その28-1 レナなんかじゃない

コルネット古城、祭壇の塔七合目――


 和音を使い過ぎた。全身の筋肉が悲鳴をあげているのがわかる。ちょっとでも気を抜けば一斉に肉離れを起こしそうな激痛だ。

 だが、いかんともしがたいこの状況。危機は去ったが身動きが取れない――

 妖刀の柄を両手で握りしめ、カッシーは歯を食いしばる。

 はたして、窮地を脱した少年は今、風化した塔の側面に宙吊り状態でぶら下がっていた。


 飛んで――

 あの刹那、そう告げた少女に従って宙へと離脱した彼は、咄嗟の判断で塔の壁に時任を突き立て、落下を免れていたのだ。

 だが飛び移った場所が悪かった。当たり前だが足場がない。

 ちらりと様子を窺った下方に螺旋階段が見えはしたものの、そこまでの高さはかなりある。

 飛び降りて上手く着地できるかどうか。少しでも目測を誤れば足を踏み外し、王の間まで真っ逆さまだろう。

 かといって残りの体力ももう僅か。この状態を長く維持はできない。

 さてどうしたものか――途方に暮れつつカッシーは口をへの字に曲げる。

 

―ケケケ、まーた切り抜けやがった。まったく悪運の強い小僧だ―


 と、窮地に次ぐ窮地をしぶとく生き抜いた少年に対し、時任が呆れと感心入り混じった軽口を浴びせながらその身を光らせた。

 だが何かを言い返そうにも、ギリギリの体力で踏み止まっていたカッシーには声すら紡ぐ余裕もなく、やっとのことで悔しそうに鼻息を一つ噴き出したのみだ。


―何か言いたいなら、読み取ってやるから無理すんじゃねえよ。しかしまあ、よくやったじゃねえか。まさかあの化け烏に勝っちまうとは―

 辛勝だったけどな――

―ほお……わかってんじゃねーか。殊勝な心掛けだぜ、ちったあ褒めてやる―


 辛うじて勝つことはできた。だが自分一人の力じゃない。

 俺に任せろ、と偉そうなこといったが、日笠さんやこのナマクラの力がなけりゃ、あの風使いには傷一つ負わせることもできなかっただろう。

 珍しく素直な反応を見せた少年の、その心の中に渦巻く複雑な想いを汲み取って、時任はケケケと笑う。


―だが勝ちは勝ちだろ? どんなに泥臭くても戦場じゃあ最後に立ってた者が勝者だ。少しは胸張れよ小僧―

 ……そんな慰めなんかいらないっつの!――


 と、カッシーは不貞腐れるように口を尖らせた。

 だがしかし、やにわに彼は何かに気づいたように表情を戻すと、周囲の様子を窺う。

 

―どうした小僧?―

 ……死の舞踏が終わってる?――

―あの小娘どもの演奏か? んなもんとっくのとうに終わってたぜ―

 ……マジか?――

―気づかなかったのかよ。まああの死闘の中じゃあ無理ねえか―

 それじゃ、なっちゃんはどうなった?! 先に行った三人は何してんだ?――

―そこまで俺が知るかよ―


 時任が感じ取ることができるのは、妖が放つ妖気や魔力と、自分に向けられた闘志や敵意といった感情だけだ。

 千里眼を持つわけでもない妖刀に、塔の上の詳細まではわからない。

 

―だが死神の妖気は随分小さくなったな―

 マダラメの?――

―ああ。先に行ったお前の仲間は……ま、気配は感じるが、どうなってるかまではやはりわからん―


 まずいんじゃないだろうか。

 大鴉の背からちらりと見えた塔の頂きでは、あの三人はおかしな黒い物体に捕まっていた。

 おまけに死の舞踏ももう終わったという。

 あいつら無事だろうか?

