その28-2 仮面を脱ぎ捨てて

コルネット古城、王の間――


「この荒れようは一体……」


 まるで嵐が過ぎ去ったかのように破壊しつくされた王の間を一瞥し、ヒロシは思わず眉を顰める。

 切り裂かれたタペストリと絨毯。そして粉々に砕かれた玉座。

 天窓も、ステンドグラスで彩られていたのであろう窓も全て割れていた。

 そう遠くない過去に、激しい死闘が繰り広げられたのであろう痕跡が、生々しく残るその広間の中央へと静かに歩み寄ると、サイコは突き立てられていたブロードソードを見下ろす。

 緑銀色の柄に、業物ではないがよく手入れされた刃。間違いない、あの少年が使っていたものだ。

 そしてその先端が床へ縫い付ける様にして穿っていたものは――

 

「なんだこりゃ、カラスの死骸か?」


 眠そうな目でじっとそれを見つめていたサイコの脇から顔を覗かせ、ヨシタケが剣呑な表情で呟いた。

 おそらく鼠と同様、恐らく転生した使い魔の成れの果てだろう。

 無言で頷き、サイコは興味深げにすっかり縮んでしまったその『大鴉であった』死骸を見据える。

 

「カシワギ殿達は何処へ?」

「わかりません。ですが――」


 敵であったらしきものの死骸はここにある。

 しかし先に向かった彼等の姿は見えない。いるとすれば――

 ヒロシの問いかけにつぶさに答え、サイコは割れた天窓の向こうにその姿を聳え立たせる塔を見上げた。

 ヒロシもヨシタケも彼女の視線を追って塔を見上げ、そこに感じるただならぬ気配に気づき、途端に表情を険しいものに変える。

 指先程に小さく見える塔の頂きからは、何やら胸をざわつかせる嫌な気配が陽炎のように漂っていた。

 あそこで何かが起こっているようだ――サイコはさらに目を細め、塔の頂きを凝視しながら静かに息を吐く。

 

「急ぎましょう、恐らく彼等はこの上に向かったのでございます」

「承知した」

「おうよ!」


 どうか無事で、神器の使い手達――

 祈る様に浅く俯き、三人は塔と続く扉へと走り出した。



♪♪♪♪



 コルネット古城。

 祭壇の塔頂き――


 マジかよ? まさか死神に平手打ちビンタするとはよぉ、まったく大した胆の据わりようだぜこの子は――

 大胆不敵な行動に出たなっちゃんを見つめ、いつでも緊張感のない自分のことを差し置いて、こーへいは感心したように猫口をひくつかせる。


 一方で、白い肌に生み出されたジンとくる熱を感じながら、マダラメは郷愁に近い感情を抱いていた。

 懐かしい痛みだ――と。

 だが何故だ。母親にすらぶたれたことなどなかったのに。

 何故私はこの痛みを、と感じるのだろうか。

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情のまま頬を押さえ、しかしその疑問とは裏腹に死神は陰鬱な笑みを口の端に浮かべていた。 

