その26-2 重ねた覚悟の果てに
一分前。
塔の上空数百メートル――
「放すかよっ! 諦めろっつのこのバカラス!」
八の字を描いて飛びまわる大鴉の背で、振り払われまいとカッシーは叫ぶ。
背中に走る激痛に対し、返事をするように大鴉が再び鳴き声をあげた。
だが刹那、羽搏いた大鴉の頭上で眩いばかりの閃光が周囲に走り、少年は剣呑な表情を浮かべる。
いつの間にか雲が空を覆っている。しかもこの光、これって雷か?
振り落とされまいと必死にしがみついていたせいでまったく気が付かなかった。
一体こりゃどういうことだ、何が起こってる?――
―ケケケ、こりゃあの娘だな―
「日笠さんが?」
妖気は感じない。だが明らかに術法の気配を感じる。
少年の思考を読み取り、笑い声と共にそう答えた時任に対して、カッシーは轟きをあげた雷雲を見据えながら呟いた。
「……何するつもりだ?」
―そこまでは知らねえが……だがあっちの心配している余裕はもうねえぞ小僧―
少年の右手に握られた妖刀が夜空に鈍い光を放ちながら警告を促す。
もってあと数十秒。それ以上限界を超えた和音を使い続ければ、少年の身体は破たんを起こし使い物にならなくなるだろう。
一方で大鴉も体力の限界が近づいてきたようだ。放つその鳴き声に勢いがなくなってきている。
手負いの上に暴れに暴れたツケが回ってきたのだ。
意地の張り合いに決着がつこうとしている。
出せてお互いあと一手。
勝つのは少年か、それとも風使いか――
と、先に動いたのは漆黒の猛禽だった。
耳の奥がツンとなるのを感じ少年は息を呑む。
間違いない。王の間で感じた、見えざる風の刃が迫る気配だ――
刹那、夜空を彩るようにして舞い上がった宵闇色の羽毛がカッシーの視界を覆った。
続いて飛沫く紅い霧。みるみるうちに切り裂かれていく鴉の背上で少年は目を見開く。
こいつ、まさか――
―ケケケ、自分ごと俺達を切り裂く気かよ!?―
少年の言葉を代弁するように時任が吐き捨てた。
はたして、背中に張り付く少年目掛けて四方八方から風の唸りが迫り始める。
振り落とせぬならもういい。そこでじっとしているがいい。
だが我が主の下に行かせない。身動きのとれぬこの空で、切り裂かれ、そして果てろ――
そう語る様に大鴉は低い鳴き声を轟かせた。
化け烏め。散々侮ってたくせに、手痛いしっぺ返し食らって焦ったか? 居直りやがった。
だが小賢しい奴だ。やっぱり鴉は好きになれねえ、手負いの獣は厄介だぜ――
迫る刃は感じるだけで前後左右に六刃。加えて空は翼ある者が支配する領域だ。
時任は苦々しく唸り声をあげた。
だがしかし。
耳朶を震わせる見えざる刃を肌で感じつつも、絶望的なこの状況でなお、我儘少年は闘志を燃やす。
勝つのは俺だ――と。
上等だ、覚悟決めたんだろ大鴉?
けどなあ、今更遅いんだっつの。
覚悟ならこっちはとうに決めてんだ。
あの日にとっくに決めてんだよ。
み ん な で 生 き て 帰 る ん だ っ て な !
「ざけんなボケッ! お前と心中なんてごめんだっつの!」
決意の光る一喝を放ち、カッシーはブロードソードを抜き取ると鴉の背中を蹴り上げる。
素早く横薙ぎに繰り出した妖刀の刃が、前方から迫った真空を叩き消した。
刹那、出来上がった活路目掛けて少年は走る。
迫る残りの刃が彼の背中や足を掠める中、間一髪で背上を駆け抜けると、カッシーは大鴉の頭部目掛けてブロードソードを振り上げる。
「てええぇぇりゃあああーッ!」
気合一閃。
ザクリ――と、その切っ先が猛禽の頭頂部に突き刺さった。
刃が脳漿を抉る。
途端、絶叫が真下にある巨大な嘴から迸り、大鴉は悶える様にその身を一度震わせると、羽ばたきを止めた。
重力に身を任せ、その巨体ががむしゃらに身悶えしながら急降下を開始する。
「くっ!」
急な浮遊感をその身に感じ足を踏み外しかけたカッシーは、咄嗟にブロードソードを握りしめ、大鴉の顔にしぶとくへばりついた。
ギリギリだったが何とか切り抜けられた――
その頬に新たに生まれた傷から血が流れ、風に乗って上空へと舞っていく。
だがほっとしたのもつかの間。窮地はまだ続く。
―小僧、頭を下げろっ!―
「……マジかっ!?」
と、時任の声に圧されるようにして前方を見据えた少年は、詰まった悲鳴をあげた。
空を裂いて迫っていたのは塔の頂き、一瞬窺えたその頂上では、驚愕の表情を浮かべたマダラメがこちらを見上げているのがわかる。
そして何やら黒く蠢く幾つもの縄で括られている先に行った三人の姿と、宙に浮く微笑みの少女――
あいつら何やってんだ!? まだなっちゃん助けてないのかよ!?――
口をへの字に曲げた少年に、だがそれ以上詮索をする余裕はなかった。
刹那、大慌てで頭を伏せたカッシーの頭上すれすれを、塔の
一寸上で唸るような隙間風が吹き荒れているのがわかった。
このまま身を少しでも寄せられれば、壁と猛禽によってサンドイッチは確実だろう。
だがそれよりも、なんだか様子がおかしい。気になることがある。
大鴉に一向に上昇する気配が見られないのだ。
どんどん加速していく落下速度に気づき、カッシーは眉根を寄せる。
ちょっと待て、このままじゃやばくないか?――と。
―ケケケ、こいつ意識が飛びかけてやがる―
「はあ?!」
―何とかしろ小僧、このままだと地に激突してお前もお陀仏だぜ?―
ぎょっと目を剥きながらカッシーは
はたして妖刀の言葉通り、落下に迷いがない大鴉の飛行先に見えたのは、ついさっき飛び出してきた王の間の天窓だった。
咄嗟の判断で弱点と聞いていた頭部に攻撃したのは間違いだったのだろうか。
だが冗談じゃない。
せっかくここまで粘ったんだ。死んでたまるかっ!
