その25-2 君を救おうと、差し伸べられた手は集う
コルネット古城祭壇の塔、頂上――
サン=サーンスが記した死の舞踏の
時刻はまさしく
息を吹き返した死の舞踏の調べは、再び姿を現した『光の奏者』達も加わり、皮肉にも本来ヴァイオリンを奏で踊るはずのその
「――うっ! ぐぅぅおぉぉぉっ!」
刹那。
鮮明に古城に響き渡るその音色によって、脳の中で蟲が暴れるような、不快な衝動が込み上げてくるのを感じ、マダラメはこめかみを押さえた。
再び呪詛のように身体中に流れてくる怨嗟の言葉を必死に振り払い、彼は危うく途絶えかけた儀式への集中を執念で復活させる。
気が付けば様子がおかしい。
音の波動が瞬く間に古城を覆う淀んだ瘴気を押し除けて再び広がっていく。
空気が澄んだものへと変わっていく。
馬鹿な、私の瘴気が押されているだと?!
あの虫けら達が私の魔力を跳ね返したというのか?!
ありえん。ありえん。ありえんありえんありえん!――
「虫けらの癖に、何故何度も食らいついてくる! 何故踏んでも踏んでもまとわりついてくる!?」
―クック、忘れたか若造。それが人間という生き物だ―
「……吸血鬼ぃぃぃぃっ!」
先刻と同様に耳元で囁くようにして聞こえてきた穏やかな嘲笑に、マダラメは目を剥いて唸る。だが、やにわに背後で轟いた、悶える猛禽の悲鳴に気づくと、彼は慌てて背後を振り返った。
見えたのは、視界を覆う程に広げられた漆黒の翼を羽ばたかせ、塔すれすれを掠めて夜空へと飛んでいく大鴉の姿――
「オオウチッ!?」
吹き付けてくる突風から身を守るように顔を覆った死神は、吃驚と共に風使いの名前を呟く。
どうしたのだ一体!? 何が起きている!?――と。
しかし、その疑問はすぐに吹き飛ぶこととなった。
満身創痍の猛禽の背に、ブロードソードを突き立ててへばりつく、少年の姿を発見して――
♪♪♪♪
コルネット古城、祭壇の塔上空――
見えたっ、やっぱりいたっ!――
猛スピードで上昇する大鴉が塔の
「なっちゃんっ!」
思わず叫んだ少年の手は、それが無駄であるとわかっていながら無意識に伸びていた。
だが見る見るうちに遠ざかっていく塔の頂に舌打ちすると、彼は向かい風に立ち向かうように顔を上げ、再びブロードソードの柄をしっかりと握りしめる。
空高く舞い上がってゆく大鴉のスピードは衰えない。
風圧が容赦なく少年の身体を襲い、耳朶を打つ風の音は一向に鳴りやむ気配などなかった。
もう古城は遥か下だ。
なんつー高さ。月下の古城を望める絶景ポイントだなこれは。
だが、少年の身体を唯一支える物は、鴉の背に刺さったブロードソードのみ。
ゆっくり景色を鑑賞するには聊か心許ない
―耐えろよ小僧っ!―
「死んでも離すかクソガラスっ!」
『い゛っ!』と歯を食いしばり、カッシーは叫ぶ。
と、大鴉はその声に反応したかのように甲高い鳴き声を一つあげると、やにわに錐揉み状に旋回しながら、今度は真っ逆さまに急降下を開始した。
途端夜空に響き渡る少年の絶叫と、妖刀の楽しそうな笑い声。
満月をまるで真っ二つにするように、大鴉のシルエットがその中心を垂直に通過していった。
♪♪♪♪
再び戻って祭壇の塔頂き――
唖然としながら夜空を暴れ狂う大鴉を見上げて、マダラメは悔しげに歯を食いしばった。
そして見る見るうちに憎悪をその表情へと浮かび上がらせ、眼下に見える吸血鬼を睨み付ける。
「おのれ吸血鬼、これは貴様の仕業か! 手を貸したのだな、裏切者め!」
―確かに私は、私の感情を色艶やかに染める者に協力する――そうは言ったが、これは私の力ではない。おまえの力を跳ね除け、今またこの艶やかな音色を復活させたのは、正真正銘神器の使い手達の力だ。まあほんの少し、手伝いはしたがな―
瘴気によって音の魔法まで崩れぬように、密かに張った結界の強度は上げた。だが、それはあくまで契約の範囲内――
マダラメが執念によって生み出した瘴気を払いのけ、今また死の舞踏を高々と古城に響かせるまでに至ったのは、彼等の諦めぬ精神がもたらした結果だ。
礼拝堂の頂からマダラメを見上げ、シンドーリは目配せしてみせる。
―そして我々の『たかが』という見識を覆す粘り強さ、そして思いもよらぬ底力……これぞ短き時を懸命に生きる人間という種族が放つ、生命の輝きそのものだ。おお、ブリリアント! なあ、懐かしかろう若造?