 そんな彼を、不快と嫌悪――二つの感情を端麗な顔に露わにして、なっちゃんは振り切った右手を降ろす。

 刹那、彼女は大きく息を吸い込むと、それまで溜めに溜めた怒りを矢継ぎ早に放っていった。


「しつこいっ! 私に触らないでこの変態ッ!」

「なっ……」


 その怒声により我に返ったマダラメは、しかし少女の放つ有無を言わさぬ威圧に気圧され、思わず言葉を噤んで後退る。


「いい加減にしてっ、うんざりなのよ! 自分の妄想を相手に被せて勝手に盛り上がらないで! 六百年も生きててそれが異常って気づかなかった?」

「う、うるさい器ッ! 黙――」

「器って呼ぶなっ! 私は茅原夏実、レナでもあなたの玩具でもないって言ってるでしょ!」


 かつてこれほどまでに声を荒げ、怒りという感情を露わにした彼女を見たことがあっただろうか。

 先程までの怯えようは何処に消えたのか、まさに怒り心頭。指を突き付け魂から沸き起こる感情をマダラメへぶつけていく親友の姿を見つめ、東山さんは呆気に取られていた。

 それでも少女の口は止まらない。


「大体自分を殺した相手を愛し続けて、蘇らせようなんてどんな神経してるの? あなたマゾ?」

「殺した……? 何を言っている?」

「……やだ、まさかそれすらも都合よく捻じ曲げて美化してるんじゃないでしょうね?」

「違う……違う! レナは殺された私を助けるためにその命を――」


 そうだ。

 レナは瀕死の私を死神リッチとして蘇らせるために、その御霊を犠牲にして果てたのだ。

 だから私は今こうして―― 

 自らの顔へ問い詰めるようにして突き付けられた少女の指先を見つめながら、彼は記憶を辿っていく。

 だがしかし。


 いや待て。

 ならば、私を殺した相手とは一体誰なのか?

 ……思い出せない。何故だ。思い出そうとしてもそこだけぽっかり穴が空いたように黒い闇が広がるばかりだ。

 青白い肌を、土気色に変えながらマダラメは頭を抱える。

 途端に脂汗が滲み出てきた。自らに都合よく、美化して信じてきた記憶の矛盾が、徐々に綻びを見せ始める。

 と、心底呆れたように失笑を浮かべ、なっちゃんは肩を竦めてみせた。


「どれだけお目出度い奴なのかしら。まあ六百年も生きてちゃ仕方ないわよね。脳みそ、きっと腐るどころか干からびてるだろうし」

「何をっ! 貴様いい加減にィ――!」

「いい加減にするのはあなたのほう。あなたはレナに殺された。隙をついてその胸を刺され殺されたのよ――怒って誤魔化そうとするってことは、あなたも思い当たる節があるんでしょ?」


 なっちゃんは突き付けていた指を引き、腕を組んでマダラメを覗き込む。


「ならはっきりと思い出させてあげる。私もレナから聞いたから。彼女があなたに何と言ったか――」

「なっ、やめろっ! やめろっ! よせ、言うんじゃないっ!」

「いいえ、やめない。妄想に逃げてないで現実を見たら?」


 もう限界だ。彼女のあの言葉こそ、まさに私の今の気持ちを代弁するにふさわしい――

 怯えるようにさらに身を引いたマダラメを、追い詰めるように一歩足を踏み出すと、なっちゃんは悪女も引く程の妖艶な笑みを浮かべた。

 そしてとどめの一言をその唇から惜しげもなく放つ。



「貴方なんか大嫌いなの、近寄るだけで虫唾が走るのよ! だからこの世から消えてちょうだい、この独り善がりの変態マザコン野郎!」



 意志強き光を陰りなく灯し、なっちゃんはあらん限りの声でマダラメの存在を否定してみせた。

 その姿をうっとりと見つめ。

 いや、その後ろに重なるようにして見えた、が血に染まったナイフを投げ捨てニコリと微笑む姿を、うっとりと見つめ――


「嗚呼、レナ――」


 死神は歪めていた記憶を全て思い出すと、大きく身体を震わせてあろうことか絶頂に達したのだった。


「ムフォゥ……ドクゼツコエー」

「おーい、マジか……」


 そんな少女を呆気に取られて見つめていたクマ少年とバカ少年は、やがて畏れるように口の端を引き攣らせる。

 刃物で拳でもない、で死神を再起不能にしやがった――と。


 だが刹那。


「ああ……ぁぁぁああああああああああああああっ! な ん だ っ た の だ っ !」


 頭を抱えるようにして両手で押さえつけると、マダラメは甲高い絶叫をあげ天を仰ぐ。

 そして濁り血走った眼を剥いて乱暴に髪を掻き毟り始めた。


「なんだったのだッッッ! なんだったのだ私のこの六百年はっ!」


 一体何のために、死神リッチとなってまで生き永らえて来たのか!

 全ては妄想だった。全ては無駄だったのだ!――

 焦点の定まらない金色の瞳を虚空へと彷徨わせ、マダラメは狂犬の如く吠える。

 

 まずい、追い詰め過ぎたかも?

