シャッフルアップアンドディール

「ふあぁ……ねむ……」


 通学路を牡丹と歩きながら、私はあくびをした。

 今朝、私たちはいつもより早く登校していた。いつもどおりに登校してくる新入生たちに先回りして、ポスターを縮小コピーして作った、勧誘のチラシを渡すためだ。

 しかし……いつもより早く起きたのでとっても眠い……。今朝は寒く、それがいっそう眠気を誘った。


「ふんふんふーん♪」


 隣で牡丹が鼻歌を歌っている。朝から元気なやつだ。大きく腕を振って大股で歩くたびに、そのショートの髪がゆれる。


「今日は楽しみー! わっくわっくするなぁ!」


 牡丹の言葉に「ああ」とうわの空で返事する。いまは暖かい布団より難しいことは考えられない……。


「あ、そうだっ!」


 とつぜん、何かを思いついたらしい牡丹が道を外れて駆けていく。手招きに誘われて私も後に続いていった。

 招かれた先にあったのは自販機だった。自販機の前に立つ牡丹の後ろ姿。硬貨が数枚投入されるチャリチャリという音に続いて、飲み物が受け取り口に落ちる音がゴトンと鳴った。

 

「これはわたしのおごり」


 牡丹が両手に持っていた二本の缶コーヒーのうち、一本が私の手に握られた。温かい……。


「……ありがとう」


「えへへ。お礼を言うのはこっちの方だよ。わたしに付き合ってくれてありがとね、たまちゃん」


 プルタブを開け、牡丹とコーヒーを飲む。体があたたまり、もう眠くなかった。


♥♦


 放課後になった。

 今朝、校門に入ったすぐの場所でチラシを配った。今回は同じ場所に、二つ向かい合わせにくっつけて並べた机と、その周りを囲むように椅子がいくつかと、机の上には牡丹が家から持ってきたアタッシュケースに収納されたポーカーセットを用意していた。興味を持って声をかけてくれた人にいつでもポーカーを体験してもらおうと思って準備したものだった。牡丹は「誰も来なくて飽きちゃったらこれで遊ぼうね」なんて言ってたが。

 牡丹と私は、またしてもあのサングラスをかけていた。

 もう一度あの格好をするのは嫌だったし、また先生に怒られるとも思ったが、牡丹が言うには先生たちにきちんと事情を話し、着用の許可は得ているらしい。なので、本当に気が進まないんだけど、牡丹がしつこく何度も、お願いお願い言うので着用した。

 ポスターを張り、チラシも配った。もし、部に興味を持ってくれた子がいるのなら、そろそろ私たちのところへとやってきてもおかしくない頃だ。

 しかし……。


♥♦


 それから約一時間。今のところ、私たちのもとに訪れた人数はゼロだった。

 いや、正確には一度だけ、人が来たことがあった。黒服の大人二人が。

 牡丹のとよく似たアタッシュケースを持っていて、私たちのようにサングラスをかけていた。

 黒服は私たちの顔とアタッシュケースを確認してから「例のブツの取引場所はここでいいのか?」と尋ねてきたが、心覚えがないので「違います」と答えると「そうか」と言って去っていった。何者だったんだろう。


「誰も来ないねー」


昇降口から校門を通って学校を出ていく生徒たちの数も減ってきていた。牡丹がチラシを眺めながら言う。


「ちゃんと紙に書いておけばよかったかな。放課後はここにいるって、書いてなかったよ」


 ここ数日、放課後この場所で部活動の勧誘活動が行われていることは新入生たちも当然知ってる。他の部の人たちもいるので数に埋もれてはいるが、それでも私たちを見つけられないということはないだろうと、サングラス姿でアピールするように両手に「ポーカー部」と書かれた小型のホワイトボードを持っている牡丹の姿を見て思った。

結局、誰も来ないのは、興味がある人がなんらかの理由でここに来れないから、というよりも、そもそもポーカーに興味がある人が一人もいないから、というのが答えなのではないだろうか。

 私はサングラスを外した。いつまでもかけているのが馬鹿らしく思えて来たのだ。というか、誰も来ないのってもしかしてこのサングラスのせいじゃないのか?


「あ、外しちゃうの?」


「少なくとも人を集めるのには効果ないみたいだしな。牡丹も外したらどうだ?」


「えー、でもこのサングラス、レイバンので二万円したんだよね」


 牡丹から驚くような事実が述べられる。


「は? このサングラスってそんなに高級だったのか?」


 私は手元のサングラスをまじまじと眺める。しかし、私にはそれが高級品なのかどうかはわからなかった。


「あ、いや、高級なのは私のやつだけだよ。たまちゃんのは百均」


「じゃあ、おまえだけかけてろ」


「あの……ちょっと、いいですか?」


 牡丹のではない声がした。もちろん私のものでもない。

 二人で声の方へと顔を向けると、二つ結びの小柄な女の子が立っていた。手にはチラシを持っている。


「ポーカーの部活を作るって張り紙で見たので……ここで合ってますか?」

 

 その言葉を聞いて、気持ちがたかぶるのを感じた。それは、悪い手札ジャンクハンドを何度もプリフロップでフォールドし続けた後、退屈まじりに覗いたカードが最高の手札プレミアムハンドだったとき感覚によく似ていた。

