ウィナーテイクオール

「レイズ!」


 カットオフ(ボタンのひとつ前のポジション)から牡丹がレイズした。

 伏せられたホールカードを覗きこむ――5♣3♥。いくらボタンにいるとはいえ、前からレイズがあるのにこんなハンドじゃ話にならない。「フォールド」。私はカードをそのまま捨て山マックに放り込んだ。

 

「アイ、フォールド」


「私も」


 ブラインドの二人もハンドを降りる。


「ありゃ、誰もコールしないの? まあ、ここはブラインドで満足しておくよ」


 牡丹はチップを回収すると、それを自分のスタックへと積み重ねた。

 ポーカーはドラマティックなゲームばかりで彩られているわけではない。むしろ多くは――見どころだけが映し出されたテレビショーなどでは語られることがない――このように地味な場面だ。ポーカーはたくさんの小さなゲームと、少しの大きなゲームで構成されている。

 そう、大勝負はいつだって私たちが忘れたころにやってくる――


♥♦♠♣


「レイズだ。$40」


 ネクストハンド。今度は私がカットオフから2♥2♦をレイズした。

 このようなスモールポケットペアは扱いが難しいが、それでもプレイする価値はある。運よくセット(ポケットペアとボードのカードによって構成されたスリーオブアカインド)が完成すれば非常に強力だし、こういったハンドのプレイを採用することで、フロップに低い数字のカードばかりが落ちたような場合であっても、自分が強力なハンドを持っている可能性があることしっかり示すことが、相手にイージーにプレイさせないためには大事なことだ。

「それは……、コール、ですね」ヘイリーさんがボタンからコールした。

「私もコールです」剣崎さんもスモールブラインドからコールする。

「やった。ファミリーポットだ」牡丹がうきうきした声で言う。そして、同額のチップを前に出し、ビッグブラインドからコールした。

 これで私たち全員がポットに参加したということになる。初めてのファミリーポットだった。

 フロップを開ける。J♣6♣3♣。クラブが三枚並んだ。

 私のハンドは改善されなかったが――悪くない。このボード、クラブのスーテッドを持っているプレイヤーなら既にフラッシュを完成させていることになるが、実際にそうである可能性は高くない。一方、こういうシチュエーションでは誰もが、フラッシュを大げさに警戒しているので、ベットされれば簡単にハンドを手放してしまうことが多いのだ。

 幸いにして剣崎さんも牡丹もチェックして、いま私にアクションが回ってきた。ここで私がベットすれば、何人かは確実にフォールドするだろう。それで全員降ろせればよし。仮に、一人くらいコールでついてきても、ヘッズアップになったところをターンでもう一発ベットしてやればポットはもう私のものだ。

 このような知識は実戦で得たものではない。本やインターネットなどから私が独学で学んだものだ。「$80」。私はここで$160のポットに対し、フラッシュを持っていたときにするようなハーフサイズのベットをした。完璧だ。知は力なり。これでポットは私の方に流れてくるだろう。


「アイ、コール」


「コールします」


「せっかくだからわたしも、コール!」


 ――ほらね……。

 どうしてこうなった。まさか全員コールでついてくるなんて。

 ターンは3♥。3のカードが重なった。

 剣崎さんがチェック。牡丹もテーブルをぽんと叩き、チェックした。

 考えを整理しよう。

 この中にもうすでにフラッシュを完成させているプレイヤーがいるのだろうか? さっきその可能性は高くないと言ったが、全員がコールしたいま、もう一度よく検討してみる必要がある。