 流石に身の危険を感じたなっちゃんは、ゆっくりと後退った。

 だが少女のその挙動に気づいた死神は、ギョロリと彼女を見下ろして、その両掌にどす黒い魔力を集めだした。

 枯渇した魔力を強引に生成しだしたその身が、瞬く間に崩壊を始める。


「クキケケケッ……もうよいっ! もうどうでもよいっ! この世にいる意味などなくなった! 貴様ら全員皆殺しだっ! 私と一緒に地獄に堕ちようではないかァァッ!」

「っ……冗談じゃな――」


 と、叫ぶなっちゃんに対し、ボロボロと剥がれ落ちる皮膚の向こう側から覗かせた黄色い歯を歪に鳴らして、マダラメは最期の狂気と共に集めた魔力を自分の胸へと打ち付けた。

 

 ドン――と、漆黒の闇が死神の身体を中心として塔の頂上に迸り、不意を突かれた微笑みの少女の身体は木の葉の如く吹き飛ばされる。

 みるみるうちに遠ざかっていくマダラメの姿と、驚嘆の表情を浮かべる東山さん達――手を伸ばし、それに応えようとしたなっちゃんは、しかしやにわに下から吹きつけてきた風に気づいて息を呑んだ。


 はたして、少女が恐る恐る見下ろした先に広がっていたのは床ではなく、遥か下方に望む古城の姿。

 嘘、これってまずくない?――

 声に鳴らない詰まった悲鳴をあげて、なっちゃんは整った細い眉を思わず寄せる。


「なっちゃん!」


 だが聞こえてきた東山さんの声で我に返ると、彼女は咄嗟に空中で身を捻り塔の縁を掴んだ。

 ガクン――と、衝撃がその腕に走り、ずるずると上半身が滑り落ちる。

 しかし放すものかと必死にしがみついた少女の身体は寸での所で停止して落下を免れた。


「クキキキキ! クキケケケケケ! 貴様ら全員ッッッ、道連れだあああッ!」


 髑髏に変わったその顔がカタカタと狂気の笑みを浮かべる。死神の胸に打ち込まれた魔力がとうとう暴走を開始した。

 オイオイまじかよ、まったく最後まではた迷惑な野郎だぜ――

 不発になったと思っていた女神様が途端ご機嫌ななめで警鐘を鳴らしだして、こーへいは困ったように眉尻を下げる。

 だが頭のネジがぶっ飛んだあいつより、今は窮地の仲間を助ける方が優先だ。


 そう決めるや否や、クマ少年は――

 いや、は――

 塔の端にしがみつく微笑みの少女を見据え、ほぼ同時に動き始めていた。

 

「世話の焼けるドクゼツディス!」


 舌打ちしながら、飛ぶようにして地を蹴るとかのーはなっちゃん目掛けて駆けだす。

 足だけは、さらに言えば逃げ足だけはパーティーの中でもダントツなバカ少年は、瞬く間に少女との距離を詰めていった。

 だがそうはいかぬと自暴自棄となった死神が彼の前に立ち塞がる。


「動くな虫ケラッ! 大人しくしていろォォォ!」

「ドゥッフ!? 邪魔スンじゃネーヨ変態サイコパスッ!」


 ずるりずるりと足を引き摺りながら、なっちゃんとの直線状に割り込んできたマダラメを見て、かのーは顔に縦線を描いた。

 普段の彼なら一目散に踵を返し逃げていただろう。

 あとヨロシク――と、音高無双の少女になすりつけていただろう。


 だがバカはバカなりに考えて、至った結論に従い彼はそのまま真っ直ぐ突っ込んだ。

 それは即ち、このサイコ野郎よりドクゼツの方が怖いディス――という、シンプルな弱肉強食の法則に従ってだったが。

 はたして、速度を緩めず地を蹴ると、かのーは死神の頭上へ飛び出した。


「逃がさなィィィ! 全員! 全員道連れと言っただろうがァァ!」


 執念に満ちた金色の瞳でそれを追い、マダラメは黒い魔力が暴走する右掌で宙に踊り出たかのーを掴む。

 刹那。闇の魔力に包まれたバカ少年は、鈍い爆発音と共に四散した。


 してやったり――と、ほくそ笑んだ死神の顔は。

 しかし、一瞬にして驚愕の表情へと変わる。

 満足気に掲げたその右掌の中で、ブスブスと煙をあげる、汚れ切った黒のサマーパーカーに気づいて――

 