 とはいえ、まずはこの状況をなんとかせねばどうしようもない。

 ……うっ、まずい。手も痺れて感覚がなくなって来た。

 早く適当な足場を確保しないと、このままでは自分がヤバイ――

 やきもきしながら、カッシーは喉の奥で唸り声をあげる。


―情けねえなあ、化け物相手にはあれだけ即決できるのに何迷ってんだよ。サッサと飛び降りゃあいいだろ?―

 ……ナマクラ、もっかい和音使えないか?――

―これ以上は流石にもう辞めとけ、本当に死ぬぞ―

 んじゃ、無理に決まってんだろボケッ! 生身でこの高さ飛び降りたらどっちにしろ死ぬわっ!――

―ケケケ、悪運だけは強いんだ。足の骨折るくらいで助かるかもしれねえだろ?―

「絶 対 い や だ っ つ の !」


 い゛っ――っと、お得意の歯を剥いて思わず叫ぶと、少年は時任を睨みつけた。

 そして弾みで落ちかけた身体を大慌てで踏み留め、再び歯を食いしばって妖刀にしがみ付く。

 この状況でもなお意地を張る少年に対し、物言う刀はやれやれと溜息をついていた。

  

 と――


 やにわにその鼻っ面に、何かがふわりと落ちてきて、少年は寄り目になりつつそれを眺める。

 それは絹糸のような黒くて長い何か――ほのかに漂う良い匂いが、彼の鼻腔をくすぐってきた。

 

 なんだこりゃ?――

―……上で何かが起きてるようだぜ?―


 一瞬ではあるが、まるで花火のように激情が塔の上で瞬いた。こりゃ死神だろうか?――

 時任は剣呑な口調で答える。

 理由はわからない。だが何故か微笑みの少女の姿が頭に思い浮かび、カッシーは顔を上げた。

 険しい表情と共に少年が見上げた塔の上空からは、なおもはらりはらりと、風に乗って黒糸の群れが舞い落ちて来ていた。



♪♪♪♪



同時刻。

祭壇の塔、頂き――



 貴女が見えていないというのなら、嫌でも貴女が見えるようにすればいいじゃない――


 

 闇に覆われた自らの心中で対峙した自分と瓜二つの顔をした旅の聖女は、そう言ってクスリと笑っていた。

 そうだ。彼女の言う通りだ。


 あいつが私の姿を見ようとしないのならば。

 あいつが私の声に耳を貸さないというのならば。

 嫌でも私を無視できなくしてやればいい。


 そして、この身体は誰のものでもなく、『茅原夏実』の身体だということを教えてやるんだ――

 

 迷いのない微笑を口元に湛え、なっちゃんは右手に握りしめたナイフを動かした。

 銀の刃が絹糸を裂くような短い音を生み出す。

 刹那、少女を象徴していた長く美しい黒髪は、その主より袂を分かち、彼女の左手へと収められた。

 

「なっちゃん……」


 東山さんは絶句する。

 今目の前で起こった事が信じられなかった。夢だと思いたかった。

 だが親友の自慢の黒髪は今、確かに束となってその左手に握られている。

 なんで? どうしてなの?――と、頭の中で繰り返される東山さんのその疑問に応えるように、やがて親友の掌は開かれた。


 解放された黒い絹糸の束が、風に乗り塔の上空へと散って行く。

 その一本一本が月光を湛え輝くさまは、まるで月下にさざめく水面のようだった。

 幻想的なその光景の中、不揃いに肩口まで短くなった自らの髪を顧みることなく、微笑みの少女は真っ直ぐに死神を見据えていた。

 

 これでどう? 私が見えるようになった?――と。

 


「あ……ああああ……!? 器ァァァァ! レナの! レナの髪を! よくも! よくもよくもよくもよくもよくもぉぉぉっ!」


 もはや語尾は言葉にすらなっていなかった。

 やにわに震える声で慟哭をあげ、マダラメは憎悪に満ち満ちたその双眸をなっちゃんへと向ける。

 だがしかし。

 臆することなくその睨みを受け止めて、彼女はクスクスと挑発的に微笑を浮かべてみせた。


「まだわからないの? この身体はあなたのものじゃないってことに」

「なにィっ!?」

「あなたがどう喚こうが、今はまだ私の身体なの。いい加減それに気づいたら? さもなくば、あなたが求めるレナさんは、どんどん失われていくわよ?――」


 言うが早いが、ナイフの先端を自分の頬に当て、なっちゃんは僅かに首を傾げる。

 ぎょっと目を剥いて、マダラメは思わず一歩足を踏み出していた。



 プッ――と。


 

