第十章 少女はその先へ

その27-1 月のみが知る結末

コルネット古城、礼拝堂の頂き――


 狂乱の宴が催される様を古城の空へ響き渡らせていた『死の舞踏』は、オーボエが奏でた『鶏の一鳴き』によって告げられた、朝の訪れと共に幕を閉じた。

 最後の一音が余韻を残して月下に消えていくと、光の奏者達は一斉にその場を去ってゆく。

 残ったのは四人。ホルン村の救世主達四重奏者カルテットのメンバーのみ。

 柿原、阿部、亜衣の三人は、弦から弓をそっと放すと背もたれに身体を預け、一斉に荒い吐息を漏らす。

 

「……ど、どうだっ弾き切ったぞ♪」

「あーこりゃだめだ……吐血しそ――」


 自分で自分を褒めてやりたいっ♪――と、汗だくの顔を綻ばせる柿原。

 そして、真っ青な顔で口を押さえて、コントラバスにもたれ掛かる阿部。

 そんな二人を苦笑しながら一瞥し、亜衣も可愛く鼓動を打つ胸を押さえながらやり遂げた実感を噛み締めていた。


 だがややもって、ゆらりとその身を傾けた人物に気づき、三人は一斉にはっと息を呑む。

 はたして、この曲の華である『独奏者:死神』を演じきった最凶のコンミスは気力を使い果たし、弓を降ろすと同時にその場に崩れたのであった。

 と、ゆっくりと傾いた小柄なその身をシンドーリがそっと受け止める。


「おお、エクセレント! 素晴らしい演奏だったよナツキ君――」


 今日既に二曲目、しかも瘴気が淀む古城の上空で、それにも怯まず見事に演奏しきるとは――

 銀髪の吸血鬼は、自らの胸の中でゆっくりと肩を上下させる少女を見下ろし、心からの称賛を投げかけた。

 流石にもう、指一本動かす気力も残っていない――

 その言葉を受けて静かに口の端を歪めると、なつきは汗で額に張り付いた前髪をそのままに満足気に目を閉じる。

 だが彼女はすぐにその表情に懸念の色を浮かべると、やにわに口を開いた。

 

「……ねえ、シンちゃん」

「なんだね?」

「……なっちゃんは……どうなったの?……半転生の法は?」


 やれるだけのことはやった。

 あの毒舌少女ははたして無事だろうか。

 そしてあの我儘少年達は上手くやってくれただろうか。

 未だ整わない荒い呼吸のまま、途切れ途切れになつきは尋ねる。

 その問いかけに対し、シンドーリは再び姿を現した紅き月を見上げ、全てを見通すようにして金色の瞳を閉じた。

 

「……禍々しき法は、終わったようだ」

「……結果は?」

「……」

「答えて――」


 私達の抗いは成功したのだろうか。

 それとも、奮闘虚しくあの微笑みの少女は――一瞬脳裏を過ぎった最悪の結末を振り払いなつきは続きを促す。

 だがしばしの間の後に、銀髪の吸血鬼は少女の問いかけに対し、こう答えを告げた。

 

「私にもわからない」


 ――と。


「――半転生の法は確かに完了した。だが全てに完璧とはいえぬ結果だ。君達の演奏によって死神はその精神を蝕まれ、そして君の仲間も全力を賭して術式を妨害した」


 死の舞踏の効果によってマダラメはその集中を乱され、次々と駆け付けた神器の使い手達によって祭壇を破壊され、そして続行に必要な魔力を無駄に浪費され、挙句法が完了するギリギリではあったが、最も重要な要素である満月は、彼等が呼び寄せた雷雲によってその身を覆われた。

 だがそれでも、あの若造は吐き気を催す程の歪んだ愛情と執念で、半転生の法を完遂させたのだ。


「若造の執念がまかり通ったか、はたまた君達の不屈の信念がそれを凌駕したか……」

「……」

「満月のみが知っている。その結末を――」


 煌々と光を湛える紅き満月を見つめながらシンドーリは静かに呟く。


 なっちゃん――

 ゆっくりと目を開き、焦点の定まらない視線を彼方の祭壇の塔へと向けながら、なつきはほうと祈る様に溜息を吐いた。



♪♪♪♪



同時刻。

祭壇の塔、六合目。


 乾いた音を立てて、樫の杖が螺旋階段に落ちる。

 追いかけるようにして膝をつき、その場に四つん這いに蹲ると、少女は何度も何度も荒い呼吸を繰り返した。

 ぽたり、ぽたりと、顎の先から滴り落ちた汗が階段を濡らす。

 心臓が破裂しそうだ。眩暈と頭痛が一気に襲ってきて、しばらく立てそうにない――


 霞む視界で日笠さんは夜空を見上げる。

 空を裂いて轟いた雷鳴が余韻を残して消えると、やがて魔曲『雷鳴と稲妻』の効果は瞬く間に霧散していった。

 どんよりと上空を覆っていた雷雲はまるで嘘だったかのようにその姿を消し、夜空にはつい先刻と変わらない満天の星と、紅い満月が光を湛えている。

 と、視界の片隅、丁度二合ほど上の塔の壁に剣を突き立てしがみついている少年の姿が見えて、日笠さんは安堵の吐息と共に思わず顔を綻ばせた。

 カッシー、良かった。無事だったみたい――と。


 目と目が合うだけのまさに刹那の一瞬で決めた、咄嗟の連携。

 けれど、うまくいった。

 月は隠すことができた。

 大鴉もなんとか倒せた。

 本当に、情けなくなるほどに、行き当たりばったりの辛勝だったが。


 けれど、半転生の法はどうなったのだろう?