「ボケッ! 起きろバカラスッ!」
歯を食いしばり、大きな鼻息を一つ吐くと、カッシーは握りしめていたブロードソードに力を籠める。
途端、脳髄に走った激痛により意識を取り戻した大鴉は、その金色の瞳に再び光を灯し悶える様に鳴き声をあげた。
バサリ――と、閉じられていた大翼が開かれ、急激に落下速度が緩まってゆく。
やにわに猛禽は大きく旋回し、Uの字を描いて再び夜空へと舞い上がった。
だがしかし。
「ぐっ……」
ほっと安堵の吐息を漏らしたカッシーは、期せずして訪れた全身を駆け巡る激痛に、くぐもった呻き声をあげた。
そして危うく手を放しそうになったブロードソードの柄を慌てて握り直し歯を食いしばる。
無念。タイムオーバー。
限界を超えた和音によって酷使された肉体が悲鳴をあげだしたのだ。
―小僧!?―
「いいから続けろ!」
だが、襲ってきた代償を耐えるようにして放たれた少年の声と共に、柄を通して妖刀に伝わってきたのは、覚悟を決めた清々しい程の意地だ。
まったくこの小僧は。本当に呆れるぜ。
だがさっきも言ったが相打ちは勝ちじゃねえ。
さてどうする? このまま和音を維持するか。
はたまた、小僧の悪運に賭けて解除するか――
時任は珍しく憂慮の籠った唸り声を絞り出した。
一方で、プチプチと肉が千切れるような悍ましい音が、限界を告げるように身体の内側で響く中、時を同じくしてカッシーも考えを巡らせる。
まだ何かできるはずだ。
まだ抗えるはずだ。
考えろ。どうすればいい?
そういえばナマクラは言ってた。今空を厚く覆うあの雷雲は、日笠さんが呼び出したのだと。
何故彼女は雲を呼んだ?
彼女は何をしようとしている?
考えろ。
あの雷雲は、今何を狙っている?――
その疑問に至った途端、自然と顔は塔に向けられていた。
何となく、彼女がそこにいる――そう感じたから。
はたして。
そこに佇み、迸る閃光を湛えた杖を掲げるまとめ役の少女の姿を瞳に映し、カッシーは口をへの字に曲げた。
詠唱の途中で余計な言葉は紡げない。
だが汗まみれのまっ白な顔で、こちらを向いて優しく微笑んだ彼女の瞳は、確かにこう告げていたのだ。
飛んで――と。
やりたいことをやるって決めた。
信じてくれってあの子に言った。
もう泣き顔は見たくなかったから。
だから俺は諦めない。
背中を預けたあの子を信じて、あとは前に向かって歩けばいい――
やりたいことをやってみるって決めたんだ。
もう泣かない。
足を止めて憂うよりも、君を信じようって決めたから。
だから私は諦めない。
今は君の背中を護る。今は君の背中を追いかける。
いつか君に追いついて、一緒に歩めるその日まで――
今何をすべきか? それを各々が考え行動すれば、それはもう立派な『作戦』――かつて傲岸不遜な教育係が言っていた言葉だ。
ただ、
彼等が覚悟を決めて手を伸ばし、求めたのは同じものだった。
そしてその時、その瞬間、確かに。
二人の少年少女は、前も後ろもなく、隣り合って足を踏み出していたのだ。
「じゃあな、バカラスッ!」
今にも落ちそうな稲妻が雲間を走る中、カッシーはブロードソードを手放すと大鴉の頭を蹴って宙へと躍り出る。
半濁した意識で、それでも必死に追いかけようと少年目掛けて羽搏いた大鴉は、しかし次の瞬間、膨大な魔力が頭上で渦巻き始めたのを感じとり、絶望のあまり悲鳴をあげた。
刹那――
「落ちよ、聖なる稲妻っ!」
少女の杖が最後の詠唱と共に振り下ろされる。
空を裂いて迸った一条の雷が、大鴉の脳天に突き立てられたブロードソードへと一直線に落下する。
膨大な電流により脳を焼かれ絶命する間際に漆黒の猛禽が見た最期の光景――それは間抜けにも、にへらと笑い離れていく、少年の勝ち誇った顔だった。
ありえない! 何故だ、何故……俺が負けるはずが――
口惜し気に放たれたその断末魔は、眩い雷光を追うようにして轟いた地鳴りの如き雷鳴によって掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
やがて動きを止めた大きな翼と共に、黒焦げとなった大鴉の体はみるみるうちに王の間へと落ちてゆく。
死人の宴の終焉を告げるように、死の舞踏が最後の一音をけたたましく奏で終えたのはまさにその時だった。
古城に舞い戻った静謐と入れ替わるようにして、魔曲『雷鳴と稲妻』の効果が余韻を残して引いていく。
満月は紅い光を湛えながら、晴れゆく雲間よりその姿を再び現し始めた。
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