その28-3 さよなら死神

「なっちゃん!」


 勢い余って落ちそうになったかのーがじたばたと藻掻く後ろから顔を覗かせ、追いついた東山さんは真っ青になりながら叫ぶ。


 血相を変えた親友の顔を見上げながら、なっちゃんは心底自己嫌悪に浸っていた。

 なんて間抜けな結末だろう。

 こんなのってありなの? 

 死んでたまるかと折角ここまで足掻いたのに、抗ったのに。

 ごめん……本当にごめん、みんな――と。

 

 落下の加速が始まった。

 もう悲鳴もでない。走馬灯すら浮かんでこない。

 仲間が浮かべる驚愕の表情が徐々に遠ざかっていくのを諦観と共に眺めながら、微笑みの少女は悔しそうに唇を噛む。



 刹那。

 

 

 パシン――と乾いた音が彼女の耳朶を打ち、同時にその身体が落下を止めた。

 期せずしてやんだ風の音と、その身に走った衝撃によって、遠のきかけた意識をとり戻したなっちゃんは何だろうと顔を上げた。


 そしてきょとんとしながら、己を目を疑うように二度、三度と瞬きをする。

 どうして彼がここにいるの?――と。

 はたして、その目に映ったのは顔を真っ赤にしながら歯を食いしばり、踏ん張る我儘少年の姿――

 

「……カッシー?」

「うぎぎぎぎぎ……よお、なっちゃん。元気だったか?」


 壁に突き立てた妖刀に片手でぶら下がり、もう一方の手で少女の手首を掴みつつ、カッシーは引き攣り、強張ったにへら笑いを浮かべて少女に応えた。


 数秒前。

 仲間の悲痛な声が聴こえてきて、剣呑な表情と共に彼が見上げた塔の頂上に見えたのは、まさしく助けようと探していた微笑みの少女の落下する様子だった。

 なっちゃん!? てか何やってんだよ!?――カッシーは口をへの字に曲げる。

 後は言うまでもないだろう。

 それ以上考えるより先に、少年の手は勝手に動いていた。

 身体も勝手に動いていた。

 人知れず、こっそりと妖刀が後押ししてくれたおかげもある。

 ギリギリではあったが、カッシーが伸ばした手は、すれ違うその一瞬、落下してきた少女の手首を掴むことに成功していた。


「……っぐ!」


 少女の身体を支えた途端、身体中の筋肉が悲鳴をあげる。

 思わず息を呑み、少年は歯を食いしばってそれに耐えた。

 わかってる。体力はもう限界だ。喋るのだってきつい程に。

 けれど。だとしても。

 やっと戻ってきたんだ。

 やっと掴んだんだ。

 意 地 で も 離 す か コ ノ ヤ ロ ウ !――

 

 まさに意地っ張りで、こうと決めたら梃子でも動かない我儘小僧の本領発揮。

 気合と根性、そして意地だけで激痛を抑え込み、カッシーは掴んだ少女の手首を握りしめる。

 革の手袋ごしに伝わってくる彼の意志と温もりを感じながら、なっちゃんはぎゅっとその手を握り返した。

 そして込み上げてきた希望と共にニコリと笑う。



「柏木君っ!」

「おー、てかあいつ、あんなところで何してたんだ?」

「ムキー、あのヤローオレサマの見せ場をー!」


 オイシイトコロ持っていきやがってあのワガママコゾー!

 てか今回オレサマほとんど活躍ナクナイー?――

 プンスコと頭から湯気を出して怒るかのーを余所目に、固唾を呑んで様子を窺っていた東山さん達は、ほっと胸を撫でおろす。


「でも、一時はどうなる事かと思ったけど。本当に良かった」


 何とかなっちゃんも助けることができたし、あの死神も成敗できた。

 これでめでたく一件落着――

 小さく息を吐き前田さんは背伸びをすると、ようやく眉間のシワを解放する。

 

「んーにゃ、まだ終わりじゃねーな」


 だが低い声でそう呟いたクマ少年に気づき、彼女は背伸びをした姿勢のまま不思議そうに視線を降ろした。

 彼の中の女神様はまだ警鐘を止めていない。

 まだだ。まだ窮地は続いている。執念深く、なんかがにじり寄って来てんぜ?――

 はたして、壁にぶら下がる少年少女の下から忍び寄って来ていた影に気づき、こーへいは身を乗り出して叫ぶ。

 

「おい、カッシー! 気を付けろ! 下から来てんぞっ!」


 ――と。

 

 聞こえてきたこーへいの剣呑な声に、カッシーは何だと顔を上げた。

 刹那。


「うおっ!?」


 ガクン――と、その身を、危うく妖刀を手放しそうになった彼は、大慌ててその柄を握り直した。

 途端、ミシミシと肩が抜けそうなほどの力が少年を襲い、関節が悲鳴をあげる。

 

