第4話 「悲愴交響曲」(チャイコフスキー)
みなさん、なにを昂って、おっしゃるのでしょうか。
この世の終わりというものは、この上のない悲劇ですよ。
あなたがたの、可愛いお子様たちが、消滅するのですよ。
このようなものは許せません!
筆者を断固糾弾し、ただちに、削除するよう要求いたします。
(え、あ、『もしも』の事だから・・・ですか・・・)
わかりました。
たとえ仮定としても、やや許せない気も致しますが、まあ、お品のないゲームとして考えましょう。
ならば、この曲しかございません。
この傑作が、なぜ「悲愴」なのでしょうか?
まあ、伝説では、ご本人と弟さんとで話して決めたとも聞きましたが、実際はチャイコフスキー先生ご自身の発案だったようですわね。
もっとも日本語の「悲愴」という翻訳が正確なのかどうかは、分かりかねますわ。
しかし、いろんな伝説も生まれてしまいました。
曰く、先生の死因は自殺だとか・・・
しかし、実際のところ、チャイコフスキー先生は、死ぬ気などは、まったくなかった。
わたくしは、きっと、そうだと思いますの。
この音楽は、「死」そのものを求めている音楽ではございません。
確かに、人間が常に立ち向かい、最後には必ず敗北する「死」というものと向きあっている。そういう、意図があったのではないか、そこは、そうだと思います。
でも、チャイコフスキーさんは、まだ、負けるつもりでは、けっしてなかったのだと思うのです。
実際に急にご病気で亡くなったのではありますが、その先の予定も、組んであったという事実があると聞きますし、この曲は「敗北」の音楽では無いのです。
これこそ、永遠の、無限の『美』を追い続けた作品なのです。
永遠の「音楽」の創造によって、「死」は表現され、心の中で、克服されるのです。
勝手な想像ですわよ。
でも、その証拠の「作品」がここにあるじゃあございませんか。
たしかに、先生に「うつ」的な精神症状があった、とは聞きます。
でも、「うつ」という意味を、なぜ周囲の多くの人々は、社会の中で否定的にとらえようとするのでしょうか。
苦しみがあるから、人の苦しみが理解できるのです。
苦しみがあるから、新しい「美」も生みだせたのです。
実際のところ、第四楽章を、いかに解釈するのかが、確かに分かれ目でしょうね。
もし、地球最後の夜の、最後の演目だとして、間もなく小惑星とか、ぶつかってくるのだとして、そうして、今、この最後の楽章を聞いているのだと、考えてみてください。
静かに始まり・・・しかし、やがて音楽は、だんだん高揚してゆきます。
緻密な音楽です。考え抜かれ、一切の無駄が排除されています。
しかし、あなたのハートを、胸から抉り出すような、弦楽器のするどい刃型の音型。きわめて理論的なのに、一見とても感情的で、抑制が効かない音楽のようにも見えます。
最後・・・そう、最後、音楽は遥かな永遠に、聞こえなくなってゆきます。
え、いつ、終わったの?
ああ、そうして、まさに、小惑星があなたの真上から、降ってきたのです!
これこそ、チャイコフスキー先生の、「自信作」なのです。
最高の「創造」なのです。
あなたに、終末の味を、癖になるような、終末の香りを、生きながら味あわせてくださるのです。
どうか、本当に「もうこれで、地球は終わりだ」と思いながら、もう一回、この曲を聞いてご覧あそばせ。
なぜ、勝手に世界を滅ぼしたらいけないのか、お分かりになるでしょう?
だって、もうこんな素晴らしい音楽が、二度と聞けなくなるなんて、あり得ないじゃありませんか。
それこそ、許せませんわ。
え、本当に危ないって・・・もう、許しません。「全員」、晩御飯、抜きです!
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