 そうだな……だが、もしそうならそのプレイヤーはフラッシュを持っていながらレイズでポットを膨らませるのではなく、あえてスロープレイすることを選択したということになる。スロープレイは自分の強さを隠し、また相手にハンドを改善するチャンスを与えることで、もっと前に出させようとするプレイだ。もちろん、相手にチャンスを与えることは自分に逆転のリスクが生じることにもなる。そのリスクを承知で、スロープレイすることを選ぶ……たとえば、ヘイリーさんならスロープレイをしたかもしれない。彼女が私のベットにもしレイズしていたなら、ベットサイズが大きくなり、剣崎さんや牡丹はハンドをコールしづらくなっていただろう。私も結果的にはハンドを降りていた。そうなると、せっかく強いハンドを作ったのにほとんど稼げなくなってしまうので、あえてコールして私たちを泳がせた。だが、剣崎さんや牡丹の場合はそれよりも、素直なレイズの方が選択肢として魅力的に見えてきそうだ。さっきもいったとおり、スロープレイはリスクも含む諸刃の剣だ。三枚クラブが落ちたボードでは手札のカードが二枚ともクラブのプレイヤーしかフラッシュを作れないが、四枚目のクラブが落ちてしまえば一枚持っているだけでよくなる。そうなれば、もはやフラッシュの警戒は杞憂ではなくなる。そして、そのような状況ではたとえば他のプレイヤーがAのクラブを持っていた場合、自分が持っていたのが弱いフラッシュならハンドが逆転されてしまうのだ。もし自分がA♣を持っているならナッツフラッシュを心配しなくてすむが、たまたま持っていたクラブのスーテッドがエース絡みである確率は、そうでないクラブのスーテッドを持っている確率よりもさらに低くなる。それに、剣崎さんならまだしも、牡丹はどうだろう? 牡丹の性格ならA♣の絡んだハンドのいくつかは、プリフロップの段階でリレイズしていた可能性の方が高い。だとすると、いま誰かがフラッシュを持っている可能性は依然として低いと結論付けてもよさそうだが、いずれにせよ私のターンのアクションは……。


「チェック」


 私はチェックした。いずれにしても、私がここでベットするメリットはなさそうだ。むしろ、ジャックを持ったプレイヤーにさえ現状負けている私は、誰かにベットされたら撤退しなければいけない立場にある。ヘイリーさんもチェックしたことで私もリバーを見にいけることになったが、私がこのポットを手にできる可能性は限りなく低い。

 リバーカードは2♣――2♣! ボードにJ♣6♣3♣3♥2♣と並んだ。

 私のハンドは22。フルハウスの完成だ。そして、四枚目のクラブが落ちたことで間違いなく誰かがフラッシュを完成させていることになるが、それは願ってもないことだ。フラッシュを持ったプレイヤーが勝てると踏んでベットしてきてくれればいい、あるいは、こちらのベットにコールしてくれればいい。いまの私が考えることは、いかにしてこの最高のハンドで、相手からより多くのチップを搾り取るかということだ。


「$400ベットします」


 嬉しいことに剣崎さんがベットしてきてくれた。$480のポットに$400のベット。おそらく、Aのクラブは彼女が持っていたのだ。あとは私が彼女のベットにコールするかレイズすればいい。ここでコールすればヘイリーさんがコールしやすくなるが、彼女は何を持っているのかよくわからないし、剣崎さんからのコールを期待してレイズする方がよさそうだ。「くるみちゃん、あとどのくらいチップ残ってる?」。牡丹がたずねた。


「へ? ああ、はい。ちょっと待っててくださいね……えっと……$1000切ってて……$940です」


「ありがとー。んー……じゃあオールイン!」


 ――え?

 牡丹が自分のスタック全て前に押し出し――オールインした。

 牡丹のチップを数える。「$2280……」。その額は私の$2150をわずかに超えカバーしている――コールするにはすべてのチップを賭けなければいけない。

 この状況が良いものなのか、悪いものなのか、わからなかった。

 考えろ。牡丹は何を持ってオールインしている?

 JJ? それはない。それなら確実にプリフロップでリレイズしてる。66? それはありそうだ。だがそれならフロップで私のベットにレイズしていてもよかったんじゃないか? フラッシュは確かに脅威だが、フロップのセットはリバーまでにフルハウス以上になる確率が35%近くもある。たとえ他のプレイヤーがフラッシュを持っていても逆転のチャンスは十分にあるのだ。フロップでのレイズは他のプレイヤーのより弱いハンドやドローにもっと多くのチップを支払わせ、あるいは、ターンに移る前にフォールドさせることで、相手の逆転の目を潰すこともできる。33のフォーオブアカインドクアッズは……もしそうなら残念だが、それは確率的に非常に低いので、それを恐れてハンドをフォールドするのはありえない。5♣4♣のストレートフラッシュはそれ以上だ。ストレートフラッシュなんて一度も完成させたことが無いし、誰かが完成させるのを見たこともない。J3や63によるフルハウスもないだろう。それらのハンドはプレイするにはあまりにも弱すぎるので、プリフロップでレイズされた段階で降りているはずだ。そうなると、牡丹は私よりも強いハンドを持っていないと考えられそうだった。