 ここだ。最高のチャンスを最悪のプレイングで台無しにしてしまう、そのようなことがあってはならない。正しい選択アクションをしなければ。私は慎重に言葉を選ぼうと決めた。


「ああ、そう――」


「はいはいはい! そうだよ! 初めまして! 会えて嬉しいよ! 私、猪目牡丹って言うんだ! こちらはお友達のたまちゃん! あなたのお名前はなあに? ポーカーは初めて?」


 数秒前までの私の思考を全て台無しにしてしまうように、牡丹が全部喋った。

 初対面に対して明らかに不適切な牡丹の畳みかけるような話し方に、彼女は完全に困惑してしまっている。


「え? ああ、はい。私の名前はくるみです。剣崎けんざきくるみ。ポーカーはやったことないですけど、興味あります」


「そっかー、くるみちゃんって言うんだね。あ、そうだ。くるみちゃんはLINEやってる?」


 牡丹の唐突な問いに対し、剣崎さんは、「えっ? えっと。ええ、やってますよ」と答えた。


「そうなんだぁ……。私はスマホ持ってないからやれないんだけど、今どきの子はみんなやってるんだねぇ……」


 牡丹は満足したように、うんうんと頷いている。連絡先の交換を求められていると思っていたのだろう、すでにスカートのポケットからスマホを取り出す動作をしていた剣崎さんは、その手を静止させながら、とても怪訝な表情を浮かべた。牡丹の選択アクションは明らかに大失敗マイナスEVだった。


「剣崎さん、ごめんね。こいつちょっとおかしいんだ。けど、来てくれて嬉しいのは私も同じ気持ち。とりあえず、椅子をどうぞ。一緒に座ってお話ししようよ」


 一番近くの椅子を引いて剣崎さんに勧めた。三人で机を囲むように椅子に座る。


「えっと、ようこそポーカー部へ。と言っても、まだ部として成立してないけど……」


 向かい側に座っている剣崎さんに言う。牡丹は二人の間の、私から見て左側の位置に座っていて、無言で笑みを浮かべている。サングラスをかけたままにやつく姿はかなり不気味だ。


「ところで、どうですか? 部活を作るなんて、大変そうですね。上手くいきそうですか?」


 剣崎さんが単刀直入に尋ねて来た。

 創部の条件について詳しいことは、牡丹が先生に聞いて調べていた。それを私も教えてもらっていたので、まずそれを説明して、その上で私の考えを話そうとした。 

 が、やっぱり先に牡丹が喋った。


「大丈夫だって! この学校、変な部活いっぱいあるし! ポーカー部だってきっと部活として認めてもらえるよ!」


 変な部活とか言ってやるなよ。よその部にも、ポーカー部にも。


「ところでくるみちゃんって何か他に入りたい部活とかってあるの?」


 牡丹が今度はそんな質問をした。何かまたろくでもないことを言うんじゃないだろうか。私は警戒した。


「えっと……どうしてですか?」


 剣崎さんは質問には答えずに質問を返した。多分、私と同じことを考えているのだろう。


「うん。えーっとね。私もたまちゃんも、頑張って部活を作ろうーって思ってるけど、もしかしたら失敗しちゃうかもしれないよね。もしそうなって、くるみちゃんが他に入る部とか決まってなくて、困ることがあったらいけないなって思うの。だから、もしくるみちゃんがまだ見つけてないなら、まず最初にそれを一緒に探そうって思ったの!」


 牡丹の言葉は気遣いがあるものだった。あまりにも正しい、まともな意見だったので、牡丹に疑いの気持ちを持っていたことに対して、自責の念が湧いてきた。また、自分には牡丹のような配慮の気持ちが欠けていたことに気がつき、自分が恥ずかしく思えてきた。


「牡丹、おまえそこまでちゃんと考えて……」


「うん! そういう風に先生に言われたの」


 く……、受け売りだったか。


「そういうことですか……。ですが、御心配には及びませんよ。他の部の仮入部もちゃんとしてますし、計画的に行動してますから」


 落ち着いた、だが、強い自信を感じられる話し方で剣崎さんが言った。確かに、心配はいらなそうだ、と思った。


「うん、剣崎さんがそういうならわかったよ。それじゃあ、せっかくだから実際にポーカーをやってみる? 初心者ということで、ルールを説明しながらね」


「ぜひ。よろしくお願いします」


「わーい! やろやろっ! えーと、サングラスは……っと」


 牡丹が自分のサングラスを探し始めた。だが、それはすでにかけている。その様子は、笑いが好きな父がテレビで見てた昔の漫才を彷彿させた。


「あ、なーんだっ。もうかけてたよ。あはは」


「それ、かけてやるのか?」


「もちろん! それに元々、サングラスはポーカープレイヤーがポーカーをするときにかけるものだよ! だからたまちゃんもサングラスをかけるべきです」


「いや、その理屈はおかしい」


「これかけてると精神的に強くなった気がするんだよねっ! ねえ、くるみちゃん、私に何かひどいこと言ってみてよ! 今の私なら何を言われても全然傷つかないからさ!」


牡丹が無茶ぶりをした。剣崎さんは少し考えた後こう答えた。


「ええと、そうですね……。猪目さん、そのサングラスぜんぜん似合ってないですよ」

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