その25-3 伸ばした手で掴み取るモノ
同時刻。
祭壇の塔、頂き――
「なっちゃん!」
滑り込むように最後の階段を上がり終えた東山さんは、荒い呼吸を繰り返しながら微笑みの少女の名を叫ぶ。
だが到着するや否や、視界に飛び込んで来た光景に少女は言葉を失った。
彼女の双眸が捉えたのは、まるで見えない祭壇があるかの如く、宙に浮いて横たわる微笑みの少女の姿――
その傍らに立ち、法衣をまとった
気に恐ろしき死神の執念。
かのーの奇襲により祭壇を失ったマダラメは、咄嗟に自らの魔力を祭壇の代わりとして少女を奉り、強引に術式を続行していたのである。
何だろうこの不安を募らせる気配は。なんとも嫌な空気だ。
あれがマダラメ、そして今まさにあいつが行っているのが、サイコさんの言っていた『半転生の法』というものなのだろうか――
東山さんは眉間にシワを寄せ両拳を握りしめた。
「おーい、あれがマダラメかよ? マジで死神じゃね?」
と、ようやく頂上にたどり着いたこーへいが彼女の横からその様子を覗き込み、緊張感ない声色で感想を漏らした。
しかし声とは裏腹に、クマ少年のその顔は真剣そのものだ。弾む息をそのままに東山さん同様死神を睨みつけ、彼は腰の
だがそこで姿が見えないかのーに気づき、やにわに彼は周囲を一瞥した。
ところで先に行ったはずのあのバカはどこに行った?――と。
「ドゥッフ……クマァー、イインチョー! ヘルプミー!」
はたして、噂をすれば何とやら、そのバカ少年の助けを呼ぶ声が聞こえて来て二人はその声のした方向へと顔を向ける。
そしてほぼ同時に彼の姿を発見した東山さんとこーへいは、やにわに呆気に取られて動きを止めた。
二人のいる位置からおよそ五メートル。丁度向かって左の隅で、バカ少年は床に平れ伏すようにして捕まっていた。
そう、言葉通りまさしく
床から生えた、無数の黒い手によって全身を掴まれて。
「……あなた何してるのよ!?」
「おーい、なんだその手は?」
「ソンナノ俺様が知るワケないデショー! さっさと助けてプリーズ!」
まったくよー、意気揚々さっさと上に向かった癖にいの一番に捕まったのかよ?――
四肢をがっしりと掴まれ、まるで俎上の魚の如くジタバタともがくかのーを見下ろしながら、やれやれとこーへいは眉尻を下げる。
と――
「時は満ちた! さあレナおいで! この器は君のものだっ! クキキキ……クキケケケケケケ!」
刹那、夜空目掛けて放たれ始めた死神の笑い声。
会話を遮るようにして聞こえてきた、高音と低音、二つの声色が入り混じるその狂気の奇声に、二人は我に返るようにして塔の中央を向き直った。
彼等の視界の中央でマダラメは右手を掲げると、その頭上に漂い続けていた光の玉へと魔力を傾注させていく。
こりゃ駄目だ。あいつネジが一本どころか三本くらい既に外れてんぜ――カラカラと歯を鳴らして嗤い謳うマダラメを眺めながら、しかしこーへいは、途端警鐘を鳴らし始めた自らの勘に気づいて顰め面を浮かべる。
そう、死神は言った。たった今確かに言った。
時は満ちた――と。
その言葉が意味する『事象』に対して、勘は警鐘を鳴らし始めたのだ。
即ち、午前零時。タイムリミット――
「そんな――」
「おーい……やばくね?」
もはや猶予はなくなった。
半転生の法は完了してしまったのだろうか。それともまだ――
同じくその言葉の意味に気づいた東山さんは、左手の腕時計を見下ろして眉間にシワを深く刻みこむ。
「おのれまだいたか! うろちょろと鬱陶しい虫ケラどもめ!」
と、微笑みの少女にご執心だった死神は、今更ながらこちらの存在に気づいたようだ――
怒りを含んだ一喝がこちらに向けて放たれ、二人はほぼ同時に顔をあげた。
「もうあと僅かなのだ、あとほんの一呼吸で終わるのだ! 邪魔をするな人間風情が!」
大人しくそこでひれ伏していろっ!――
左手を微笑みの少女へ翳し魔力を維持し続けながら、マダラメはフードの奥の狂気灯る瞳を彼等へ向ける。
そして空洞の口腔で素早く呪文を詠唱すると、眼窩の奥で狂気を携える金色の瞳を怪しく光らせた。
やにわに風の唸りが東山さんの前髪を撫ではじめ、彼女は得体の知れない悪寒に眉根を寄せる。
と、負けじとマダラメを見据えていた少女のその足元から、無数の黒い手が槍の如く飛び出したかと思うと、それは一瞬にして彼女の頭上へと伸びていった。
かのーを捕えていたあの手?!