「ナニィ!?」

「バッフゥー、ヤーイ引っかかってヤンノー!」


 フェイントだと?! と、目を白黒させながら声を裏返したマダラメの足下から、人の感情を煽りに煽るケタケタ笑いが放たれる。

 慌てて股を覗くように身を屈ませた死神の目に、丁度Tシャツ姿になったかのーが器用にその下を潜り抜け、少女に向かって走ってゆくさまが映し出された。

 

「ジャーネー、サイコパース!」

「おのれ、おのれぇぇぇーっ!」


 逃すか虫ケラ!――

 怒りの形相で踵を返し、マダラメは走ってゆくかのー目掛けて手を翳す。

 だがやにわにその肩をちょんちょん――と、途端彼は苛立たし気に顔を歪め、さらに振り返った。


「誰だッ! 私の邪魔を――」

「――邪魔してんのはテメーだろ?」


 身勝手に狂乱の花火をあげようとする死神の言葉を遮り、その眼前まで近づいていたクマ少年はにんまりと笑う。

 刹那、振り返りざまを狙って放たれたこーへいの出足払いによって、目を見開いていたマダラメの身体は、ゆっくりと天地を逆転させた。

 

「ぐおっ!?」


 おのれ何処までも小賢しい真似をッ!――

 逆さになる視界の中、更なる苛立ちと狂気をその瞳に灯し、マダラメは髑髏を怒りで歪ませる。

 だがしかし。

 やはりその表情は一瞬にして、今度は驚愕と恐怖に満ちたものへと変わることになった。

 不敵に笑うクマ少年の、その脇から猛スピードでこちらへと迫る、音高無双の少女の姿を捉えて。


「やっちまえ委員長――」


 一仕事終えたこーへいが口に咥えた煙草に火を付ける最中、東山さんは極限まで引き絞った弩が矢を放つように、死神目掛けて渾身の一撃を繰り出す。

 見栄も外聞も捨て、恐れのあまり顔を覆ったマダラメは、しかし宙に浮いたその身で躱すことすら叶わず――

 

「ひっ! 待てっ! やめろっ! やめろぉぉっ!」

「覚悟しなさい、このッッッ女の敵ッ!」


 紅き隼と化した少女の、激怒を乗せた会心の鉄拳制裁インパクトは、見事髑髏の中心を貫いた。


「ぶべらっ!?」


 クリーンヒット――

 頬骨にヒビを作り、断末魔の叫びをあげたマダラメは、まるで水面を切る飛び石のように数度その身をバウンドさせると、哀れ塔の縁より奈落へと落下していった。


「地獄でしっかり反省なさい!」

「こっちは片付いたぜかのー! しっかりやれよー?」


 と、パンパンと手を払いながら息を吐いた東山さんの横でこーへいが叫ぶ。

 ワカッテルってのソンナコト――鼻息を噴出しながらかのーはさらに走る速度を上げた。


 迫るバカ少年を縋るように見つめつつも、なっちゃんの身体はずるりずるりと縁から滑り落ちてゆく。

 再びちらりと下の様子を窺って見た。吹き上げてくる風の向こうは眩暈がするくらいの絶景だ。

 落ちたらひとたまりもないことくらい一目でわかる。

 腕がしびれて感覚がなくなってきた。


 こんなことになるなら、体育の時間さぼらないで真面目にやればよかった――


「もう……駄目――」


 震える指が剥がれるようにして縁から離れていく。

 途端、少女の身体は物理法則に従って落下を開始した。


「ドクゼツ! 諦めテンジャネーヨ!」


 少女まであと数メートル。かのーは落ちてゆくなっちゃん目がけて頭から滑り込む。

 縁から半身を乗りだし、彼女を掴もうと限界まで差しのべられたバカ少年のその手は――


 

 

 だが奮闘虚しく、一寸上の宙を掴んでいた。

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