「くそっ、くそっ! では何故だ?! 貴様も私と同じ
―それは違う―
躍起になって暴走するマダラメの言葉を断言するようにして遮り、吸血鬼はにやりと犬歯を覗かせる。
そして小さく左手の人差し指を左右に振って、マダラメにこう告げた。
―私は
――と。
「原理? 知っているだと?……吸血鬼、貴様一体何者だ?」
含めるようにそう言ったシンドーリを見据え、マダラメは咽喉奥で唸り声をあげる。
だがしかし。
その答えが死神の耳に届くよりも先に、またもや背後で鳴り響いた破壊音によって会話は強引に中断された。
陶器や木材が割れ砕かれる何とも嫌な音――聞こえ響いてきたその音に、息を呑んで振り返ったマダラメは、たちまちのうちに強張った
「き、き、き、きさま……何をしているっ!?」
思わず声が裏返った。
散在する陶器と燭台。そして大きな穴が空き横転した祭壇を見つめて目を丸くしながら、マダラメはそこに立っていたツンツン髪の少年へと震える声で怒鳴りつける。
対して、勝ち誇ったドヤ顔を浮かべ、気を失った微笑みの少女が抱きかかえていたバカ少年は、ニヤリと逆三角形をした口の端を歪めてみせた。
「ムフン、オレサマイッチバンノリー!」
「虫ケラぁぁぁっ! 小汚い手でレナの器に触るなっ!」
血走った目をかのーへと向けて、マダラメは狂犬の如く吠える。
だがその狂気の眼差しを、視線を逸らすことなく受け止めて、かのーはゲジゲジ眉毛を吊り上げた。
「知るかヨ変態ストーカー。よく聞けヨ、このドクゼツは『レナ』でも『ウツワ』でもネー! 『チハラナツミ』ってんディス」
仲間を勝手に自分の物にすんジャネーヨ――
珍しく露骨に不快感を顔に浮かべながらバカ少年は負けじと言い返す。
「くっ、よせっ! その手を放せ! 術はもう少しで完成なのだ! もう少しなのだ!」
「エーソナノー? いいコト聞いちゃっター!」
なら邪魔してやるディス!――
途端、鼻息を一つ吐き、かのーは今一度、魔法陣の中心にあった祭壇を蹴り飛ばす。
派手な音を立てて祭壇は、塔の頂きを滑っていくとその端から音もなく落下していった。
あんぐりと口を開き、マダラメは声にならない悲鳴をあげて、たった今祭壇が落ちていった端を見つめる。
とどめとばかりに、バカ少年は死神に向けて感情を煽りに煽るようなケタケタ笑いをあげてみせた。
「ウーップス、ゴメン足すべっちゃっター!」
「……おのれっ! おのれっ! 虫ケラァァァ! 許さぬぞぉぉぉぉォォォォ!」
刹那。
マダラメの声が濁り始める。
甲高い高音と、地の底から生まれてくるようなどす黒い低音。
二つの怨嗟が交錯した唸り声を絞り出すと、彼は顔中に血管を浮かべ、枯れ枝のような手をわなわなと震わせる。
途端、その頬がこけ、皮膚が削げ落ち、高い鼻が黒い砂となって消え、眼球が窪みの中に吸い込まれていった。
やがて爛々と光る獣の眼だけが、変わらずかのーを睨みつけるその顔は、見紛う事なき『死神』のそれへと変貌を遂げる。
「ドゥッフ!? ちょっと待ッテ! ナニソレ? 変身スンノー?!」
聞いてないヨソンナノ!――
あっという間に余裕のケタケタ笑いをその表情からツルリと落とすと、かのーは顔に縦線を描きつつ後退った。
だが散々煽りに煽られた死神が、バカ少年を逃すはずもなく。
「逃すか虫ケラぁ! その魂まで刻み尽くしてやるっ!」
「タ、タンマタンマー! 話し合いマショー? ネー?」
逃げ出そうと踵を返したかのーの足元から無数の黒い手が現れかと思うと、バカ少年の姿は一瞬にしてその黒い手によって闇の中に飲み込まれていった。
♪♪♪♪
同時刻。
祭壇の塔、六合目――
「カッシー……」
夜空を所狭しと飛び回る大鴉と、その背中にしがみ付き奮闘する少年を見上げ、日笠さんは剣呑な表情を顔に浮かべる。
急降下、急上昇、急旋回。
時に城壁に体当たりし、時に地すれすれを錐もみしながら不自然に滑空する猛禽の動きは、勿論負傷によるものだけではないだろう。
彼を振り落とそうとしているのは明らかだ。
任せろ――彼はそう言っていた。
とはいえ、一体あの状況からどうやって地へと戻るつもりだろうか。
そして刻一刻と時間が迫る問題がもう一つ。
やにわに日笠さんは右手に付けていた腕時計に目を落とすと、益々もって表情を険しくした。
時刻は深夜零時間近――タイムリミットまでもう幾ばくも無い。
頂上まで駆け上っても間に合うかは微妙なところだ。
なんとかしなきゃ――
雲一つない夜空と天高く昇り詰めようとしている紅い満月を見上げ、少女は杖を握りしめる。
そして意を決したようにその足を止めた。
サイコさんは言っていた。
そしてシンドーリ伯爵も言っていた。
法の成功には月の満ち欠けが重要となります。マダラメが半転生の法を行うとすればそれは満月の夜――
満ちた月が天高く昇る刻こそ、禁呪に相応しきフィールドが築かれるのだ――
マダラメが行おうとしている術式には、満月の力が絶対に必要らしい。
ならばもし、月が
術式の途中で、
これは賭けだ。もしかすると失敗に終わるかもしれない。
けれど、私は決めた。
『やりたいこと』をやるって。
神様、お願いします。
もうこの際、いるのであれば『トラブル』の女神様でもいいです。
なっちゃんを。あの子を助けて――
「どうか上手くいきますように」
思い至った結論を胸に抱き、日笠さんは大きく息を吸って目の前に杖を翳す。
そして全神経を杖の先に集中しながら、徐に目を閉じた。
「戒めを解き放ち、我の求めに馳せ参じ雷の精よ、今こそその力をこの空へ示さん――」
刹那。不協和音を奏でるなつきの独奏が、死神の嗤い声のように響き渡る。
少女はその調べに合わせ、歌うようにして詠唱を紡いでいった。
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