なるほど、逃げ足だけは早いあいつが捕まったわけだわ。
だが不覚。人の事を言えた状況じゃあない。この数、はたして躱せるか――
降り注ぐようにして襲い掛かってくる黒い手を睨み上げ、東山さんは息を呑む。
だがしかし。
ドン――と、その背中に走った衝撃によって、彼女の小柄なその身体は前方へと突き飛ばされた。
一体何が起こった?――と、理解できずに慌てて身を捻り、振り返った少女のその目に映ったのは、自分を突き飛ばしたのであろう右手をそのまま突き出し、にんまりと笑うクマ少年の姿。
目を見開いた東山さんに向けて、彼の口が動く。
かまうな。いけ――と。
不意を突かれた東山さんと異なり、その持ち前の勘によって黒い手の奇襲を察知していたこーへいは、ギリギリではあったが床を蹴って回避していた。
だが傍らの少女に迫る危機に気づいたクマ少年は考える。
タイムリミットはもう過ぎた。
けどまだ終わりじゃねー。
たった今あいつ言ってたよな? あと僅か――って。
半転生の法は終わってないってことだ。
なら望みはある。俺らの手が届くチャンスはある。
おお、いいねえ。ゾクゾクすんぜ。なあ、女神様?
賭けるとすれば、俺より彼女だ。
んじゃ、行こうか委員長。
まさにギャンブル狂。
にんまりと猫口に笑みを浮かべ、彼は少女の背中へと手を伸ばしていた。
はたして――
「……ぐっ!」
あっという間に格子の如く黒い手が降り注ぎ、こーへいの身体に絡んでいく。
強制的に地へ組み伏せられたクマ少年は、たまらず呻き声をあげた。
間一髪、束縛から逃れた東山さんは、叫ぼうとした少年の名を必死に呑み込み、歯を食いしばる。
彼の意図がわかった。彼が何を求めて私を助けたのかわかった。
まったく、普段はお気楽極楽の癖にやる時はやるんだから。
けれど、ならばそう。今は与えられたこの機を無駄にはできない――
即座に踵を返すと、東山さんは猛然とマダラメ目掛けて走り出した。
「おのれ虫ケラ、近づくなッ! この器は私のものだ! この器はレナのものだ! 貴様らなんぞにィ渡すものか!」
決死の勢いで迫る少女を見据え、マダラメは威嚇する。
だが死神の睨みを真っ向から受け止めて、なお恐れを知らず、東山さんは真っ直ぐに走った。
目指すはただ一つ、横たわる微笑みの少女だけ。
「彼女を放しなさいっ!」
タン――と、涼やかな音を立てて、コンバースのハイカットが威勢よく床を踏み鳴らすと同時に、音高無双の少女は凛と叫び返す。
小柄な少女が放った覇気に思わず怯むようにカタカタと歯を鳴らし、虚ろな視線と共に死神は唸った。
魔力はもはや枯渇しかけている。予想外の妨害により失敗しかけた半転生の法を、無理矢理自身の魔力で補って続行したために、稀代の死霊使いと呼ばれる彼といえども限界が近づいてきていたのだ。
加えて今この時も、脳みそを掻き回す様にして頭の中で暴れまわる死人の宴の調べが、彼の精神を摩耗させてゆく。
だがそれでも。
「黙れ、黙れ黙れ! だあぁまぁぁれぇぇッッ! 私の……私のレナを奪おうとする者は……全員、全ぇぇぇィィィィ員ンンン、朽ち果てるまで地に這いつくばれッッ!」
死神は吠える。歪んだ愛をはべらせ吠える。もはや後には引けぬ――と。
この六百年、散々に待ち焦がれた愛しの女性を求める彼の偏執的な恋慕の感情は、ついに限界を超えた魔力の暴走をその身へ誘発させたのだ。
刹那。
幾つもの黒い手の群れが床から飛び出すと、唸りをあげて東山さんに襲い掛かった。
まるでマダラメの欲望を具現化するように、少女を地へと這いつくばらせようと――
だが少女は怯まない。
その勢いは衰えない。その足は止まらない。
底知れぬ狂気がもたらす恐怖よりも、今この身を焦がす程に燃え滾る意志の方が勝っているから。
あの日以来ずっと、あの子の微笑みは何処か陰って見えた。
いつもの歯に衣着せぬ言葉も、物怖じしない素振りも変わってはいない。
けれど、心の奥底で今も感じ続けている『恐れ』を悟られまいと、気丈に振舞っているように感じられた。
まるで『微笑みの仮面』を被って、それまで通りの自分を演じ続けているように――
今も時々思う。
もしあの時、もっと早くあの場に駆けつけていることができれば、彼女は今も心の底から笑う事が出来ていたんじゃないかって。
でも、ヴァイオリンで私を助けに来てくれた彼女は、とても久々だったが仮面を脱ぎ捨て笑ってくれた。
心底安堵した表情で、目に一杯涙を溜めながら、でもニッコリと微笑んでくれたのだ。
