君の歌が聴こえる

ヒコーキガエル

君の歌が聴こえる

 《亡くなって2カ月経った今も世界中から哀悼の意が―――》

 まだ人の少ない朝の交差点。巨大な画面に映る、超一流シンガーの訃報。たくさんの人が彼の写真を持って泣いている。映像が順々に切り替わり、北から南、東から西、文字通り世界中の人が彼の死を悼んでいる。

 この光景を彼が見たらどう思うだろうか。

 生前はかなり大暴れしてよくバッシングを受けていたものだが、死んでしまえばこっちのものさ、と言わんばかりの哀悼令。あれだけモメたマスコミだって、仲の良さをアピールするように生前の映像を繰り返し流している。

 お前が死んでみんなバカみたいに泣いてるよ。

 そしてそのうちどうせ忘れられていくのさ。

 信号が青になってまばらに人が横断していく。街頭スクリーンを横目に細い路地に入っていく。後ろから太陽が昇ってきて、目の前の俺の影がどんどん伸びていく。身を焼くような暑さが今日も歩いてくる。


 「今日も一日、安全第一」

 その言葉を皮切りにみんな持ち場へついていく。

 「ああ、マサさんは今日はこっちね」

 「あれ、さっき三番って言われたんですが」

 「誰に?」

 「オオタニさん」

 「そっすか。ちょっと聞いてくるわ。あ、オオタニさん、今日マサさんさぁ!」

 「あぁーダメだよ、今日は三番足りないんだ」

 「足りないったって五人もいりゃあ回せるでしょう」

 「今日ハセとヤマシタいないんだよ」

 「2週間もやりゃあ作業はできるでしょ」

 「それにまだ赤タグの説明も十分にできてないし」

 「こっちで教えますよ」

 「まだそっちじゃ動かせねぇって」

 「何事も経験でしょう、どうせいつかはやるんだから」

 自分を真ん中にして、大の大人が怒鳴り合っている。きっと本人たちは怒鳴り合っているつもりはないんだろうけど、傍から見れば完全にそうだし、どんどん雲行きが怪しくなっていく。まだ入ったばかりの新人の自分は、ただ指示を待って立ち尽くすしかない。

 「マサさん」

 「! はい」

 「というわけで、今日は二番で」

 「あ、はい」

 決着がついたらしい。見たことない機器を渡されて、一応の説明を受けて作業に入る。昨日やったのとは少し違う作業だ。


 4時間後、完全に抜け殻になって食堂の片隅でうなだれていた。作業を何度も止めてしまったし、知らないことばかりなのに今日の人は親切に教えてくれなかった。みんながイラついてるのが分かったが、どうしようもなかった。だって、まだここで働き始めて2日目なんだぞ、と自分に言い聞かせたがそれでもキツかった。

 「マサさんって、前職なんだったんすか」

 自分より一回りもしたの男が話しかけてきた。それでもここでの仕事は自分よりずっとできる。

 「フツーに会社員だよ」

 「へー。リストラっすか」

 なんだこいつ、すごいズケズケくるな。

 確かにそんな感じの人間しかいない職場ではあるけど。

 「リストラじゃないけどまあちょっとモメて、最終的に辞めてきたって感じ」

 「ふ~ん」

 リストラじゃないと強がっているようにしか見えないのは自分でも分かってる。

 「まあマサさんあまり器用な感じじゃないっすもんね。自分、不器用ですからって顔してますもん」

 「三番休憩終わりみたいですよ?」

 「え? あ、マジだ。んじゃ!」

 軽い会話のつもりだったんだろうな。

 でもぶっちゃけ、冗談だとしても、今の自分は全く面白く感じないわけで、不快なわけで。

 自分だって、本当はこんなところで働きたくなんてなかったよ。

 でも、もうここしかなかったんだ。

 もう働ける場所はないんだから。


 「お疲れ様でした」

 荷物をまとめて足早に職場を後にする。外は小雨が降っていてひどい湿気で気持ち悪い。職場の雰囲気に比べりゃマシだけど。

 朝ほとんど人のいなかった交差点は、たくさんの遊び終えて帰る人でごった返している。人の波をかき分けて改札に滑り込む。電車内のモニターに映るニュースは、また彼についてキャスターが話している。

 「もう2か月かー」

 「死亡説ガセとかじゃないのかなあ、お兄ちゃんずっと沈んでてさ」

 「ファンだったの?」

 「ガチファンだったんだよ、部屋なんかポスターびっしりだし」

 「可哀想に」

 「マジで日に日に痩せてくから見てらんないよ」

 「でもそこまでのめり込める人がいたってのも幸せ者じゃない?」

 「それはそうだよね」

 他人事を他人がべらべらと喋っている。本当にただの他人事。

 その瞬間電車が急停止した。バランスを崩しかける。

 《当該列車は只今人身事故を起こし止まっています。これから救護……、警察の現場検証が入ります。現場検証が終わり安全確認が終了次第、再開いたします。再開予定時刻は―――》

