第3話    「復活交響曲」(マーラー)

 今夜で、地球も、人類もおしまいだって?

 そういう時に聞くのなら、歌うのなら「これでおしまい!!」なんて曲ではダメだ。

 そうさ、「復活」を求めなくて、何の意味があるんだい。

 今を時めく「井伊家」だって、そうだろう?

 そういう意味で言えば、マーラーさんの、「第二交響曲」こそベストさ。

 

 確かに、そりゃあ完成度の高さから言えば「大地の歌」だろうし、なんだかわからんが哲学的な歓喜ならば、ゲーテさんをテキストに持つ「千人の交響曲(第8番)だろうさ。

 しかし、「大地の歌」さんは、候補としてはもちろん良いが、最後の時には、いかにも自殺の雰囲気になってしまうし、「千人の交響曲」さんは、当然悪くはないのだが、ちょっと大げさすぎる。それに盛りあがり方が、やや中途半端だ。そこを勘案すると、多少自分勝手ではあるものの、この「第二番」が丁度良いと思うんだな。


テキストを見ても、第四楽章のアルトの独唱の開始「おお、真っ赤なばらよ!」は、ちょっと「野ばら」っぽいが、「人間たちは、大きな苦悩に閉ざされている。わたしは、天国にいたいと思う・・・・・わたしは、神から生まれ、再び神のところに帰って行くのだ・・・・」と、いかにも終末らしい歌を歌う。


 そうして、第五楽章。

「よみがえるだろう! われら「ちり」よ。しばらく休んだのちに、よみがえる。」

 と、いずれの日にか「復活」すると、冒頭から宣言するんだ。

「信じなさい、わたしの心よ。何も失っていないことを!」

「あなたが、あこがれ、愛し、得ようとしたすべてが、あなたのものだ!」

「おお、死よ、征服者であるあなたから、わたしはのがれるんだ。」

「よみがえるために、私は死ぬのだ。」

「よみがえるだろう!・・・・・・」

 合唱団とアルトのソロが歌いかわしながら、「復活」を宣言してゆくのだ。

 終結前に、ブラスと、ともに歌われるところが、何と感動的な事か!


 これこそ、『今宵が最後』にふさわしい音楽なのだ。

 そう、わたしは思うのだ。


 ところで、こうした「この世の最後」というものは、昔から随分何度も宣伝されたが、いまだに実現した事はない。

 なので、まだ、こうしていられるわけだ。

 最後は一度きりである。

 人であれ、地球であれ、必ず終末が来るには違いないが こと人類や地球の終末を語る人間は、いずれにせよ、きっちり覚悟したうえで、やってもらいたいものである。

 若者や、わたしの様な、終末間近のおじさんの、未来や、最後の希望を奪うような、非道なやり方は、言語道断である、と思う。真に科学的にやってほしい。

 そこんとこ、よろしく。


 お前がそうだろう? 確かにそうですね・・・






















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