

 今まで、自分以外の誰にも明かしてなかった秘密。絶対に他人には知られたくないと願い、ずっとずっとそれを守ってきた。

 全てが崩れ去った。

 学校に行きたくなかった。浦部と会うのが憂鬱だった。取り繕えばいいのか無視すればいいのか、それを考えるのすら嫌だった。

 結局学校には行った。文化祭は今日を入れてまだ二日あり、浦部は少なくとも文化祭が終わるまでは出てこないだろうと踏んでのことだった。

 予想通り、浦部は文化祭にやっては来なかった。安堵し、適当に店番をこなして、ぶらぶら露店を回り、売り上げで隣のクラスに勝っただの騒ぐクラスメイトを眺め、レンタルショップに寄っていこうかなどと考えながら下校し、電車に揺られ、老人の前で寝たふりを続ける若者やイヤホンで何かを聞きつつ折り畳んだ新聞を読んでいるオッサンを眺めつつ次に浦部と会うことになるのはいつだろうと思考してると、

「ねえ」

 声をかけられた。

 僕の学校の制服を着た女子。最初は浦部みたいなやつに声をかけられたと思ったが、よくよく見てみればそれは浦部そのもの以外の何者でもなかった。僕の正面に立ち、座ってる僕を冷たい視線で見下ろしていた。

「浦部……」

「次で降りて」

 本来降りるべき駅には遠すぎたが、浦部の言にしたがい下車する。浦部はグイグイと僕の腕を引っ張って駅外へ進んでいった。

「ここ、どこだよ。知ってる所なのか?」

「さあ? 自分で調べたら?」

 浦部の言葉には明らかな棘があった。やはり、怒ってる。あんなことをしたのだから当然か。このまま待っていても怒りが過ぎ去るとも思えないし、もうこそこそせずにすっぱり謝ってしまったほうが良いのではないだろうか。

「浦部……昨日はすまなかった。許してくれ」

 浦部がこちらに顔を向けた。

「首、大丈夫か? 痣とかが出来てたら――」

「そっち?」

 対応を間違えた感が漂う。もっと他に謝ることがあるだろうとでも言いたげな視線。

「……悪かったよ、急に帰ったりして。でも、僕にとってあれは絶対に隠しておきたかったことで――」

「言い訳はいいから」

 浦部は突然進路を変え、細い路地にどんどん足を踏み入れていった。

「昨日の続きをするわよ」

 まだ表通りとさほど離れてはいないというのに浦部は僕を壁に押し付けキスを始めた。反射的に逃れようと首を動かすが、浦部は両手で僕の顔を掴んでそれを許さなかった。

「おい、うら――」

 非難の言葉をぶつけようともすぐに唇でそれを封じられる。諦めてされるがままになっていると、浦部は舌を使って僕の口内を侵食してきた。僕が解放されたのはかなりの時間が経った後だった。

「突然何をするんだよ。こんないきなりじゃなくてもいいだろ」

「あら、あなたがそれを言うの? 私にあんな事しておいて」

 浦部は自分の首を触って薄く微笑んだ。彼女は何気なくやっていることなのだろうが、僕の感情は大きく揺れ動いた。

「浦部。もうこんな関係は終わりにしよう」

 浦部の顔から笑みが消えた。その顔は怒気を帯びているようにも見えた。

「……なによ。急に」

「昨日で、君も僕の本性が分かっただろう。いくら表面上まともなフリをしていても、あれが本当の僕だ」

「あれさ、やっぱり冗談とかじゃなくて本気だったんだ?」

「…………」

「好きなの? 絞めるの」

「別にそれが特別好きってわけじゃあ無い」

「ふーん……『そんなわけあるか』ってきっぱり否定しないの? なんか、他に好きなやり方があるみたいな言い方」

 浦部は引かなかった。どんどん僕が自分以外には開示しないと決めているエリアに踏み込んできた。僕が苛立っていることなどまるで気にしていないようだった。

「うるさいな。帰る」

「怒ってるの?」

 路地裏を抜けて駅へ足を向ける。早足で歩を進めると、浦部が小走りで僕に追いつき腕を掴んできた。

「ごめんなさい。行かないで」

 僕は歩を止めた。

「嫌ならもうこれ以上詮索しないから……。だから、一緒にいてよ……」

 さっきまで苛立っていたこと、浦部を放って一人で帰ろうと考えていたのは本当だ。だが、浦部の不安そうな顔を見た途端にそれらの気持ちは一瞬で消えていった。

 駅に向けていた足を逸らし、浦部の歩みに合わせて周りの大通りを歩く。浦部は無言だったが、僕から離れようとはしなかった。ずっと僕の手を握って隣を歩いていた。

「怖くないのか」

「え?」

「僕が、怖くないのか」

 昨日の凶行はまだ記憶に新しいだろう。忘れようにも忘れられない。

 僕ははっきりと見た。僕を見つめる、彼女の怯えた顔を。

 もう二度と話すことはないだろうと思っていた。学校で顔を合わせても、お互い知らない振りをしてすれ違うだけの関係に逆戻りするのだろう、と。

「そんな訳ないじゃない」

「なんでだ?」

「死にたい人間が、どうして死ぬのを怖がるの?」

「そりゃまあ、そうだけど」

 詭弁だと思った。例え死にたいと考えていたとしても、突然首を絞めてくる男に恐怖を感じないかといえばそれは全く別の問題だろう。現に昨日の浦部は明らかに僕を恐れていた。