 死神が止める間もなく銀の刃の先端が少女の雪のように白い肌に刺しこまれる。

 みるみるうちに生まれた血玉がやがて紅い筋へと変化し、頬を伝って流れ落ちていった。


「ちょい待てって!」

「ドゥッフ、ドクゼツ何してんノ!?」


 唐突に自らの身体を傷つけだした少女を凝視し、こーへいとかのーが同時に叫ぶ。

 だがこれでいい。これでいいのだ――

 ポタリ、ポタリ――と顎の先から滴る紅い雫が胸元に染みを作る中、なっちゃんは動揺一つ見せず狂気とも取れる微笑を浮かべていた。


「ああぁレナの顔が……きっ、きっ、貴様っ! 止めろっ! 止めろぉぉぉッ!」 

「もう一度聞くわ。死神さん? 貴方にこの身体を自由にする権利などないの」

「おのれぇ、おのれぇッッ! 器の分際でッ!」

「……まだそんな口きくんだ。ならいいわ、次はどこがいい? 手? 足? 眼? それとも――心の臓?」


 さらりといいのけ、少女は両手に握った銀の刃を左胸へ持っていく。

 今回は失敗したけど、どうせ次の満月で半転生の法を行うつもりなんでしょう? 

 でも、はたしてそれまで器がもつかしら?――と。


「よせっ! よせっ! やめるのだっ!」

「早くしないとこの身体はどんどん傷ついていくわよ? そうなったら復活しても意味がないんじゃないかしら?」

「わかった! 落ち着け! 止めてくれっ! 頼む!」 

 

 途端金色の瞳に動揺の色を浮かべ、マダラメは縋るようになっちゃんに向けて手を伸ばした。

 その表情に先刻までの狂気はなく、せっかく作った砂山を崩されまいと必死に訴える子供のようになっちゃんを見つめている。


「なら、私のいうことを聞きなさい。いいわね?」


 狼狽える死神に向けて、なっちゃんはやや嗜虐的な微笑みを口の端へと携えた。


 その首筋に流れ落ちた冷たい汗を、悟られまいとひた隠しながら――


 少女の綱渡りは既に始まっている。

 死神の魔の手から皆を救い、生き抜くための決死の綱渡り。

 切り札のチェロも今はない。ボウガンもない。

 あるのは一本のナイフと、自分でも割とよく回る方だと思っている舌のみだ。


 怖い。当たり前だ。染みついた怯懦はやはり完璧には拭い去れない。

 気を抜けば足が震えてしまう。心臓なんかうるさいくらいバクバク鳴りっぱなしだ。

 だがそれを決して相手に気取られてはならない。


 口八丁でも。でまかせでも。

 詐欺師のように、ペテン師のように。

 そして、男の扱いに長けたのように。

 死神を手玉にとってこの掌で転がしてやる――

 限られた手持ちのカードでこの場を切り抜けるため、覚悟を決めた微笑みの少女は、頭の中で策を巡らせていたのである。


 はたして。

 髪を切り、頬を傷つけ、更なる切り札をちらつかせた彼女の駆け引きに乗って、ようやく死神はこちらを向いた。

 そう、レナではなく。

 を向いたのだ。


 この調子だ。どうか上手く行きますように――


「仲間を解放して、今すぐよ」

「ぐっ……」

「聞こえなかった? 死神さん?^^」

 

 心の内で静かに闘志を燃やし、なっちゃんは平静を装いながら催促するように首を傾げてみせた。

 やがて苦渋に満ちた表情で低く唸ると、マダラメは地に縫い付けられていた三人の仲間に向けて手を翳す。

 途端、身体を拘束していた黒い手が霞みのように掻き消えて、東山さん達はゆらりと立ち上がった。

 

「おめーよぉ……髪と顔は女の命って知ってっか?」

「ヤッテいい事と悪いコトアルヨネー、サイコパス。ネー、覚悟イイ?」


 相手は六百年を生きた死神? 危険な死霊使いネクロマンサー? ああ、そう。

 で? だからなんだ?

 ん な も ん し っ た こ と か !