 静まり返った塔の頂上からは何の気配も感じることができない。

 恵美は? こーへいは? かのーは?

 そしてなっちゃんはどうなったのか。

 

 ――だめだ、考えがまとまらない。

 視界が遠のいていく。

 お願い。どうかみんなが無事でいますように――

 

 おのれの限界を超えてなお挑んだ少女の意識は、そこで闇に飲み込まれる。

 ゆっくりと目を閉じ、日笠さんはそのままふらりと階段に倒れこむと気を失った。

 


♪♪♪♪



 同時刻。

 祭壇の塔頂き――


 静まり返った円筒の頂上では敵味方問わず全員が一点を見つめ、固唾を呑んで様子を窺っていた。

 その集中する視線の先で、宙に横たわる微笑みの少女は、未だ目を覚ます気配をみせない。

 

 月を覆っていた雷雲はつい先刻、幻だったかのように消えてしまった。

 塔の脇を抜けて落下していった雷、あれははたしてまゆみの意図したものだったのだろうか。

 だが半転生の法の顛末はどうなったのだろう。

 彼女は何故目を覚まさないの?――

 地に縛られながらも、東山さんは目の前で宙に浮く少女を見上げ、剣呑な表情を顔に浮かべる。


 一方で片膝をつき、息絶え絶えになりながら祈る様にして少女を見つめていたマダラメも、訝し気に眉根を寄せていた。

 その姿は枯渇した魔力のために、おどろおどろしい髑髏の容貌から、元の病的なまでに白い肌をした青年の姿へと戻っている。

 しかしその執念により、彼は確かに半転生の法は遂行し終えた。その証拠に魔法陣を覆っていた黒炎は既に消えている。

 法が完遂したことを暗に示している。

 なのに何故だ、何故目を覚まさない?――

 

「レナ……レナ! お願いだ目を覚ましてくれ」

「なっちゃん……なっちゃん!」


 死神と親友、二人は異なる声色で、しかし同じ想いを募らせながら少女の名を呼んでいた。


 と――


 視線の先で起こったその変化に、二人は同時に驚嘆の吐息を漏らす。

 やにわに宙に浮いていた微笑みの身体がふわりと跪くような姿勢で床に着地したのだ。

 仄かな光に包まれた少女は、やがてゆっくりと立ち上がると、背伸びをするように天を仰ぐ。

 その瞳はまだ閉じられたままだ。

 はたして、佇む少女は微笑みの少女なのか、それとも聖女と呼ばれた僧侶なのか。


 おかしい――

 立ち上がった少女を見上げ、死神は一抹の不安を募らせる。

 半転生の法がもし成功したのならば、その容姿は姿へと変貌するはずだ。

 だがしかし、目の前の愛しの女性の容姿は、元の器と変わらぬ姿のままだった。

 馬鹿な、半転生の法は不完全だったというのか?!

 そんなはずはない。そんなはずはない!――

 

「レナ! 君はレナだろう?! さあ応えておくれ! 私の名をまた呼んでおくれ!」


 縋りつくように少女の足元に這いよると、マダラメは必死の形相で僧侶の名を叫ぶ。

 対して拳を握りしめていた音高無双の少女は、切なる想いを言葉に乗せて、喉の奥から声を振り絞った。


「なっちゃん!?」


 お願い、振り向いて――

 刹那、その背中に投げかけられた少女の呼びかけに対し、天を仰いでいた微笑みの少女は顔を降ろす。

 そして僅かに顔を傾げる素振りを見せた後、ゆっくりと振り返った。

 東山さんは――いや、その後方で縛られつつも様子を窺っていたこーへいもかのーも、反応を示した少女に気づき思わず笑みを浮かべる。

 

 だがしかし――

 

 振り返った少女のその表情を見て、東山さんは絶句する。

 嘘……でしょ?――と。

 地に伏した親友を見下ろす少女のその眼差しは、まるで路傍の石を見るかのように何の感情も灯さず、真っ黒な闇を瞳に湛えていた。


「ドクゼツ!?」

「おーい、マジか?」


 やにわに呟いたこーへいとかのーの声を背にしながら、東山さんはそれでも脳裏をよぎった結末を必死に否定して微笑みの少女を見上げる。


「なっ……ちゃん……でしょう? 貴女は茅原夏実でしょう!? ねえ、答えて! お願い――」


 だが打ちひしがれたように絶望の色を顔に浮かべ、震える声でそう呼びかけた東山さんに対し、少女が浮かべたその微笑みは――

 


 

 かつて見たことがない程に、ぞっとするほど蠱惑的かつ妖艶なものだった。

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