「ぐううううううっ! くっそっ!」


 何だ? 急に重くなった。ちょっとやそっとじゃない。

 まるで一人分、誰かが――

 噴き出す汗をそのままに、カッシーは顔を真っ赤にして踏ん張った。


「きゃあっ!?」


 と、放たれた微笑みの少女の悲鳴に、明らかな異常事態を確信しカッシーは下を向く。

 見えたのは、苦渋の色を顔に浮かべながらも、放すまいと少年の手を握るなっちゃんの姿。

 そしてその少女の足にしがみ付く、枯れ木のような白い手と、フードの中で禍々しく金色の光を輝かせる、髑髏だった。

 

「マダラメ!?」

―ケケケ、しぶとい死神だぜ!―


 聞こえてきた妖刀の呆れ声に小さく舌打ちすると、カッシーは顔に縦線を描く。

 何度でも言おう。

 気に恐ろしきはその執念――


「レナ……レナァ……もう私を一人にしないでくれ、一緒に……一緒に逝こう……クキキ、クッケケケケ」


 音高無双の少女の強烈な鉄拳制裁インパクトを食らい半分崩れかけたその髑髏を歪め、死神はぞっとするほど低い声で少女を心中へと誘ったのだ。

 これはやばい。両手が封じられたこの状況でこれは非常にやばい。

 どうやって奴を倒す!?


 ――いや、今のなしだ。やっぱり訂正する。

 奴を倒すどころか、

 ただでさえ限界だったのに、なっちゃんに加え死神分まで支えられる余力はもうない。

 少女が限界を迎えて落下するのが先か、自分が限界を迎えて三人仲良く落下するのが先か。

 いずれにせよそう長くはもたないだろう。

 

 ボケッ! どうする?

 どうすりゃあいい?!――


 

 だが、焦る我儘少年の耳に次の瞬間聞こえたのは、呆れに呆れた末に放たれた少女の、それはそれは大きな溜息だった。

 刹那、なっちゃんはマダラメの顔面目掛けて掴まれていない右足を思いっきり踏み下ろす。

 

「ぶべらっ?!」


 ひび割れた顎骨の隙間から潰れたカエルのような声をあげて、マダラメは金色の瞳を困惑で点灯させた。


「お断りよ、独り善がりの死神さん。逝くなら一人で勝手に逝けばいいじゃない」

「いやだっ! もう一人は嫌なんだ! 頼む! 頼むレナ! 私を一人にしないでくれっ!」


 と、悲鳴のような懇願の声をあげた死神の顔面に、またもやサンダルの底が容赦なくめり込む。

 

「べぶらっ!?」

「一人は嫌だ? 何を言っているの? でしょう? 腐った脳みそのせいで忘れちゃったの? ねえ?」

「そん……な。私は常に君を求めて――ふごぉ!?」


 またもや顔面を踏み躙られて、あろうことか恍惚の表情を浮かべはじめたマダラメを、汚物を見るような冷たい眼差しで見据えながら、なっちゃんは双眸を細めた。

 そう、こいつは最初から誰も必要としていない。

 必要なのは自分の頭の中で生み出した理想のレナ、母親そっくりな自分に都合のいい女性像。

 それだけあればいつだって満足なのだ――


「はっきり言ってあげる。あなたに恋人なんて要らない。だってあなたは脳内だけで器用に自分を愛せるド変態。今までもこれから先もね……だから――」


 なっちゃんは吐き捨てるようにそう言って、しっしっと手を振ってみせる。

 そしてとどめとばかりにゆっくりと右足を振り上げた。


「――もう二度とに近づかないで。一生地獄で妄想し続けてなさいな、この一人上手のオ○ニー野郎^^」

「ひっ、やめ……やめて……お願――」


 それでも縋ろうとした死神に向けて、嗜虐的な微笑をその口元に湛えた少女は、思いきり足を踏み下ろす。

 はたして、六百年を生きた死神の野望と精神は、少女の一撃によって完膚なきまでに砕け散り。

 マダラメは声に鳴らない悲鳴をあげて王の間へと――いや、


「さよなら……」


 みるみるうちに豆粒ほどの大きさになっていく死神を見下ろしながら、なっちゃんはクスクスと笑う。

 だが頭上から視線を感じて、彼女はゆっくりとカッシーを見上げ首を傾げた。


「どうしたのカッシー?」

「いや……なんでも……」

―ケケケ、こりゃ鬼女も真っ青だな―

「よせナマクラ、刺激するな!」

「何か言った?^^」

「な、何も言ってません!」


 怖い。超怖い。なんか知らんが前にも増して凄みがついてないか?