 「ウッソでしょ! 次の駅だったのに」

 「電車動かないのかな、あと10メートルぐらい」

 「ダメっぽい。ツイッターで下にいるとか言ってる人いるもん」

 「うわあ~これ7時までに帰れるかなあ」

 「この時間に飛び込むとか迷惑すぎ」

 ホームで買った菓子パンをかじりながらアプリを開く。

 この菓子パンはいくら齧っても三ツ星のステーキにはならない。

 パックのジュースをすする。

 このジュースはいくら飲んだって高級ワインにはならない。


 なぜなら神は死んで、自分は神じゃないし、神じゃなかったからだ。


 1時間半後、電車がゆっくりと動き、ドアが開かれる。みんな疲れ切った顔で降りていく。

 「あれ、お兄ちゃんの定期、なんでこんなところにあるの? お兄ちゃん? お兄ちゃーん?」

 背後で他人の声が響くが、返事をするものは誰もいない。

 「え、待って、財布といつものカバン……ま、待って、ウソでしょ」

 「サオリ落ち着いて」

 背後の声が、泣き声に変わった。


 家に帰ってテレビをつける。また哀悼。すぐ消す。

 夕飯を食べて寝っ転がっていると地震があった。震度いくらかとテレビをつける。

 まだ哀悼映像。地震のテロップが入る。やや大きい。だが画面が切り替わることはない。

 「天災すら自分の哀悼映像で押しのけちゃうとか、アンタすごいね」

 ここまで来ると笑えてくる。

 「生きてたら教えてやりたいよ」

 なんでもっと、写真とか撮らなかったんだろうな。


 新しい職場も1週間もすれば慣れてきた。間違えれば大声でどやされるけど、間違いやミスの回数は確実に減ってきている。

 昼食休憩にあのチャラい男がまた話しかけてきたが、適当に返事をしているとどこかに行った。あしらい方も覚えた。持ち場に戻って午後の準備をしていると、有線から流れてくる音楽が馴染みのあるものだと気づいた。

 「ここ有線なんか流してたんすね」

 「あーこれ有線じゃないの。オルゴールメドレーのCDだって言ってたかな? 流す曲はなんでもいいんだけど工場長の趣味でさ、ほら2か月前に死んだあの人、好きなんだってさ。毎日これだから嫌んなっちゃうよ」

 「毎日?」

 「もうここ1年ぐらい。新曲とか出ればオルゴールメドレーも新しいの出るだろうけどさ、死んじゃったもんだから。もうこれからはずっとこれよ」

 「なんだ……そうなんすか」

 1週間してやっと気づいたのか。君の歌がずっと流れてたって。

 この歌はスタジオに遅刻して行って、二人で大御所に頭を下げたまわった時の。

 なんだあ、忙しくてそんな馴染みの歌すら聴こえてなかったか。

 たった2か月なのに忘れてたみたいだ。

 情けないね。



 彼の訃報を最初に聞いたのは自分だった。

 明日の収録とか、撮影とか、スケジュール帳を持ってタクシーに飛び乗ったけど、もちろん開いたってその予定が遂行される未来はもう来ないのは分かってて。

 だけど、目線をどこに向けていいかわからなくて、人と目を合わせてしまったら、無関係の他人に「どうしてこうなってしまったんですか」と無関係なことを叫んでしまいそうで。

 病院に着いたらもうとっくに冷たくなってて。

 地方にいるはずの彼の家族が自分よりも早く駆け付けてて。

 「マネージャーなんだからすぐに飛んでくることぐらいできないのか」って叫ばれて。「すみません」とだけ喋って。

 マネージャーだって人間なんだけどなと思いながら彼の顔を見て、初めて涙がボロボロと溢れてきた。


 それから1カ月間、あらぬ噂を立てられ会社とモメにモメた。

 「なんで15年も付き添ってきたマネージャーが殺した犯人にならなきゃいけなんだ」。

 何度もそう叫んだ。やがて噂は消えたけど、そのことを報道するテレビ局はいなかった。ただ彼の死だけが宗教的に報道されていった。

 場所がなくなった。

 辞表を出すしかなかった。

 すぐに次の仕事が見つかると思ったけど、うまくいかなくて今の職場に転がり落ちてきた。収入はずっと減った。たくさんのものを売り払って狭い部屋に引っ越した。



 心が亡くなると書いて忙しい。

 ここ最近はまさにそんな毎日だった。

 確かに心はボロボロで擦り切れて、もう正直自分以外の他人のことなんて構ってやれないぐらいだ。

 それでも。

 それでも、彼の歌を忘れたりなんかはもう二度としない。

 共に生きてきた自分がやれる最後のことだから。

 君の顔や仕草や声をいつか忘れていっても、君の歌だけは。


 次の朝、出勤途中で何度も君の歌が聴こえた。

 それは報道する映像のワンシーンだったり、電車に乗るサラリーマンの着メロだったり、大音量で交差点を抜けていく派手な車だったり、駅前ではしゃぐ女の子たちのふざけた歌声だったり。

 今日からではなく、きっと前から聴こえていたはずの歌。

 君がいなくなっても、君の歌は生き続けていくんだ。


 また朝日が昇って背中を照り付ける。

 神様がいなくなっても、世界は続いていく。

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