 もしかしたら、A♣は牡丹が持っていたのかもしれない。そして剣崎さんはそれよりも弱いK♣やQ♣のようなハンドを持ってベットした。うん……この読みがいちばん妥当なんじゃないか?きっとそうだ。

 私は、思考しているあいだ、ひとつのチップの山をふたつに分割し、またひとつの山に戻す行為――チップシャッフル――をずっと繰り返していた手の動きを止め、スタックを前に出してコールしようとした。

 ――だができなかった。〝本当に牡丹はフルハウスを持っていないのか?〟。その考えが頭から離れない。

 テレビショーの高レートハイステークス。一流のプレイヤーたちの間で行われる数十万ドルを賭けた究極のゲーム。そんなシーンが頭をよぎる。

 視聴者の注目を浴びるのはテーブルの上でやり取りされる、その途方もないような大金――それともうひとつ、あまりにもルーズに多くのハンドをプレイする姿だ。通常、6♠2♦でオープンレイズしたり、T♥5♥でそのレイズにコールするようなプレイはありえないが、彼らはしばしばそれをやる。たぶん、色んなハンドをプレイすることで自分のハンドに対する正確なリーディングをできなくさせようとしてることと、弱いハンドでもプレイするというルーズなイメージを相手に持たせることで本当に強いハンドを持っているときベットをコールしてもらいやすくなるということ、あるいは彼らのレベルになるとどんな弱いハンドを持っていても、最終的にはブラフで相手をフォールドさせることができるので、長期的には何を持っていてもプレイすれば利益を生み出せる自信がある、といったところがその理由だと思うが……本当のところはわからない。これらは全部憶測だ。地球から遠く離れた月の裏側を見ることができないように、私と彼らには実力差があまりにもありすぎて、そのプレイの意図の裏側を知ることはできないのだ。

 話を戻そう。まず、牡丹のプレイングはそんなルーズアグレッシブプレイヤーたちの影響をもろに受けている。牡丹のプリフロップレイズやリンプは明らかに標準的な頻度で行われていない。私なら同じ状況で63ようなハンドでは絶対にプレイしないが、牡丹なら……プレイするかもしれない。

 だが、だからと言ってここでこの手をフォールドするのか? フルハウスという強力なハンドで大きなポットを得られるチャンスを捨てて? プリフロップでルーズに多くのハンドをプレイするプレイヤーは、参加した弱いハンドで利益を出すためにポストフロップではブラフする頻度が必然的に多くなる。牡丹がこの場面でブラフする理由はわからないが、それを言ったらヴィクター・ブロムがイアン・ムンスにブラフした理由だってわからない。

 そうだよ。牡丹は強いハンドなんて持ってない。持っているのはせいぜいフラッシュだ。そして勝つのは私のフルハウスだ。


「コール」


 私はコールした。あとはもう私にできることはなにもない、勝負の結末を迎えるのを待つだけだ……。

 ヘイリーさんはハンドを降りた。

 剣崎さんは、苦虫を噛み潰したような顔をして少し考えていたが、結局はハンドをフォールドした。

 ショーダウン。牡丹がカードをひっくり返す前にたずねる。「フルハウスか?」


「うん」


 牡丹がJ♠3♠を見せた。「たまちゃんは? ポケットジャック?」


「いや」


 私は2♥2♦を見せた。「デュースが二枚だ」

「うわー、惜しかったねぇ。それは流石にコールするよ」。牡丹が呆気にとられて言った。


「ああ、惜しかった」

 

 牡丹がポットのチップをせっせとかき集め、自分のスタックに合流させる。牡丹の目の前に、大きなチップの山ができた。一方で、私の前にはもうなにも残っていない……。

 私は今回も牡丹に勝てなかった。

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