「許さない……絶ッッ対許さないからッ!」


 仲間が自慢の髪を切られ、かつ顔に傷を付けるまで追い詰められた。

 こんなに心底腹が立ったのは初めてだ。

 そして、こんなに自分が情けないと思ったのも初めてだ。

 まさに怒髪天を衝く――威嚇する猫のように髪を膨らませ、東山さんはマダラメを鬼のような形相で睨み付ける。

 こーへいとかのーも不快感を露わにしつつ、怯むことなく死神を見据えていた。


 三人の視線を一身に浴びつつ、マダラメは舌打ちしながらなっちゃんを向き直る。

 

「解放したぞ。これで良いだろう?」

「まだよ。仲間に手を出さないと約束して」

「ぐっ、調子に乗りおって――」

「あら? できないの?」

「……わかった。だからそのナイフを下ろせ。これ以上レナを傷つけるなッ!」


 少女が自らの胸に突きつけていたナイフを指差して、マダラメは双眸を細める。

 そして敢えて自ら後ろへと退き、少年少女達から距離を置いた。

 

「さあ、離れたぞ。これでいいか器?……」

「……」


 何とか上手くいっている。

 さて、ここからどうするか――なっちゃんはゆっくりとナイフを降ろし、束の間の安堵を胸に抱きながら小さく息を漏らした。

 綱渡りを続ける少女の警戒に一瞬だが油断が生まれる。


 その油断を、その隙を、執念深き死神は見逃さない。


 刹那。

 フードの奥の金色の瞳を眩く一度輝かせ、マダラメはなっちゃんを手招きした。

 途端、魔力によって生まれた引力が身体を襲い、少女は思わず息を呑む。


「っ!?」


 急激にその身を引かれ、手にしたナイフを床に落としたなっちゃんは、そのまま飛ぶようにして死神の下へと引き寄せられた。

 少女が非力ながらも抵抗しようと足に力を入れた時は既に遅く、目の前に現れた死神はしたり顔で笑いを浮かべる。


「なっちゃん!」

「動くな虫ケラどもっ!」


 慌てて駆け寄ろうとした東山さんを一喝し、マダラメは乱暴になっちゃんの細い腕を掴んで引き寄せた。


「っ、放してっ!」


 腕から伝わってくる痛みに顔を歪ませ、少女はそれでも必死に足掻き、束縛から逃れようとする。

 だがしかし。

 

「図 に 乗 る な 器 ァ ァ ァ ァ ッ !」


 まさに一喝。

 狂気の混じった甲高い絶叫が頭上から襲い掛かり、なっちゃんは思わずその身を竦ませた。

 途端、心の奥底で必死に押さえ付けていた彼女の中の怯懦の感情が、まるで入道雲のように沸き上がってくる。

 だめだ。抗うって決めたのに。私は私だと抗うと決めたのに。

 歯がカチカチと震える。息ができない。言葉が出てこない。


 視界から色が削げ落ちてゆく。

 灰色の世界が広がってゆく。そう、まるであの夢の中のように。


 そんな中、その『金色』だけは悍ましく、そして艶やかに輝いていた。

 逃げるような中身は要らない。美しい器だけずっとそばにいてくれればいい――と。


 まさしく、覗き込むようにして近づいてきたその『金色』の獣瞳は、再びから視線を逸らそうとしていた。


「おのれ器ッ! おお……おおおレナ……可哀想に! 君の長く美しい髪が……」


 目を見開いて、固まった少女の髪に手を伸ばし、マダラメは心底憐れむように震える声で呟く。


「顔にまで……痛かっただろう? もう大丈夫だよレナ! もう君を傷つける者はいない――」


 その枯れ枝のような指が髪を梳いている。

 そっとうなじに触れてくる。

 頬を垂れる血を愛おしく拭う。


 でも、やっぱり私を見ていない。


 なんて悍ましく、恐ろしい感触だろう。

 その度に、私が私でなくなっていくのだ。


 なのに……私はまた、されるがままなの?





 ――違う。




 ――この身体は……私のものだ。

 

 


 ――私は茅原夏実……レナなんかじゃない。





「そう、私は私……これからも私――」

「ああ?」


 ぼそりと呟いた少女に気づき、死神は訝し気にその金色の瞳を細める。

 ゆっくりと顔を上げた少女の瞳は、消えかけた光を再び灯し始めていた。


 怯えの色が見えた。

 だが、それを上回る決意の色も見えた。

 耐える様にして握りしめられていたその拳が華のように開かれる。



 口で言ってわからないんだったら、身体に教えてあげるしかないでしょ?――



 自分そっくりな旅の僧侶の言葉を思い出し、少女は死神目掛けて右手を振りかぶる。



 数瞬後。

 乾いた音が古城の空へ木霊した。

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