 やめよう、この子を怒らせるのは絶対やめよう――

 顔に縦線を描きながらごくりと生唾を飲み込み、我儘少年は人知れずその心中で誓ったのだった。


―んで、この後どうするつもりだよ小僧?―

「へ?」

―もうとっくのとうに限界だろ?―

「…………あ」


 忘 れ て た。

 と、口をへの字に曲げたカッシーの身体に、気合と根性でしがみついていた限界が一気に押し寄せる。

 途端ずるりと妖刀の柄を握っていた手が滑り、ガクンとその身が落ちかけた。


「きゃあっ!?」

「うおっ!」


 正真正銘、最後の気力を振り絞り、柄の下方を辛うじて握り締めたカッシーは、歯を食いしばって落下に耐える。


「ちょっと、カ、カッシー!?」

「ぐぎぎぎ……わかってる……っつの!」


 せっかく何とかなったのに、最後の最後で転落死はごめんだわ!――

 だが見上げた少年の顔色は真っ赤を通り越してもはや土気色だ。

 額に浮かぶ何本もの青筋の間を伝って、流れ落ちる汗が見て取れる。

 やせ我慢がありありと分かる少年を見上げ、流石の豪胆毒舌少女も微笑を引っ込めると、祈る様にして彼の手を両手で掴みなおした。


 だがしかし――


―ケケケ、粘ってるところ悪いがよ小僧―

「……?」

―先にこっちが抜けそうだ―

「……は?」


 刹那、思わず間抜けな返答した少年の目の前で、壁の隙間に突き立てていた時任の先端がぐらぐらと揺れはじめる。

 ち ょ っ と 待 て ! ――と、目を見開いたカッシーの願いは、当たり前だが聞き入れられるわけもなく。

 少年少女達の重さに耐えられなくなった隙間がヒビを立てて広がると、妖刀はすっぽりとそこから抜け落ちた。


「きゃああああっ!?」

「うおおおお!?」


 結局こうなるのかよ! ざけんなボケッ! 納得いくかっ!――

 途端に落下を始めたその身の命運を嘆きつつ、カッシーは青ざめながらも魂の叫びを放つ。

 だがみるみるうちに近づいてくる王の間を見据えると、彼はなっちゃんを庇うようにして抱きかかえ、悔しそうに唸り声をあげた。


 と――

 

 やにわに甲高い鳥の鳴き声が、落下する二人を追いかけるようにして響き渡る。

 同時に背中を照らす仄かな光に気づき、一瞬脳裏をよぎった大鴉の姿に眉を顰めながらも、カッシーはその鳴き声の主を向き直った。

 なんだこいつ?――と。

 間近に迫っていたその生物を視界に捉え、彼は驚きのあまり言葉を失う。


 それは輝く真紅の羽毛で身を覆い、長く美しい尾羽を靡かせて滑空する巨鳥だった。

 巨大な紅い孔雀――そんな表現がしっくりくるその鳥は、紅玉のような目で二人を一瞥すると、一気に羽搏いて彼等の下へと潜り込む。

 そして、ふわりとその背で二人をと、大きく翼を羽搏かせ、上昇を開始したのだ。


 一体何が起きている?

 柔らかく羽毛に覆われた背中に着地したカッシーはガバリと身を起こし、狐につままれたような表情で周囲を見渡す。

 隣でを作って座り込んでいる聡明な少女もやはり未だ状況が掴めず、目を丸くしながら言葉を失っていた。

 

 だがそこで二人は、古城の空に優雅にそして盛大に響き渡る四重奏カルテットに気づき、はっと我に返ったように一点を向き直る。

 耳朶を打つその調べは、二人もよく知る自分達の世界の曲だった。

 

 イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー バレエ組曲『火の鳥』より 『終曲(大団円)』――

 

 はたして円を描いて月夜を舞う巨鳥の背から望んだ礼拝堂の頂きには、愛用の楽器を鳴り響かせる四人の少年少女の姿があった。

 と、指揮棒を振る銀髪の吸血鬼がちらりとこちらを見上げて口元を歪める。


 あいつら死の舞踏で疲れてんのに無理しやがって。

 けど助かった。ありがとな、なつき――

 思わず笑顔を浮かべ、そこで精も根も尽き果てた我儘少年はゴロン、と巨鳥の背に寝そべった。

 


 終わった。本当に本当に今度こそ終わりだよな?


  

「……てかさ、なっちゃん」

「?」


 ぼんやりと惚けたように眼下に広がる古城を見つめていた微笑みの少女は、カッシーを振り返って小首を傾げる。

 

「その髪、どうしたんだ? 大丈夫かよ?」


 無我夢中で今の今まで気づかなかったが、彼女を象徴していた長い髪が肩口より短くなっているのに気づきカッシーは思わず尋ねた。

 心配そうに眉根を寄せた少年に対し、一瞬気にするようにうなじを撫でて、だがなっちゃんは思いを断ち切るように首を振ってみせる。


「……お別れしたの、昔の自分と」

「は?」

「冗談。色々あったのよ……後で話すわ。それよりも――」

「?」

「――ありがとうカッシー……助けてくれて」


 そう言ってなっちゃんはにこりと笑った。

 それはいつも見慣れた彼女の微笑――とは異なり、どこか吹っ切れたような迷いのない無邪気な微笑み。


「どういたしまして」

 

 ――

 月夜に美しく映える値千金のその微笑みを浮かべた少女を見惚れるように眺め、カッシーはにへら、と締まりなく笑い返した。

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