ただしその後、千切れるくらいほっぺを引っ張られたが。今度やったら絶交だから――って。
彼女は私を助けに来てくれた。
次は私が彼女を助ける番だ。
そう。次こそ彼女を助けてみせる。
今度こそ、彼女を護り抜いてみせる!――
一直線に駆け抜けるそのさまは、例えるならば紅き隼。
頭上より迫る黒い手を視界の端で捉えながら、東山さんは腰に差していたヌンチャクを抜き取ると、矢継ぎ早に繰り出して払い除けた。
交錯する気高き白い信念と悍ましき黒い執念。
それぞれの強き想いを胸に抱き、死神と少女は互いの距離を詰める。
刹那、矢雨のように執拗に襲い掛かる黒い手を必死に振り払い、円に沿って黒炎を迸らせる魔法陣を踏み抜いて東山さんは中へと飛び込んだ。
あと少し。あと少しだ。
お願い、間に合って。
弾む息を飲み込みながら切なる想いを胸に秘め、東山さんは
「さぁぁぁせええぇぇるぅぅかあぁぁっ!!」
少女の特攻を阻害しようと奇声をあげてマダラメが左手を翳す。
途端地が波打ちだすと黒い渦が無数に浮かび上がると、空を裂く唸りが幾重にも重なって塔の頂上に響き渡った。
大きく一度身体を震わせ、音高無双の少女は俯き加減で歯を食いしばる。
「なっ……ちゃんっ!」
あと少し、あと少し――
一心不乱に念じながら彼女は前に進もうと足に力を籠める。
だがそれ以上、その足は前に踏み出されることはなく――
そして眠るように横たわる少女に伸ばされた彼女の手は、その身体に触れるか否かの手前で――
――小刻みに震えながら動きを止めていた。
いや。
四方八方、鎖のように地から伸びた黒い手の群れにより雁字搦めに拘束されて――
「無様に這い
まるで捕縛された猛獣のように前にも後ろにも動けなくなった東山さんの耳に、死神の非情な一声が告げられる。途端、うねる黒い手が彼女の髪の毛を乱暴に掴み、地へと押し付けた。
ゴッ――という鈍い音が派手に響いたかと思うと、少女は額を地に叩きつけられながら、もんどりうって組み伏せられる。
マジか委員長――
身体を締め付ける黒い手により苦悶の表情を浮かべながらも、その様子を固唾を呑んで見守っていたこーへいは、珍しく眉を顰めた。
「っ――」
小さな呻き声をあげ、東山さんは自らの頭を掴む黒い手を押しのけるようにして顔を上げる。
その額を紅い線が伝ったかと思うと、鼻筋を通りぽたりと床に流れ落ちた。
不覚。振りほどこうともがいても、身体に力が入らない。
あの時
無念そうに顔を歪めた少女を見下ろし、マダラメは安堵の表情を髑髏に浮かべてみせた。
だが途端額を押さえてフラフラとよろめくと、彼はその片膝をつき、肩を上下させながら息を繰り返す。
「手こずらせおってッ……!」
いかん、魔力が尽きる。もはや一刻の余裕もない――
震える膝に手をつき、気力を振り絞って立ち上がると、マダラメは天を仰いだ。
確認するように見上げた夜空には、天高く昇った紅い満月が見える。
頃合いだ。月の魔力は十分だ。
「黙ってそこで見ていろ虫ケラども。法が終わったら、すぐに『器』の後を追わせてやる!」
術式の最中に余計な死体が周囲に生まれれば、魂が
すぐにでも嬲り殺してやりたい衝動を必死に抑え、マダラメは吐き捨てる様にそう言い放つと、天に浮かんでいた光の玉へと再び右手を翳し、その頭蓋をカラカラと嗤わせた。
「さあレナおいで! 月は満ちた! 今こそ蘇るのだっ!」
ふざけるんじゃあないッ!
その子の名は茅原夏実だ。その子は私の親友だ!
私の大切な仲間に……手を出すなこの変態ストーカーッッ!――
額から流れ落ちる血をそのままに、東山さんは怒りの形相で拳を握りしめる。
だがしかし――
「……なっ!?」
やにわに聞こえてきたマダラメの上擦った驚嘆の声と、はたりと止んだ狂気の笑い声に気づき、音高無双の少女は顔を上げた。
そしてそこに見えた、吃驚の表情と共に天を仰ぎ、動きを制止させる死神を見て、訝し気に眉間にシワを寄せる。
一体何が起きているの?――と。
刹那。
耳朶を打った地鳴りのような轟きにより、少女はその答えを知ることとなった。
「おー?」
「ドゥッフ?!」
次いで荒々しく放たれた閃光が塔の頂きを照らし、同じく顔を上げたクマ少年とバカ少年も思わず間抜けな声をあげる。
眠る微笑みの少女を覗き、その場にいた全員が見上げた夜空に姿を現していたのは、つい先刻までそこに
それは稲光を放ちつつ、みるみるうちに夜空を覆っていく雷雲の海だった。
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