「もう怖がったりしないから」

 そんな疑問を見透かしたのか、浦部は言葉を続ける。

「私の死にたいって気持ち、あなたは仕方ないって言った。私みたいな境遇なら当然だって。……じゃあ、あなたの殺したいって気持ちも同じようなものじゃないの? そうなっても仕方が無い境遇があるなら……私と同じ」

「君のとは違うよ。これは僕の性根だ。根っ子から腐ってるんだよ」

「そうなの?」

「小さい頃からずっとだよ。なにか恨みがあるというわけでもない知り合いを、突然殺したくなるんだ。首が細くて絞めやすそうだとか、池があるから沈めてみたいとか……。何か御大層な理由があるわけじゃない、単に僕の心が腐っているだけだ」

「ずいぶん卑下するのね。嫌いなの? 自分が」

「好きになんかなれるわけ無い。いや……好きになっちゃいけないと言うべきか」

 自分を好きになるというただそれだけのことに、僕は耐え難い罪悪感を持っていた。この歪んだ心を肯定してありのままに受け入れ、それが当たり前となって長い年月を過ごしていると、いつか自分はとんでもないことを平気でしでかす悪魔に変わってしまうのではないか――。そんな恐怖が僕を取り巻いてる。それは自分の事を好きになれないという感情のみならず、「自分を好きになってはいけない」といった強迫観念にまで成長していた。人から褒められようともそこに喜びは無い。勘違いするな、自分がどれだけおぞましい人間か忘れたのか――。

「そう――。でも、私は好きだよ。あなたのその腐った心」

「なんだよ。別に慰めてくれなくってもいい」

「そんなんじゃないって。……あなた、この前わざわざ私の家まで来て私を助けようとしてたけど……なんでそうしようと思ったの?」

「そりゃ、手帳を拾って返そうと思ったけど、君が学校に来なかったから――」

「そうじゃない。なんでそこまで私を気にかけてくれていたかって話よ。あんなに邪険にされても諦めないで――、私を、本当の私を受け入れて、認めてくれたじゃない。なんでそこまでしてくれたの?」

 なぜ? 浦部のことが気になって気になって仕方がなかったからだ。「死にたい」。聞いてしまった。死にたい浦部がどうしても頭から離れなくなった。なぜかって? そりゃあ――。

「あなたが普通とは違う心を持っていたからじゃないの? だから自分を理解してくれる人が欲しくて、私に近付いた。違う?」

「…………」

「死にたくなっても仕方が無い、無理しなくてもいいって言ってくれて……私は嬉しかったよ。でも、あなたが腐った心を持ってなかったらそもそもそんなことは起こらなかった。あなたの腐った心が私を救ったの」

「そんな、そりゃ――」

 詭弁か? ……いや、真理かもしれない。実際、僕がごく普通の真っ当な人間だったら、浦部のことを殊更に気にかけたりしただろうか。きっと、いじめられる浦部を見てもあんな性格なら自業自得だとまるで同情しなかったのではないか。

「実感が湧かない? でも、私は本当に――」

「いや、その通りかもな。ありがとう」

 浦部の言葉が正しいか間違っているかはともかく、その言葉で僕の心はずいぶんと軽くなっていた。それは確かなことだった。単なる表面的な慰めではなく、僕の悩みを根本から洗い流して芯の部分に触れてきたのは浦部が初めてだった。

 ここで、僕は自分の本性を他人に吐露して話したのは浦部が生まれて初めての存在であるということに気付いた。

 ずっと一人だった。誰かに話すなど想像すらしたこと無かった。死ぬまで秘密を抱えていくつもりで、その覚悟もしていた。自分を理解してくれる者など一生現れないと、半ば捨て鉢な気持ちで諦めを付けていた。

 それが、引っ繰り返った。

「あなたがいくらあなたを嫌いでも、私はあなたが好きだから」

 浦部の言葉にお礼を言いたかったけれど、二度も続けてありがとうを言うのは変な気がしてその場は笑みを返すだけだった。

 暫時、服飾店の更衣室に浦部を連れ込むと、僕は今日二回目のキスをした。


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